2-03.

       ◆


 キャンパスは緑にあふれていた。


 時間の流れを感じさせるような、レンガ造りの瀟洒な建物が立ち並び、そのあいだを石畳やレンガの緩い坂道が繋いでいて、ところどころ木陰には木製のガーデンベンチが置かれていた。


 まるで庭園をゆったり散歩しているみたいだ。桜が満開になった区画もあれば金木犀が香る区画もある。四季折々の花が咲き乱れるなかを先輩たち学生がおもいおもいにベンチや〈レジャーシート〉で過ごしていた。


 新入生は学籍番号順で分けられてぞろぞろとキャンパス内を巡っていた。ムーウは人文科の後半グループだ。講堂で一緒に喋っていた周囲の席の人たちも学籍番号が近いので同じグループになり、蝶や小鳥の飛び交う石畳道を歩きながらかしましく会話を続行していた。


「あの瞬間にさ、あの教師をだよ、呪い殺せる資格を持つ奴がこの星に三百六十人いることになったわけだよ、な? どうかしてる。一応確認だけど、俺の頭がおかしいの?」


「おかしいのはクォルフォア先生でしょ」


「君らフルネームを名乗ったこと、ある?」


「あるわけないよ! 親にもないもん」


「普通ないよね……」


「しかもマイク使って、大勢に名乗ったことは」


「ないってば」


「わたし旦那にも名乗ってない」


「先生を呪い殺せる人が三百六十人、ってさっきゴウ君が言ってたっすけど、あの先生慣れてる気がしたのは自分だけっすか?」


「それ俺もおもった。名乗るの初めてじゃないよなあれは。三百六十人どころかさ、毎年三百六十人ずつ増やしてそうなオーラだわ……」


「ねえねえちょっとアンタ、ダンナに名乗りしてないってマジ? 国営チャンネルによると結婚時に名乗りをやんないカップル増えてきたらしいってほんとなの? 親に反対されない? ウチも結婚んとき名乗りやりたくねー」


「おっ、結婚間近? お相手は?」


「名乗りやんなくても怒んない彼氏ほしー」


「そこからかよ」


 はらり、と梅の花びらがそよ風に吹かれて目の前を舞い降りてゆくのをムーウは見るともなしに見ていた。そうしてこの数日間のことをおもい返していた。


 やわらかな風に包まれ、桜の花も満開となり、ようやくあたたかな春が訪れました。今日のよき日に、わたしたち三百六十人は紅龍国立紅龍学園へ入学します――。


 ハウリングする電動式機械のマイクに落としこんだ挨拶文と、涙が涸れるほど泣いてそれを書いた夜と、飛び降りるつもりでライティングビューローに置いていった入学辞退届と、知人のいる葬儀社に予約の電話を入れた夕方と、それで、これから始まる新しいキャンパスライフと。


 あたたかな春が訪れたことの象徴であった桜の花は今こうして金木犀や梅とともにキャンパス内で一年中咲いていて、あの挨拶文を読む側も聞く側もそんなことは周知で、入学式の挨拶なんて中身の無い定型文でしかなく、このキャンパスで送る学生生活も定型でしかない、決まりきった挨拶を交わして、つまらない授業を聞くだけの、どこにでも転がっていそうなからっぽの定型的人生を送るのだろうか。


 そんなことのために今歩いているのだろうか。


 どうせ人間は最終的に死ぬのに?


 新品の死体になるためだけに、中古品の人生を購入してしまったという感じだった。


 なら終わるのをほんの数日延ばすことになんの意味があるのだろう。


 分からなくて、苦しくて、今すぐやめてしまいたい気持ちで、梅の花びらが石畳に落ちてゆくのを眺めていた。


 ムーウが喋らなくてももともと無口な人物として社長令嬢は有名であったので誰も気にとめない。結婚のことや、先生の名乗りのこと、図書館が遠くて困ることなど、明日があたりまえに訪れるのを前提とした若者たちの話題は尽きなかった。


「――えっ、君ら、覚えてないの? あれ教官じゃん。義務装置の点検をしてた」


「教官? 学園に十人しかいないあの有名人の一人? それぞれ学問の権威であるという、あれ? じゃあ普通に名前検索したらいくらでも記事が出てきそうだな」


「そうだよ。忘れたの? 君らも俺と番号近いんだからおんなじ教官に検査されたんじゃないか? ほら、俺たちの列はあの教官が見てくれたんだよね、ムーウちゃん?」


 いきなり話を振られてムーウは驚いた。微笑を浮かべ、


「昨日は入学式の挨拶で緊張していたので、実はよく覚えていないんです」


 これは事実だった。昨日グリクトの不携帯を見抜かれて衝撃を受けたが担当の教官など忘れてしまった。さほど特徴のある人物ではなかったような気もする。


 でもそんなことみんなもどうでもよくて、ただそこで共通の話題で盛りあがりたいだけだった。


「えーっ、社長令嬢さん緊張してるように見えなかったよマジで!」


「ねえ次、第三図書館だって、図書館何個あんだよ」


「検査と言えばゴウ、引っかかってたよな、だっせー!」


「だって簡易シールドだぞ、ガキの使うもんだ、あれを義務指定した学園がおかしい」


「ゴウの直前に社長令嬢さんも引っかかってたけど、ださいなんて言っていいのかな?」


「げっ……! け、検査に引っかかることもあるよな、うんうん! まったくもってださくないよな!」


「変わり身の早いヤツ」


「やったー俺はださくない」


「ゴウはシルバーアクセがダサい」


「なんだとー! 十歳のときから永久用義務装置はこのスタイルにかためるって決めてたんだよ。そんなことより、」


 骸骨やら十字架やらドラゴンやら凝ったアクセサリーだらけの全身を偉そうに反らして見せつつ、シルバーアクセサリーはムーウのほうを向いた。


「君はもう新しい装置を登録しに行った? 保健課だっけ、庶務課? 俺まだなんだけど後で一緒に行かない?」


「シルバーアクセサリーさん。わたしはあとで使用人に行かせようとおもいます」


 真顔で答えたムーウに、


「だ、か、ら、俺の名前は『ゴウ』だって言ってんだろー!」


 緊急時に救命されてしまわぬよう、九日後の装置の再検査より前に飛び降りておこうとムーウはおもう。

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