14.逃亡犯と女の涙

a fugitive and woman's tears

「――鍋島くん、芹沢くん、ちょっと来てくれ」

 署に戻り、二階の廊下を刑事課の前まで来るなり、二人は部屋の奥から高野係長に呼ばれた。

 二人がそばまで行くと、いささか焦った様子の係長は言った。

「帰って来て早々悪いが、三丁目の小学校まで行ってくれるか」

「何かあったんですか」鍋島が訊いた。

「コンビニ強盗が逃げとるんや。その直後に、小学校付近で不審者の目撃情報が入った」係長は早口で言った。「強盗はナイフらしきものを所持しとる。今さっき、島崎と坂東ばんどうに向かわせた。学校には連絡が入ってるし、地域課からかなりの人数が出動してるが、きみらも行ってくれるか」

「分かりました」

 鍋島は芹沢に振り返った。「行こう」

 芹沢は頷いて、係長に言った。「拳銃の携帯許可は出ますか」

「もちろんや。ただし、扱いは慎重にな」

 係長は押し込むように言って、二人の新人をじっと見据えた。



 小学校は署からは目と鼻の先、三丁目交差点の目の前にあった。

 さすがに周辺一帯は騒然としていた。やや小ぶりのオフィスビルやマンションの建ち並ぶ地域で、グラウンド側は大通り、正門側はその大通りに向かって一方通行の道路に面していた。

 鍋島と芹沢の二人が到着したとき、正門前には通常のパトカーと捜査車両(つまり覆面パトカー)の二台が停まっており、捜査車両の運転席では島崎が携帯電話で話していた。

 二人が近づくと、島崎は電話を切り、窓を下ろした。

「ごくろうさん。この周辺にはおらんようや。範囲を広げてる。学校の北方面がやや手薄らしいから、そっちを頼む」

「特徴は?」鍋島が訊いた。

「身長170前後、痩せ型。二十代後半から三十代。水色パーカーに黒デニム、黒スニーカー。明るめの茶髪をだいぶ遊ばせとる。ゆるふわパーマっちゅうやつや」

 島崎は言うと左の耳たぶを引っ張った。「こっちに複数のピアス」

「凶器を持ってるって」

「ああ。包丁や。もんやったそうや。百均でも売ってるような」

 島崎はここでエンジンをかけた。「ちょっと俺、坂東を拾ってくるわ。似たやつを追いかけて、天満橋まで行ったらしい。結局空振りやったって、連絡が入った」

「了解しました」鍋島は頷いた。

「気をつけろよ。コンビニ店員の話では、言動がちょっとおかしかったらしい。クスリでもやってたら厄介や」

 島崎の言葉に、芹沢の表情が厳しくなった。小さく舌打ちをしたのが鍋島には分かった。

 島崎が車で走り去り、二人は正門前に残された。

「……さてと、ほんなら北やな」鍋島は芹沢を見上げた。「見つかるとええけど」

「見つけてやりますよ」

 芹沢は言うとジャケットの上から左脇腹に手を当てた。「……見つけて、片づけてやる」

 整った顔に、じわりと殺気が広がった。それを見逃さなかった鍋島は思わず怯み、口ごもってしまった。

「え、いやあの――」

 しかし、芹沢は既に先を行っていた。

 鍋島の脳裏に、今朝の東主任とのやり取りが浮かんだ。

 ――やれやれ。勘弁してくれ――。

 鍋島は自分の左脇腹に手をやり、デニムシャツの裾をめくった。何度手にしても慣れることのない冷たい鉄の塊を、今また確かめて、ゆるりと芹沢の後を追った。


 小学校の北側は雑居ビルの建ち並ぶエリアになっていた。その間を車一台が通れる程度の道路が縫って走り、商用車が点在するように停まっていたが、人気ひとけはなかった。二人は通りをくまなく回り、怪しい人物がいないか調べたが、あいにく成果はなかった。

