2.イケメンと二世(ジュニア)

a good-looking guy and a son


 その後、刑事課の向かいにある小会議室で、この日着任した二人の巡査部長は、植田匡彦まさひこ刑事課長と自分たちの直属の上司となる高野茂たかのしげる一係長の面談を受けた。

「――えっと、まずは鍋島勝也巡査部長」

 植田課長が資料を見ながら言った。

「はい」

「前任地の十三じゅうそう署では――三係か」

「はい」

「どうやった。盗犯専門は」

「かなり特殊だ、と言われてましたけど――自分にはそういう実感はありませんでした」

「入口がそこやとそんなもんやろうな」高野係長が言った。

「そこで一年か」課長は言った。「ま、一通りはやってきたってことやな。大丈夫やろ」

「え? あ――はあ」

 たった一年の経験で、大丈夫ってか。しかもベテランの先輩に付いて、ほとんど見習い期間のようなものだったのに。

「お父上が――長堀ながほり署長か」

 さあ、来た。本当はこれが一番の関心事なのだろう。はい、分かってますよ。今、お行儀のいい息子スイッチ入れます。カチッ。

「はい。とは言っても、来年早々には退官します」

「定年か」

「はい」

「心強い限りやな。今後は大先輩が直接指導してくれるということなんやから」

「ええ、そうですね」

 あいつがそんなことするわけがないし、して欲しくもない。

 そのとき、右隣に座っていた芹沢というあの“猫の男”がこちらを振り返ったのを耳のあたりで感じた。


 ――どうせ、馬鹿にしたんやろ。ははんこいつ、親のコネですんなり上ってきたやつや、って。


「それから、きみ――芹沢貴志たかし巡査部長」

「はい」

「男前やな」

 芹沢ははは、とほとんど声にならないような小さな笑い声で答えた。それもまた、彼にとっては聞き飽きている言葉らしく、うんざりしているのが分かる反応だった。

難波なんば署では――」

「ずっと地域課でした。刑事はまったくの新任です」

 ――標準語で話すのか。関西人やないんやな。

 すると、同じことを思ったらしい課長が訊いた。「出身はどこやった」

「福岡です」芹沢は答えて、その続きを訊かれる前に先に答えた。「大学が東京でした」

 そうか、と課長は頷いた。「それで、なんで大阪なんや」

 芹沢は首を傾げた。「――特に理由は。東京はもういいかなって思って、でも地元に帰るのもちょっと嫌だったんで」

「なるほど」

 そう言うと課長は資料を閉じた。そして隣の高野係長と顔を見合わせ、確認するように頷くと、今度はその高野係長が話を引き継いだ。

「二人とも、うちの係に来てもらう」係長は言った。「強行犯や」

 二人は頷いた。ともに前任地の上司から聞いていたので、驚きはなかった。

「それできみらには、バディを組んでもらう」

「え?」

「は?」

 さすがに耳を疑った。どう考えたって、なりたてホヤホヤとたった一年経験しただけの、つまりはほぼど素人の二人が組むなんて話はありえない。

「な、なんでですか」鍋島が言った。

「二人とも巡査部長やからや」

「は? え?」鍋島は一瞬だけ芹沢を見て、すぐに係長に向き直った。「意味が分かりませんけど」

「極めて若いが、それでも巡査部長や。階級が下の先輩に付かせるのも、お互い抵抗があるやろ」

「試験に通っただけです。実務経験とは別の話で――」

「そんな言い訳は通用せえへん」と課長が言った。「それだけの給料を貰ってるんやろ」ぃ

「ええぇ……」鍋島はゆっくりと椅子に背を預けた。「……カネの話かぃ……」

「そうや、カネの話や」課長はにやりと笑った。「そこは大事やぞ。なんせ我々は、市民にお納めいただいた大切な税金で生計を立ててる公務員やからな」

 鍋島は呆れ返って、上司の前だったが大きなため息をついた。そしてさっきから何も言わない隣の芹沢に言った。

「――自分、それでええのん」

「俺は別に――」芹沢はゆっくりと振り返って鍋島を見た。「どうだっていいですよ」


