第2話 開演後と終演後のあれこれ

 19時が過ぎ、内藤 練様がたのバンドによる演奏が始まった。わたしは現世側にある機材の操作をし、その横には幽世むこう側の客席やオーディエンスが映っている薄型のテレビモニターが置かれている。

有名アーティストの曲をカバーするコピーバンドである彼らの音に対し、戸惑う者。何の曲を演奏しているのかが解り、身体でリズムを刻み始める者など、反応は様々だ。

 あぁ、彼らは心の内にためこんでいるモノがあるのですね…

わたしは、彼らの音を聴きながらそのような事を考えていた。

自分達のような十王に仕える鬼は、人間のように“音楽”という習慣も知識もないので、ロックやジャズが如何なるものかは、よくわからない。しかし、“音を感じる”ことは如何なる生物ものにでもできる。

彼らが奏でるギターやベースの音は、粗削りながらも繊細な部分がある。そして、ドラムから打ち出される刻みの部分は“縁の下の力持ち”ならではの正確なリズムで音が打ち鳴らされていた。

1つの曲が終わるごとに、スタジオに設置してある専用のスピーカーより、観客側の歓声が聴こえる。その歓声を耳で感じながら、ボーカルの内藤様は口を開く。

「俺達は、メジャーデビューもしていないアマチュアバンドだが…今宵は、聴いてくれてありがとう」

お決まりの台詞ではあるが、彼は堂々とした声でカメラに向かって話し始める。

「今日聴きに来てくれた奴らは、誰に強制された訳でもなく、自分の意志でこの“タルタロス”に集まっているとスタッフから聞いている。画面越しで何を言いだすのか…と思う奴らもいるだろうし、中には俺らよりも長い人生を生きてきた奴もいると思う。そして、自分が天国やら地獄に行くのかわからず、不安になっている奴も…」

そう口にする内藤様は、一瞬だけカメラから視線を下に落とす。

そんな彼の行動を、バンドメンバーは見守っていた。

「俺は幼い頃、母親を事故でなくしている。無論、当時はそれについてひどく悲しんだが…“この場所でこういうライブがある”というのを知った時は、驚きと同時に思ったんだ」

再び彼がマイクを使って話し始めると、モニターに映る死者かんきゃく達の視線がスクリーンに向く。

「“音楽”は、生きとし生ける者全てに限らず、死者だろうが何だろうが、どんな奴でも楽しむ事ができるようなものなんだと…!!」

内藤様がそう真剣な眼差しで言葉を口にした後、ドラム奏者によるカウントが入る。

カウントが入った後、ギターやベースの音も鳴り始め、彼らによる次の曲が鳴り始める。わたしは、瞳を潤ませながら聴いている観客をモニターで横目に見ながら、己の作業を進めるのであった。



「おや」

わたしは、自分のスマートフォンのバイブレーションが鳴った事に気が付く。

あれから1・2曲を歌った彼らのライブは、21時にて終了。21時20分を回った現在は、談話をしながら片づけ作業に取り掛かっている所だった。

 “風花ちゃんがあがる時間なので、出迎えよろしく”…か

スマートフォンに届いたメッセージは、同僚である末松さんからで、わたしは心の中でメッセージを読み上げる。

そしてメッセージを確認後、わたしは足早にAスタジオを一旦去る事になる。

「あ…おい!」

「皆様。片づけ終わりましたら、そのまま出て戴いて大丈夫ですよ!ただ、受付にて会員カードを受け取るのを忘れずにお願い致します」

Aスタジオの重い扉を開けようとした途端、内藤様がわたしを引き留めようとする。

それに対してわたしは、いつも通りの注意事項を述べてから、扉を開けて歩き出すのであった。


Aスタジオを出たわたしはその後、スタッフルームへと足を運ぶ。

利用者のロッカーや事務作業をするためのパソコン等が置かれている中、わたしの視線の先には調味料の入った四角いボックスがあった。それは壁際の小さなダイニングキッチンに備え付けの棚にある物だが、それを片手に持った後、最初とは別の並び順に4つの調味料ボックスを並び替えた。

