13.おしゃべり男と別の切り札

a chatty guy and another trump card

 この日の昼休み、別の課の同期の女性から食事に誘われた尚央は、会社の近くのイタリアンレストランで人気の限定ランチを食べながら、この十日間に自分の身に起きた出来事について話した。

「――ふーん、そういうことだったんだ」

 カルボナーラをくるくるとフォークに巻き付けながら、同期の豊田とよださきは言った。ちゃきちゃきの江戸っ子だったが、高校一年のときに父親の転勤で大阪に引っ越してきたという。二年後に両親は東京へ戻ったが、彼女はそのまま関西の大学に進学し、卒業後も大阪に残った。去年の秋、これまたコテコテの大阪人と結婚して、今は市内のど真ん中に住んでいる。

「ほんと、ただの迷惑よ」尚央は大きくため息をついた。「災難もいいとこ」

「結局、男なんてどれもみんな同じってことよ。女の子に好意を持たれたら、相手が誰だって悪い気はしない。自分に女がいたって関係ないわけ」

「咲の旦那さんは違うわよ」

「うちの亭主はモテないってこと?」と咲は笑った。

「違う。誠実だっていう意味。それに新婚だし」

「新婚こそ分かったもんじゃないわ。釣った魚にはなんとかって言うじゃない」

「またあ。本気でそんなこと思ってないくせに」

「まあね。うちらいつでもラブラブだから」

「ごちそうさまでした」尚央は深々と頭を下げた。

 咲は満足げにうんうんと頷くと、テーブルの紙ナプキンで口元を拭い、そばを通りかかったウェイターに食後のコーヒーを注文した。

 そして咲は言った。

「――まあ、片山も確かにゲスだけど、それをぺらぺらと喋ってるやつもどうかと思うわ」

「え、何それ」尚央は顔を上げた。「誰が何を喋ってるって?」

「……後藤ごとうよ。うちの課の同期。あいつ、片山の大学の先輩なんだってよ。それで片山にいろいろ相談受けてたらしいわ。実は昨日、課で飲み会があってね。後藤ったら、訊かれもしないのにみんなの前で片山のことぺらぺら喋ってやんのよ」

「……サイテーなやつ」

「でしょ。あたし、怒鳴りつけてやったわよ」

 そこへウェイターがコーヒーを運んできた。手慣れた様子で二人の前にセッティングすると、空いた皿を下げて去った。

「――でもまあ、今のあんたの話を聞いたらある意味辻褄が合うかも」

 コーヒーにフレッシュを注ぎながら咲は言った。

「と言うと?」

「帰りの電車でも後藤と一緒だったんだけど、あいつ、性懲りもなくまた片山の話をしてくるもんだから、いい加減にしろって言ったのよ。そしたら、どうも雲行きの怪しいこと言い出してさ」

「何て?」

「片山は騙されたんだって」

「どういうこと? 詳しく説明してよ」

「それが、後藤の脳味噌って全部筋肉だからさぁ、言ってることがよく分かんないんだよね。でもとにかく、片山は樫村蓉世とその妹に陥れられたんだって言うのよ」

「陥れられた? ユーキが?」

「後藤の言うのには、だけどね。それももちろん片山から聞いたんだろうし、一方的な言い分には違いないんだろうけど」

「でも蓉世ちゃんはユーキと一年半も付き合うてるのよ。それが何で突然ユーキを騙さなあかんの?」

「だから、妹のせいだって」

「妹?」

「昔、相当悪かったらしいよ。今は少しはマシになったそうだけど」

「ふうん……」尚央は俯いて顎に手を当てた。「それって、警察は知ってるのかな」

「さあ、どうだろ。後藤は警察には話を聞かれてないんじゃない?」咲は素っ気なく言った。「聞かれてたら、あいつのことだからそれもあたしたちにべらべら喋ってるわよ」

「そうよね。彼も何も言ってなかったし」

「彼って?」

「刑事。偶然にも学生時代のバイト仲間だったの」

「えー、めっちゃ凄い偶然じゃん」

 そう言うと咲は訝し気に尚央を見た。「……ちょっとあんた。余計なことしなさんな」

「えっ?」

「どういう経緯いきさつなのかは知らないけど、とにかく面倒臭そうじゃない? なるべく関わらない方がいいよ」

「分かってる」

「ほんとにぃ?」と咲は目を細めた。「あんたなかなかのお節介だから」

「大丈夫よ。今回はほんまにまったくのとばっちりなんやもん」尚央は顔をしかめて首を振った。

「ま、その樫村って子の言いなりになれってことじゃないけどね」

 そして咲は腕時計を見た。「――あ、そろそろ行かなきゃ。朝から二年目がやらかしちゃって、てんてこ舞いだったのよ。課長がカミナリ落として、相当ヘコんでたからさ。フォローしといてやんないと」

 そう言って慌ただしく席を立つ咲を眺めながら、そう言うあんたも相当のお節介ね、と思いつつ尚央も財布を持って立ち上がった。



 秋山尚央の主張するアリバイの裏付けに茶屋町と阪急三番街、グランフロント大阪の書店を訪ねた鍋島と芹沢は、そのいずれもで彼女の言った通りの事実を確認した。そして最後に彼女が食事を摂ったというスターバックスコーヒーを訪ね、ここでもまた証言に嘘がないことを確認して、片山を刺したのは尚央でないことを正式に結論づけた。二人はそのままスターバックスに残り、昼食がてらこのあとの捜査方針について話し合うことにした。

