【4号車】煩悩の子(その4)~「心の旅」

【7】

 10年ほど勤めた会社を、治癒困難な精神的な病気を理由に退職し、長年にわたり住み慣れた関西の都会の街を離れることになった、もやし君。この時、彼は30代も後半の年齢となっていた。 

 12月も終わろうとしている、ある晴れた日の午後だった。新幹線「のぞみ」号が新大阪駅のプラットホームを離れていく。もやし君は自由席のデッキにいた。ドアの窓から外の景色を少しの間だけ眺めていたが、帰省客のUターンラッシュもいよいよ本番へと突入したのか、やがて彼の意識はいつになく混雑している客室の方に向いてしまい、感慨のようなものは特に起こらなかった。

「これはどうも座れそうにないな。指定券を取っとけばよかったかもな……。」

 目下、彼の頭の中はそのことで占められていて、これまで彼の身に起こった出来事をしみじみと思い返すこともなければ、これから先のことに対する不安についても、まだリアリティをもって感じられることはなかった。ただ単に、これまで背負い込んできた何か重たいものから解放されるような気分で、概して心は軽かった。

 

 車内のデッキに居座ること50分弱、もやし君は岡山で下車した。ホームの売店で駅弁とビールを購入してから「こだま」に乗り換えた。そこでようやく彼は落ち着きを取り戻すことができた。すると、これまで関西で送ってきた生活のことについて、徐々に後悔の念を覚えて来るようになった。

「もっと早く、この行動に移しておくべきだったのかもしれない。そうしておけば、あんなことには……。」

 その時、彼の内から罪の意識と懺悔ざんげしたいような気持ちがじわじわと湧き起こって来たのだった。


 突然ではあるが、ここで「安定」と「自由」の関係性について少し考えてみよう。

 この二元の事象を二分法で場合分けすると、次の4パターンが導出される。

 (ⅰ)安定した自由

 (ⅱ)不安定な自由

 (ⅲ)不自由な安定 

 (ⅳ)不自由にして不安定


 (ⅰ)は現実に即して見れば白痴の虚妄なのだが、理想郷ユートピアであるとも言える。

 (ⅳ)はブラックな現実であって、ディストピアな世界でもある。


 現実的に物事を見れば、われわれは通常(ⅱ)と(ⅲ)のどちらかを選択することになるだろう。ちなみに選択肢(ⅲ)は、もやし君の性分には、どうやら合わなかったようだ。選択肢(ⅱ)のコースを歩んでいだ方が正解だったのかもしれない。

 彼は、安定した仕事に就いて平穏な家庭を築き上げる――これはこれで素晴らしいことなのだが――よりは、本当は、自由の海を泳いでいろんな島々や大陸などを見て回る方が性に合っていたのかもしれない。しかしそのためには、それ相応の「孤独でいられる能力」が必須条件となってくるだろう。


 「孤独を愛さない者は、自由を愛さない者である。」(ショーペンハウエル) 


 * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 かくして、もやし君は”都落ち”する形で郷里に戻ってきた。彼の復職のことばかり気にしていた両親も、この時はすでに諦めていた様子だったのか、彼を優しく迎い入れてくれた。この時、あの年の離れた兄は家を出ていて、Y駅近くにあるY市の飲み屋街の一角で小さな居酒屋を営んでいた。兄が店を出すにあたっての出資は、ほとんど両親の負担によるものだったらしい。


 会社を退職するということになって、もやし君はようやく落ち着いた心持で療養に専念することができた。そして、彼の「ニヒリズム研究」も引き続き行われた。

 年が明けて3月末に会社を正式に退職することになって、4月の下旬には退職金も口座に振り込まれた。そのうち一部を両親に渡して、残りは彼の当面の生活費に充てていた。しかしながら困ったことには、彼の遊び癖は未だに治ってはいなくて、この即物的で刹那的な快楽に耽溺する性癖によって、わずか3か月あまりで退職金を使い果たしてしまったのだった。

 精神科のクリニックに定期的に通院はしていたが、寝込んだまま起きられないというような状態に陥ることは、この頃にはすっかりなくなっていた。彼は退職金で旅行したりして元気に遊びまわっていた。彼の心身は365日のうち300日くらいは健常者でいられるほどに回復したようだった。


 去年の春頃だったか、感情がすっかり麻痺したような状態になって”楽しい”という気持ちに全く実感を伴わなくなってしまった、あの時のことがまるで前世の出来事のように思えた。もやし君には、このことが全く不思議に思えた。

 あの時に陥っていた心神耗弱状態からの脱却については、敢えて将来に対する不安を振り切って、人生の抜本的な刷新、根本的なリセットを試みたことが功を奏したのだろうと、もやし君はそのように解釈した。あたかも人生の途上で発生した関係性のもつれがこの時になって、ようやくほどけたかのような境地であった。

――「色即是空。空即是色。」のマジカルチェンジであった。


 ところで、退職金をきれいさっぱり使い果たしてしまった、もやし君。

 7月も終わりになろうとしている頃だった。実は6月に入ってから彼は次の仕事を探していたのだが、どれもうまくいかなかった。就職活動のために残していた資金もたちまち尽きてしまったので、仕方なくとある派遣会社に当たってみたところ、即決採用で工場の労働者をすることになった。そして面談の日から1週間もしないうちに彼は隣の県に出て、再び一人暮らしを始めた。時給1,000円、収入は前職の時の半分以下になった。


