3.歓迎会と小競り合い

a reception and a trouble


 その日の夜、管内である扇町おうぎまちのちゃんこ料理屋で、一係による二人の歓迎会が開かれた。

 メンバーは高野係長以下、一係の全員が揃った。ここ一週間は目立った重要案件もなく、今夜の宿直担当も他の係が当たっていたので、一係にしては珍しく高い出席率となった。しかし本当のところは、全員、この二人の新入りに対する計り知れない興味があったというのが正直なところだ。

 店はちゃんこ料理屋と名乗ってはいたが、一品料理も豊富で、巻寿司などは絶品だそうだ。冬でもないのに鍋なんか、と鍋島は思ったが、主人が捜査員たちとも馴染みで、予約を入れていなくても可能な限り個室の用意など無理を聞いてくれる、刑事課の御用達のような店らしい。さすがに今夜はちゃんと予約を入れていたらしく、細長い店の奥にある離れのような個室が用意されていた。


 夜八時、高野係長によるいささかだらっとした乾杯の合図で宴会は始まった。

 鍋島は決めていた。宴の主役の一人ではあるが、鍋の世話と、運ばれてくる料理の給仕役に徹しようと。それがあらゆる意味において自己防衛になる。幸い、もう一人の主役である芹沢は見た目に華があって場の中心になりやすそうだし、ここは任せよう。腹の調子はイマイチだし、父親のこともどうせみんなに伝わっているだろうから、できるだけ目立ちたくない。そう考えていた。

 案の定、捜査員たちはいきなり芹沢の容姿をいじってきた。

「しかしまあ、男前やな」

「モデルかと思たわ」

「実際、そういう仕事したことあるんちゃうか」

「なんで警察官なんかになったんや」

「フラレたことなんて無いやろ。ええなあ」

 等々……。

 芹沢はその都度、発言した捜査員の方を向き、じっと相手を見つめながら耳を傾けていたが、肯定も否定もせず、質問にも何ら答えることはなかった。ただほんの少しだけ口元を緩め、ときどきため息のような笑みを漏らすだけ。隣で鍋の灰汁を取りながら、よっぽどうんざりしているのだろうなと鍋島は思った。贅沢だとは思ったが、こういう人間にはそれなりの悩みや苦労があるのかも知れない。だたそれを言ったところで理解はされず、反感を買うだけだと悟っているのだろう。男前もここまで飛び抜けてると良いことないんやな。何でもほどほどがええってことか。

「――モテるって、どういう意味のことですか」

 唐突に芹沢が言った。いや、唐突ではなかったのかもしれないが、考えごとをしていて直前の会話を聞いていなかった鍋島にはそう思えた。しかもその声には棘があった。

「言葉の通りや。女性に不自由したこと無いやろって」

 芹沢の向かいに座っていたみなとという主任が答えた。「他に意味なんかあるか?」

「――まさか、女やなくて男の方か?」

 端っこの席に座っていた誰かが言って、場がざわついた。なるほどそっちでもモテそうやぞ、何処其処のママに紹介してやれと、笑い声が上がった。

 芹沢は大きくため息をついた。騒々しさのせいで鍋島にしか聞こえなかったが、心底嫌気がさしているのが分かった。

「モテますよそりゃ」

 芹沢が俯いたまま言った。いくぶん大きな声だったので、皆は一斉に彼に振り返った。

「――あ、ちょっと――」

 芹沢の怒りを感じ取った鍋島は思わず声をかけた。しかし芹沢は構わず、顔を上げて続けた。

「こんな顔つけて生まれてくりゃ、モテないはずないでしょ。けどもう、いちいちそれを認識するのも面倒でね」

 瞬時に場が不穏な空気に包まれた。各々が反感を持ったのがわかった。

「フーゾクになんか行かなくても、ヤりたくなったらそういう相手の一人や二人、すぐに見繕えます。彼女はいなくても、週の半分は女の子と会ってます。こっちから頼んでもいないのに、大金を貢ぎたがる女も知ってます。いつでも紹介しますよ」

 そして芹沢はさっきの端っこの捜査員に振り返った。「そっち系の男にだってモテますよ。ノーマルだと思ってた相手にいきなりカミングアウトされたことも、何度もあります。それでいいですか?」

 端っこの捜査員は俯いた。

「……だからって、それが何だって言うんですか。関係ないでしょ」

 芹沢は言うとコップのビールを呷り、またため息をついた。

「それはまあ、褒めとるんや、君を」

 凍りついた空気の中、困りきった表情の係長が言った。

「……そうとは思えませんけど」

「羨ましいんや純粋に。勘に障ったかも知れんけど」

「俺の知ったこっちゃないです」

「……確かにな」係長は頷いた。そして部下たちを見渡して言った。「みんな、言うてやるな。容姿に関する男の僻みは余計かっこ悪いだけや」

 捜査員たちは黙り込み、しばらく黙々と食事を口に運んだ。

「……周りはいろいろ言うよな」

 煮えた具材を取り分けながら、鍋島が言った。芹沢は振り返った。

「たった一つの突出した現実があったら、それだけしか見ぃひん。そこから勝手な想像をして、嘘まで作り出す。それが他者の無意識の悪意や」

 芹沢は視線を落として聞いていた。

「そういう無意識の悪意と戦うのに、いちいちそんな突っかかり方してたら、疲れるだけやと俺は思うけどね」

 芹沢はゆっくりと顔を上げた。手際よく鍋の灰汁を掬う鍋島の横顔をじっと見つめると、やがて口の端っこに笑みを浮かべて言った。

「……だからか」

「え?」

「親父さんのこと言われても、へらへら笑ってたんだ」

「……へらへら……?」鍋島は箸を置いて真顔で芹沢に振り返った。「誰がそんなこと――」

「へらへら笑って、はいそうです、心強いですって言ってたじゃないですか。つまり、本当はそうじゃないってことですよね。だけど面倒だから――」

「へらへらなんかしてない。訂正しろ」

「え、まだそこ?」と芹沢は笑った。「俺にはそう見えましたけど」

「してないって、言うてるやろ――」

 鍋島は芹沢のシャツの胸元を掴んだ。そしてそのまま睨みつけた。全員が食べる手を止め、固唾を呑んだ。

「……いちいち突っかかってたら、疲れるだけなんでしょ」芹沢は言った。

「ああ。けど今のはそっちが仕向けたんやろ」鍋島は手を離さずに言った。「そういう場合は、きっちり乗っかってやることに決めてるんや」

「それも結構疲れると思うけど」

 芹沢は不敵な笑みを浮かべて言い、胸元の鍋島の手を掴んだ。一触即発だ。

「はい、もうそこまでにしとけ」

 さすがに係長が止めた。二人は黙って離れ、テーブルに向き直った。

「……ったく、何をやっとるんや。君らの歓迎会やぞ」

 二人はすいません、と頭を下げた。

 係長はふうっ、とため息をつくと、やれやれという風に首を振り、そばの部下にだけ聞こえるように言った。「……先が思いやられる」

「そうですか? 俺は面白いと思いますけどね」

 島崎しまざきというその主任は答えた。そして実際、本当に楽しそうに二人の新入りを眺めて言った。「意外と化けますよ」

「……化け物モンスターでなけりゃええがな」

 係長は愚痴るように呟いた。


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