「……すごい組み合わせですね」

 鍋島のオーダーしたフードメニューを見ながら、芹沢は呆れ気味に言った。

「え、そう?」

 アボカドとサーモンのサンドイッチを頬張りながら鍋島は芹沢を見た。「どこが?」

「……なんか、ガッツリってだけじゃなくて、こってり甘々って感じも」

 鍋島のトレーには、サンドイッチの他にベーコンとほうれん草のキッシュ、ミックスベリーのアメリカンスコーンにプリンまで揃っていた。逆にドリンクはシンプルにストレートのアイスティーだ。

「食いしん坊やけど、大食いってわけやないねんで。興味があって」

「興味?」芹沢は首を傾げた。「スタバのメニューに?」

「違う違う、食べもんに。料理が趣味でさ」

「あっそうか」

「そっちのも旨そうやな」

「食べます?」芹沢はクラブハウスサンドイッチを差し出した。

「いや、大丈夫。大体わかるから」

「分かるの? すごいな」芹沢は目を丸くした。

「今度、作って持ってきてやるよ」

「マジですか、約束ですよ」

「朝メシ前や」

 そう言うと鍋島はアイスティーを一口飲んだ。「さて、ほんならこれからどうするか」

「もう一度片山を攻めるんでしょ」

「せやな。ただ、昨日と同じやり方ではあかん。切り口を変えんと」

「何かありますかね。別の攻めどころ」

「……そこが難しいとこやな。どう考えたかて、片山が嘘をついてるのは明白や。それをどうやって白状させられるかや」

「やっぱこっちが新しいカードを切らないとダメですよね」

「そうでないと攻める意味ないやろな」鍋島は頷いた。「でもそれがなぁ、なかなか」

「その樫村蓉世って婚約者を探ってみますか」

「どうもめんどくさそうやけどな」

 鍋島はキッシュを切り分けながら言うと芹沢を上目遣いで見た。「自分は得意なんちゃう?」

「何でですか」芹沢の表情にわずかだが嫌悪の色が浮かんだ。

「男前やから――って言うたら怒るんやな、そうやった、悪い」

 芹沢はハァっ、と深くため息をつき、手にしていたコーヒーカップを置くと左手で作った拳で頬杖を突き、鍋島を見た。「……わざとですか?」

「いや、違うよ。単に忘れてただけ」鍋島は片目を閉じ、右手を顔の前で真っ直ぐ立てた。「ごめんごめん」

「頼んますよ先輩」

「せやかて、こっちはずっと見てんのやで、その顔。つい思ってしまうやんか」

「見なけりゃいいでしょ」

「無茶言うなよ」鍋島は肩をすくめた。「ほら、見てみ。あっちの女子。ずっとこっち見てるで」

「嫌ですよ」芹沢は本当に迷惑そうだった。

「なんで。ひょっとすると運命の出会いになるかもよ」

「なるわけねえし」と芹沢は笑った。「言っちゃなんですけど、俺、女の子に困ってませんから」

「……そらそうやんな」

「ええ。ですから大きなお世話ですよ」

 そう芹沢ににこやかに抗議され、鍋島は面白くなさそうに口元を歪めた。

「――ま、どっちにしたって、樫村って子を探るのは慎重にいく必要があるやろな。警戒されたり、へそを曲げられたら終わりや」

「どうします。またあの会社に行って、今度は樫村の周りを当たりますか」

「そうやなあ、むっちゃめんどくさいけど」

 そう言うと鍋島は完食したあとのトレーを前に手を合わせてごちそうさまと呟き、顔を上げた。「行こか」


 店を出て、トイレに行くという鍋島を紀伊国屋書店で待っている芹沢のもとに、携帯電話の着信があった。

 取り出してかけてきた相手を確認しようとしたが、画面に現れたのが登録した名前ではなく番号だったのに少し不審に思いながらも電話に出た。「はい」

《――あ、もしもし、芹沢くん?》

 芹沢は少し首を傾げた。「……尚央さん?」

《うん。ごめんね、お仕事中だったでしょ》

 尚央には昨日、携帯電話の番号を教えておいたのだ。

「どうしたの?」

 芹沢は人気ひとけのないフロアの隅に移動した。

《実はね、ちょっと芹沢くんの耳に入れておきたいことがあって》

「事件のこと?」

《そうなの。でも、そこそこ曖昧な話だから、わざわざ警察に電話するのもどうかと思って》

「そんな気を遣わなくていいよ」と芹沢は笑った。「それで、どんな話?」

《それがね、今も言ったようにちょっと曖昧な話だから、その前に確かめたいことがあって、それが出来てから芹沢くんには話そうと思うの》尚央は言葉の通り慎重な口調で言った。《でね、もしよかったら、夜にでも時間取れない? 私は六時には空けられると思う》

「いいよ、大丈夫」

《いい加減なことでごめんね。とりあえずは芹沢くんの都合を確認したくて電話したの》尚央は早口に言った。《じゃ、また電話するね》

「了解」

 電話を切ってジャケットの内ポケットに直したところで、芹沢は顔を上げてあたりを見渡した。すると、ちょうど鍋島が店内に入ってくるところだった。

「こっちです」と芹沢は手を挙げた。

 芹沢のそばまで来ると鍋島は言った。「なんでこんなとこにいるんや」

「だって、トイレの前で待ってるなんて、女子みたいでしょ」芹沢は肩をすくめた。

「まあな」と鍋島は頷いた。「ほな行こか」

「とりあえず一度署に戻りませんか」芹沢は言った。

「え、なんで」

「だって、逐一報告しないと不満そうだったじゃないですか」

「おっさんらがか?」

「ええ」と芹沢は苦笑した。「いちいち小言聞くの、鬱陶しくないですか」

「……まあ、そうやけど」

「ね。帰りましょうよ。ここからならすぐだし」

 そう言って芹沢は店の外へと歩き出した。鍋島はその様子じっとを見つめると、ゆっくりと後を追った。


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