4-03.

 走りながらおもった。


 すべての人間関係は、いずれ終わる。


 涙がだらだら流れた。


 出逢った人とは、いつか、確実に別れがくる。


 駆ける。足元の雨が跳ねる。


 喧嘩別れかもしれない。引っ越しかもしれない。卒業かもしれない。死別かもしれない。でもいずれ全員と百パーセント別れることになる。


 息があがって、涙が雨と混ざる。


 最後には別れるということを最初から知っていて、それでも人は関係を作ろうとする。


 全身を貫くような土砂降りに、感情が掻き乱されていく。


 人間ってわがままな生きもので、今、この瞬間の孤独に耐えないためならどんなことでもしてしまう。


 雨に激しく打たれ撃たれて全身がぐちゃぐちゃだ……。


 ――仕方ねえさ。我々にはな、どうしても誰かのことを好きになりたくなっちまうというプログラムが、強制的に組みこまれているんだ。


 おもう。


 人間は誰かを好きになることでしか、たぶん、自分自身を救済できない。


 雨の日の最適解じゃない春のピンヒールがアスファルトをすべってムーウはおおきな水たまりのうえに派手に転んだ。


 膝から血が出る。でも魔法を使えないのでそのままよろよろと立ちあがった。濡れていたかった。痛くなりたかった。上手に生きられないから、泣いていたかった。


 荒い呼吸を繰り返した。


 この息苦しさが、ふさわしいとおもった。


 ほんとうのところムーウはマスターのことを責められやしないと自分でよく分かっている。


 いつでもひらりと空へ身を躍らせられるように、日々、人間関係を完結させることばかり考えているムーウが、誰かを責めていいわけがなかった。


 そんなこと分かっているから重かった。


 シャノンはいつもちょっと舌足らずな幼めの声を弾ませて、もつれるようにみんなのファーストネームを呼んで、返事があるまで何度でも、しつこいくらいに呼んでくれて、そうやって彼女なりに一生懸命だったんだ。


 なのにムーウはシャノンの学校さえ知らない……。


『この――』


 雨。


『弱虫!』


 雨が降っている。


 降りしきっている。


 その空の真下で、ムーウはあえぐ。


 ああ。


 ――弱虫はわたしのほうだ。


 アスファルトのたいらな道に見える〈フェイク〉でつまずき、また転んでしまって、水たまりにこぶしを振りおろし、弱々しく水面を叩き割りながら、泣いて、泣いて、泣いて、泣くことは無意味だとおもっていても嗚咽はとまらなかった。


 どうしようもなく、ムーウはシャノンが大好きだった。彼女にハマっていた。可愛くて、かわいそうで、的外れに優しくて、もうすぐ死んじゃう女の子を、ムーウはどうしても大切にしたいとおもってしまっていた。


 不意に、ぽっかりと雨がやんだ。見あげると、繊細な花模様のレースが編みこまれた白い傘に、ムーウの上半身は覆われているのだった。


 ポリエステルの花を差しだす手は作りものじみた美しい指先で、長身の使用人は、黒髪も眼鏡もスーツも革靴も濡らし、いつもの器用で冷静沈着な態度はどこへやら、少々動揺した様子で、す、と片膝をついてムーウに左手を差し伸べた。それがあまりにも切羽詰まった表情に見えたから、ムーウは潮時だろうかとおもった。


 そうおもって後悔した。親しくなりかけるたび――厳密には、彼の言動に主人へ向けた親愛の片鱗を見かけるようになるたびに、記憶消去を繰り返して十年以上過ごしてきた。そろそろ次の消去の時期だった。だけど果たして、ムーウの今までの生き方は、正しいものだったのだろうか。


『嫌ならあとで記憶を消去なさいませ』


 すべて消えてしまえと願ってばかりいた、これはそのことの罰なんだろうか。

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