第1話 開演までの時間

「あの、18時に予約した内藤ですけど…」

「はい、内藤様ですね。お待ちしておりました」

受付に置かれたデジタル時計が18時ちょうどになっていた頃、一人の青年が受付にいたわたしに声をかける。

20××年8月の某日、いつものようにスタジオを予約していたバンドが姿を現す。代表者である内藤 練様以外の青年達は、一様にギターやベースの楽器ケースを背負っている。あどけない幼さと大人になりかけている風貌を見るからに、彼らは高校生のバンドマンであろう。今が8月なので、現在が夏休み中であるといったところか。

「内藤様がたは…本日、Aスタジオの使用は初めてという事でよろしいですか?」

「あぁ」

「畏まりました。それでは、わたくしがご案内及び説明をしますので、まずは皆さんでAスタジオへお入りください」

わたしが彼らにそう告げると、内藤様を含む青年達はベラベラと私語を話しながらAスタジオへ向かう。

「さて…と。百合君!」

「あ、零崎さん!」

わたしは、スタッフルームの扉を少し開けた後、一人の青年の名前を呼ぶ。

その声に答えた青年―――――――百合 たかしが、こちらへ駆け出してくる。彼はこの音楽スタジオ「タルタロス」の従業員の一人だが、アルバイトでもあるため、日によってはいない場合もある。一方で彼は四年制大学に通う学生のため、学業をこなしながらこのスタジオでアルバイトをしているという状態だ。

「Aスタジオの方に行ってくるので、受付対応お願いしますね!」

「!!はい、わかりました!!」

わたしが百合君にそう告げると、彼は一瞬だけ瞬きが止まる。

しかし、すぐに穏やかな笑顔を浮かべ、受付を交代してくれた。これも、一応は日常茶飯事の出来事である。当スタジオは普段はどことも変わらない音楽スタジオだが、“毎週月曜日の18時~23時”という間だけ、支配人であり現世担当のわたしは、Aスタジオを利用する団体の補佐をする必要があるのだ。

そうして受付を代わってもらった後、わたしはAスタジオへ向かうのである。


「お…来たみてーだな」

「お待たせ致しました」

わたしがAスタジオの扉を開けて中に入ってくると、ベースを片手に持っている青年が不意に呟く。

それに対してわたしは、いつもの接客用語を口にする。

「では、代表者の内藤様には一度ご説明していますが、皆さんが揃っているのでまた再び説明致します。…あ、用意をしながら聞いて戴ければ大丈夫ですよ」

わたしが話をしようとすると、ドラムを担当している青年が動かしている手を止めたため、“用意しながらで良い”という旨を伝える。

「では、この後の流れについて説明です。19時よりこのミュージックビデオレコーダーのスイッチが入り、カメラが映し出した映像が向こう…すなわち、現世と幽世の間の方にあるスタジオのモニターに映し出され、それを死者達が見て楽しむ時間が21時までとなります。近年ではいわゆる“ライブビューイング”とも呼びますね」

説明をしながら、わたしはスタンドに引っかけられたZONYのミュージックビデオレコーダーという、音楽の録音や録画に優れたコンパクトカメラを指さす。

「そして21時以降は、皆さんの個人練習やら片づけをして戴き、23時までにお帰り戴ければ大丈夫です。最初にお伝えした通り、“向こう側”の観客オーディエンスはライブを聴いた感想を定められた方法で書いて出してもらう規則となっております。そして、提出して戴いた物を集計後に日本通貨へと変換し、謝礼としてご登録された銀行口座に入金させていただきます」

「一つ、訊いてもいいか?」

「はい。どうぞ」

説明のさ中、バンドの代表者でありボーカルでもある内藤様が、わたしに声をかける。

「観客の映像って、本番中に見せてもらえるのか?」

「無論、可能ですよ。これについては利用者ユーザー様によって様々で、“逆に緊張する”という理由で、観客側の映像をこちらで表示させないようにする利用者かたもいらっしゃいますしね」

「成程…お前らは、モニターに観客の映像を表示してもらうか?どうする?」

わたしの返答を聞いた内藤様は、他のバンドメンバーに尋ねる。

「俺は見たいな。やっぱり、観客の反応を見れる方が、こっちもテンションあがるし」

「だな。俺も、同じ意見だ」

すると、ギターやベースを担当している青年達が口々に答えた。

 本当に、人間とは考え方が多種多様ですね…

彼らのやり取りを見ながら、わたしは不意にそんな事を考えていたのである。

「では、内藤様。観客側の映像をこちらに表示させる事でよろしいですか?」

「あぁ、そうしてくれ」

「畏まりました」

同意したわたしは、口を動かしながら同時に両手を駆使して自分の近くにセッティングしてある機械の操作をし始める。

「それでは、皆様。ライブ開始までもう少し時間があるので、練習するなりお手洗いに行くなり、ご自由にお過ごしください。その間に、わたしは“あちら”との映像チェックを行っておりますので…」

