ぼろ雑巾

「大分お疲れのようだけど、大丈夫です?」


 ふよふよと浮遊するレティシアが、憂いを含む表情で尋ねた。


「はい、レティシアちゃんのお陰で、進行形で疲労は消えていってます」


 大広間にて、激しい食前の運動を終えた俺は、体の調子を整えてからレティシア製の朝食を取っていた。サンドイッチである。


「まさか、こっちに来てこんな旨い食事にありつけるとは……」


 その言に、嬉しそうにレティシアがこちらを眺めている。少し食べにくかったので、水と一緒に口内のサンドイッチを飲み込むと、話し掛けてみることにした。


「それ、どうやって浮いてるんですか?」


 彼女はふわふわと宙を浮いている。まるで幽霊みたいだ。本当はゾンビの亜種みたいな存在らしいのだが。


「うーん……私もよく分からないです」


 てっきり何かしらの魔法かと思っていたが、違うのか。

 彼女は透過能力を持っていると聞いた。それと関係がありそうだが。


「それにしても、タケモトが人を気に入るなんて珍しいです」


「俺って気に入られてたんですか……」


「はい。自ら他人を招き入れるなんて、そう無い事かと」


「俺を気に入る要素が分からん」


「ところで、昨日はなんでタケモトはあんな事をしていたんです?」


「……ぇ、知らないの?」


「タケモトに聞きそびれちゃったんですよ」


「……実は、俺も聞いてないんですよね」


「えぇ?! 理由も知らずにあんな事されてたの?」


 一つ頷くと、サンドイッチの最後の欠片を頬張った。

 その件も含め、タケモトには聞かなくてはならない事が沢山ある。若干の鬱々とした気持ちを抱きながら、椅子を立つ。


「ごちそう様でした!」


 



 庭にて、いつの間に設置したのかタケモトは白の椅子に腰掛け読書に没頭していた。テーブルの上のティーカップから湯気が上っている。反対にも椅子は用意されていたので、多分自分の為のものだと思い、そこに座った。しかし、お茶を堪能しているようだが、ゾンビに味覚は……あるのだろう。そもそも、俺のゾンビ像が現実とズレているようだ。


「それで、昨日のあれって……」


「朝食は済んだのか?」


 本を閉じて、タケモトはこちらに向き直った。

 問いには首を振って答えた。


「昨日はレティシアに止められて中断する事になったが、再開するからな」


 初めてかもしれない。こんな真っ黒な絶望を味わうのは。

 あの地獄から何とか逃れようと粘る。


「あれには何の意味があるんですか?」


「原理とか説明しちゃいけないんだよ。まぁ、必ず意味はある」


「……あの、止めたいんですが」


「ダメだ」


「本当に、痛いんですッ! もう勘弁してください!」


 恥も外聞も捨てて泣き付いた。

 うーん、と向かいに座るゾンビは唸る。好感触だ。押せば中断してもらえるかもしれない。


「分かった」


 その返事に罪悪感と喜びを覚えた。三対七の割合だ。

 少し自分が嫌になる。


「許容できる範囲で、どんな意味があるのか教えてやる」


 ぬか喜びだったと悔しがってみるが、タケモトの雰囲気は真剣そのもので、自然と聞く姿勢が正された。後ろ向きな気持ちは変わらないが。


「お前は強くなれる」


 これまた具体性に欠ける話だ。

 全くそのビジョンが浮かばない。他人事の様にさえ思った。


「俺が教えようとしているのは、その辺にあるような魔法ではない。お前の目標を叶え得るだけの魔法だ」


 思わず息を飲んだ。

 彼が俺の夢を目標と言ったことを驚き、勢いで話した願いを真摯に受け止めてくれたことに感謝した。


「なりたいんだよな?」


 と、挑発するように言ってきて。

 俺はもう一度、例の「夢」について考えた。


 そもそも、俺がこんなところにいるのは王国の魔術師による召喚魔法のせい。そして、彼らが召喚魔法を失敗するほどに追い詰められていたのは、新興した魔族によって国が圧迫されて、それに拍車をかける様に誕生した魔族を統べる魔神という存在のせい。手違いであれ、俺は魔族および魔神に対抗するため異世界から呼び出されたのだ。


 「だから」という訳では決して無い。だが、その経緯は間接的に俺の願いに関係していた。


 俺は魔神を止めたい。そいつとまず、話をしたい。


 ゲームみたいに魔神を倒すと豪語出来れば良いのだが、そんなことをすれば魔族に何をされるか分からない。だから話して、理解して、争いを止めたいのだ。


 これを話したとき、滅茶苦茶恥ずかしかった。今も悪戯っぽく笑うタケモトを前にして赤面まっしぐらだ。だってこれは、戦争を止めると言っているような物。否、言っているのだ。元の世界では、どこかで争いが起きていても、その事をなんとなく知って、なんとなく流していた。自分には全く関係ないからだ。


