バロールの瞳


「リトライ、100032回目」


 その言葉とほぼ同時にダンザはトリガーを引き、その光速の32乗の飛翔体を狙い撃つ。だが、放たれた同速の弾丸は、僅かにその飛翔体の右隣を通過した。無論、その飛翔体を肉眼で捉えている訳では無い。完璧に予想での射撃だ。


「リトライ、100033回目」


 だが、彼は続ける。無意味にも思えるこの作業を。


「リトライ、100034回……?」


 幻覚が耳元で嘲笑い、マトモな思考回路を失って久しい背中に、小さな温もりが宿るのを感じた。


「―――か、どうしたんだ?」


 振り向かずに答える、彼女は自分の大切な人。守るべき人、追いつくべき人。凡庸な自分が狂気に等しい努力を続けるのは、彼女に並び立つ為だけだ。


「もう一週間ぐらい寝てないんじゃないですか?」


「秒単位で刻んで寝てる、大丈夫だ」


「それは寝てるって言わないですよ、ダンザ」


 彼女が心配そうに背中を抱きしめた、彼女に不快な思いをさせない為に風呂にはしっかり入っているが、先程から流れる汗のせいで少し体臭が気になった。

 暑いから流れる汗では無い、体の悲鳴から流れる汗だ。最早、自律神経の幾つかの機能はバグを引き起こし、正常に働いていない。寒いも暑いも最早わかっていない、ただ規則的に多めの水と食事を取り、規則的に動き続けるだけだ。


 其処に居るのはダンザという個人ではなく、ただ訓練を機械的に行うだけの壊れた人間。だが、そうでなくてはその領域に踏み込めない。幻覚が聞こえる。あざ笑う声が聞こえる。だからその声に逆に心の中で笑い返す。


 "お前達には、夢中になれる事が無いのだな"と。すると、頭の中から声が消えた。あざ笑う周囲からも消えた。集中する、集中する、集中する。


「……次でラストにする。リトライ100034回目」


 目を瞑る。視界など、あの速度の物体には不要だ。初めから人が射抜ける物でも無い。ならば、どうするか?人を止める?別の何かになる?


 違う。正気だ。


 正気を突き抜けて狂気を踏み倒し、人の可能性の奥の奥を見る。扉に手をかける。背中には守りたい彼女が居る。あの飛翔体が彼女を狙う弾丸であるならば、彼女には回避出来ない死に至る一撃だ。

 ならば……撃ち落とすのは自分だ。盾になるのは自分だ。ソレを成すのは自分でなければならない。狂気に滲んだ色が、脳裏を支配した。


 暑さ寒さの無い体。だが、背中にある重さと熱だけは、その感覚をクリアにした。


 撃つのではない。開くべきは手のかかっている扉だ。当てるのでは無い。選ぶべくは当たったという未来だ。

 重い扉だ。だが、手はしっかりその扉に触れている。押す。びくともしない……だが押す。狂ったように、どんな手を使ってでも、殴る、蹴る、体当たり、なんでもいい。


 開け、開け、開け!心の中で叫んだ。もしかすると、口に出ていたのかもしれない、些細な事だ。


 そして、僅かな隙間から扉の向こう側のソレと目があった。体が朽ち果てるような錯覚、開いてはいけない扉だったのか?いや、知った事では無い、破滅なぞとうの昔に受け入れた、その上で……彼女と共にあると誓ったのだ。

 

 そして、思い出す。











 "丁度新しい目がほしかった"










 その目に手をかけてえぐり、引き抜く。悲鳴が聞こえた、扉は閉まった、だが目はこの手の中にある。自らの片目を抉る、その目を変わりに叩き込む、じんとした痛みが広がる。視界が紅く染まる、だが……これでいい。


「――――ッハ、ヒット」


 訓練の結果が表示される前に、笑いながら意識を完璧に失った。そう、これで良い、コレで良いのだ。



「……?」


 ダンザが目を覚ますと、瞳には涙が溜まっていた。目を酷使した覚えは無いが?と、首を傾げ涙を拭い捨て立ち上がる。


「おはよう!えーっと、どうかした?」


「いや、多分疲れてただけだ。何時間ぐらい寝てた?」


「きっかり1時間。どうする?もう少し眠る?」


「いや、これ以上寝るのは体に良く無い。にしても……随分と精査に時間が掛かっているし、少しせっつきに行こうか」


 ダンザが軽く準備運動を行い、扉を開け放つとその前には見覚えのある顔が2つあった。一つは機体を受領した際に居た責任者らしき人物、そしてもう一人は依頼の管理をしていた厳つい男である。