すると、部屋中が揺れ始め、自動ドアが開くような音がわたしの耳に響く。視線を音の鳴る方へ向けると、地面には車のハンドルのような形をした円盤が現れ、わたしはそれを回して蓋を外す。

「あ…。お疲れ様です、零崎さん!」

「…お疲れ様です、櫻間さん」

蓋を外した後、聞き覚えがある声と共に、わたしも労いの言葉をかける。

「今ちょうどメールしようとした所だったので、助かりました!」

櫻間さんは、そう口にしながら自分が足をかけている梯子から地上へ上りだす。

この地下シェルターを出入りするような仕組みは、この“タルタロス”で音楽スタジオを経営することになったのを機に、わたしが創り上げた設備ものだ。この梯子を上り下りする事で、幽世むこうにあるスタジオと行き来する。

「そういえば、この梯子を設置したのは零崎さんですけど…“現世こちら幽世あちらの入口になるこの場所は、はるか昔より存在していた…という事ですよね?」

「…そうですね。元々、東京の多摩市このまちに日本スタジオを建てると決まった時点でこの場所が候補と入っていたので…おそらく、かなり前から存在していたのでしょう」

「不思議ですよね…」

櫻間さんがそう呟くと、わたしと彼女はその場で黙り込む。

その間に、彼女はロッカーに入れていた荷物を取り出し、自身のスマートフォンで時間を確認していた。

「では、時間なので私はあがりますね!お疲れ様です!」

「お疲れ様です。気を付けて帰ってくださいね」

その後、仕度を終えた櫻間さんが、タルタロスの扉を開けて帰宅していく。

 

さて、次は…

わたしは考え事をしながら、今度は受付の方へ歩いていく。

「百合君。Aスタジオの利用者は、帰られましたか?」

「あ…零崎さん!」

わたしが受付にいる百合君に声をかけると、彼はいつもの笑みを見せながら応えてくれた。

「はい。つい先程、帰られましたね」

「わかりました。…君も22時までだと思うので、そろそろ閉店準備に入ってください」

「了解です!」

わたしの指示を聞いた百合君は、売上金の整理を始める。

それと同時に、わたしは他のスタジオの様子を見に行こうと、再び歩き出すのであった。

この音楽スタジオ“タルタロス”は本来だと24時まで営業しているが、この日のように閉店3時間前あたりからスタジオの予約をしている利用者がいない場合は、閉店の準備をある程度終わらせて、アルバイトを帰らせるようにしている。この時間帯に予約して来る利用者はほとんどいないし、仮にいたとしてもわたし一人がいれば、どうにかなってしまうからだ。

