10.本屋巡りと緩めのセキュリティ
moving around bookstores and a loose security
「――へえ、結構ハードな一日だったんだね」
スタイリッシュな空間で創作韓国料理を提供するダイニング・バーで、芹沢は料理をつつきながら感心したように言った。
「……まあ、そうやけど」と秋山尚央は言った。「そのハードな一日を送った原因の一部は、そっちにも無関係じゃないんやけどと思って」
「え、俺?」
「警察よ。何度も事情聴取に来て」
「あ、そうか」と芹沢は片目をつぶった。「すいません」
「別にいいわ。昨日の時点で予想はしてたし」
尚央は肩をすくめ、にっこりと笑った。「芹沢くんとも会えたしね。こうやってご飯も食べるなんて、思ってもなかったから、嬉しいわ」
「そう言ってくれると助かる」
芹沢も笑顔になると、マッコリの鉢を持って尚央にすすめた。「さ、グッと行っちゃって」
「酔わせてどうする気?」と尚央は笑いながらも、陶器のグラスを空けた。
「そんな、深読みしないでよ」
芹沢は肩をすくめ、それから真っ直ぐに尚央を見て言った。「……ま、尚央さんの酔っ払ったとこ、久しぶりに見てみたい気もするけど」
尚央はじっと芹沢を見つめ返した。何も言わず、やがて視線を逸らした。芹沢は微かに笑うとマッコリを呷った。
そこへ店員がスンドゥブを運んできて、訛りのある日本語で器がお熱くなっているのでお気を付けくださいと言い、空いた皿を引いていった。
「――で? 何が訊きたいの?」尚央は言った。
「え?」
「今朝の事情聴取だけでは納得してないから、こうやって誘ったんでしょ」
小皿に豆腐を取り分けながら、尚央は言って芹沢を見た。「ちょっとやり方が違うと思うけど」
まあね、と芹沢は頷いた。「いや、実はちょっと引っかかってることがあって」
「引っかかってること?」
「尚央さん、昨日は仕事のあとは本屋巡りしてたんだよね。何冊か探してる本があったから」
「ええ。
「うん、聞いた」
「残念ながらそれを証明することができないってことも。一人だったから」
「ま、それは防犯カメラの映像で確かめられるんだけどね。本屋に提供してもらって」
「だったら、そうしたら?」
「もちろん、それも考えてるよ」
芹沢はグラスを置くと腕組みをして尚央を見つめた。「でもさ、そんなことをするより、俺は尚央さんから聞きたいなと思って」
「何を?」
「本屋のハシゴ以外に、寄ったところがあったんじゃないかって」
「寄ったところ?」尚央は眉根を寄せた。「どこにも行ってないけど?」
「本を買い終わってすぐ家に帰った?」
「ええ」
「食事は摂らなかったの?」
「摂ったけど……」
「一人で?」
「ちょっと待ってよ芹沢くん」尚央は箸を置いた。「何よこれ。どういうこと――」
「今朝の事情聴取だけでは納得できなかったから」と芹沢は尚央を遮った。「俺が誘ったって、思ってるんだよね尚央さんは」
「…………」
「俺も否定はしない。だから訊いてるんだ」
芹沢は言って尚央を見据えた。口元が微かに笑みを湛えていた。
尚央はため息をついた。「……一人だったわ」
「どこで?」
「……グランフロントのスタバ。紀伊国屋に隣接してるとこ」
尚央は箸を取ってチヂミをつついた。「パストラミビーフサンドとアボカドシュリンプのサラダラップ、それと抹茶プリンにアイスコーヒーを注文したわ。八時前くらいだったと思う。お店に確認取ってくれていいわよ」
「分かった」芹沢は嬉しそうに頷いた。
「何が面白いの?」
「いや、相変わらずよく食べるなあと思って」
「……大きなお世話やし」
「いいじゃん。それでその体形維持出来てるんだから、すごいよ」
「セクハラよそれ」尚央はふふっと笑った。
え、そうなの、と芹沢は首をすくめた。
そのとき、芹沢のジャケットの内ポケットで着信音が鳴った。芹沢は電話を取り出し、画面を確認すると腰を上げて尚央に言った。「ちょっとごめん」
「いいよ、ここで話しても」
「仕事の話なんだ」
芹沢は片目を閉じると、席を立って店の入口に通じる通路へと出た。
「――はい」
《――あ、鍋島です》
「お疲れさまです」
《会えた? 彼女に》
「ええ、今メシ食ってます」
《何か訊き出せた?》
芹沢は尚央とのこれまでの話を伝えた。
《――つまり、スペインバルには行ってないと》
「そういう直接的な言い方で問い質したわけじゃないですけどね。今からそれとなく訊いてみようかなって」