そう伝えるのを皮切りに、青年達は大きな音を次々に出し始める。

「さて。では、わたしも…」

低い声で呟きながら、わたしは座っていた場所から立ち上がり、歩き出す。

それは、すぐ側にある小型カメラで映像や音声のチェックを行うためだった。一方、片方の手には自分の“仕事用のスマートフォン”が握られていた。



優喜が人間の利用者達に説明をしていたのとほぼ同じ時間帯に、私―――――――末若すえわか 亜友未あゆみは、現世と幽世の境であり、日本人からすれば“三途の川”といわれる川の付近にあるスタジオ“タルタロス”にいた。

「あのぉー…」

「…はい?」

建物の外で作業をしていた際、私は一人の男性に声をかけられる。

振り向くと、その男性は日本人にしては肌が色白いが、かなり顔色の悪そうな表情をしていた。

「ここは、一体何ですか?」

「あぁ、ごめんなさい!そろそろ案内のアナウンスがあるので、ここで待っていてくださいね!!」

私はその男性ひとに告げた後、その場を立ち去る。

既に慣れている光景だが、自分の周囲には何人かの人間がスタジオの入口でたむろしていた。そして、たむろしている人達は、よく見ると身体が半透明になっているのだ。

 彼らのほとんどはきっと、自分が死んだ自覚がないのかもね…

私は、裏口からスタジオへ移動しながら、そんな事を考えていた。

「風花ちゃん!そろそろ時間なので、始めてちょうだい!」

「亜友未さん…!はい、了解です!」

機材がある部屋に入った私は、そこにいる人間の従業員――――――櫻間さくらま 風花ふうかに、アナウンスをするように促す。

彼女がマイク等の機材操作を始めると、私はスタジオにあるスクリーンを見つめ、舞台下手側から客席の方を観察していた。

『本日は、ライブビューイングスタジオ“タルタロス”へご来場戴き、ありがとうございます。現地時間の月曜日である本日は、日本スタジオでのライブ映像を映しますので、心行くまでお楽しみください。尚、現在スタジオの中に入られた方は表の看板における注意書きを読み、了承して戴いた方という前提で上映を始めます。尚、違反した方にはそれなりの危険リスクが伴いますので、ご注意ください』

すると、風花ちゃんの声のアナウンスが、スピーカーから響いてくる。

零崎ぜろさき 優喜ゆうきが支配人として運営している“タルタロス”は、私のいる同名のライブビューイングスタジオの“日本支店”に位置する施設ものである。

風花ちゃんが先程アナウンスで告げていたように、毎週月曜日は日本スタジオ――――実際は、東京都多摩市という街にあるスタジオが担当している。

 イギリスやアメリカ…あとは、香港にあるスタジオでも仕事してみたいなー…

私は、観客を見つめながら、そんな事を考えていた。

「…っと。あと3分で開演ね!」

自分が持っている腕時計の針が、18時57分になっている事に気が付く。

「…」

右手を自身の眼前に構えた後、私は瞳を閉じて呪文の詠唱を始める。

この時に私は見えていなかったが、開演前のアナウンスを終えた風花ちゃんが、私を見守っていた。そして、私の姿が一瞬揺れたかと思うと、暗幕の前で“私”が全部で4人になったのである。

「じゃあ、分身あんたたちはいつも通り、客席側とスタジオの出入り口の方で監視よろしくね!」

私は、自分と同じ顔をした“彼女達”にそう告げる。

すると、分身たちは鬼火となって、ステージ裏からそれぞれ離散していくのであった。


「いつ見てもすごいですね!亜友未さんだけが使える、分身の術!」

私が機材のある場所に戻ると、風花ちゃんが笑顔で私を褒めてくれていた。

「有難う。でも、今はとにかく本番始まるから、仕事やることやりましょ!」

「はい…!」

褒めてもらえたのは嬉しかったが、「今はそれどころではない」と考えていた私は、その場ですぐに彼女に仕事をするよう促す。

そうして時計の針が19時を指し、何気ないいつもの時間が始まるのであった。

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