 それは異世界でも変わらなかった筈だ。

 しかし、俺は異世界に来て様々な所を流れた。すると嫌でも知ってしまう。今まさに、目が届くほど近くで殺される人がいる事実。俺は死の縁に追い詰められた人々を、直接、生に沢山見てきた。見ることが出来た。当事者であることを実感できた。


 本来この世界に来るべきだった奴が、彼らを救う筈だったのに、なんて小さな責任を感じたりもした。


 そして何より、俺を期待してくれる人がいた。

 

 俺の口はヤケクソになって言葉を発していた。


「はい。なりたいんです、勇者に」


 この世界において、未だ空席の称号。

 そこに駄馬一志の名を刻む。


「くくく」


「笑わないで下さいよ!」


「いや、なんて恥ずかしい事を真面目に……あはははは」


 多分、俺は今、身体中真っ赤だと思う。

 下手に喋れば声が裏返りそうだ。何も言えなかった。


「まぁ、この国はお前に救ってもらおうかな」


「なんなんですか……」


「馬鹿にしてる訳じゃない」


 もうタケモトは微笑みを称えるだけで、笑ってはいなかった。今度はこっちを試すように見ている。俺は目を背けた。


「じゃあ何ですか、その態度は」


「ここで逃げてたら、そんな夢叶うわけない」


「……知ってますよ」

 

 バツが悪くて、素っ気なく言った。

 だが、事実だ。全部、知った上で夢を放り投げようとしている。関係はあっても、責任は無いのだから。


「……そんなに痛かったか?」


 こちらを慮る問い。

 一切の迷いなく肯定した。

 理解の及ばぬ未知の苦痛だった。外傷が無いのだから、拷問にぴったりだろう。


 沈黙の時間が流れた。

 タケモトの中では続行は決定事項なのだろうが、俺の理解も得たいようだった。この時間は説得する方法を模索するための物。こうしているのも暇で、俺は口を開いた。


「一つ聞いていいですか?」


「ああ」


「なんでゾンビなのに人助けなんてしてるんですか?」


 ずっと思っていた疑問。

 それが突然に、さっき、降って沸いたのだ。


「俺がそうしたいからだ」


 簡潔な答えだ。そして、違いを見せつけられる答えだ。

 「したい」と「する」は当然イコールでは無い。彼はイコールにした。俺は出来なかった。それは何故かと言えば、力が無いからだ。逆に、彼にはある。だから、飄々とそんな事が言えるのだ。


「違うぞ」


 え、と驚きを溢した。


「俺が何よりも強くて、だから何もかも可能なんだと思ったのなら、全く違う」


「じゃあどうして、何もかも出来るんですか……?」


「何もかも出来る訳じゃないって言ってるだろ。俺はただ、自分自身で背負った責任を果たしているだけだ」


「いやいや、だからそれは、それだけの力があるから……」


「ないよ」


 今度は力強く、キッパリと否定された。

 それは、強者であることを否定したのと同意だ。俺にとって気分のいい事ではない。


「お前が思っているほど、俺は完璧じゃない」


 いや、違った。万能の否定だ。

 その言葉は、俺の意表を突いた。ごくごく当然の事だ。なのに俺は理解していなかった。心の底で、ゾンビだからと、寧ろゾンビだと言うのに、彼を超人か何かと勘違いしていた。


 すると、自然と彼の立場が見えてきた。今、俺と向き合う彼にとって、これは遊びではないのだ。彼にはそんな暇はない筈だ。それなのに、何故俺なんかの世話をしているのかと、そう考えれば彼の言や行いが本気だ、という考えに行き着いた。


「まぁ、大分話が逸れたが俺が言いたいのは、お前はやれるし、やらないといけないって事。逃げ道はないんだから、いい加減覚悟を決めろ」


「……はい」


 やっと、タケモトの押しに負ける事が出来た。

 この覚悟は、前回のような中途半端で脆い出来ではない。先にあるだろう苦痛を受け入れての覚悟だ。


 



