11.美人の親友と行き場無きもやもや

a beautiful close friend and unfocused fuzzy feeling

 

 地下鉄南森町駅から天神橋筋商店街を南下、大阪天満宮付近まで来たところに、そのイタリアンバルはあった。

 店の看板やおすすめメニューを書いた黒板を脇に見ながら地下への階段を下り、ドアを開けると大きなテーブルが目に入った。十人くらいはゆったりと座れそうで、今は三組の二人連れが間隔を空けてそれぞれの食事を楽しんでいた。

 迎え出たスタッフに待ち合わせの先客がいる旨を伝え、左側に並んだテーブル席に視線を移すと、一番奥の席に目指す相手を見つけた。相手もこちらを認めていたようで、肘をついた右手をひょいと挙げて声を出さずに「よう」と言った。

 いつものように周囲の視線を感じながらテーブルの前まで行った。そして腕を組んで仁王立ちになると、手にしていた携帯電話で相手を指し、言った。

「何なのよ、急に」

「まあ座れよ」

 相手は意に介さずに言うとテーブルのメニューを見せてきた。「何飲む? 軽いのやったらいけるやろ」

「ったく……相変わらずね」

 三上みかみ麗子れいこはため息をつき、目の前の椅子を引いて腰を下ろした。「ハーブティーがあればそれでいい。車で来てるから」

「え、車? 何で」

 鍋島はメニューから視線を上げた。

「仕事だからよ。あんたに呼び出されるなんて想定外」

 そう言うと麗子は肩に掛けていたバッグを椅子の背に置いた。「公衆電話からの着信なんて、取ってあげるのあたしくらいよ。何でケータイ持たないの」

「めんどくさいもん」

「周りはあんたの百倍めんどくさいわっ」

 麗子は吐き捨てるように言った。

 鍋島はふふん、と鼻で笑うと店員を呼び、カモミールティーとチーズの盛り合わせ、海老ときのこのアヒージョを注文した。

 三上麗子は鍋島の大学の同級生で、性別を超えた親友でもあった。市内の大学の法学部で非常勤講師をしながら、自身も大学院の博士課程で学んでいる。誰もが認める美貌の持ち主で、アメリカ育ちの帰国子女であるために英語も堪能、まさに才色兼備のお手本のような女性である。ただ、性格には多少の難があり、そこを理解しているのは鍋島の他にごく数人であることから、こうして彼とは今でも気の置けない関係が続いている。