 最も、毎週月曜日こんなひはAスタジオ利用者さえ帰ってしまえば、どうにでもなりますしね

そんな事を考えていたわたしは、各スタジオにて忘れ物や捨て忘れのゴミがないかなど、4つのスタジオを一つ一つ確認し始める。

スタジオの扉を開け閉めした際に、不意に疑問に思った。

「そういえば、人間ひとはこの入口の扉を開けにくそうな表情を浮かべますが…何故でしょう?」

「…それは、私達が人間ではないからでしょ」

「おや…お疲れ様です、末若さん」

「“お疲れ様です”ではないわよ、もう!!」

後ろから声がしたので振り返ると、そこにはわたしの同僚でもある末若さんが立っていた。

彼女が現世こちらに戻ってきたということは、幽世むこうのスタジオの片づけが終わった事を意味する。

「梯子のところ、さっき“開けて”って連絡入れたのに、ちゃんと読みなさいよね!!」

「いやー…貴女でしたら、わたしが手を貸さなくても登れるかなと思ってー…」

わたしは、“メールを読んだけどやらなかった”風の台詞を口にする。

ただし、実際は彼女からのメールに気が付いていないのが真実だが、本当の事を述べたら何をされるかわからないので、少しおちゃらけた素振りをしたのである。

「これが、例えばたかし君とかだったら、どうするのよ!!」

「あはは…すみません」

不服そうな表情で詰め寄ってきたため、わたしは苦笑いを浮かべて回避するしかできなかった。


「お二人共!それでは、お先に失礼します」

「お疲れ様です」

「お疲れ様―!」

先程の会話から数分後、受付に戻ってから22時を過ぎた辺りで百合君が、歩きながらわたし達に挨拶をする。

わたしや末若さんがそれに応えると、彼はスタジオの出入り口となっている扉を開けて帰宅していく。気が付くと、スタジオ内ではわたしたち二人だけとなっていた。

「さて…と。貴女も幽世むこうのスタジオで死者を相手にして疲れたと思います。お先に休んでもいいですよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて…と思ったけど、優喜。一ついいかしら?」

「はい?」

わたしが末若さんをあがらせようとしたところ、彼女から一点話があるとのことだった。

ため息交じりの声を出しながらも、わたしは彼女の話を聞く態度を取る。

「アルバイト、もう少し増やした方がよくない?」

「うーん…。そうしたいのは、山々なんですがー…」

彼女からの話は、スタジオを運営する側だったら、必ず気にしておかなくてはいけない件だ。

しかし、アルバイトで雇う人間を増やせられないのには理由があった。

「以前、貴女にはお話したかと思いますが…。彼ら…百合君や櫻間さんのように、“現世と幽世の境目に出向いても大丈夫な人間”でないと、雇う訳にはいかないんですよ。特に、貴女の補佐をする幽世むこうのスタジオは…ね」

「うーん…」

わたしの返答を聞いた末若さんは、その場で腕を組んで考え込む。

今の会話からいえるように、このスタジオで人間のアルバイトを雇う場合は、普通のアルバイトと比べると一つ特殊な条件がある。今の所は百合君と櫻間さんはクリアしている事だが、このスタジオでアルバイトをする場合、“幽世側に出向いても体調に異常をきたさない人”というのが、特殊な条件だ。閻魔王といった十王に仕えているわたしや末若さんは人間で云う所の“鬼”なので問題ないが、耐性を持たない普通の人間が現世と幽世の境目に赴くと、体調を崩すらしい。それは、スタジオの空気であったり、出入りが多い死者の魂や思念にあてられる事によるものだ。一種の防衛機能ともいうべきか。

「あの二人みたいな人間が現れれば、あるいはバイトを増やせそうなんですがね…」

「そうね…」

わたしが話しながら視線を下に向けると、末若さんの視線も少しだけ細くなる。


「まぁ、いいわ。それじゃあ、私はひとまず先にあがるわね」

「はい。お疲れ様です」

考えるのをひとまず諦めたのか、末若さんもわたしに挨拶し、その場を去っていく。

といっても、彼女はこのタルタロスがある建物近辺にあるマンションに住んでいるため、短い時間で帰宅してしまうだろう。

一方、スタジオがある建物内に自室を持つわたしは、まずは本来の営業時間である24時までこの場にいなくてはならないのだ。

タルタロスでのスタジオ予約は基本インターネットで予約するが、個人練習といった前日の電話連絡でないと予約できない場合もあるので、この残りの営業時間中に予約の電話が入る事も珍しくない。

また、同時にわたしはインターネットで予約を実施している利用者ユーザーがいないかも、この遅い時間にパソコンを開いて確認をしている。

「ここ最近は、現世こちら幽世むこうも安全平和でしたからね…。何か面白い事はないでしょうか…」

わたしは、溜息まじりに独り呟く。

そういった事務的な作業を終えた後に、自室へ戻って休む――――――――――――そんな一日が、今の自分の日常といえるのであった。


しかし、そういった安全平和がずっと続くというわけでもなく、近い内に色んな出来事によって忙しくなるとは、この時は微塵も考えていなかったのである。

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