旅の手帖

あなたへ


 久しぶりに手紙を送らせていただきます。


 先日ご報告した、二日間の小さな旅から無事に帰ってきました。

 あなたにもさんざん聞いてもらった先月の大阪での素晴らしくて特別な夜、当日もらったフライヤーを目にした時、ライブが始まるよりも前に「高松! 土曜日!行ける!」とごくごく軽い気持ちで決めたこの旅でした。

 まさかこんなにたくさんの、びっくりするほどの贈り物をもらえる旅になるだなんて思っていなくて、いまもまだ喜びの余韻の中にいます。

(あなたのその無謀な行動力と無茶なスケージュリングは相変わらずだね、と言われたことがあんまり面白くて、道中でもしきりに思い返しました。わたし自身もそう思います)


 帰りの列車に乗っていた時、窓の外に広がる瀬戸大橋から望む瀬戸内の海と島々を目にした時、あまりにも美しい景色にほんとうにびっくりして、涙が止まらなくなりました。

 カメラを持たないまま席を離れた時に偶然目にした景色だったので、あなたにお見せすることが出来ないのはとても残念ですが、せめてもの気持ちを込めて、その時に手にした驚きと喜びを届けることが出来ればと思います。

 世界はこんなにも美しくて、わたしはそれを感じることが出来る心を持っていまこうしてここに生きているのだ、ということを胸に刻みつけた奇跡のような二日間でした。


 ここで、ライブの話をすこしばかりさせてください。

 早朝に乗り込んだ船を降り立ち、初めて訪れた栗林公園はまばゆいほどの秋晴れで、こんなにも美しい場所に来られたことにライブが始まる前から感激しました。

 明るい日差しの中で伸びやかに響くギターの音色と歌声、ステージの向こう側に広がる芝生と木々、子どもたちのはしゃぐ姿、風にそよぐ葉の音、やわらかで優しい確かな光の中に溶けていく音たちは目と耳、心のそのすべてを優しく包み込んでくれるようでした。


 ライブの中盤、とても感慨深げな様子でぽつりと洩らされた「いまこうしてここにいられることが嬉しいです」という高野さんの言葉を聞いた瞬間、わたしはどうしようもなく涙が止まらなくなってしまいました。

 そこにいたのは、数え切れないほどのいくつもの季節を乗り越えたその先で、痛みや迷いや不安や焦燥、そのすべてからまっすぐに目を逸らさず向き合い続け、歩みを止めることなく、宝物のようなきらめきを届けてくれたその人でした。

 鳴り止むことのない音楽がわたしをこの光に包まれた優しい場所に連れてきてくれたんだ、と心からそう思わせてくれる魔法がそこにはありました。


 大阪でも繰り返し伝えてくれた「やっと自分の理想とするライブが出来るようになった」「あと三十年やります」の言葉は、平成とともに駆け抜けたこの三十年の音楽の旅はまだ通過点に過ぎず、これからの先にまだ、無限の可能性が続いていることを何よりも信じている、という高らかな希望に満ちた誇り高い宣言のように感じられました。

 大阪でのライブと同じように、最後に演奏されたデビュー曲の「See you again」はいままで聴いた時のどんな時ともまったく違った響に聴こえて、わたしが十五年間見続けてきた中でいちばん胸に迫ってきました。


 ほんとうに夢のように楽しかったライブのあと、ありのままの喜びと感謝を笑顔でお伝えしたかったのですが、どうしても涙が止まらなくなってしまい、泣きながらいまの気持ちをお伝えして会場を後にしました。

 胸いっぱいの気持ちを携えたまま歩いた栗林公園は目にするものすべてが美しく、近くて遠い、このとびっきり美しい場所へ連れてきてくれた音楽に出会えたことへの喜びで胸がいっぱいになりました。

 その魔法は翌日になっても収まらないまま、わたしはいまこうして日常へと戻ってきました。


 世界はこんなにも美しいのだということ。

 そこで手にしたかけがえのない宝物を手渡してくれるたくさんの人たちとのかけがえのない出会いがあったこと。

 そのひとつひとつを感じることが出来る心がわたしにはあるのだということ。

 心を持つことは時にひどく苦しくて、それでも、だからこそ得られたいくつものまばゆい宝物があったのだということ。

 それらひとつひとつに守られ、救われながらわたしはいまもこうして生きているのだということ。


 そんないくつもの新しい感情に出会ったことを、あなたに伝えられたらと思いました。





 チャップリンが映画の中で「人生には意味などない、あるのは願望だけだ」という言葉を残していると、ずっと昔に聞かせてもらったことをわたしはこの旅の途中、ふいに思い出しました。

(あなたにも何度も夢中で話をした、わたしの大好きなロックスターが教えてくれた言葉です)

 わたしがこうして、いくつも浮かんでは沈んでいくばかりの言葉や想いを形にしたいと思うことにだってきっと、「書きたい」「聞いてもらいたい」という願望以外の意味などはないのだと思います。

 重く心を塞いでいたそれらのぶざまで身勝手な願望たちは、あなたに「届いてほしい」と願いながら形にした時、それらに対して「届いたよ」と教えてもらえた時、わたしを奮い立たせてくれる宝物に変わりました。

 ほんとうに、心から感謝しています。


 これを読んでくれたあなたはきっといつものように、あなたの言葉はおおげさだと笑うのでしょうね。

 ほんとうに大切なことほど、胸が詰まってうまく伝えられないのだという言い訳は前にも聞いてもらいましたよね? どうか、見逃していただければ嬉しいです。


 拙い手紙を最後まで読んでくれてほんとうにありがとう。

 またお便りをします。その前に、どこかでお会いできるでしょうか。

 その時にはあなたの話も、どうかたくさん聞かせてください。

 それまでどうか、お元気で。


 深まりつつある秋の夜に、親愛なるあなたへの限りない感謝と愛を込めて。

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