「……依頼の件?」


 ダンザが何となく察して口を開くと、黙って2人が頷き厳つい男が「ついてこい」と、一言言い放ち歩き出した。ダンザもそれに黙って従いついていくと、その後ろをトコトコと歩くラルフェ。


「歩きながら概要を話すのはダメ?」


「ダメじゃないが……俺達の態度としてはそっちへの不評を買わない為に、ゆっくり腰を据えて話すべき内容だ。アンタが良いってんなら別に立ち話でも構わない」


「なら、先に概要だけお願いしておく」


 その言葉にチラリと振り返り、ため息をついて語り始める厳つい男。


「一言で言うならやりすぎだ。本来、再来週に行われる筈だった大狩猟を先んじて行った形になった」


「大狩猟?的当て大会じゃなくて?」


「……お前からしたら的当て大会か。なんにせよ、今すぐあれだけの大漁の肉をこっちで買い取るのも無理がある。事前に集めていた大狩猟の報奨金を引っ張り出して、ジャイアントクローラーと3分の1の肉の買い取りが限界だ」


「なるほど」


 男が扉を開けると、其処はかなり整った応接間であった。どうやらダンザをそれなりの客として認めての事なのだろう。

 

「好きに座ってくれ、酒はいるか?」


「いや、手早く済ませたい」


 ダンザは扉に最も近い位置に座ると、そのまま背もたれに背を預けて天井を仰ぐ。


「なら、手短に。そっちに幾つか不利を飲んでもらいたい、その上でこっちからも別の方向から補填する」


「それで良い」


「……まだ条件を言っていないが?」


「下手な条件なら、こっちも相応の対応を取るってだけの話しじゃないの?」


 ダンザの答えに、眉を顰めるスキンヘッドの厳つい男。


「脅してるのか?」


「そう思うなら、譲歩すればいい。見えない相手の価値観に上手く合わせるのも、交渉の腕の見せ所だと思うけど?」


「……まず報酬だが、900万コルクになる」


「それだけ?」


「そう急くな、機体の修理費及び今回破損した武装や使った弾薬もこっち持ちだ。それと、仕事の斡旋が1つある」


「……なるほど、仕事」


 天井から視線を下ろすダンザ。同時に、ようやく気を引けたとばかりに、少し肩を撫で下ろすスキンヘッド。


「ああ、正式な依頼だ。今回の肉を別の都市に運ぶ、その護衛になる」


「もしかして、ジャイアントクローラーが出るとか?」


「察しがいいな、今回の件で気づいただろうが、アーマーバグとジャイアントクローラーは共生関係にある。アーマーバグの数が大きく減少すると、奴等はアーマーバグに敵対してる相手を探して地表をうろつき始める訳だ。で、今回の移動で周囲のジャイアントクローラーの排除を行っておく。でないと街や新人連中に被害が出るからな」


「俺のせいでもあると……報酬は?」


 と、其処で隣から割って入る工房の責任者らしき男。


「其処で俺が呼ばれた訳だ。今回の報酬と、ジャイアントクローラー討伐の報酬を合わせて……今乗ってるVFを下取りに出すなら、フルカスタムの第二世代型ポーターと300万コルクを報酬に出せる。わかってるだろうが、かなり赤字出る奴だ」


「なるほど、魅力的だ」


 ようやく本腰を入れて、話しを聞く気になったダンザに、2人が僅かに安心した表情を見せた。


「受けてくれるか?」


「代わりに、今後ともご贔屓にってお話?」


「端的に言うと、そうなる」


「……砂漠に行くまでは、ヨロシクさせて貰う」


「なら、交渉成立だな。依頼はポーターと運搬の準備が完了し次第になる。準備ができ次第コチラから連絡するから、あんまりウロウロするなよ?」


 そう言って硬い握手を結ぶ工房の男とダンザ。もちろん、これは互いにとって非常に利益のある話しだ。少なくとも、ダンザは不満のあった機体から乗り換える事が出来るし、工房側もダンザという上客を抱え込む事が出来る。

 さらに言えば、高難易度な依頼をダンザに投げる事も出来るようになる。常に強いポーター乗りが不足している彼等にとって、ダンザという存在は喉から手が出る程欲しいのだ。可能ならば、砂漠などへは渡らせず首輪をつけたいと考えている。そういった意味で、これは様々な意味での先行投資となる話しである。


 即ち、互いにとって良い話しである事は間違いないのだ。


「あ、生活があるから300万は先にもらっておきたい」


「……素寒貧か」


「腕が即座にお金にならないのが、厳しい現実だ」


 肩で笑うダンザに、苦笑いする2人。然るべき所に行けば、即座に金になるとは口が裂けても言えないのであった。

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