 赴任先に向かうための交通費は派遣会社が持ってくれた。小倉駅で派遣会社の担当者から切符を渡されると、大分行きの特急「ソニック」に乗車した。赴任先の土地へと向かう車中で、彼は車内販売で買い求めた紙コップ入りの熱いコーヒーをすすりながら、ドストエフスキーの『死の家の記録』に出てくる主人公のことを何となく思い出していた。この小説は「浮気した妻を嫉妬に狂って殺害した罪でシベリアの刑務所送りになった青年貴族の手記」という形を取った作品であった。この主人公と己の身上を重ね合わせると、今乗っている列車が、彼にはシベリア行きの囚人移送列車のように思えてきた。

 そこには希望もクソもなかった。ただ得体の知れない不安だけが大きな口を開けて彼を待ち構えているかのようだった。 

 

 前職での休職期間も含めると通算して数年間にわたるブランクとなる。ひさびさの就労に、最初はどうなるものかと彼は相当の恐れをなしていた。

 ところが、いざフタを開けてみると、結局のところ、日々の労働は欠勤することもなく、普通に続けることができた。もやし君の内向的ながらも気難しさのない下ネタ好きな性格によるものか、現場の工員たちとも概ねうまくやっていけた。


 派遣会社は、就業先の工場にほど近い街はずれの場所に単身者用の寮をいくつか持っていた。それは民間のアパートを借り上げた物件だったが、市街地での生活に慣れ親しんだ彼にとっては、またとんでもない田舎に引っ越してきたものだと思った。 

 ひなびた田舎の侘び住まい、素寒貧すかんぴんで質素な生活ではあったものの、これはある種の清貧とでも言えばよいのか、「こんな生活もまんざらではないな」と、そのように思えることもあった。

 こんなクソ田舎にあるアパートを改装したようなワンルームの部屋で、時折、一人ぼっちでいることに寂しさを感じることもあるにはあったが、かつてのような激しい虚しさの感情が彼を襲うようなことは、もはやなかった。


「都会の雑踏と喧騒にまぎれて一人で過ごすクリスマス。長閑のどかな田舎の静寂とともに一人で過ごすクリスマス。――サイレント・ナイト、ホーリー・ナイトにふさわしいシチュエーションは、さて、どっちでしょう?」


 人口の少ない田舎では、世間が浮かれムードな時期になると、リア充たちは街に出るか自宅に隔離されるかして姿を現わさなくなるので、マスメディアの環境を絶ってしまいさえすれば、クリスマスの時期でさえも、この土地においては何の変哲もない平素の日常と何ら変わりがなかった。そこには変な誘惑もなかった。彼が変な欲さえ出さなければ、心持ち次第ですべては平穏無事に過ぎて行った。 


――それにしても、かつて彼の精神をあれほどまでに蝕んだ「虚しさ」の感情、あの「実存的空虚」の正体とは一体何だったのだろう?


  * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 ……「すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。」

                          ――V.E.フランクル――


 このフランクルの金言は、もやし君を「ニヒリズム研究」へと導いた言葉であり、またそれに従事している途上で、最も心に響いた言葉の中のひとつでもあった。

 私生活上の破綻に起因するうつ病によって、長期にわたって会社を休職することになり、その間、逼塞ひっそくの生活を細々と送っていたあの当時の彼は、フランクルの著書『夜と霧』に記されてあるこのくだりについて、まるで自らの生命を求めるかのようにして、何度となく読み返したものだった。



 ……反対に何の生活目標ももはや眼前に見ず、何の生活目標ももたず、その生活において何の目的も認められない人は哀れである。彼の存在の意味は彼から消えてしまうのである。そして同時に頑張り通す何らの意義もなくなってしまうのである。このようにして全く拠り所を失った人々はやがてたおれて行くのである。あらゆる励ましの言葉に反対し、あらゆる慰めを拒絶する彼らの典型的な口のきき方は、普通次のようであった。「私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだ。」これに対して人は如何に答えるべきであろうか。


 ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。哲学的に誇張して言えば、ここではコペルニクス的転回が問題なのであると云えよう。すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。人生というのは結局、人生の意味の問題に正しく答えること、人生が各人に課する使命を果たすこと、日々の務めを行うことに対する責任を担うことに他ならないのである。


 この日々の要求と存在の意味とは人毎に変わるし、また瞬間毎に変化するのである。従って、人生の生活の意味は決して一般的に述べられないし、この意味についての問いは一般的には答えられないのである。ここで意味される人生は決して漠然としたものではなく、常にある具体的なものである。各人にとって唯一で一回的である人間の運命は、この具体性を伴っているのである。如何なる人間、いかなる運命も他のそれとは比較され得ないのである。如何なる状況も繰り返されないのである。そしてその状況ごとに人間は異なった行動へと呼びかけられているのである。


            V.E.フランクル 訳:霜山徳爾

             『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)



 もやし君が「人生から提出される問い」に対して、果たしてどれだけ「正しい行為によって応答」できているのかについては、甚だ疑問なところではある。

 それはさておき、ここでフランクルが語っている「生命の意味についての問いの観点変更」については、これを「自己中心的な人生観」「世界中心的な人生観」という文脈に捉え直して解説を加えたものとして、山田邦男『生きる意味への問い――V.E.フランクルをめぐって』という著書があるので、こちらの方も紹介しておきたい。


