ボトルレター

 2018年があと少しで終わる。毎日、週末に何をするかだけを心の糧にしてそれはもう目まぐるしく仕事をして毎晩遅く帰り、やっと迎えた週末があっという間に終わるとまた平日が襲いかかってくる。その繰り返しの只中に身を置いていれば日々はみるみるうちに過ぎていくばかりだけれど、ほんとうに沢山のことがあったこの一年を思うとびっくりしてしまう。

 語りつくせないほどの苦しいことも、自分を揺るがすような大きな出来事もたくさんあったこの一年を思えば『あっという間だった」なんてとても言えない。

 2018年の一年を過ごしてきたいまのわたしが胸を張って言えることは、いまのわたしは満ち足りているとは言えなくてもとても幸せで、そう言えるのは、わたしが重ねてきた『自分に出来る/したい努力』が着実に身を結んだこと、その中で出会った大切な人たちからもらったものをとても大切に胸に抱きながらいまこうしてここにいるからなのだということだ。

 数え切れないほどのいくつもの大切なものを分け与えてくれてほんとうにありがとう。わたしはあなたのことが大好きです。


 大きなこと、のひとつには、この一連の文章を書くことになったこともとても大きい。

 何かきっかけがあっただなんてことはひとつもなくて、ほんとうにある日突然書きたくなったから、としか言いようがない。

 書いている間も書き終えてからも、時に頭が痛くなるまで泣いているようなことを手放しに『楽しい』と言っていいのかはわからない。

 それでも書くこと、読んでもらうことでしか気づけないこと、乗り越えられないことがたくさんある。

 そのひとつひとつに何よりも救われているだなんてことは言うまでもない。

 書くこと、読んでもらうことを選んだ自分を誇りに思いたいと、いまはただそう思う。



 ここではない場所で小説を書いていた時、いまとは違う焦燥や不安に常に押し潰されそうになっていた。

 抱えきれない感情を吐き出してどうにか生きるための術にしていたのは、いまと同じように小説にはならないことを言葉にすることだった。

『物語』にならないことを読ませようとするだなんてきっとただの暴力に過ぎなくて、それでも、自分のサイトの自分の日記ならそのくらい許されたっていいはずだ、と半ば開き直っていた。

 苦しみながら必死の思いで吐き出した日記を書いたあと、ブログの管理画面で拍手が押された形跡が残されているのを見た時、ひどく安堵した。

 話すべきではない、そもそも持つべきですらない気持ちを言葉にした時、耳を傾けてくれた人がいた。

 言葉はなくてもただそれだけで、ここにいて、生きていてもいいのだと言ってもらえたような気持ちになれた。


 心を塞いでいた苦しさにずっと向き合っていたその頃、ほんとうにある日突然、自ら書いていた小説のキャラクターがくれた言葉に勇気づけられている自分に気づいた。

『ここにいて、生きていてもいい。誰かや何かを好きでいてもいい』

 あまりに当たり前すぎて、それ故にずっと気づけなかった大切なことを物語を通して自分の言葉で切り開くことが出来たその瞬間、ほんとうに嘘のように心を覆い尽くしていた霧が晴れた。

 自分の中で見つけた答えを言葉にしたいその一心でその実感について日記を書いた時、いままででいちばんたくさん、ほんとうに信じられないほど拍手を押してもらった。

 あの驚きと喜びは、きっと一生忘れる事が出来ない。


 それから間も無くしたあと、『自分の中に見つけた答え』に後押しをされるような形で、そこで書いていたものは書けなくなってしまった。

 結局は負の感情に寄りかかって、それを吐き出すために小説を『利用』していたとしか言えない自分が情けなくてはずかしくて仕方がなかった。

 ほんとうの意味で『乗り越えた』わけなんかではなくて、結局のところは生きていくのに不都合な感情を自らの手で殺してしまっただけなのではないかと、いまでもそう思っている。


 ほんとうの意味で『終わらせる』ために最後に作った本には、報いることなどひとつも出来なかったいままでの自分を支えてくれたたくさんの人たちに宛てた最後の手紙のような気持ちを込めた。

 いままでに出会った人、もう会えないたくさんの人たち――その中でもいちばんにお礼を言いたかったのは、いちばん苦しかった時にただ無言で拍手を押して、勇気付けてくれた人たちだった。

 最後の一冊となった本が旅立った後も、気づけば悲しいことばかり書いていた日記にほんとうに最後のお別れの言葉を書いた後も、その人たちから言葉をもらえることはないままだった。

 小説を書くことは、本を作ることは宛のないボトルレターを海に流すことのようだと改めて痛感させられた出来事で、いまでもとても寂しい。

 それでも、その寂しさを知る事が出来たことに意味があるのだと、いまはただ、そう思っている。



 このとりとめもない雑記を読んでくれる人が気づけばたくさんいて、その事実にはただびっくりするばかりなのだけれど、フォローや応援のボタンの向こうに、よく見知った人たちに混じって、きっとほかではわたしを知らなかったのであろう人がいることにとても驚いている。

 ひとりきりの浜辺から海に流した手紙が思いもよらない場所に届いたことを知るような気持ちとは、きっとこんなことなのだろう。

『ほんとうなら誰にも聞かせるべきではないはずのこと』を言葉にした時、それらに耳を傾けてくれる人がいる。

 その向こう側に、匿名ではない、アカウントに紐づけられた人たちがいることにこんなにも勇気付けられるのだと改めて知った。



 あれからいくばくかの時間が過ぎ去って気づいたことは、わたしは通りすがりの顔も名前も知らない人たちには「ありがとう」が言えないことがとても悲しかったのだ、ということだった。

 匿名ツールが後押しをしてくれる気持ちを伝えるための勇気、内緒のお喋りをしているようなやり取り、そして何より、ボタンの向こう側にいたのであろう人たちのあたたかい優しい気持ち。

 それらひとつひとつを頭ごなしに否定するつもりは私には一欠片もない。

 それでも、わたしにとってはこんなにも寂しいことなのだと気付いてしまったいま、これからのわたしは、気持ちを伝えたい相手には匿名の壁を飛び越えていける自分でありたいと、ただそう思っている。



 ほんとうにたくさんの得難い宝物を手にすることの出来た2018年があと少しで終わる。

 来年のわたしにもきっとたくさんの出来事があり、きっとわたしはこれからも変わり続ける。

 変わることによって得るものと同時に失うものがあり、自身の愚かさや至らなさによって手放してしまうものがきっとたくさんある。

 それらを恐れる気持ちよりも、『変われる』こと、それによって得ることの出来る喜びをいまは信じていたい。

 たとえ失ってしまったとしても、そこにあった輝きそのものがなくなってしまうわけではないことを、わたしはちゃんと知っている。



 来年のわたしには何が書けるようになるのだろうか。『書くこと』はわたしをどこに連れて行ってくれるのだろうか。

 誰よりもわたし自身が、それを楽しみにしている。



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