芹沢は言うと、後ろから来た客に道を譲りながら言った。「――で、そっちは何かあるんですか」
《うん。昨日のこととは違うんやけど――》
芹沢は鍋島の話を通路の壁にもたれて聞いた。
「――分かりました。ええ、はい、じゃあ明日」
芹沢は電話を切った。そして一つ短いため息をつくと、通路を歩きだした。
席に戻ると、尚央の方も誰かと電話中だった。芹沢に気づくと「切るね」と短く言い、電話を手元に置いた。
「ごめん、お待たせ」芹沢は席に着きながら言った。
「大丈夫なん? 忙しそうやけど」
「全然。ただの業務連絡」と芹沢は笑うと尚央の電話を指さした。「そっちこそ、切っちゃって良かったの」
「いいの。後輩からの愚痴なんて、聞いてたらキリがないんやから」
「いろいろ大変だね。頼りになる先輩ってのも」
「そんなんやないわ」と尚央はかぶりを振った。「ただ話しやすいだけなんでしょ、頭ごなしに否定しないから。今のコって、そういうの慣れてないし」
そう言って尚央がちょっと不服そうな顔をしたのを芹沢は真顔で見つめると、マッコリを手酌で注ぎながら言った。
「――尚央さんのマンションって、セキュリティはどうなんだっけ」
「えっ?」尚央は意外そうな顔をして芹沢を見た。「どういうこと?」
「ほら、俺まだ現場行ってないだろ。だから分かんないんだよね」
「あ、そうか」尚央は頷くと、またすぐに驚いた表情で言った。「え、だからまさか今から行きたいとか言うつもり?」
「言わねえし」と芹沢は笑った。「言うわけないじゃん」
「……そうよね。良かった」尚央は胸を撫で下ろした。「芹沢くんにしてはずいぶん強引に口説きにかかってきたなって思っちゃった」
「俺のこと、どんな風に思ってるのさ」芹沢は顔をしかめた。
ごめん、と尚央は笑った。「それで? ウチのマンションのセキュリティがどうだって?」
「来訪者が簡単に部屋まで来ることができるのかなって」
「……うん、来れるよ」尚央は視線を落とした。
「エントランスで訪問先の住人を呼び出して、ロック解除してもらわないと部屋まで行けない、とかじゃないんだ」
「そんないいとこじゃないわ」尚央は顔の前で手を振った。「マンションって言っても、ハイツみたいなとこよ。築三十年近くの、オシャレ感ゼロの建物」
「だから片山さんも昨夜、部屋の前まで行けたわけだ」
「うん、そうね」
「片山さんは知ってたんだね。尚央さんの部屋番号」
「メールボックスで調べたんやないかな。入口の」
「メールボックスに名前書いてないでしょ、尚央さん」
「え?」尚央は目を丸くした。
「相方が確認してるんだよ。今夜、マンションに聞き込みに行って」
芹沢は真っ直ぐに尚央を見ていた。「片山さん、昨日が初めてじゃなかったみたいだね。尚央さんとこに行ったの」
尚央は視線を落として黙り込んだ。
「つい三日ほど前にも訪ねて来たんだってね。夜遅くに部屋の前でもめてたって、外から帰って来た同じ階の住人が見てたんだ」
「もめてなんか――ないわ」
尚央は相変わらず俯いたままで、独り言のように呟いた。
「じゃあ、用件は何だったの」
その質問には答えず、尚央は顔を上げるといくぶん咎めるような口調で言った。「――今夜呼び出したのって、そのためだったのね」
「そのため?」
「私の留守中にマンションの聞き込みをするため」
「違うよ」と芹沢は笑った。「最初に言ってた、事情聴取の延長戦さ」
「でも、今夜は私が友達と買い物に行くって言ったのを、わざわざ待ってまで――」
「尚央さん、俺たち警察だよ」
芹沢は尚央の言葉を遮った。「そんな面倒な小細工しなくたって、その気になりゃいつだって聞き込みくらい出来るさ。例えば今日の昼間、尚央さんの勤務中に行けばいいことだろ」
「じゃあ、何で相方さんは今夜行ったの」
「知らない。思いついたんだろ」と芹沢は肩をすくめた。「あるいは俺のことが邪魔だったのかも」
「え? どういうこと?」
「いや、こっちの話」
芹沢は首を振ると、今日イチとも言える爽やかな笑顔を尚央に見せながら、目の前に置いたグラスを脇に寄せて軽く身を乗り出し、言った。
「――で? 何だったの。三日前の片山さんの用件って」
尚央はため息をついた。蓉世のことを話すしかないなと思った。
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