 特に引用元の本文中にある次のくだりについては、これは、もやし君の人生挫折の根本原因であり、また甦生の契機と重なるところが大いにあるように思われる。


 ……「すべては自分が生きるため、というエゴイズムの立場は、その自分が生きるのは何のためか、という問いに答えることができない。その限り、エゴイズムは本質的にニヒリズムである。それは絶望の原理であり、死に至る病である。」

「このエゴイズムはしかし、それが徹底的に自覚されるとき、救済の原理、治癒の原理に反転する。」

                         ――山田邦男――


 もやし君が、あの時に体験した「実存的空虚」というのは、結論から言ってしまえば、結局は「彼の(俗物根性)のなれの果て」だった。そのような説明を与えることができるだろう。

 また彼の人生における挫折に関しては、彼のスノビズム(俗物根性)ゆえに世俗的な価値観を相対化できなかったことが看過できない要因として挙げられるのであるが、このことに対しては「世界」と「いのち」の概念に目覚めることが有効な治療法へと導いてくれるだろう。

 やや具体的な説明を加えておくと、「自我」を包含すると同時にそれを超越した「深きいのち」に目覚めることが、やがては「人生に対する態度」の変化となって、それが「実存的空虚」が原因となって発症した神経症の治療に対しては、有効に作用してくれることになるだろう。

 つまりは、そういったシナリオなのであるが、その中で「実存的空虚」は直接原因であって、根本原因については「自我」の在り方に求められるのではないか? 彼の経験からすると、そのように考えられるのである。


 次の引用文については、これまで述べてきた点に留意しながら読まれると良いかもしれない。



 ……この悪無限生とは、有限なものの無限な追求ということである。有限なものを無限に追求したとしても、そのことによって有限なものが無限なものに質的に転換するわけではない。それはどこまでも有限なままであり、有限なものが無限に続くだけである。エゴイズムとは、先に見たように、自己にとって付属物に過ぎないものを自己そのものと錯覚し、それをどこまでも追及する立場であるが、これは右の数を数えることの悪無限性と原理的に同じものである。始めは希望でありえたものも、やがて退屈をもたらし、ついには絶望に至る。その理由は、それ自体には真の意味や真の自己実現がないからである。


 エゴイズムとは、Mehr Leben(より多くの生)を追求する立場である。その立場にとっては、すべては自分の生のため(自分が生きるため)、あるいは自分のより多くの生のため(より多く自分が生きるため)、である(中略)。しかし、この立場からは、生きるのは何のためか、という問いに対する答えは出てこない。仮にすべては自分が(あるいは人間が)生きるためであるとして、それでは、その生きるのは果たして何のためか。Mehr Leben(より多くの生)の立場からは、Mehr als Leben(生以上のもの)は出てこない。単なる生の立場からは、生以上の(あるいは生そのものの)意味は出てこない。秦の始皇帝は、家来たちに不老長寿の薬を探させたという。どれほど強大な生であっても、死の前にはすべてが無に帰する。Mehr Leben(より多くの生)の立場そのものの原理的な限界であり、エゴイズムそのものの限界でもある。かくしてエゴイズムはニヒリズムに帰する。すべては自分が生きるため、というエゴイズムの立場は、その自分が生きるのは何のためか、という問いに答えることができない。その限り、エゴイズムは本質的にニヒリズムである。それは絶望の原理であり、死に至る病である。


 このエゴイズムはしかし、それが徹底的に自覚されるとき、救済の原理、治癒の原理に反転する。

                (中略)

 キリスト教や仏教で罪と呼ばれるものは我欲の追求、つまりエゴイズムであるが、この自己のエゴイズムの自覚が罪悪性の自覚に他ならないと言いうるであろう。そしてその自覚が同時にニヒリズムの自覚でもある。(中略)個人においても人類においても、この罪悪性とエゴイズムとニヒリズムの三位一体性の深い自覚によって決定的な転回点に達する。その転回点は同時に意味(生きがい)への転回点でもあるが、これについてはもう少し後で述べることにしたい。


                (中略)

 フランクルは、われわれが人生の意味を問う場合、どのような観点からそれを問うのかが決定的に重要であるという。すなわち「人生から何をわれわれはまだ期待できるか」という観点からそれを問うのか、それとも「人生が何をわれわれから期待しているか」という観点からそれを問うのか、ということである。そして人生の意味を問う場合、前者の観点から後者のそれへと、問いの観点を転回することが決定的に重要なのである。


 ここで以下の考察に先立って、まず人生という言葉の意味を明らかにしておかねばならない。人生という言葉の原語であるレーベン(Leben, life)には、人生という意味の他に、生命・生、生活、活力、現実、生き物、世間・この世などさまざまな意味が含まれているが、これらを整理すれば、


 ① 個体(個人)の生命(一生・生涯・人生)、

 ② 個体(個人)を超えた客観的(普遍的)生命

  (生き物一般・世界、あるいは人間の世界・世間)、

 ③ 個体(個人)と世界(世間)に内在する生命(生命力・活力)


に大別されうるであろう〔この区別とは別に、レーベン(ライフ)を、自然科学の対象としての「生命」、哲学の対象としての「生」および宗教的な意味での「いのち」に区別することも可能である。それ故、右の①から③のすべてに生命・生・いのちの三つの意味が含まれていると言いうるが、この点についてはここでふれることはできない〕。