 目を回したまま、よたよたと立ち上がる。

 その間、タケモトの助言が飛んでくる。


「なるべく腕でダメージを防げー」


 耳に入ると同時に再び衝撃がやって来た。

 最初は受け身の話かと思ったが、違った。

 これだけ何度も吹き飛ばされていれば嫌でも気付く。タケモトの差し出す手のひらから衝撃が発生している。それが俺の胸あたりにぶつかりぶっ飛ばされるのだ。


 つまり、胸への衝撃を腕を使って遮れ、ということだろう。実践してみると、なるほど、確かに気持ちほどだが痛みは和らいだ。

 それでも強烈な痛みなのは変わらないが。


 何度も転がり、その分立ち上がった。

 

 限界を越えるまで続けられた。

 もう死ぬんじゃないかと思ったとき、俺は自室のベッドにいた。情報を把握するのに時間は掛からなかった。


「おはようございます」


 目覚めの悪い朝だ。

 裏を突いてやろうと横に座るタケモトに挨拶を投げ掛けた。


「おはよう」


 ごくごく冷静に応えられ、なんとも言えない気分になり、俺は黙った。 


「良く、やったな」


 急な祝福に戸惑い、困惑する。


「土台は出来上がった」


 意味は分からないが、何となく分かった。 

 ぬか喜びはしたくない。本当に喜んで良いのか?


「喜んだらどうだ? もうあの特訓は終わりなんだぞ」


「や、やった……! おっ、しゃぁぁぁぁッ!」


 思わず涙を溢して泣いてしまったが、頭痛に水を差されてまた黙る。タケモトが何かを察したのか、俺の頭に手を当てた。すると頭痛が小さくなり、やがて無くなった。


「それで、結局何をしていたのかと言うとな」


「……はい」


「魔力の吸収を多く……凶悪なまでに多くした」


 魔力の吸収できる量が増えれば、当然、使える魔法は増える筈だ。だが、これではタケモトが以前に言っていたことと食い違う。


「そうだ。お前は魔法は使えない。何故なら、魔力を貯めておくためのタンクがない。吸収したらすぐに吐き出されてしまう」


 あまりにも無意味、に聞こえるが、きっとまだ何かあるのだろう。しかし、魔力の吸収を多くしてしまうことには問題があると聞いた事がある。


「そう。どんな凄い魔法使いでも、大気中から吸収する魔力の量のは、当人が持つタンクの一里ほどだ。一割でも一分でもなく、一里」


 楽しそうに話すな、と思った。

 やはり、彼も魔法使いなのだ。


 タケモトは続けた。


「何故なら、一気に大量に吸い込むと魔力が濁ってしまうから。己の魔力と大気中の魔力は全く違う。順を追って魔力を支配出来る、己の魔力の形に変えないと操作が不完全になり、魔法を使うのに支障をきたす」


 例えるなら、己の魔力は純粋な水で、大気中の魔力は濁った水。ろ過し、きれいな水にしてから体内に取り入れないと大変な事になる、と。


 魔力を操作出来ないのは実体験だ。そんな原理だったのかと感心する。が、それでは結局、魔法が使えないのではないかと。


「その通り。使えない。フィジカルブーストって魔法を除いてな」


「何ですか? それ。聞いた感じ、体を強化する魔法ってイメージなんですけど」


 タケモトは頷いて肯定した。

 段々、分かってきた。魔力の事も、魔法の事も。だからこそ、まだ疑問は尽きない。


「いやでも、魔法は使えないんですよね?」


「フィジカルブーストは特殊な魔法なんだ」


「特殊……」


「まず、魔力を組まない。基本、魔法は体内から吐き出した魔力を組み立てる事で発生するのだが、フィジカルブーストは体内で魔力を結束させることで効果を発揮する」


「……つまり?」


「あまり操作の利かない魔力でも使用可能なんだよ」


「ああ!」


 俺の反応が面白かったのか、流れるようにタケモトは続けた。


「そして、お前にはタンクは無いが、魔力の吸収量は一流の魔法使いのだ」

 

「今回の拷も……特訓の狙いは、魔力を吸収する扉を抉じ開けて、常に開いているような状態にすること」


「そして、この魔法はあまり魔力を消費しないが、魔法を持続させなくてはならない。今のお前の魔力吸収量でちょうど必要分は賄える」


 土台は出来上がった、とはつまり、フィジカルブーストを使うのに最適な体作りに成功したと言うことだった。一つの魔法に極振り。俺はいつの間にか尖った体にされていた。


「じゃあ、説明をしなかったのは?」


「魔力の扉は無自覚に動く。認識してしまうと閉じてしまう恐れがあった」


 一応、彼のしたことしたいことは理解した。身震いが止まらなかった。俺は強くなり得るのだ。これほどの高揚があるだろうか。


「さぁ、明日もぼろ雑巾になるだろうから、ゆっくり休め」

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