Part.4 傷痕。

4-01.

 どうしても消したくねえもんがある。どうしても消えてくれねえもんもある。


 難儀だよなあ。


 かみさんにはこんな姿見せられねえや……。


       ◆


 物事の関係性を奪う、そんな性質を魔法が有するということについて、最初に気がついたのはリアナ・K博士という人物だったらしい。ほんの数十年前の話だ。


 当時紅龍国立学園の技術科学生だった彼女は、うまれつき魔法分子をからだに受けつけられない「音無し」と呼ばれる体質で有名だった。


 魔力を持つことができない唯一の人物だからこそ、魔法を使う周囲の人々について冷静に観察する視点が得られたのだろう。魔法は関係性を奪い、そのことを人間は認識していないという論文を発表した。


 機内食は地上の料理より味が濃く作られるそうだ。気圧や騒音などによって味覚が約二、三十パーセントの影響を受けるので、地上で食べて美味しい料理は飛行機のなかで味が薄く感じられてしまう。


 数十分間乗る程度の飛行機ならば味覚の違いを体感できるけれど、魔法の普及とともに世界全体が数百年かけて徐々に物事の関係性を失っていったので、リアナ・K博士がその説を提唱した当初は誰もが笑い飛ばしたという。


 論文が発表されてから人々は非魔法料理の味を取り戻そうと躍起になった。珈琲や紅茶に魔法抽出士という専門職が作られるようになり、料理本が〈拡張〉や〈強調〉〈味覚刺激剤〉などの魔法見本だらけになった。ほかにも音、色、触感、人間関係などについて現代人がどんなに鈍感になっているのか、昔の文学や映像作品をもとに研究する人が続出した。


 人々は現在、昔のあたたかい人間性というものをなくしているのだとムーウは感じる。


 魔法も電動式機械も無かったくらい大昔の、子どもを地域の大人たちが一丸となって育てていた時代について、本で読んだことがあった。自分の家族じゃなくても町全体で子どもを諭したり叱ったり守ったりするのがあたりまえだった時代から、どんどん個人主義になって、核家族化し、そうして魔法分子によって他者への関心が奪われるようになった。


 十歳の一日目に一日中座っていた黒い革張りのソファーをおもいだす。数百人の従業員が毎日出入りする建物に住んでいても、ムーウが父親にされていることに気がついた人は一人もいなかった。


 社長令嬢としてこうも有名なノクテリイ嬢でさえ、平然と五年間もグリクト不携帯を続けていられるほど、誰も他人に関心を持たない。


 ――そういうかなしみを知っているわたしだからシャノンを見つけだせる。そう願った。


 この無機質な時代に、あの子が記憶をなくして独りで泣いていることをおもう。絶対に探しだしたいとおもう。


 でもそれは予想より難しいことだった。




「えっと……シノ・Sさんですね……昨日退院されているようです」


 ムーウの〈睡眠〉が解かれて退院の許可をもらったのはあれから三日後だった。その頃にはもうシャノンは病院からいなくなっていた。


「わたしより早く退院したんですか? そんなはずありません」


「いえ、いつもの発作の処置をされてすぐ退院なさっています」


「いのちにかかわる状態だったはずですが?」


「ですから、いつもの処置以上のことはできずお帰りになっています」


「シャノンの学校と学年を教えていただけませんか」


「申し訳ございません。個人情報をお教えすることはできません」


 知らなかったということを、ムーウは知らなかった。シャノンがどこの学校のどの学科なのか、そもそも学生なのかすらちゃんと聞いたことがなかった、そのことに、今までおもいいたりもしなかった。


 この学園都市にはおおきな学校が三つもある。ムーウが所属している国立学園だけで、学生と教員をあわせると五千人ほど在籍していて、それが三つだ。広い都市のなかをどう探せばいいのか見当もつかなかった。ムーウは急いでアナログアンブレラへ行くことにした。


 しかしたったそれだけのことに大変苦労する羽目になってしまったのだった。右手首に怪我をしていて、しばらく魔法が使えないからだ。空中ディスプレイの地図を起動できないし、お店へ無理やり〈瞬間移動〉することもできない。かと言って〈フェイク〉だらけのオフィス街を地図なしで歩くのはムーウにとって無謀な話だった。


 愕然とした。


 魔法がなければ行きつけの珈琲店へ行くことさえままならない。


 仕方なくいつも持ち歩いている革張りの手帳をめくり、アナログアンブレラの階段に貼った〈タグ〉魔法のコード履歴を引っ張り出すと、そこからユアンに地図で検索してもらって珈琲店を見つけだした。なんでもかんでも几帳面にメモをした手帳が役に立ってほっとする。


 〈フェイク〉に惑わされて散々迷いながら、やっとお店にたどり着いたのは二十一時をまわった頃だ。


 歩き疲れて棒のようになった脚に〈治癒〉を軽くかけたかったが、魔法を使えないので諦める。


 人一人通れる幅の階段を地下へおりていった。樫の重たいドアを押し開くと、今日はマスターが一人でカウンターの内側に座ってPCをいじくっていた。


「お、いらっしゃい。嬢ちゃん、今日もブレンド珈琲か?」


「教えていただきたいことがありまして。ブレンド珈琲をお願いします。ユアンはどうする?」


「おこころづかいありがとうございます。私は外におりますから――」


「ブレンド珈琲二つ」


「おう」


 ムーウはほんの少し立ちどまってアナログアンブレラをゆっくりと見まわした。


 ――いろいろなことがあった。それなのに此処は変わりがない。


 流れるCDのピアノのバラッドも、壁にかけられた額縁のモノクロ写真も、壁一面を覆う本棚も、玄関に立てられた色とりどりの傘も、店内の隅々にまでしみこんだ珈琲の深い香りも、セピア調で撮るのがいっとうピントのあいそうなアナログアンブレラは、最初来たときから少しも変わっていない。


 ムーウはマスターを見た。顔におおきく走る傷痕を見つめる。


「マスター。ここ数日シャノンが来ていないのではありませんか」


 外へ行こうとするユアンの袖を引っ張ってカウンターチェアーへ座らせ、ムーウも隣に座った。


「そうだな」


「無断欠勤してるのを怒らないでくださいね。事情をお話します」


「必要ねえよ」


 マスターはペーパーフィルターを取りだす。やかんに水を汲み、火にかける。ドリッパーやカップを並べる。必要が無い? ムーウはうまく事態をのみこめない。彼は顔をあげずに言う。


「また発作が起きたんだろ」


 ムーウはカウンターへ身を乗りだした。


「なら話は早いです……! わたしはシャノンを探しだして此処へ連れてきたいとおもってます。アルバイトをしてるのだからこのお店にシャノンの連絡先がありますね? 教えていただけませんか」


「それはできねえな」


 コリコリと風情のある音を立てながらミルのハンドルをまわしている、マスターは顔をあげない。機械的にハンドルをまわす。一定の速度でコリコリと音が鳴る。やかんが沸騰しそうになっている。マスターは淡々とハンドルをまわす……。


「――え? 何故教えていただけないのでしょう」


「個人情報を教えるっつーのはちょいとな」


「そういう問題ではないですよね? あ、シャノンの記憶安定装置についてご説明しますね。シャノンは新しい魔法がかからないくらい大量の装置をいつも使っていて、発作のとき〈生命維持〉のためにどれか外さなくちゃいけなかったから――」


「また記憶をなくしたんだろ」


 俯いたままマスターが言った。

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