 このようにレーベンという言葉は多義的であるが、フランクルの「レーベン」にもおそらく右の①から③のすべて、および生命・生・いのちのすべての意味が含まれているように思われる。しかし特色がないわけではない。フランクルの「レーベン」はまず何よりも個人の人生(①)である。この意味で「レーベン」というドイツ語は「人生」と訳されるべきであろう。この個人の人生について、フランクルが強調するのは、後述するように自分という存在の唯一性と責任性である。しかしそれと同時に、個人は他者から切り離されたアトムとして存在するのではなく、他者とのかかわりにおいて存在する「関係存在」である。個人の唯一性と責任性は、他者とのこの関係性なしには成立しない。汝のない我は空虚であり、そもそも我として存在することができない。つまり、個人は個人を超えた存在、すなわち世界によってのみ存在しうる。フランクルのレーベンには、このような個人を超えて、しかも個人を内から生かしているような大きな生命的世界とも言うべきもの(②③)が含意されているように思われる。以上を要約して、フランクルの「レーベン」には、個人の人生と世界という二つの意味が同時に含まれていると解することができるであろう。


 以上を踏まえて、前述の「人生の意味についての問いの観点の転回」にもどろう。まず前者の「人生から何をわれわれはまだ期待できるか」という観点から簡単に見ていきたい。この観点は、人生を自己を中心にして捉える観点である。この観点においては、自分が人生と世界の中心であり、自分はそれらから何を期待でき、何を得ることができるかという観点からそれらにかかわることになる。


 この人生に対する自己中心的な観点とは、自分の人生は自分のものであり、自分がそれをどうしようとも自分の自由である、という観点である。これは、ある意味では必要な、あるいは重要な観点ですらある。自分の人生は二度とない人生であり、その一回きりの人生を思う存分に生き抜くほど大切なことはないとも言えるであろう。しかし、その思う存分の人生は同時に、悔いのない人生、生きがいのある充実した人生ということでもあるはずである。そうではない単なる思う存分の人生は、単なるわがまま、エゴイズムにすぎない。このような「私」のあり方は絶望の原理、死に至る病であり、必然的にニヒリズムに陥る。

                (中略)

 人生に対する自己中心的観点、すなわち自分の人生は自分だけのものであるという観点は、自分が「人生から何も期待できない」ような限界状況に陥ったとき、自分を支えることができない。

                (中略)

 自分の人生は自分のものであるという観点はある意味で大切である。ある意味でというのは、自分の人生に責任を負うのは自分である、という意味においてである。自分は自分の人生に対して責任がある。この責任性はしかし、自己中心的なあり方によっては自覚されえない。自分の人生は自分のものでありながら、しかもそれはいわば賜りたる人生である。自分の人生は、自分を超えた何ものかから与えられたものであり、自分はその何ものかに対して、自分の人生を生き抜く責任を担っているのである。

 

 この自分を超えた何ものかとは、キリスト教では創造主である神であるが、仏教では四恩という言葉で表現されている。四恩とは「国土の恩」(我を護る者は国土なり)・「衆生の恩」(我を扶る者は衆生なり)・「師の恩」(我を教ゆる者は師なり)・「父母の恩」(我を生む者は父母なり)を指す。いま仮にこれら四つのものをまとめて世界と呼ぶとすれば、自分は世界によって生かされている者として、自分の人生は世界から与えられたものであり、世界に対して自分の人生を生き抜く責任を担っているということである。


 この自覚は、もはや先の「人生から何をわれわれはまだ期待できるか」という自己中心的な観点ではなく、反対に「人生が何をわれわれから期待しているか」という、いわば世界中心的な観点である。この世界という意味は、自己に対立する意味での世界ではなく、自己の根底であり本質である世界という意味である。前述したように、人生(レーベン)には、自分の人生という意味だけではなく、自分を超えて、しかも自分を内から生かしている世界という意味も含まれている。それ故、「人生が何をわれわれから期待しているか」という観点に立つことは、「世界が何をわれわれから期待しているか」という観点に立つことであり、しかもそれは単なる自己犠牲的・滅私的ということではなく、自己の根底にして本質であるような観点に立つことでもある。

 このように言えば、それは非常に難しく、また抽象的なことのように響くかもしれないが、実はそれと反対に、ある意味では非常に易しく、かつ具体的なことである。

                (中略)

 生きがいとは、自己の内だけから出てくるのではなく、他者から、あるいはより根本的に言えば、自己と他者の根底である世界から出てくるのである。「意味は〔自分によって〕作りだされるものではなく、〔世界の内で〕発見されるものである」(『意味への意志』)というフランクルの言葉はこのことを指している。


  山田邦男『生きる意味への問い――V.E.フランクルをめぐって』(佼成出版社)


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 もやし君をかつて苦しめてきた、あの激しい虚しさの感情すなわち「実存的空虚」の正体については、ここに挙げたの2冊の書物からの引用が最もよく物語っているのであるが、これに加えて、V.E.フランクルの『夜と霧』には、もやし君が人生の失敗者となり零落者となり果てていった当時のメンタリティと関係の深そうなエピソードが他にも記されてあった。



