1-14.

 学園前の通りに入ったあたりでムーウは突然呼ばれた。知らない男性たちが四、五人、外れの少しさびれた店先でお酒を飲みながらはやしたてている。近所迷惑も気にかけず、ジョッキのビールを派手にあおって暴れていた。身につけている服や装置もチャラチャラした雰囲気でムーウは眉をしかめた。


「おーいムーウちゃん、さっそく取り巻きを引き連れてんのかぁー」


「だははは! 一緒に飲まねえ? 男はお断りだけど隣の子は可愛いじゃん」


「なあ、たかが入学式で大盛りあがりだってな、もうニュースになってるぞ! 有名人ってすげえ……ほらこれなんかどうよ、『壇上でのノクテリイ・M氏、堂々とした姿に、天国のお母さまも涙しているのではないでしょうか……』」


 耳ざわりな笑い声がどっとあがった。ユアンの右目が静かに赤く点滅する。ムーウは無言で使用人の右手を押さえ、笑い声を無視して通り過ぎようとした。


 彼らは制服でないところから見て私服に慣れた上級生だろう。胸元の赤いピンバッジは戦闘科のものだ。ひときわ目立つのは目に痛いショッキングの髪をした男だった。みんなを煽って騒ぐよう仕向けている。


 使用人が立ちどまりかけるのを無理やり引っ張った。戦闘科の学生は喧嘩っ早い人ばかりだし、下手に言い返したら大怪我をすることになるかもしれない。関わるべきではないと感じる。


「ママが恋しいか? 天国で泣いてるかな? ママぁ、ママぁ」


「っていうかパパは? 今回もノーコメント? 親子喧嘩でもしてんの?」


「デキ婚だから社長から嫌われてんじゃね?」


「どうせ裏口入学だろって。あくどい商売して稼いでんじゃん! このあいだロボットが暴走して死んじゃった五歳児?」


「四歳だよ!」


「そうそれ、それの遺族に対して、社長令嬢のコメントをどうぞ?」


「おい無視してんじゃねえよ――ノクテリイ・ムーウ!」


 男がムーウのフルネームを口にした途端――その刹那に時間がとまった。


 ムーウが振り返るよりも前に、


 ぎょっと立ちすくむシャノンが文句を言う前に、


 マスターが若者を諌めようと店先へ歩み寄るより前に、


「ぐ……っ」


 くぐもった呻き声が路上に落ちた。ジョッキがアスファルトのうえを転がっていく。男の口から、ごぼ、と血が吐きだされた。二つにからだを折って崩れる男を、使用人兼護衛人がゆったりとした動作で支えた。


 目に痛いショッキングピンクの髪の男だった。それを支える機械の後ろ姿は異様に落ち着いていて、白い手袋をした手で丁寧に男の胸ぐらをつかみあげおもむろに持ちあげる。脚が浮き、男がまた呻いた。


 魔法社会で氏名を省略せずに呼ばれたときはある程度の正当防衛が成立する。なぜならフルネームを使えば魔法で人を瞬時に呪い殺すことができるからだ。


 正確には、こちらから術者にフルネームを名乗ったことが一度でもあれば呪い殺される可能性が「理論上無いとは言えなくなる」のであって、あの男にムーウが名乗ったことがなければその心配は無いし、そもそも簡単な詠唱で殺人を行えるほどの魔法の腕を持つ人間などほとんどいないのだが、一瞬判断を誤るだけで殺されてしまう危険があることには違いないので、フルネームを呼ばれたときは相手を気絶させることくらいならば正当防衛になりうる。


 また、人のフルネームを呼ぶことは甚だしいマナー違反となり、侮辱罪で訴えられても文句は言えない。よってシャノンは両手を叩いて使用人を応援し、マスターは「見事なもんだなあ」と機械の戦闘力について悠長に述べた。


 ユアンは眼鏡を左手で押しあげつつふわりと笑うと、物腰やわらかく問う。


「先ほどの発言は――お嬢さまへの殺人予告ということでお間違えないでしょうか?」


 その頃には〈瞬間移動〉の気配がいくつもあがり、店員が呼んだのか、警察や学園の戦闘科教員などが何人か突如として姿を現した。


 ムーウたちは警察と先生に言われた通りに起こったことを〈供述〉し、〈署名〉もして提出する。有名税ってやつですね、と警察がつまらない感想を言った。あのショッキングピンクの髪の男は成績の大幅な減点か、ひどければ停学・退学の可能性もあったが、ムーウたちはありのまま喋った。男の将来がどうなろうとこの魔法社会で人のフルネームを呼ぶほうが明らかに悪い。


 最終的にそこを解放されて自室に戻れたのは二十二時をまわった頃だった。

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