3-07.
美味しい紅茶を作る水はずばり水道水だ、とシャノンは言った。勢いよく蛇口から流れでる水をやかんに汲み、火にかけると、ティーカップをカウンターへ並べてゆきながら歌うように続ける。
「ティーカップは浅めで飲み口が薄くなってるんだ。珈琲カップは深さがあって口が狭いかたちしてるんだよ。なにが違うかというと、紅茶はよく沸騰させたお湯ですぐ淹れるから熱くて飲みづらいの。だから冷めやすいカップのかたちになってる。珈琲はお湯をちょっと冷ましてから淹れるでしょ? 熱を逃がさないかたちになってるっていう違い。ナモにティーカップ買ってもらったんだ。紅茶は
あらかじめ沸かしてあったお湯でカップやティーポットをあたためていく。何度も練習したのだろう、真剣なまなざしでやかんを持つ手はしっかりとしていて、非魔法で紅茶を淹れることに慣れて手順に迷いがなく、いつもアルバイトだと言いながらもただマスターの淹れたカフェモカを飲みながらぐうたら過ごしているあの女の子だとはおもえない。
必死に説明しつつ手を動かすシャノンに、コトナが笑いかけた。
「……どんなひと?」
「ひゃあ! な、な、なんのお話でしょうかっ……」
マスターが背後の棚から茶葉の袋をだしつつ「珈琲店のバイトなのによおなぜに紅茶しか淹れられんのだ?」とぼやいた。シャノンは紅茶用のお湯が沸くのを待つあいだレモンを切り始める。もごもご言っている声がピアノのバラッドに掻き消されていく。
「んん? 聞こえないなあシャノンちゃん」
「う……えっと……たまにしか来てくれなくて……来てくれるたびにもう会えないみたいに『さようなら』って言って帰ってっちゃうひと……」
「えええっ、なにそれ切ない」
切り終わったレモンを脇へよけておき、「今日はレモンを入れるからちょぴっと紅茶を薄めにしますっ……」まるいティーポットにキャディースプーンで茶葉をはかって入れていく。そしてよく沸騰したお湯のぽこぽこ泡立っているのを高い位置から――ポットへ注いだ。
「で、どういうとこが好きなの?」
「……あわわわ! 紅茶は! 茶葉をジャンピングさせるために酸素を多く含んだお湯で……」
わたわたとポットに蓋をしてティーコジーをかぶせ、砂時計を引っくり返す。あとは茶葉を蒸らすために数分待つだけとなり、さてこれからが本題だとばかりにコトナが身を乗りだしたので、急いでシャノンが叫んだ。
「そ――そんなことよりお姉さん! お姉さんは元気になりましたか!?」
砂時計の砂が下へ沈んでいく。少しずつ下に山を形成していく。ガラスに閉じこめられて音をたてず、視覚的に一秒を一秒ずつ沈ませていく……。
急にみんなが黙ったので高音のピアノがひときわおおきく響いた。
「……うん、元気になったよ。あんなに泣いちゃって恥ずかしいな。ほんとにありがとうございました」
ムーウは書いていたレポートから視線をあげてコトナを見つめた。
「簡単には解決しない問題なのではありませんか」
「それは、そうなんだけど。でも私あのときはいっぺんにいろいろあってキャパオーバーになってたみたいで、ここでたっくさん泣いて、あたたかい珈琲を飲んで、家に帰ってぐっすり眠って、それからよく考えてみたらさ、私の人生の六分の一しか一緒にいなかった男のために人生をぜんぶ否定することなかったんだなあ、って分かったの」
目を閉じ、そっと手を胸にあてる。
「まだ嫌いになりきれなくて、私の胸のなかに、愛していたひとの居場所があって、そこが無人になっちゃったのがまだ、信じられなくて、散らかってるの……彼専用の場所を早く消してしまわなきゃっておもうのにな」
マスターがかすかに笑った。
「そいつぁ、消えねえよ。胸にいつまでも残り続けるさ」
「……つらいな」
「そうだなあ。つれえなあ」
「……どうしてあんな人のことなんか、こんなに好きになっちゃったんだろう」
「仕方ねえさ。我々にはな、どうしても誰かのことを好きになりたくなっちまうというプログラムが、強制的に組みこまれているんだ」
砂時計が落ちきってシャノンはストレーナーをカップにかざす。茶葉をこして三つのティーカップへ順繰りに注ぎ分ける、その手つきの優しく切ない様子にムーウはおもう。
『……このバイトな、好きな男が紅茶好きだから淹れ方を覚えたそうだぞ』
深くこの子は恋をしている。そんなふうに日常へ没頭できるシャノンに対するささやかな嫉妬心を自覚して、ムーウはまた自分を嫌いになった。コトナだって同じだ。――簡単に救われることができるのは二人が幸せだから、でしょう?
うまれてきた時点から存在そのものを拒絶されたことが無いからなのでしょう?
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