 ……このやがて死んでしまう自己放棄及び自己崩壊と、他方未来体験の喪失との間にどんなに本質的な連関が存するかが、私の目の前で一度劇的に演ぜられたことがあった。私の所の囚人代表は――かなり知られていた外国の作曲家及び脚本家であったが――ある日私にそっと秘密を打ち明けた。「ねえ、ドクター、私は君に話したいことがある。最近奇妙な夢を見たのだ。ある声が聞えて私に何でも望んでよいと言ったのだ……つまり知りたいことを何でもいえば、その声はそれに答えてくれるというのだ。ところで私が何を訊いたかと思うね、私はを知りたかったのだ。ドクター。という意味が分かるかね、つまりわれわれがいつ収容所から解放されるだろうか、従っていつわれわれの苦悩が止むのかということを知りたかったのだ。」彼はいつその夢を見たのかと私は尋ねた。「1945年の2月だ。」と彼は答えた。(当時は5月の初めだった。)そして夢の声は君に何と答えたのか、と私はさらに尋ねた。小さな声で彼は私に囁いた。「5月30日……」

 

 この仲間Fが彼の夢について私に語った時、彼はまだ希望に満ちており、彼の夢の声の言ったことは正しいであろうと確信していた。一方その声によって予言された期限はどんどん近づいてきた――そして軍事情勢について収容所に入ってくる情報によれば、戦線が実際5月の中にわれわれを解放してくれる可能性はますます少くなっていくようであった。すると次のことが起った5月29日にFは突然高熱を出して発病した。そして5月30日――すなわち予言に従えば戦争と苦悩が「」終る日に――Fはひどい譫妄せんもう状態に陥り始め、そして終に意識を失った。……5月31日に彼は死んだ。彼は発疹チブスで死んだのである。


 勇気と落胆、希望と失望というような人間の身上の状態と、他方では有機体の抵抗力との間にどんなに緊密な連関があるかを知っている人は、失望と落胆へ急激に沈むことがどんなに致命的な効果を持ち得るかということを知っている。私の仲間のFは期待していた解放の時が当たらなかったことについての深刻な失望がすでに潜伏していた発疹チブスに対する彼の身体の抵抗力を急激に低下せしめたことによって死んだのである。彼の未来への信仰と意志は弛緩し、彼の肉体は疾患にたおれたのであった。……かくして結局彼の夢は正しかったのである。


 この一例の観察とそれから出てくる結論とはかつてわれわれの収容所の医長が私に注意してくれた次の事実と合致するのである。すなわち1944年のクリスマスと1945年の新年との間にわれわれは収容所では未だかつてなかった程の大量の死亡者が出ているのである。彼の見解によれば、それは過酷な労働条件によっても、また悪化した栄養状態によっても、また悪天候や新たに現れた伝染疾患によっても説明され得るものではなく、むしろこの大量死亡の原因は単に囚人の多数がクリスマスには家に帰れるだろうという、世間で行われる素朴な希望に身を委せた事実の中に求められるのである。クリスマスが近づいてくるのに収容所の通報は何ら明るい記事を載せないので、一般的な失望や落胆が囚人を打ち負かしたのであり、囚人の抵抗力へのその危険な影響は当時のこの大量死亡の中にも示されているのである。


 記述の如く強制収容所における人間を内的に緊張せしめようとするには、先ず未来のある目的に向かって緊張せしめることを前提とするのである。囚人に対するあらゆる心理治療的あるいは精神衛生的努力が従うべき標語としては、おそらくニーチェの「何故生きるかを知っている者は、殆んどあらゆる如何に生きるか、に耐えるのだ。」という言葉が最も適切であろう。すなわち収容所生活のすさまじさに、内的に抵抗に身を維持するためには何らかの機会がある限り囚人にその生きるための「何故」をすなわち生活目標を意識せしめねばならないのである。

 

             V.E.フランクル 訳:霜山徳爾

             『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)



 ナチスの強制収容所という想像を絶する極限状態の中での生活と、もやし君の平和の尊さを忘却してしまったような生ぬるい生活を比較するのは、全く浅はかにして愚かな行為だと言うべきではあるが、しかしながら、この引用から彼が学ぶべき教訓は大いにあるだろう。

 かつて、もやし君は自分の未来をより良いものにしていくために、彼なりに己を高めるための努力を行ってきた。その過程で彼の内面では、ある種の努力信仰のようなものが育まれていった。しかし長い一人暮らしの孤独の中で、それまで彼を支えてきたこの努力信仰は次第に彼を導く力を失い、やがては崩壊するに至ったのだった。

 その当時の彼は、言うなれば、「エゴイズム、ナルシシズム、スノビズムのなれの果て」の姿であった。そして人生の「何のために?」に対する答えをすっかり喪失してしまい、精神的にも疲れ切ってしまった彼は、次の言葉に導かれるがままに、砂漠の中で水を求めてさまよい歩く旅人のような本能を以って「ニヒリズム研究」に着手したのだった。

 

 ……囚人に対するあらゆる心理治療的あるいは精神衛生的努力が従うべき標語としては、おそらくニーチェの「何故生きるかを知っている者は、殆んどあらゆる如何に生きるか、に耐えるのだ。」という言葉が最も適切であろう。



【8】

 以上、引用がずいぶんと長くなってしまったものの、もやし君が長い年月をかけて探究してきた「ニヒリズム研究」における、言わば「さわり」に該当しそうな部分について、これまで言及してきた。

