2-05.
◆
「うっそだろおおおおおおなにしてんだよムーウちゃんんんん」
「え、行くの? マジで罰則行くの? やめときな、殺されるよ」
「自分がおもうに今行っておかないと後日確実に余計殺されるっす」
「お前余計殺されるってどういう状態だよ」
「だって、いやいや、だって、えええ!? ほんとムーウちゃんってどんなキャラ!? 涼しい顔してなにやってんの!?」
「涼しいだけじゃなくてとてつもなく可愛い顔なんだよなあ」
「社長令嬢ちゃんマジウケる」
「あの瞬間にさ、あの教師をだよ、引っぱたいたわけだよ、な? どうかしてる。一応確認だけど、俺の頭がおかしいの?」
「おかしいのは社長令嬢さんでしょ」
「君らあの教官をビンタしようとおもったこと、ある?」
「あるわけないだろバカ」
「普通ないよね……」
「しかも図書館のど真ん中で、大勢に見られながら」
「ないってば」
とかなんとかかしましい言葉に見送られて、学園説明にキャンパスの案内、履修登録方法、マナー研修など本日のガイダンスが終わったあとちょうど約束の時間が近かったのでムーウは校門へ向かうことにした。
春とはいっても夕方はまだ肌寒く、ジャケットの前ボタンをとめながら校門へ急ぐ。
待ちあわせ場所で教官はおおいに目立っていた。優雅に校門に背を預けて紙版本をゆっくりめくっている。通りかかる学生たちが教官を二度見して、
「あれっ、誰だろうね……」
「芸能人?」
「あんな人この学園にいたっけ」
「恋人を待ってたりして!?」
声をひそめて囁きあうのが結構無遠慮に聞こえてくる。まるで、教官という有名な地位にいて衝撃的な名乗りもしてしまうこの人を学園の誰も知らないかのようだ。
違和感を覚えつつムーウは会釈した。
「お待たせいたしました」
クォルフォア教官は無言で本を閉じ軽く頷くとついと歩きだした。慌ててついていく。
日の長くなってきた四月の初め、外はまだ明るくすっきりとした碧空がどこまでも続いている。校門を出たところは学園都市のにぎやかな往来だった。軒を連ねる雑貨店やレストラン、ファッションショップなどが放課後を自由に過ごす人々で混んでいた。そのどれにも目をくれず教官は闊歩していく。小走りでないと追いつけなくてムーウはとにかく置いていかれないよう急いだ。
ヒールと杖の音だけが二人のあいだに鳴っている。進むほどに人通りがなくなっていき、閑散とした道に〈フェイク〉魔法が増え始め、〈セキュリティー〉にはじかれる経験をあまりしてこなかったお嬢さまであるところのムーウは道が分からなくなってくる。
学園都市を離れ灰色のビルが密集したオフィス街をしばし歩いた頃にふと黒い傘が脳裏をよぎった。押しつけられて受け取ったけれど高い借り物をしたまま飛び降りられない、とおもった、あの黒い傘。
『ふむ。迷うのは貴方の自由だ。だが階段を塞がない場所でやれ』
第五図書館で教官を見つけたときにムーウが言った言葉をおもい返す。お初にお目にかかります。N・ムーウと申します。おうかがいしてもよろしいですか、クォルフォア・G教官――。
足早に歩いていた教官が振り向いた。軽く息を弾ませてなんとかムーウは追いつく。行き先が分かった。どうして忘れていたんだろう。
「……教官っ……」
追いついて、ちょっと呼吸を整えて、教官が無表情でムーウの言葉の続きを待っていて、看板も案内もなくてお客さまがくることなど想定されていない冷たい街並みの、碧空に浮かびあがるような高層ビルの足元で、なんと言ったらいいのか分からないから、率直に頭をさげた。
「教官、ごめんなさい……!」
行くのはアナログアンブレラだ。この人がこんな歩調で一人階段を降りていってしまったのを追いかけたんだった。帰りもそうやって〈フェイク〉のなかを彼に送ってもらった。そうだった。
同時に、つまらない昔のことをおもいだした。父親を待っていた日のことだ。社長室から一番近い応接室で一日中父親を待っていた。そして父にとって子どもはいないものとされているのだと気づくしかなくて、泣いた。あのときに自分のたましいと契約をしたのだ。
いないことにされるのはもう嫌だ。誰かをいないことにするのも嫌だ。わたしだけはどんな人のことも見つけるんだと。
