2-04.

 瀟洒なレンガ造りの建物には研究棟やら講義棟やらサークル棟やら様々なものがあり、小道も似たような景色がぐねぐね続いて複雑極まりなく、魔法抜きの移動は想像以上に手間であることが歩きながら次第に分かってきた。しかも〈箱〉とか〈スポット〉とか呼ばれる、〈瞬間移動〉のための小部屋がちゃんとどの建物のどの階にも用意されており、魔法を使ってはいけないという感覚があまりなかった。


 不満そうな会話がされているなかで、ムーウはそれでも魔法を使わない生活に憧れを抱いた。有名すぎる会社が実家だとそこかしこに〈セキュリティー〉が作動していて自分の家を歩くだけで魔法の気にあてられて酔うのだ……。


 此処は空気が澄んでいる。気持ちよかった。第五図書館へ向かいつつ、ムーウはちょっとだけこの学園が好きになっていた。


「はあ? 次、第五図書館かよ、図書館何個あんだよー……」


 先生に連れられて小道を抜けると重厚な年季をレンガに刻んだような壁が現れた。文学館、とプレートがはめこまれている。案内してくれていた壮年の女性教員が、


「これは今まで行った図書館とは違って、魔法科学の難解な研究用の本だけでなく小説なども置いているから、人文科のみんなも興味を持つことでしょう、せっかくだから本を借りるのもよいですね」


 と少し時間を取ることになってみんなでわらわら入館した。自動ドアを抜けると胸元のピンバッジが認証の音を鳴らす。


 これまで案内されたてきた近代的な建築物とは趣が違い、一昔前のファンタジー文学に登場しそうな、つまり第一次魔法期以前の人たちが考えた魔法の図書館というものを彷彿とさせる、古めかしくて新しい独特な世界観だった。


 壁が見えないほどぎっしりと並んだ背の高い本棚、宙に浮いた傷だらけの梯子や革表紙の本、行き先によって方向を動かすことのできる階段、ブックマーカーとかメモ用紙とかがたくさん飛んでいて、あちらこちらに羊皮紙が広げられ、羽ペンが勝手に動いてインク壺と羊皮紙を往復しつつなにか書きつけており、日時計や、なにに使うのかよく分からない秤、透明な天然石のなかが夜の空のオーロラのようにゆうらゆら動いているペーパーウェイト、ひとりでにまわる精緻な天球儀などが、吹き抜けになった図書館の中央部分から、豪奢なステンドグラスのはめられた絵画みたいな天窓のひかりに照らされていた。


 おもわず入口に突っ立って五階建ての図書館を見あげる。


 なんて無駄ばかりの魔法だろうかとおもった。


 同時に美しいとおもった。


 この図書館全体の維持に気の遠くなるような数の魔法が書かれているのは一目見れば分かった。それでいて別に効率的になっているわけじゃない。ただ、美しい。


 美しさとは、無意味を黄金比で並べて束ねたものだ。


 美しさは美しさとして孤立しているからほかに繋がる価値が無くて、美しいということに意味を見いだせなければ、途端に無意味になってしまう……。


 美しさは我慢だ。不便だ。我儘だ。それでも美しさは人に愛される。


 この星は美しいが無意味だ。


 生きているということもそうだ。


 なんだか涙がでそうだった。そんな感情で彼を見つけたのでムーウはこの行動に出ることにしたのかもしれなかった。


 入口からすぐ見えるロビーの新しい本が置かれたコーナーに、例の教官が白銀の透けるような髪を耳へかける動作をしながら立っていて、黙々と、紙の本へ視線を落としていた。杖は隣の本棚へ立てかけ、右足に重心を置いて両手でページをめくっている。


 長いまつげ、伏せた目の紫色の瞳がステンドグラスの陽差しを受けてどこまでも深く、深く……秘密めいた色をしていた。だからなのかもしれなかった。分からない。ただムーウは吸いこまれるみたいに最初からそうすることが決まっていたという感じで青年の前に立った。


「お初にお目にかかります。N・ムーウと申します。おうかがいしてもよろしいですか、クォルフォア・G教官」


 図書館はもとより静謐だったがムーウの発言によりこれまでとは違った張りつめた静けさが広がる。


 青年は最小限の動きで視線をあげるとムーウを無感動に見つめた。なんとなく話しかけづらい雰囲気のある人だけれど、彼は視線で先を促してきた。なので続けた。


「先ほどは何故あのような行動を取ったのですか」


「……先ほどとはいつか。あのようなとはなんのことだ?」


 低く平板な声で答えてムーウの人文科一年一回生のピンバッジに目をとめる。視線を戻した。


「なるほど。新入生ガイダンスの際に名乗ったのは優秀で積極的な学生を手っ取り早く見つけだすためだ。まわりくどいことは嫌いでな。私なら教官という立場からどのような就職先にも口添えができる。ちからを持つ学生には相応しい場所を用意してやるのが私の仕事だ」


「それはいのちをかけなければできないことですか」


「ほう?」


 教官がわずかに目を細めた。彼の声には人をひるませるような圧力がある。ムーウは構わず一言一言を丁寧に区切って続けた。


「もう一度おうかがいします。先ほどは、何故、あのような行動を、取ったのですか」


「そうだな……、退屈しのぎのためだ」


「しのげていますか」


「ああ。おもいがけずな」


 ムーウはひとつ頷くとジャケットにとめられた自分のピンバッジを外した。教官を見あげる。ムーウ自身気にしていることだったが身長が百四十二センチメートルしかないムーウはいくらハイヒールをはいているとはいえ長身の教官とはずいぶん身長差があった。


 外したピンバッジを教官の近くの本棚に置くと、


「学生証を提出いたします。では少々失礼します、」


 左手で教官のネクタイをつかんで引き寄せ、


 右手で彼の頬を打った。


 図書館に乾いた音が響く。周りが息をのむのが分かった。杖を本棚に立てかけたままだった教官はムーウに引っ張られてバランスを崩し、本棚に手を置いてからだを支える。そのかん表情は動かなかったしムーウもなにも言わなかった。


 気が済んだのでネクタイから手を離して改めてピンバッジを教官に差しだす。彼がいぶかしげに首を傾げた。


「……で、八十二番、貴方のしたいことはそれですべてか? 平手打ちだけでは就職先を世話してやることはできんぞ」


「はい。これですべてです。わたしは教官に腕試しを挑んだのではありません。あの講堂で〈高等証明〉をさりげなく無詠唱で書いてみせる人に、戦闘や魔法実技で戦おうという気は起きません。そんなことはご存知だから抵抗なさらなかったのでしょう? わたしはですね。あのときの愚かな名乗りに怒っています。学生証を提出いたしますので減点してください」


 毅然と睨みつけると教官が初めてかすかに笑った。


 吹き抜けからこの騒ぎは五階ぜんぶに響き渡っていて、図書館中の空気が凍りついている。


 教官はピンバッジを受け取ると容赦なく十点差し引いた。点数とは、年度末に一人一人集計されるもので、高いほど評価されるがマイナスだと留年することになる。ムーウは持ち点がまだゼロだったのでこれでいきなりマイナス十点になった。


 だが教師を殴ったにしては控えめな減点だったのに驚いた。これなら数日から数週間で易々と挽回できる。


「――罰則。本日夕方五時に校門まで来い」


「かしこまりました」


 答えてムーウはさっさと図書館から出て行った。

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