前進
翌週。
いつの日から数えて翌週なのかと言うと、おじいさんの家に泊まらせてもらった最後の日からだ。
俺は何をしているかと言うと、いや、一週間という時間の中に何があったかと言うと、それはもう、人生が大きく変わるであろう出来事があった。というよりか、変えた出来事だろうか。
まず、冒険者を辞めた。満月草の依頼の報酬を受け取ると、世話になった人に挨拶をしてギルドを出た。借りていた部屋も返した。残金で必要な物と装備品を調整した。
そうして身一つになった俺は、セルニーの街並みを行く。やがて、喧騒から離れた、セルニーの中では珍しく整然とし、静清とした場所までやって来る。一つの屋敷を前にして俺は足を止めた。
「ん? 奇遇だな、ヒトシ」
思わずビクッとするが、その人を見たときに安心感を覚えた。副団長だ。
「こ、こんにちは、良かったですフィオナさんが来てくれて――」
と、フィオナの表情がみるみる明るくなり、「久し振りだな、レティ!」屋敷の塀を飛び越えて行ってしまった。
「えぇ……」
流石に塀を飛び越えるのは無理だから、ベルを鳴らそうとして、
「あ。お客さん? 忘れてました」
今度はなにかと振り替えると、執事服の少年が買い物帰りだと直ぐに分かるように、荷物を両手一杯に持ってそこにいた。
「あ、あの――」
少年は物凄い音で門を蹴り飛ばし、門扉は吹っ飛ぶが如く開かれた。大量の荷物を一つとして落とさない綺麗な横蹴りである。ヒィッという情けない声は、なんとか仕舞い込んだ。
「どうぞ」
――帰りてぇ
今更ながら、退路を完全に絶った事を悔いた。
*
「久し振りだな」
「ぁ、お久しぶりです!」
屋敷に案内されると、覆面の男と騒がしい広間にて再開した。あわててお辞儀をする。次にお礼とか、諸々の話をしようとして、しかし先に口を開いたのは覆面だった。
「一時的ではあるものの、お前も屋敷の住人になる訳だ。まぁ、そうなると隠し通すのは無理だろうから、素直にさっさと教えるぞ」
覆面の男がその仮面を取った。これでは男を何と呼べばいいのだ。なんて些細な問題は、その秘密が暴かれることで、すんなりと解決した。
ゾンビ。
刹那的に幾つもの疑問が頭を過るが、中でも最もそれらしき答えが閃いた。つまり、ゾンビに嵌められたのだと。
パンッ
甲高い音が鼓膜を鋭く震動させる。途端に頭が真っ白になる。
「落ち着いて下さい。一先ず深呼吸した方がいいですよ」
執事服の少年が手を叩き、そしてあっけらかんと告げた。言われた通りにしてみると、混乱で狭まっていた視界が元に戻る。
ふと広間の奥でボードゲームを興じる副団長と少女が目に写る。まさに平穏の図である。風に煽られるカーテン、秒針をせっせと動かす置時計、シンと佇むグランドピアノ。いつの間にか高鳴る鼓動は正常なリズムを刻むようになっていた。
「断っておくべきだったな。すまない」
と、そんなことを言ってのけるゾンビを見て、いよいよ全身の力が抜けた。
「それじゃあクレイグ、部屋に案内してやってくれ」
「はいはい」
*
斜め前を歩くクレイグに続いて廊下を進む。屋敷に来る前に覚悟を決めていたのだが、虚を着かれて俺は萎縮していた。タケモトと言ったか。彼の黒装束なんていかにも怪しい姿ではあるが、正体がゾンビなどと誰が予想出来たか。
寧ろ、自分がこうしてパニックを起こさずにいられることが意外だ。多分、常識人ではなさそうだが、
「ところで君、ここに居候するんでしたっけ?」
「は、はい」
執事なのに全く情報を持っていない、というか興味が薄いようだ。しかし、居候を肯定した辺りから少年は笑みを浮かべ、
「そうですか、フィオナが居なくなって困ってたんですよ」
「?」
「しかし、こんな屋敷にわざわざ何しに来たんですか? あ、厄介がってる訳じゃ無いですよ? むしろ、僕は歓迎してます」
「えっと……実は俺もよく分かって無いんですよね」
我ながら驚異的なテンパり具合だ。言っている事は間違っていないのだが、もっと分かりやすい言い方があっただろう。首をかしげる少年の、下からの目線が痛かった。
「ここがおすすめの部屋ですよ」
やはり屋敷の広さに比例して部屋も大きかった。ただ、中身はと言うと、装飾や家具も最低限でがらんとしていた。いかにも未使用と言った感じだ。
やはり、廊下もそうだったが魔法道具が一般のインテリアみたいに沢山置かれていて、相当金を持っているのが分かる。
部屋に入ると、ほんのり甘い香りがした。隅から隅まで使用人の仕事が行き届いている。
「なんかあったら広間へどうぞ。基本、誰かしらいると思います」
「ありがとうございます」
手をヒラヒラと振ってクレイグは去っていった。
「さてと」
新居にて、俺は荷物を下ろした。
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