 ここで彼なりに重要だと考えたのは、「」をに捉えるのか、において捉えるのか、において捉えるのか、このによって、「、ということであった。とりわけ「人生」を哲学する上で「世界」の概念を知っておくことは、絶対に不可欠な必須項目である。それなくしては、人生について色々と論じてみたところで、独り善がりで貧弱な議論しか生まれてこないだろう。


 今になって振り返ってみると、彼の独自研究にも何やら体系らしきものが確認されなくもない。ここでは、そのことについて触れてみたい。

 

 もやし君が魂の叫びとともに止むにやまれずして開始した「ニヒリズム研究」は、次のような仮説から始まった。アプローチ方法として「社会分析」と「自己理解」の双方から攻めてみることにした。


 ――彼の胸に巣くう「虚しさ」というものは、まずは彼の置かれた境遇や環境、彼自身の性格特性に由来するものだろう。それに加えて、世間一般によって提示される幸福イメージとの落差が彼の不幸感情をさらに加速させる燃料となる。――


 (ⅰ)「社会分析」については、主に社会心理学や大衆社会論などに関連する文献を

   読み漁った。

 (ⅱ)「自己理解」については、主に実存哲学や宗教に関連する文献を読み漁った。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 彼の「ニヒリズム研究」では、「社会分析」と「自己理解」の双方からアプローチを試みるわけであるが、この両者にも目標としている所がある。その内容についても述べておこう。 


(ⅰ)「社会分析」の目標は、「世間の価値観を相対化する」ことである。


 「世間の価値観」が己の人生を推し量る唯一の物差しとなって、そのためにわざわざ余計な不幸感情を増長させて半ば自ら不幸な状態に陥っているような哀れな人たちが世の中にはいるものだ(まさに、もやし君はその中の一人なのであった)。このようなケースに該当する人たちは、自分にあった物差しを手に入れることによって不幸な感情を軽減させることが可能となるだろう。

 ただし、「世間の価値観」というのは未だに根強く甚だ強固だったりもするので、これを相対化できる物差しを作れるだけの技量を備えた職人の育成、新たな価値観のインフラ整備に相当するような創造活動の支援については、大袈裟に言えば、これは今後の日本における国民的課題でもある。


 価値の多様化が人権意識の向上とともに市民の間に浸透し、情報技術の進化がそれを後押しする形になって、今や自分とは縁のない幸福イメージは、特に文化的素養に恵まれた人たちにとっては単に別世界のものとして簡単に捨象できる時代となった。このことについては、ステレオタイプを唯一の真理だと言わんばかりに押しつけてくる伝統指向型の老害がウザいくらいだが、彼らも年齢的に、もうそんなに長くはないだろう。新しい時代の到来は、もはや時間の問題でしかない。

 とは言いつつも、これは太古の昔から変わることがないのだが、正義と力の関係が本末転倒した狭い世界とルサンチマンしか知らない可哀想な人たちが畜群となって、ゾンビとなり果ててしまった時、それは、これからも未来永劫、依然として市民社会の自由と平和に対する脅威であり続けるだろう。

 20世紀に盛んに議論された大衆社会論は、今となっては学問としては時代遅れになってしまった感があるものの、社会分析ツールとしての意義は未だ全く色褪せてはいない。


 もやし君は「社会分析」のスタート点がフロムの『自由からの逃走』で、それからフランクフルト学派の文献に手を出したりしたので、「ナチズムの心理」に関連した問題については、図らずしてそれなりに知見を得たようだ。


 このことについて、彼は彼なりに思うのであった。

――日常的に身近な所で発生しているようないじめから、民族や宗教などの諸事情

 によって発生する紛争、さらには歴史的な世界大戦に至るまで、その本質的な核

 心といったものについては実は大同小異であって、ほとんど類似した事柄なのか

 もしれない。

――「弱者のルサンチマン」が権力や権威主義と癒着する時、巨大な悪が生まれる。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * 


(ⅱ)「自己理解」の目標は、自己による「世界の見方・見え方」「思い込み」などを

  洗い直し、補正・修正を施すことである。

  

  つまりは「メタ認知」や「内省」といった類の能力を開発することである。


 もやし君は、成功体験というものを全く知らないわけではないが、しかし彼自身としては、「自分は結局のところ、人生の失敗者なのだ」という思いが強かった。

 彼の人生の途上における失敗体験は「己の身の程知らず」によるところが大きい。彼はそのことをひしひしと痛感していた。

 特に恋愛に関する事柄になると、全くその通りだと思われた。このことについては、「あの時、ああしておけばよかった」と後悔するようなことも多々あるものの、しかしその一方で、もし仮に、そこで相手との関係が上手く行っていたならば、彼は「真理」に対しては未だ閉ざされたままで、ただこの世に現象しているだけに過ぎない薄っぺらで浅はかな人生を送っていたのかもしれない。少なくとも「世界・自己・存在」などといった哲学的・宗教的な境地に至るようなことは、おそらく有り得なかっただろう。


 それはさておき、いわば「」から望んでいるようなことについては、であれば、それに行動が伴うことによって実現できる。こういうのは意外とあるように思われる。

「それが本当に自分の求めているものなのか?」「目標の設定に無理はないか?」 

この2点が大切だろう。成功体験の乏しい人は、このへんの煮詰め方が甘かったりするものだ。つまりは、自己理解に乏しいのである。

 われわれは、中国の故事にある、この言葉を銘記しておきべきだろう。


 「彼を知り己を知れば百戦 あやうからず」(孫子)