どうして忘れていたんだろう。入学式の前日、階段の前で、クォルフォア教官に声を掛けられていなかったらムーウはもうこの世にはいなかった。それほどムーウにとってはおおきな出来事のはずだったのに。
「教官、アナログアンブレラで会っていたのに気がつかなくてほんとうにごめんなさい。大変失礼をいたしました」
「急にどうした。そんなことで謝る必要は無い」
ムーウが追いついたのを見て教官がまた歩き始める。ムーウは泣きそうになった。もう疲れきっていた。何年もこころがぐらぐらとしていてちょっとしたことで涙がでそうになる。ずっとこうなのかな。
一生こんなふうに生きていかねばならないのかな――。
「教官にとっては『そんなこと』だとしてもわたしにとってはそうではありません。あの珈琲店へ行くのですよね? 一昨日も店内ですぐ隣に座っていたあなたに気づかなくてわたしあんなに謝ったのに、今日の図書館でも」
教官がまた振り向いた。完全に表情のかたくなっているムーウを見おろしていぶかしげに首を傾げる。ムーウは泣きださないよう目にちからを入れてこらえた。微笑もうとしたが、できなかった。
「……罰則と言ったが別にたいしたことはない。怯えるな」
「そうじゃありません。わたしは、」
「新入生だろう。新しい人とばかり会っていればそのうちの一人くらい忘れることもある。謝る必要は無い」
「そうじゃありません……」
ああ、これ以上はどれだけ言葉を尽くしても伝わらない、と瞬時に理解して、ムーウは口をつぐんだ。
◆
社長室から一番近い応接室でずっと父親がやってくるのを待っていた日のことだった。父親を待ったのはあとにも先にもこの日だけだった。
普通の家とは違うということはもうすでに分かる年になっていた。小学校四年生だった。父親は会社のためにとても忙しいから友だちの家のお父さんみたいに子どもに構っている時間なんてないんだ、と子どもながらに納得していて、そんな父のために、その日は社長室から一番近い応接室を選んで待っていることにした。
秘書にお願いして其処で待っていることを父に伝えてもらった。忙しい社長がいつ時間を作れるか分からなくて、前日の夜から一日中待っていた。
大人が仕事に使う応接室は十歳になって一日目の少女にはつまらない場所で、黒い革張りのソファーに行儀よく座って教科書をめくりながら退屈で仕方なかったけれど、いつ父親が部屋にやってきてもちゃんといい子に見えるよう勉強をしていた。
十歳の誕生日というものは魔法社会で特別な意味を持つ。
急成長する子どものからだにあわせたグリクトは十歳になるときに期限が切れてしまうためだ。一生使う永久用グリクトを親がプレゼントするのが慣例だった。
どの家でもそうだったから、今まで父親に誕生日を祝ってもらったことがない少女も、十歳のときだけは違うとずっと考えてきた。
覚えている限り、一回も話しかけてくれたことの無い父親。ものごころついてから何年もその日を待っていた。
だって法律だから。
犯罪者になっちゃうから。
さすがの社長でも今回だけは法を守ろうとするとおもった。
待って、待って、待って――食事も睡眠もとらず二十五時間ほど待って、やっと、自分の父親は娘の十歳の誕生日を祝いには来ないのだと理解した。
それ以来ムーウはグリクトを持っていない。緊急救命自動発動型移動シールド装置。母親が残した子ども用グリクトは十歳の誕生日に期限が切れ、そのあと誰もムーウに永久用グリクトを用意してくれなかったし気にかけて質問してくれたり点検してくれたりする人もいなかった。通りがかりの軍人や警察、プロの装置調律師に偶然見抜かれて咎められるということもなかった。
誰も、緊急時にムーウのいのちが助かってほしいとは願わない。
だからこそムーウだけは他者に対しそんなおもいをさせたくなかった。たとえ相手が気にしていないのだとしても、自分だけは誰のこともいないことになんてしない、どこにいても見つけだしたい、と十歳のときのちいさなたましいに刻んだ。
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