弔いを生きる

 中学生の時に好きだった人(うたを歌っている人だった)が言っていた『複雑に考えすぎたって手に余るのだから、単純に物事を考えるようにしている』という趣旨の言葉をよく覚えている。

 自分には到底できないことだからなのかもしれない。


 ちっぽけな自分の手には余るほどのことを考える。その中で見つけてしまった、目にしたくなかったはずの物に怯える。

 それでも、見えてしまったものを取り消すことは出来ないまま、浮かんでしまった感情が立ち消えるのを待つ。

 幾つかのことは『物語』になり、その向こう側で『物語』にすらなれなかった数多の感情は、いつのまにか自分の中から消えていく。

 全てを抱えたままで生きていくことなど出来るはずもないのだから、忘れることはきっと救いなのだ。

 それでも、『忘れる』こと、『手放すしかない』ということ、自分がいつのまにかそれを選んでいたことに、時折ひどく胸が痛む。



 自分ではない誰かが届けてくれた言葉を、心のあり方を持ち帰り、自身の心の器の中に入れる。

 そうして映し出されたものについて、ひとりで考える。

 おぼろげに浮かんだ『それ』は、大抵の場合は誰とも分かち合うことはないまま、泡のように消えてしまう。

 ある日、本当に偶然(としか言えない)『小説』の言葉を手にした時に感じたのは自分の感情の置き場を見つけることが出来たのかもしれない、という安堵感だった。

 ふわふわと漂うだけの、いつしか消えていくだけの心を、言葉を誰かに伝える『手段』がそこにはあった。

『誰かに伝えるための言葉』はいつでも、考えることをやめられないまま、戸惑いや不安や迷いに襲われるばかりのわたしを救い出してくれる魔法だったのだと思う。

 形を伴わなかったはずの『それ』に居場所を与えることは、傷つく権利を得ることなのかもしれない、と時折思う。

 考えることを、それらを形にすることを一日も早く手放してしまいたい。

 ただ自分の中でだけ傷ついていればそれでいい、手渡そうとしてはいけない。生きるのに不都合なこの感情を、一日も早くすべて殺してしまいたい。

 幾度もそう言い聞かせながら、切り捨てることが出来ない感情とずっと向き合っていた気がする。

 ただ代わり映えのない毎日を過ごすわたしに変わって、自分の中にいつしか現れた『物語』を生きる彼らは、代わりに傷つくことを、向き合い続けることを、その中で、現実のわたしが話すことのできない言葉で他者との対話を果たすことを叶えてくれた。

 とてもいびつな生き方でしかないことは確かなのだろう。

 それでも、『そこでしか生きることができない』という自分のための願いと共に、もう何年もかけて、そういった感情のひとつひとつに折り合いをつけることを試みている。

 これからもきっと、それは続くのだろうう。



 好きだった人、とそう話すように、その人に気持ちを寄せていた時間はもうとっくに過ぎ去った過去になってしまった。

 ちいさなちいさな世界の中心でそのすべてで、何よりもの宝物だったはずのその気持ちはいつしか泡のように消えていた。

 それから何年も経ったある日、あの頃の自分だけが手にしていたものをわたしは永遠に喪っていたのだと気づいたその時、ひどく身勝手な喪失感に襲われたことをいまでもずっと覚えている。

 ただ安らかな救いや願いだったはずのその時間を、いつのまにか『永遠に喪った、置き去りにした宝物』にすり替えてしまっていた自分の愚かさや身勝手さがひどく悲しかった。


 幾ばくかの時間が過ぎ去ったそのあと、かつて大切だった人は結婚をしたらしいと耳にした。

(『それ』こそがあるべき幸福の形であり、すべての人が選ぶべき正しい選択だとはもちろん思わない。それでも、一旦はそういった事象を横に置いて)

 胸がいっぱいになりながら、長い時間をかけて、幸福な片思いがやっと『終わった』のだとそう思ったことを、いまでも心の片隅に抱いたままでいる。

 かつてのわたしを守ってくれてありがとう。あの頃のわたしは、あなたのことが本当にすきだった。

 あの頃の気持ちはずっと昔に手放してしまったけれど、あなたのことがとてもすきだったこと、その時間がとても大切だったことはちゃんと覚えています。

 どうか、一番そばにいてくれる人を大切にしながらこれからを生きてください。


 真っ先に浮かんだ想いを敢えて言葉にするのなら、きっとそんな形をしていた。

 身勝手で傲慢な、自分のための感傷に過ぎないことを知っている。

 それでも、その時に胸の中に浮かんだ気持ちにはきっと嘘はひとつもないのだ。



 人は常に何かを喪い、喪ったものひとつひとつを心の片隅で弔いながら生きている。

『喪ったこと』に気づくことが出来たからこそ手に入れられた永遠もまた、きっとあるはずなのだ。

 それはとても幸福なことなのだろう。




 交わることのない遠い場所で生きる人との人生が、それでも『繋がった』と思える瞬間を、何かを話すこと、それらを元に形作られたものを受け止めることで手にすることがままある。

 そんな風にして手渡された感情のかけらひとつひとつにわたしは身勝手に傷つき、同じだけ身勝手に救われる。

 わたしとは交わることのない人生を遠い場所で生きる、わたしの人生を確かに救ってくれた、寄り添ってくれたその人の生きる道がどうかあたたかなものであってほしいと、そう願うことが幾度もあった。

 拠り所としか言えないそんな感情に縋る一方で、自身の心の安寧のためだけに身勝手に他者の幸福を願うことが『正しい』ことなのか、わたしにはどうしても分からなかった。

『許してはいけない』と自分に課した感情は、抱え続けることができないまま、いつしか消え去ってしまった。


 何が『正しい』のかなんて、わたしにはいまでもすこしもわからない。

 それでもいまの自分にはっきりと言えることは、すべてを背負うことができなくとも、欠けたものを無理に埋めなくても、そんな自分を『正しくない』と心の片隅で責め続けることをやめることができなくても、わたしは、みなは生きていていいのだという、あたりまえのはずの答えだ。

 いまはただ、そうして手にしたひとつの答えを、それらを形作ってくれるきっかけとなったいくつもの幸福な出会いがあったことを、ただただ誇りに思っている。

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