憂鬱


 本当、ちゃんとした説明もなく拷問じみた虐待をするのは止めてほしい。あれは訓練などではない。拒否権や反抗する術が無い者を一方的になぶる行為だ。やはりゾンビはゾンビなのだ。人の所業じゃない。


「本当、勘弁してほしいよ」


 と、こんな風にひねくれたことを思うのは、つまるところ、たった一日で心が挫けたと言うことだった。


「……はぁ」


 訓練を称した虐めから解放され、庭を転げ回って汚れた体を洗浄しようと風呂場へと向かった。入浴中、自己嫌悪から溢したため息をクレイグに聞かれたらしく、背後から話し掛けてきた。と言うか、居たのか。気付かなかった。子供らしく湯に潜っていたのだろうか。


「いやー、君、よくあんな事しようとしましたね」


 何を勘違いしているのか、自分から所望してやった事だと思っているようだ。間違いではないが、決して真実ではない。


「誰があんな事望むんですか。まさか、魔法の修行があんなんだとは」


「いやいや、あんな苦行を積むのは君くらいですよ?」


「……」


「まぁ、こうなった以上君はとことんしごかれでしょうが、せいぜい頑張って下さい」


 聞きたくない情報を振り撒いて屋敷の下男は風呂から上がっていった。何がしたいのだ。まさか励ましたつもりなのだろうか。


 せっかく、弱音を汗と一緒に流そうとしていたのに、絶望感は増すばかりだ。ただ、あれだけ痛みを感じたというのに身体的な傷はどこにも無かった。


 湯船に浸かる自身を見ても、やはり怪我は殆ど無い。

 一見について説明もなくタケモトはどこかへ行ってしまったので、その理由も分からない。良いことではあるのだが、不思議だ。


 静かな浴場で肩まで浸かっていつまでも考え事をしていた俺は、


「……はぁ」


 何度目になるか分からないため息を溢すと、立ち上がった。





 朝起きて部屋を出ると、今日は扉の前にタケモトが立っていた。偶然タイミングが合ったみたいだ。タケモトも驚いている。嫌な予感を覚えつつ、無言の間を埋めようと口を開いた。


「お、おはようございます」


「……おはよう」


「あの、何ですか?」


 いや、なんとなく分かってはいるのだが、一応確認をしておきたかった。出来れば予想が間違いであってほしかった。


「朝の運動とか、どうだ?」


「……今日は用事ないんですか?」


「ああ、しばらく暇が出来た」


 最後のあがきも虚しく、ついでに絶望的な真実を告げられた。俺は拒否することは出来ず、タケモトに続いた。優しい朝日が廊下を照らしている。ため息が出るほどの快晴だった。


 昨日と同じく庭までやって来ると、違和感を覚えた。


「なんか、昨日と違いません?」


「昨晩弄った」


 一夜にして庭の模様替えをするのか、と呆れつつ、彼が相当暇だったのだと分かった。暇だからといって朝から訓練なんて勘弁してほしい。


「あの……昨日みたいな事は……」


「さすがに朝からはやらない。走るんだよ」


 若干、ほっとしつつランニングと聞いて憂鬱な気分になる。昨日までの俺なら、寧ろ「やってやろう」くらい思っていただろうが、もう止めたくてしたくて仕方がない。


「……?」


 タケモトが手を差し出した。視線を受けて、そこに触れる。


「――?!」


 視界がぐるりと回り、突如、浮遊感に襲われた。ハッとして首を回すと、俺は澄んだ空気を切って空を舞っていた。


「おわっ!?」


 声をあげて驚愕したのは、足が地面に触れたから。これまた唐突に浮遊感が消え、地面に軽く叩き付けられる。そこは隣の家の屋根上だった。振り替えると、屋敷の庭が見えた。


「すっげぇ……」


 多分、跳躍したのだ。

 ものすごい距離を跳躍したのだ。高さだけでも五メートル位か。何が起きたのか分からなかったが、ジェットコースターに乗ったあとみたいな高揚があった。


「こっから直線に走ってけ」


「……は?」


「怖いのか?」


「え……はい」


 ここは屋根の上だ。人の家だということを差し置いても、一体どういうことだろう。


「安心しろ、けっこう楽なコースだ。凹凸は多いが一般人でもいける」


「やるの、マジで?」


 一般人の当然の質問。

 すると、パン、と背中を叩かれ「落っこちても助けてやるよ」と言われた。それなら……とはならないが、俺はやけくそになってスタートを切った。


 タンタンタン、と時々飛んで、走った。やはりセルニーはとんでもない。家々が連立していたり、乱立していたりする。魔法でどうにでもなるからと言って、日当たりや公害、外観なんて無視した街並みだ。

 

 少し離れた位置を飛ぶタケモトはたまにアドバイスを飛ばした。朝なんだから足音を立てるな、とか、手も使って進め、とか。アドバイスと言うよりは、ルール。縛りだった。


 タケモトはマリオみたいにコースを行くが、俺は人間らしく這いつくばって進んだ。


 奇跡的に順調に進んでいたのだが、そのせいで油断が生じた。足を滑らせて家々の隙間に落っこちたのだ。かと思えば、俺は落ちる前の地点に立っていた。隣でタケモトがニヤニヤとこちらを見ている。


 すくむ足を宥め終えると、興奮が沸き上がってきた。おそらく今なら、何があってもタケモトがどうにかしてくれる。ならば死を厭わず爆走してやろう。


「お疲れ様」


 日も大分昇ってきた頃。

 結局、ビビった俺は安全第一で完走したのだった。

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