元気ならうれしいね

 ここでしか書けない、どうしても書かずにいられないことから良い意味で距離を置いているうちに、気がつけば二年ばかりの歳月が経っていた。

 この二年の月日は、忍び寄る疫病が世界を混乱に落とし、誰しもの生活を大きく変えてしまった期間とまるごと重なる。



(ひとえに能力不足であるために)長時間労働を強いられていた会社からは解雇を言い渡され、わたしは家で仕事をするようになった。

 不安定な増減の波を繰り返す疫病の流行は『週末ごとに見たいものを見に行く、友だちと会ってじっくり話をする』ささやかな楽しみを遠ざけざるを得なくなり、四六時中マスクに覆われた肌はみるも無惨にぼろぼろに荒れた。

 持病のある不健康な体と同居する家族への万が一の影響を鑑み、あんなに楽しみにしていたライブや旅行、創作イベントへの参加をほとんど控えている。

 おなじように慎重に日々を過ごしている友人たちとは『本当に落ち着いたらまた一緒に遊ぼうね、その時までお互いに元気でいようね』の約束を交わしあい、忍び寄る大きな荒波に怯えながら過ごしている。

 ハンドルネームで知り合った友人たちとはネットの回線越しに話をすることはほとんどないまま、お互いにハンドルネームではない本名に宛てて手紙と贈り物のやりとりを交わすことがずいぶん増えた。

 大勢の人たちが一同に集うイベントで出会った人とお互いに約束をしあって出かけられる関係になれることはすごく稀で、そこからさらに、お互いに手紙や荷物のやりとりを行わせてもらえる関係になれることはきっとすごく貴重なことで、あらためて、こうして友だちになれた大切な人たちとの絆があることをとても嬉しく思う。


 生活様式の変化と経年は自ずと変化を余儀なくさせる。

 史上最凶に荒れた肌は皮膚科の受診とじっくり手間をかけるようになったケアによって目に見えた改善を図り、会社勤めの間は手放せなかった痛み止めの出番は段違いに減った。

 流行り病に罹る前に不摂生で命が危なくなる、と始めた筋トレはいまではすっかり日課となっている。

 部屋着と一張羅のよそ行きしか必要としなくなった生活は『いろんな意味で分不相応だと思って手を出せなかった憧れのファッションにいまこそチャレンジしよう! こんな不自由な暮らしになってしまったからこそ、ファッションで非日常を楽しもう!』の勇気を奮い立たせ、いままでよりももっとずっと、好きなファッションを遠慮なく楽しめるようになった。

 好きな服を着て出かけた場所、思い切って足を踏み入れた憧れの場所で出会った人たちはみんなファッションをびっくりするほどたくさん褒めてくれて、あんなにも恐れていた『写真に撮られること』への恐怖心はいつしか薄れていた。

『自信のない自分』を覆い隠すため、呪いを遠ざけるための鎧だった洋服は、いつのまにかなりたい自分になれるようにとはばたかせてくれる翼になっていた。



 とはいえ、良いこと尽くしとは限らない。このところあらたに悩まされるようになったのが、長年の月経不順の解消と引き換えに生じるようになった月経の前後の体調不良だ。

 過少と過多、無月経を繰り返した末にどうにか安定した周期となったことは喜ばしいことなのだろう。迂闊に風邪をひくことすら出来なくなったこんな時期に体調不良の因果関係がきちんとわかっていることだって、ある意味では安心できることだ。

 苦しみの正体が何であるかがわかれば、対処する方法だってわかる。

『なまえのないかいぶつ』に怯えることよりもずうっといい。

『なまえのないかいぶつ』を飼い慣らし、自身の身体の変化に対処をしながらわたしは歳を重ねていく。


 大人になるのは素敵なことだよ。

 わたしは元気でいるよ。

 会えなくなった人はたくさんいるけれど、いまのわたしを大切にしてくれる人にこれからたくさん出会えるよ。

 そしてなにより、ずっと憧れていて、手が届かないと思った世界に足を踏み入れて楽しんでいるよ。


 過去に手紙を送ることはできないから、いまこうしてここに残しておく。もうすこし先の未来で、いまよりも未来を生きるわたしが懐かしんでくれるはずだから。



 *


 すこしまえにスペースでお話をさせてもらった際、運動神経が鈍いとトレーナーさんに指示してもらったとおりに体を動かすことができないという話題になった。

 かくいうわたしも、半年近く続けている筋トレのための体操の中にある、両掌を同時に反対方向に捻る運動がどうしても出来ない。(母は難なくこなしているのでなんだか悔しい)

 長年付き合っていかなければいけない『自分の体』とは言え、個々の身体能力には当然ながら個人差があり、体を乗りこなすには相応の鍛錬とメンテナンスが必要なのだと思う。

 疫病の蔓延と経年による体の変化は、いままでの人生とはまた異なった形で、自身との向き合い方をわたしに突きつけてくるのを日々感じる。



 生理由来による体調不良に襲われたわたしは、賑やかなショッピングセンターのベンチで買い物の荷物を抱えたまま、ぼうっと力なく座り込んでいた。

 ひとまずジムに行くことは諦めたけれど、大きい本屋さんとお気に入りの雑貨屋さんにいくのもきょうはやめにしよう。

 明日はほんとうなら行きたかったけれど断念したイベントだ。この調子ならどのみち行くことは出来なかったから、最初から諦めていてよかったのかもしれない。

 不調を訴える体を宥めるうちに、いつしか脳裏にはぐるぐると、過去の回想が駆け巡る。


 以前勤めていた職場では差し込むような激痛に襲われても、全身がぐらぐら揺れるように気分が悪くても、インフルエンザの後遺症の咳が止まらなくても、あまりにタイトなスケジュールをこなすこと、傷病休暇が得られないことから無理をして自分の体を宥めながら仕事をするのは『あたりまえ』で、季節性インフルエンザの時期にはオフィス中に咳き込む声が鳴り響いていた。

 変えの効かない『自分』を労る余裕はすこしもないまま、日々をやり過ごすことに精一杯だった。

 旅行に行く前に熱を出したことや旅先で熱を出したことも一度や二度ではなくて、それでも、限られた日程の中で組まれたスケジュールを変更することなど考えられるはずもなかった。

 世界的な疫病が蔓延するいまとなっては、まったくもって信じられないことだと思う。

 それでも、『いままで』の世界ではそれは、決してめずらしいことではなかった。


 いままでも、そしてこれからもきっとなによりも求められるべき大切なことは、苦しい時にこんなふうに立ち止まること、柔軟に予定を変えることだ。

 いまは無理でも、元気でいられればまた会えるはずだから。

 大切な自分を守らなければ、たくさんの楽しみな約束が果たせなくなってしまうから。

 たとえ自分が大丈夫でも、周りにいる人たちを巻き込んでしまうかもしれないから。

 それでも、こんなふうに動けなくなった時にゆっくりと立ち止まって体を休めさせてくれる場所は、この世界には決して多くはない。


 ままならない世界で、それでもわたしたちは生きていく。いつかきっと、また会えることを信じて。

(どうかそれまで、お体とお心を大切に)

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