4-04.

 魔法を使う機械、という市場にでまわっていない珍しい機種であるところのユアンが、ムーウを助け起こし、怪我を治し、からだを乾かし、全身の汚れを落とし、アナログアンブレラの傘を手渡したあとに言うのは、


「あの珈琲店の常連のみなさまにあたってみてはどうでしょうか」


 との提案で、ムーウは即座に手帳をめくって、独立装置調律師のトーガへ連絡してみることにした。魔法を使えないムーウがユアンに頼んで〈電話〉をかけてもらうと、


「誰? ……あんたか。社長令嬢。やれやれ悪いけど今弟は不在だよ。そしてぼくはあんたが嫌いだ。トーガがいないときは二度と連絡寄越さないでくれる?」


 理不尽な要求のあと間髪入れず電話は切れた。そうなったらムーウが知っている「常連のみなさま」は あと一人しかいない。


 ムーウは毎日書いている手帳から、日記のテキストデータを頭にダウンロードする。そうして、記憶に残らない特異な体質である彼の外見を「知った」。腰まで流れる白銀の髪と、引きずっている左足、かつっかつっはっきりと音をたてる杖、伏し目がちの紫の瞳、不気味なくらい美貌の、青年。アナログアンブレラの常連客で、第五図書館や講堂で会っていて、普段は魔法史研究室にいると言っていた。


 改めて、ほんとうに教官が記憶から消えてしまっているということをこわいとおもった。


『――こうやって話したところで数日経てば貴方も忘れるだろう』


 教官に言われたことが癪だから彼についてこと細かに日記を書いておいたし、その手帳の該当ページを脳にダウンロードしたのだった。数秒しかかからなかった。少しざまあみろという気持ちになった。技術とは、使うためにあるのだ。


 時間は二十二時をまわっていた。人を訪ねる時間としては非常識だったが非常事態だった。魔法史研究室は冬のエリアにあって、雪を踏んで、浅く足跡を点々とつけて、緩い坂道をのぼったところに、レンガ造りのこじんまりしたお城みたいな建物が姿を現す。


 インターホンを押してください。


 とプレートがかかっていた。


「インターホン……?」


「お嬢さま、このボタンです」


「これなあに?」


「ドアベルですね。建物のなかの者に来訪者のあることを伝えます」


 玄関に〈誰何〉魔法でもかけて学生証を読み取ればいいだけなのに古めかしいことだ、と考えて、此処が魔法史研究室だとおもいだした。なるほど、あの教官が選んだ研究室としてこれ以上似合うものも無いかもしれない。


 ボタンを押すと「ぴんぽーん」と間の抜けた音が鳴った。しばし待つ。誰も出てこない。待つ。まだ誰も来ない。待つ。待つ。気が急いている。なのに誰も出てこない。深まっていく夜のただなかで、反応の無い扉の前に立ち続けることが、徐々に馬鹿馬鹿しくなってくる。


 もう一度インターホンを押す。


「――こんな時間に誰だい?」


「って、なんで社長令嬢がいるの」


 面倒そうにドアを開けたのは二人組の大人だった。ワイングラスを片手に男女が互いにしなだれかかるようにして立っている。ムーウが要件を伝えると、二人して肩をすくめた。


「クォルフォア・G? 俺たち院生のなかにはいないから、ゼミ生かな」


「いえ。教官です」


「教官……!? そんな有名人、うちのゼミにはいないよ」


「でも確かに魔法史研究室だと聞きました。此処のほかに魔法史研究室はありますか?」


「うちしかないねえ」


「似たような名前の研究室はいくらでもあるよ、魔法研究室とか、魔法地理研究室とかさ、社長令嬢さん、聞き間違えたんじゃない?」


「もういいかなあ。遅いし、また今度にしてよ」


「ご迷惑おかけして申し訳ございません。でも大切な用事があるのです。長い白髪で、二十代くらい、杖をついています。こころあたりありませんか?」


「知らないなあ……もういい?」


 男女が困ったようにドアを閉めようとしているのをムーウがどうすることもできず見あげていると、「失礼」突然後ろから声がかけられた。低く、抑揚に乏しい声だ。ムーウも男女も一度その声の主に注目した。


「取りこみ中悪いが。入るのか? どくのか?」


「えっと……」


「会話するのは自由だ。だがドアを塞がない場所でやれ」


「はあ……」


 三人とも妙に納得してその冴えないスーツ姿の青年に道を譲る。そして会話に戻る。「社長令嬢さん、もうこれ以上教えられることがないからごめんね?」とカップルの男性のほうが言った。


「もしその人を見つけたら連絡するからいいかい? ポータルサイトからメッセージを入れるよ。学籍番号だけ教えてもらえる? ポータルで検索できるようにさ。そんで、今夜はここらで……」


 ユアンがかすかに笑ったのでムーウはびっくりした。


 雨はまだやみそうになかった。土砂降りの音がそこらじゅうに充満していて、濡れた地面や草木の独特な匂いがたちのぼっていた。魔法で作られた雪の絨毯は雨に少しずつとかされていく。春のつるりとしたピンヒールの爪先が痛いほど冷たい。


 ひゅ、と風が鳴った。


 普段は人に話しかけられない限り表情をほとんど見せないユアンが、やわらかく微笑しつつ言う。


「クォルフォア教官、少々お待ちいただけますでしょうか」


 ムーウも男女もきょとんとしてユアンを見つめた。雪の濡れる音が沈黙を埋める。そうしてユアンの視線の先、今三人の横を通り過ぎて建物に入っていった冴えない青年の後ろ姿を、みんなで見た。青年は何故か軽く左腕をあげ、耳元あたりでペンを一本、人差し指と中指で挟むようにして持っていた。その姿勢のまま気怠げに溜め息をついて、振り向いた。


 これまでに見たことがない美貌の青年だった。こんな人間が現実に存在しているということにちょっと驚くくらいの容姿と、そこにアンバランスな危うさを感じさせる杖が、なにもかも不自然に影が薄かった。青年の動きにあわせて、透けるような白銀の髪がさっ……と広がった。彼は手に持っていたペンを緩慢にユアンへ放る。


「――突然背後から銃弾のような速さでペンを投げてくるとは、面白い護衛だな、八十二番」


 世にもつまらなそうな口調でクォルフォア・G教官は言った。

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