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * 


 ここで若干の補足を加えておくと、「社会分析」にしろ「自己理解」にしろ、非常な事態に際して露顕して来るような「社会の不確実性」や「自己の不安定さ」に対して自覚しておくことは、大変に重要なことだと思われる。

 「自己の脆さ」については、以前に、もやし君自身の体験談として語ってきたところである。そこでは「自己」というのが結局は、他者や外界との関係性の産物として成立していることが身を以って痛感されたのであった。

 ここでは、もう一方の「社会の脆弱さ」について焦点を当ててみたい。 


「あるシステムの無矛盾性について、そのシステム内から証明することはできない」


 これは「ゲーデルの不完全性定理」と呼ばれるものであるが、これを社会システムに応用してみると、例えば、「しつけ」と称して「虐待」が行われる。暴れて駄々をこねれば問題は解決されるものと思っているバカが一つ屋根の下で一緒に暮らしている。「いじめ」を苦に自殺したとされる生徒が所属していた学校で当局側が「いじめはなかった」と主張する……等々。

 社会がよりドメスティックな環境になっていけばいくほど、第三者が介入しづらくなるので、よりタチの悪いものとなってしまう。そして、それがまた犯罪の温床となって、さらに事件へと発展したりもする。


 社会で起きている様々な問題には、単に社会の中からだけでは解決できないようなものも多く存在しているように思われる。このような問題の扱い方としては、いったん「して、「してみる。

 このような問題解決のアプローチ方法を採用してみるのが有効なケースもあるように思われる。

 とりわけ「については、それをしようとすると、おそれがある。こういうのは人間が普遍的に抱えている問題であるとも言えるが、ここは「人間」を「世界」との関係として捉えてやった方が、より希望をもたらすことが可能になるかもしれない。


 人間がマシーンになるための修業においては、結果を出せることが至上命令となるのだが、人間になるための修行となると、これは「答えを出す」ことよりも「適切な問い(前提)を立てる」ことの方が、もっと大事だったりする。われわれは、このことについても銘記しておくべきだろう。


 以上を踏まえたうえで、「人生の意味や価値」についての「確かな基準」をどこに定位させるのか? このことについて考えてみよう。


 まず、これを定位させる場所が「社会」や「世間」であってはならない。ここは人の上に人を作り、人の下に人を作りしていきながら”平均人”を量産していく工場である。社会を安定させる仕組みではあるが、人情による救済がなければ、そのうちヒトとブタと区別がつかなくなって、市民の自由と平和を脅かす暴力装置として簡単に作動してしまうリスクが絶えず伴う。歴史はそのことついてよく物語っている。

 正義と力の関係が本末転倒してしまって、人類にとって普遍的な過ちを繰り返してはならない。そういう意味では教養は大切だ。


 これまでに、①「世界」と「社会」を区別する ②「世界」の立場から「社会」を相対化する、などの言葉が登場してきた(③「世界」の立場から「世間」を相対化する、も追加しておこう)。これは言い換えるならば、「科学的・哲学的」な立場から「迷信や盲信」を相対化する、と表現することも可能かもしれない。


 また、ここでは「世界」という単語が何度となく登場してきたのであるが、これについても少し説明を加えておこう。この概念は様々な文脈に適用可能であるものの、哲学的な意味内容では、端的に「すべて」とか「一切のもの」とかを指していて、これは現実の森羅万象を超越して、さらに形而上学けいじじょうがく的事象や虚構の世界なども対象に含めてしまうので、かえって全く捉えどころがないものとなってしまう。そういうわけで、それに補足を加えてやると、「それは、」と、そのように定義することができるだろう。

 そして「世界」は、「自己」と対立するものであると同時に、自己の根底にして本質、言うなれば、われわれの「存在の根源」でもある。


 結局は、先に掲出した長い引用文の繰り返しになるのではあるが、「人生の意味や価値」についての「確かな基準」を定位させる場所は、ややもすれば不安定な状態へと陥ってしまう「自己」や「社会」あるいは「世間」であってはならず、われわれの存在において本質的な根拠である「世界」が妥当ということになる。


【9】

 「自己中心的な人生観」から「世界中心的な人生観」へと、言わば「人生観におけるコペルニクス的転換」が成就されると、「自己理解」はそこで「深きいのちへの目覚め」へと深化していく。――これまで己の生活の深さを知ることもなく、ただ単に「豊かな社会」すなわち消費社会によって規定された幸福主義に対して盲目的に追従していただけに過ぎなかった底の浅い人生は、ここにおいて「世界の豊穣」を開く秘鑰ひやくを手に入れることによって、より「深く生きる人生」へと変質することになる。――もやし君の体験談によると、何やらそういうことらしいのだが、これは「豊かな人生」にとっての、一つの在り方を示唆するものであると言えるだろう。


「人間であることは、人間になることであります」(ヤスパース)


 「世界中心的な人生観」から見た「自己理解」は、「自我の立場」から「いのちの立場」への覚醒をうながす。――われわれ一人一人は、ひとつの「大きないのち」の中にある、各々の「小さないのち」である。