「――それで、何があったの」

 アイスカモミールティーを一口飲むと、麗子は鍋島をまっすぐに見て言った。

「何って?」

「いいからそういうの。時間の無駄」麗子はひらりと手を振った。「早く言う」

 鍋島は口元を歪め、ジムビームのハイボールを軽く呷り、それからぽつりと言った。

「失恋した」

「あれ、付き合ってるコいたんだ」

「付き合ってない」鍋島は首を振った。

「じゃ、告白したけどごめんなさいパターン」

「告白もしてない」

「勝也。それって失恋以前の問題よ」

「うん。分かってる」

「……ま、一応言っとくわ。それはお気の毒さまでした」

 麗子は深々と頭を下げ、顔を上げるとため息をついた。「で、他には?」

「え、もう終わり? 俺のロストラブストーリー」

「ストーリーどころか、聞くほどのエピソードもないんでしょ」

「ない。いいなと思ってたコに、彼氏がいた」

「ほら。そんなのはもう、とっととごみ箱へドラッグしちゃって」

 麗子はモッツアレラチーズをフォークで刺した。「はい、次の話」

 鍋島は小さく肩をすくめると、両肘をテーブルに乗せて軽く前のめりになり、言った。

「異動になった。ちょっと前に言うてたやろ」

「うん、聞いた。西天満署……だったっけ。いつから?」

「昨日」鍋島は言うと眉根を寄せた。「一係や。強行犯」

「危ないとこ?」麗子は視線を上げた。

 どうかな、と鍋島は首を傾げた。「少なくとも楽ではない」

「そっか。気を付けてね」麗子は肩をすくめた。「あんた、キャラに似合わずあんまり丈夫じゃないから」

「そう。昨日は腹壊してた」

「いきなり? 分かりやすくブラックじゃない」

「違う。前のとこの送別会で、飲みすぎたから」

「……なんだ。自己責任じゃん」

 麗子は言うと何かを閃いたように目を見開いた。「分かった。そこで知ったんだ。気になるコの彼氏の存在」

「図星です」鍋島は項垂れた。

「もたもたしてるからよ。相変わらずの優柔不断ね」

「それはもうええんや」

「ってことはやっぱり、新しい職場で何かあったのね」

「あったというか――なったというか」

「なった?」

「うん。想像してたんと全然違う状況に」

「ああ、こんなはずじゃなかったってやつ」麗子は頷いた。「でも、そういうこと増えてくわよ。大人になればもはや日常ね」

「分かってるよ」

 鍋島は面白くなさそうに吐き捨て、アヒージョの海老を口に運んだ。「俺の他に、もう一人異動してきたヤツがいてさ。そいつと組まされることになった」

「気に入らないの?」

「ってわけやないけど――」鍋島は首をひねった。「いや、やっぱそうなんかな」

「なによ、どっち。めんどくさいなあ」

 麗子は言いながらメニューを眺めた。「あ、このフレッシュトマトとバジルのパスタってやつ」

 鍋島はスタッフを呼び、麗子の言ったパスタを注文した。

「一コ下のほぼ新人なんやけどさ。すんごいイケメン」

「可及的速やかに紹介すること」

 麗子は真顔で言った。鍋島は無視して続けた。

「おまけに、めっちゃ生意気やねん」

「はぁ。よくあるパターンね」麗子は今度はため息をついた。「で、仕事にならないってわけ」

「いやまぁ、そうでもない」

「なんだ。だったら文句ないじゃない」

「……まぁ、そうよ」

「じゃあいったい何がどう不満なのよ」

 麗子はちょっと苛立ったように言った。「勝也。あたしもあんたほどじゃないけど、そこそこ忙しくしてるのよ」

「お、悪い悪い」

「……ったく、しょうがないヤツ」

 麗子はため息をつくと、ここで初めて心配そうに鍋島を見た。「やって行けそうにないの? そのイケメンと」

「そうは思わへんけど」

「けど、が付くのね」

「うん」

「最初だから、ってことじゃない?」

「それもあるかも知れん」

「……はっきりしないんだ」

「うん……いや、まあ、うん」

「また、もう。どっち」

「歳が近いから、意識してしまうんかな」

「そういうシンプルな理由ならいいけど」

「どっちにしろ、決まったことやから」

 そう言うと鍋島は気を取り直したように笑顔を見せた。「分かった。気にせんとく」

「何それ、勝手に自己完結? 付き合ってらんないわ」麗子も呆れたように笑った。

 運ばれてきたパスタを小皿に取り分け、麗子はフォークを手際よく回しては口に運んだ。鍋島は煙草に火を点け、広がった煙の間から満足げに麗子の様子を眺めた。

 やがて麗子がふふっ、と笑った。

「なに」鍋島が言った。

「別に」麗子はパスタ皿に目線を落としたまま。

「何やねん、言えよ」鍋島は灰皿に煙草を打ち付けた。「何がおもろい」

「面白くて笑ったんじゃないわ」

 麗子はようやく顔を上げた。「変わんないなと思って」

「何が」

「あんたよ」

「日々目まぐるしく成長してるはずやけど」

「あ、そういうバカなところも」

「ええよもう。何が変わらんて?」

 麗子はフォークを置くと、カモミールティーを一口飲んで鍋島を見据えた。

「明らかに間違ったこととか、理不尽なことではないんだけど、でもどうも何だか自分には気に入らないことがあると、あんた、あたしに会いたがるわよね」

 鍋島は麗子から視線を外した。「……そうかな」

「そうよ。もやもやして、だけどそれが独りよがりだって自分でも分かってて、だから正々堂々と主張するわけにもいかないから、行き場を失ったそのもやもやを、あたしに見せに来るのよ。違う?」

 鍋島は黙って肩をすくめた。

「めずらしく素直に認めたわね」麗子はにっこり笑って頷いた。「わざわざ呼び出すあたり、よっぽどストレスだったんだ」

「それほどでもないけど」

「それほどでもないなら、遠慮しなさいよ」麗子は鼻のふもとに皺を作った。「――ま、失恋に免じて許すけど」

「やろ? 腹も壊したし、三重苦やねん」

「知らないわよ」麗子は腕を組んだ。「仕方ないからもうちょっとだけ付き合ってあげるけど、体調が良くないんだったら、適当に切り上げなさいよ。明日もあるんだろうし、どうせまたもやもやは避けられないし」

「え、送ってくれへんの。車なんやろ」

「送るから。だから早く帰ろうって言ってんのよ」

 麗子はキッと鍋島を睨み付けると、カモミールティーを呷った。「ほんっとに世話が焼けるわ」

「悪いな」

 言葉とは裏腹に、鍋島は悪びれた様子など一切なく、麗子の皿から巻き取ったパスタを口いっぱいに頬張った。


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