「……いませんね」芹沢がため息交じりで言った。

「ま、当然っちゃ当然やな。時間が経ちすぎてるもん」

 鍋島は肩をひょいとすくめると、さばさばとした口調で続けた。「小学校の子供に被害が及んでへんなら、むしろ御の字かも」

「分かりませんよ。これからやらかす可能性だってある」芹沢は唇を噛んだ。「早く

 鍋島は芹沢をじっと見た。「なあ」

「はい?」

「自分、刑事を希望してなったんか」

「え、今ここで人事面談ですか?」

 芹沢は笑い、わざとらしく周囲を見渡した。「そんな余裕あるかな」

「あ、いや。うん、まぁ、そうやな」鍋島も表情を崩した。「ごめん。今のナシ」

「はぁ?」

「行こ。捜索範囲広げよ」

 鍋島は歩き出した。確かに今、ここで掘り下げる必要はないと思った。

 すると、隣に並んできた芹沢が言った。

「今朝の東さんとの話ですか」

「えっ」

 鍋島は芹沢を見上げた。芹沢は薄笑いを浮かべていた。

「なに話してたんですか」

「何のこと」

「俺の刑事への志望動機を知りたくなるようなこと、聞かされたんですか」

「そんなこと、なんも言うてないよ」鍋島は笑った。「あんなイケメンと組んで、辛いんやないかって同情されてただけ」

 芹沢はじっと鍋島を見つめると、やがて顔を逸らして舌打ちした。「……くだらね」

「うん。しょうもない話。悪いな」鍋島は片目を閉じて頭を下げた。

 そのときだった。

「――確保、確保――! 」

 二人が歩いてきた通りとは少し離れた東の方向から、大声が上がった。二人は顔を見合わせ、走り出した。


 東へ向かって1ブロックほど走ると、細長い八階建てのマンションとコインパーキングに挟まれた狭い路地で、若い男が四、五人の警察官に取り押さえられていた。両腕をパーカーの背中で組まされ、髪をわしづかみにされて地面に顔を押し付けている。その左耳にはぎっしりとシルバーのピアスが並んでいた。

 鍋島と芹沢が近づくと、男は二人を睨み付けて「クソッ!」と言った。両腕を押さえていた捜査員が男に手錠を掛け、同時に両側の制服警官が引きずるようにして男を立ち上がらせると、二人の前を通り過ぎ、路地と交差する広い通りに停めてあったパトカーに連れて行った。

 すると、最後尾を歩いていた捜査員が二人に振り返って言った。

を頼む。署まで連れてこい」

 捜査員の視線を辿って二人が路地に振り返ると、小学校低学年くらいの男の子と、ひざまずいて彼を抱きかかえている母親らしき女性の姿があった。男の子は直立不動で、呆然と空を見上げている。母親は彼の頭を撫で、肩を震わせて泣いていた。

「……何らかの被害を受けたんでしょうか」

 芹沢が呟くように言って、親子に向かって歩き出した。

「――あの、大丈夫ですか?」

 母親は泣きながら芹沢の言葉に頷いた。何か言っているようだったが、声にはならないらしい。

「どこかお怪我は? 警察署までご同行願いたいのですが」

 芹沢は言うと長い足を折って親子の前にしゃがみ込んだ。

 そしてそのとき、圧倒的な違和感を覚えて後ろを振り返った。

「あれ――?」

 鍋島の姿が無かった。

「は? 何で……?」

 芹沢は立ち上がり、親子に「ちょっと失礼」と断りを入れて路地を出た。表通りを見渡して、さっき来た方向へと戻ったが、鍋島はいなかった。

「どういうことだよ……」

 芹沢は路地に戻ることにした。鍋島がどこへ行ったのか気になったが、明らかに何らかの被害を受けたと思われる親子を放っておくわけにはいかない。

 そして、コインパーキングの前を通り過ぎようとしたとき、そのフェンスのすぐ内側でうずくまっている鍋島に気付いた。

「え、なに?」

 芹沢は目を丸くして鍋島を見下ろした。「何やってるんです?」

 鍋島は抱えた膝に顔を埋めていた。返答はなかった。

「鍋島さん?」

「…………」

「どうしたんですか、大丈夫ですか?」

「……てくれ……」

「はい?」

「……ええから、放っといてくれ……」

 芹沢はむっとした。「は、なに言ってんの」

 それでも鍋島は顔を上げず、代わりに右手を振って芹沢を追い払うような仕草をした。

「……いい加減にしろよ」

 芹沢は舌打ちし、鍋島の手を掴んだ。引き戻そうとする鍋島に覆いかぶさるようにしてその肩を揺らすと、その勢いで鍋島はフェンスに背中をぶつけ、顔を上げた。

「めんどくせえな、まだ腹具合が悪い――」

 芹沢は言いかけて、息を呑んだ。

 鍋島の顔が、まるで死人のようだったからだ。

 どす黒い土色で、生気が一切感じられなかった。見たことは無いが、死神というのはきっとこんな顔をしているのだろうと思った。

「……どうしたんです」

 芹沢はそう言うのがやっとだった。

「ええから、ほっといて。あの親子んとこ、行ってやって……」

 鍋島は消え入りそうな声で言うと、再び膝に顔を突っ伏した。

「……分かりました」

 芹沢はコインパーキングを出て、さっきの親子のところへ向かった。

 ――おいおい。勘弁してくれ――。

 歩調を速めながら、どうやら鍋島かなり厄介な闇があるらしいと悟り、そしてすぐに、だからどうした、俺の知ったことかと思い直した。

 路地に入ると、芹沢はため息を一つつき、開き直ったかのように晴れやかな笑顔を造って親子のそばに歩み寄って行った。

 

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