 この地点において、有限で儚い存在であるわれわれは「永遠の生命」に触れることとなり、――それは、閉塞的な動物的個我が「大きないのち」に触れることによって「小さないのち」が解放される瞬間でもあるが――そこでわれわれはを得て、それを基盤にして再び新しい物語が始まる。


 もやし君の「心の旅」は何年間にも及んだ。それは「社会化の過程」をほぼ修了した後になって、「個性化の過程」へと続いて行く過渡期であった。


 彼を内的に苛んできた「実存的空虚」「実存的不満」の原因は、彼の内にあるエゴイズム、ナルシシズム、スノビズムに求められるであろうことはすでに述べた。またこれらの性質が強化されていく中では、同時に「自己疎外」の現象も発生しているのである。空虚感や不満感の原因は、突き詰めれば、この「自己疎外」の結果であるとも言えるだろう。

 彼の青年期を振り返ってみると、彼が社会に順応していく過程は、同時に彼の自我(エゴイズム)とペルソナ(よそ行きの仮面)が強化されていく過程でもあった。そしてその途上において、彼は次第に「存在の根源」から切り離されることとなり、そうして「本来の自己」なるものも次第に喪失していった。それは、彼の無意識のレベルで起こっていることで、彼にも全く気が付かないうちに進行していたのだろう。

 ところで「本来の自己」というものが一体何なのかは、おそらく既成の概念として知ることはできないだろう。禅では悟りの境地を「不立文字ふりゅうもんじ」と言い表したりするそうだが、「本来の自己」についても同様のことが言えるだろう。しかし、人生が退屈に思えたり虚しさを感じている時には、それはきっと「本来の自己」に疎外が起きている徴候に違いない。「実存」とは単に観念的・抽象的に解明されるものではなく、具体的な体験によって開明されていくものなのだ。


 もやし君の「自己の探求」の遍歴は、彼の内に起きた「自己疎外」から彼の「本来の自己」を取り戻していく、すなわち「存在の根源」とのつながりを取り戻していく「心の旅」であった。そしてそれは結果として、彼の人生に対する、内的な態度の変化、自己意識の変革、覚醒を促したのだった。


「たとえ全世界を征服し、獲得したとしても、

     自己自身を見失ったならば、なんの益があろうか?」(キルケゴール)


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 もやし君が何年も試みては、結局は、社会心理学的な知識と彼自身を理解する以外には、特にこれと言って有益な結果をもたらすこともなかった「ニヒリズム研究」であった。とはいえ、その中にも有意義な思索くらいはあったかも知れない。

 「世俗的な成功」という意味では、ほとんど人生を棒に振ってしまったとも言えるような、そんな彼ではあったが、それにしても――長い年月にわたって彼をこの独自研究へと従事させてきた、あの情熱は一体何だったのだろう? この研究における「究極の目的」というのは、結局どこを目指していたのだろうか?


 彼の人生における失敗体験は、ある意味で「現実世界における喪失の体験」でもあった。そしてその、言い換えれば「完全性願望の追求に挫折した体験」が一方では、「イデア」を意識化させる契機となったのも確かなことであった。

 つまり、「」は同時に「」でもあったのだ!!!


 「イデア」という語は、通俗的には「理想」や「理念」の意味で使われているのであるが、もともとはプラトンの哲学から出てきた言葉で、そこでは「真実在」という意味で使われる。とりあえず「完全無欠の完璧なホンモノ」くらいな感じに覚えておけばよいだろう。

 「イデア」の対概念は「実際に現象している具体的な事物」であり、これにはどういう単語が該当するのか、そこまでは知らなくて恐縮ではあるものの、とりあえず、これらをセットで覚えておくと理解がより容易になるだろう。


 ところで、「完全無欠の完璧なホンモノ」というのは現実的には有り得ない。

「完全無欠の完璧なホンモノ」は理念的には存在しても、実際に現実には存在することはない。これは、あくまでもフィクションに過ぎない。しかし、理念や理想を欠いた現実は空虚で殺伐としている。


 現実が、事実が、そこまで読めてくると、かえって「理想を追い求めて現実を生きる」という至ってシンプルな人生のスタンスが尊く思えてくるようになる。そうして、そういう生き方に憧れるようになる。そういう生き方がしたくなる。

 また、これは何かに対して素直に胸をときめかせたり夢中になった経験のある人たちついて言えることなのだが、「実際に現象している具体的な事物」が時の経過とともに内面化・抽象化・昇華されて自分にとっての「イデア」となる――そのような事象も実際に有り得る。それは「わすれられない輝き」となって、自己の内面でともに生き続けるだろう。


 そして、もやし君は、これまでの人生経験によって、このことについては大変に良く分かっているはずである。

 いずれにしても、とにかく、要は「ことが最も大切なのだ!


 この地点までやって来て、言うなれば「受動的ニヒリズム」から「創造的ニヒリズム」(新たな価値の創造)へと新たなステージに立つこととなった彼は、もはや「ニヒリズム研究」を続ける必要はなくなったように思われた。彼の関心は次第に「イデアと実存」の探求へと移って行った。そして彼の「心の旅」は依然として続いていた。そうして旅を続ける彼の心の中には、寄せては返す波のように、絶えず一つの言葉が繰り返されるのだった。


「人生で最も重要なことは、自分がそのために生き、

        そのために死ねるような真理を発見することだ!」(キルケゴール)

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