 ――! なんやコイツ!! 腹立つやっちゃ! さっき子猫を助けてたヤツとは思えん! ひょっとしてあの猫、食おうとでも思てたんか?――


「俺、自分とそんな変わらんで」

「ええ。そうみたいですね」

「頼られても、なんもようせんかもよ」

「大丈夫です。頼るつもりはないんで」


 ――死ね。閻魔大王に地獄に送られろ。猫を助けたくらいでは、たいした情状酌量も無いわ。


「そういうことやから、まあ頑張ってくれ」

 こうして、新任の若き巡査部長たちの処遇が決まったのだった。



 刑事部屋に戻った二人は、並んで与えられたデスクに着いて、前日に前の職場から届いていた荷物を整理していた。

 他の捜査員たちには面談から戻ったときに手短に挨拶をさせられた。課長を始め総勢三十人超となかなかの大所帯で、名前を覚えるのは大変そうだった。

 その捜査員たちは、それぞれの仕事をしながら二人の様子を遠巻きにうかがっていた。ときどき、「若い」とか「大丈夫か」などという言葉が漏れ聞こえてくる。そらそうやろ、と鍋島は思った。誰よりも当の本人がそう思っているのだから。

「――鍋島さん」

 芹沢が声をかけてきた。鍋島は黙って振り返った。

「ちょっと訊いてもいいですか」

「なに」

「鍋島さんって、歳は幾つですか」

「今は二十六やけど。年末が来たら二十七になる」

「あ、じゃやっぱり年上なんだ」

 芹沢はにっこり笑った。ものすごく爽やかな笑顔だった。

「下やと思ってた?」

「ええ。ひょっとしたら、って」

 昔から、歳よりも若く見られることが多かった。理由は童顔であることと、165cmという身長のせいだ。

「自分は?」鍋島は芹沢に訊き返した。

「二十五です。二年後輩になりますね」

「あ、でも俺、大学入るときに一浪してるから、学年は一コ上や」そう言うと鍋島は芹沢を見て笑みを浮かべた。「そっちは現役やろ?」

「ええ。分かるんですか」

「なんかそんな感じ」と鍋島は言った。「失敗とか、してなさそうやもん」

 芹沢は一瞬意外そうな表情を浮かべ、それからふっと笑った。どうやら不本意なようだった。

「――あの、失礼します」

 後ろから声をかけられて、二人は振り返った。

 若い婦人警察官が立っていた。

 婦警はぺこりと頭を下げ、すぐに身体を起こして言った。「初めまして。市原いちはら香代かよといいます。巡査です。ここの庶務を担当しています。鍋島巡査部長と、芹沢巡査部長ですね」

 二人ははい、と立ち上がった。

「お分かりにならないことがあったら、遠慮なく声をかけてください。捜査のこと以外は、何でも大丈夫です」

 そう言うと香代は拳を作って頬のそばに寄せ、口を一文字に結んだ笑顔を見せた。「お役に立てるよう、頑張りマス」

 二人はそれぞれによろしくお願いしますと頭を下げた。

「早速ですけど、お荷物の整理が終わったら、お昼休みをとっていただいて結構ですとのことです」

「え、もう?」鍋島は言って部屋の時計を見た。「まだ十一時やけど」

「ええ、少し早いですが、そのあと一通り管内を回ってもらいたいと高野係長がおっしゃってますので。係長が案内されるそうです」

「……分かりました」

 そう言うと鍋島は芹沢を見た。

 芹沢は頷き、香代にとびきり爽やかな笑顔を見せて言った。「どうもありがとう」

 すると香代はたちまち頬を紅潮させ、さっきまでの活発な雰囲気の彼女とはまるで違った、乙女の恥らいそのものを全身に溢れさせると、逃げるように去って行った。

 鍋島は唖然としてその様子を見送り、それからゆっくりと芹沢に振り返った。

 芹沢は平然とした表情で鍋島を見下ろし、それから小さく肩をすくめ、言った。

「どうしちゃったんですかね」


 こいつはとんでもなく悪い男や、と鍋島は思った。

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