1-12.

「専攻は文芸ライティングです」


「こりゃたまげた、機械人類を作るんじゃあなくて文芸作品を作るってか、へええ?」


「小説です」


「どんなよ?」


「どんな、と言われましても……」


 小説を書きますと言うとどんなと訊かれるのが常だけれど答えるのは難しい。逡巡しているあいだに豆を挽き終わったマスターが、数日寝かせて置いた豆だと言ったので、あれっ、焙煎したてがより美味しいというわけではないのですか、と彼に尋ねた。


「ああ。よく専門店で豆を売るとききたてだつって宣伝するよな。しっかし豆は焙きたてじゃあいけねえ。煙たくて味が暴れちまう。二、三日置いとくのが一番だな」


 これまた年代物のエスプレッソマシンを無造作に引っ張りだしてきてカウンターでセットした。ムーウはメモの用意をして大変興味深く見ていた。するとマスターが嬉しそうに「これは極細ごくぼそき」「深煎りのエスプレッソ用だ」「ドーシング。珈琲粉を入れ」「慎重に平らにし、押す。ぎゅっとな……よし。タンピングだ」解説してくれた。その隣では相変わらず仕事をする気皆無のアルバイトが頬杖ついて一緒に見ていた。


「おいバイトよ、」


「あたしは飲むの専門のアルバイトなの~~っ。今日はカフェモカ、よろしく! チョコシロップたっぷりめで!」


「えっと、S・シャノンさん。そのヘアピンを見ても構いませんか?」


「ん? いいよ」


 はいっと手渡されたヘアピンは先ほどシャノンがピッキングに使っていたものだ。しばらく矯めつ眇めつしたが魔法の残り香も陣のコードも欠片も見つからなかった。


 ムーウは店内を見渡した。色とりどりの傘だって、古びた電動式機械や数千の紙版本だって、魔法に触れていない珈琲豆だって、どれだけの価値を持つものであるか語り始めたら夜が明けてしまう。というのに樫のドアには魔法がいっさいかかっていない。地下にぽっかりと作られた非魔法空間。ヘアピンなんかで呆気なくピッキングできてしまうなんて不用心にもほどがあるとおもった。


 実家をおもいだす。魔法科学の最先端を突っ走る天下のノクテリイ家つまりはヒトロイドグループ本社の、数メートル置きに設置された扉と、常時攻撃態勢を整えたセキュリティー系魔法と、名前を公開し、記し、一挙一動について数歩ごとに認証を得なければならない誰何すいか魔法と、一人一人に設定された行動権限と。監視と。管理と。


 あそこは息の詰まるような場所だった。


「……わーいカフェモカだ!」


 もこもこのホイップクリームにチョコレートシロップで可愛らしく盛りつけられたカフェモカが三杯出てきて、カウンター席でひとつずつ受け取った。エスプレッソの濃厚な苦さと牛乳のまろやかさ、チョコレートのほどよい甘さが絡みあい、絶妙なバランスだった。ただ苦いだけではない、ただ甘いだけでもない、珈琲の複雑な風味は、魔法を使っていないからこそ作ることのできるコクだ。


 両手で珈琲カップを包みこんでじっくりと時間をかけて堪能する。三人が無言になって珈琲を飲むのをマスターが得意げに眺め、マシンの片づけに移った。時間がゆったりと過ぎていく。魔法をかければほんの数秒で道具を綺麗にすることができるのにマスターはそうしない。


 ムーウはヘアピンをシャノンへ返した。


「で。どんな小説を書いてんのよ?」


 マスターがカウンターテーブルの向こうの椅子にどかっと腰をおろした。ムーウは正直答えづらい質問をカフェモカで回避したつもりになっていたのでちょっと落胆した。微笑んでみせる。


「日常にファンタジーやSFなど不思議を混ぜこんだような小説です」


「どんなあらすじだ?」


 重ねて問われる。ほとほと困ってしまった。微笑みながら面白くないですよと前置きをしてみたが構わないと返ってきた。


「今書いているのは、ちょうどこのアナログアンブレラみたいなお店が出てくるんです。悩みを持った少女がある日レトロな雰囲気の小洒落たカフェを見つける。そこで変わった人たちと交流しながら悩みを解決していくんですね」


「へええ」


「アナログアンブレラを見つけたときほんとうに驚いたんですよ」


「そうでしょ、でしょ!?」


 シャノンがおおきく身を乗りだしてムーウの両手をつかみ、激しく上下に振り始めた。上気した頬が薄桃に染まっている。この人の特徴的な、少々舌足らずな幼めの声でもつれるようにまくしたてた。


「人生が変わるって言ったでしょ!? そういうお店なんだよ、ここ。ナモは意地悪だけど珈琲が美味しいからね、信じて大丈夫だよ。とにかくここに来るお客さんは病気とか事故とか事件とかでいのちにかかわるなにかを抱えているの。でもここにたまにくればいい。いつのまにかね、なんとかなってるよ。こんなお店って実在するんだなって、ねっ、あたしおもったもん」


 ムーウは笑顔を浮かべてカップを持ちあげた。ほろ苦いカフェモカを一口、二口、言えなくなった続きの話を、言うべきでないとこころで念を押しつつ、言わずに済んだことに安心した。


 厚手の陶器のカップには細く金の模様が入っており、シンプルで上品に見える。苦みをホイップクリームとチョコレートシロップがやわらかく包みこみ緩慢に口のなかで転がる珈琲の、一口、二口、……執筆とは、思考実験だ。創作をしたことがある人には珍しくない体験だが、登場人物はときに作者の筆を離れ、ひとりでに歩きだすことがある。それをムーウは思考実験だとおもって書いていた。


 思考実験はいつも失敗して、主人公は不思議なカフェに救われなくて、作者がどんなにとめようとしても、結局近所にある公園の桜で首をくくるけど。


 それでもいくつも小説を書いた。書いて、書いて、書き殴った。今度こそ生きのびてほしかった。何度も書けばいつか思考実験は成功するかもしれないと信じ……そして書くたびに主人公はふらりと近所の公園へ行ってしまう。


 おもわずムーウが失笑したのを、シャノンは嬉しそうに満面の笑みを返してきた。


「だからなにかあったらここで話せばいいよ、ね? あたしも協力する!」


 シャノンの動作と一緒に、しゃららん、過多なアクセサリーが音をたてる。ちいさな粒の宝石や澄んだガラスビーズや細やかな貴金属などでつくられたたくさんの装飾品を、センスよく身につけた女の子が、必死な様子で見当違いの励ましをぽこぽことこころもとなく撃ち続ける。


「ありがとうございます――でもわたしには悩みがないのです。病気も事故もありません。ありがたいことに家族にも恵まれています。あるとすれば……」


 足元を見る。今日も雨の日の最適解とは言い難い、つるりとした春のピンヒールだ。


「身長、ですかね……」


 おどけて顔をしかめてみせたムーウを使用人が眼鏡の奥からべっこう色の瞳で見つめていた。

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