1-07.

       ◆


 名が高々呼ばれ少女は「はい」凛と立った。パイプ椅子が並べられた会場は水を打ったように静まり返り、三百六十人の新入生とそのほかの人間たちが息をひそめていっせいに少女に注目した。


 静粛だった広間が突然ざわつき始める。少女は椅子のあいだを縫って真ん中の通路に出た。一挙一動を数百人に見守られ、短い階段をのぼる。


 壇上へあがる。


 スポットライトの熱を浴びながら会場全体を見渡す。


 伝統的にずらり整列したパイプ椅子は、古臭いと評判のこの学園らしい光景だった。マイクのスイッチを入れるとキィンと高く聴覚を引っ掻くような音がした。


「聞いたか? あれってもしかして……」


「プラチナブロンドのボブヘアーに、装飾を省いた服装、あの身長」


「国営チャンネルで見たぞ」


「えっノクテリイ家って例の!?」


「――社長令嬢!」


 アンティークのマイクの前ですう、息を吸うと会場はまた静まり返った。


「やわらかな風に包まれ、桜の花も満開となり、ようやくあたたかな春が訪れました。今日のよき日に、わたしたち三百六十人は紅龍国立紅龍学園へ入学します――」


 マイクがハウリングしている。機械のこの耳ざわりな現象はハウリングというらしい。せっかくアンティークに触れるんだしなあとおもって暇なときに検索してみたのだ。


 国唯一の国立学園は、入学式と卒業式に魔法の使用は極力控えて電動式機械を使うという方針を数百年間貫いてきたのだった。最新の魔法科学を学ぶ場だからこそ古典的な伝統を経験してみるべきだと先ほど学園長が壇上で長々と話していた。


 どこかの例文を引っぱってきて継ぎ接ぎしたという感じの無難な挨拶文を、少女は朗々とマイクへ落としこんでいった。無難に感じるのは事実どこかの例文を継ぎ接ぎした文章だからであり、昨日のうちに人生にピリオドを打っていたはずだったので文面は適当に用意したものだ。


 数多のパイプ椅子がいっせいに溶けだす。気候のよい、あたたかな正午前。人間たちの輪郭が曖昧になり顔がなくなった。濡れた水彩画のじわっと色の滲む速度で、視界がこぼれて、涙となる。


「わたしたち新入生は今後の魔法社会を担う一員としての自覚を持ち、全力で勉学に励み……」


 めったにあがることのできない国立学園のせっかくの壇上で貴重な式典が一望できるというのに、ただぼやけた人間とパイプ椅子があるだけで、けれどもこれだけの距離があれば向こう側からは涙の意味など誰にも見えないので問題なかった。社長令嬢、とまた誰かの口が動いているような気がした。


「……高い志を持って学園生活を送ることをここに誓い、宣誓の言葉といたします。新入生代表、N・ムーウ」


 割れんばかりの拍手が体育館を包んだ。会場の椅子に座っている人も国営チャンネルの中継を観ている人も新入生代表が泣くのを嬉しさや期待なのだと各自解釈し勝手に感動してくれている。そういう距離感だった。ゆえに笑顔を浮かべた。嬉しそうに笑ってみせた。


 短い階段をおりて真ん中の通路へ進み椅子のあいだを縫ってもとの席へ戻る。ひそひそと聞こえてくるのは、社長令嬢、ノクテリイ家の……、あのノクテリイ・M!? いかにもな格好だよね、といつものひそめた声だった。親が世界一おおきな会社を持っててお金に不自由してなくて国立学園に入る頭があって容姿もあれで……、身長はちっちゃいけど……、あんなに恵まれて、生きててつらいことなんてなんにもないんだろうなあ! と後ろの席の誰か女の人たちが言いあった。


 つん、と隣の男性に肩をつつかれた。


「あの、君って、ほんとなの? 人工知能とか機械人類とかの会社持ってる?」


 恐る恐るといったていで額を近づけてくるチャラそうな男性のピアスだらけの耳を一瞥し、ムーウは自分の唇に人差し指をあてて微笑した。黙れ。という意味だ。諦めきれない様子の彼がまた口を開くのと同時に司会者が咳払いした。


 担任先生に叱られた小学生たちみたいに会場が静かになった。


「……ねえ、君ん家の使用人が全員ロボットってまじ?」


 また隣の男性が身を乗りだすので骸骨やら十字架やらドラゴンやらの凝ったピアスが細部まで見えて呆れた。ところ狭しとシルバーアクセサリーがひしめき指も首も腕もごちゃごちゃとしている。法律や学則で装着を義務づけられた魔法装置の数々を、彼はこのスタイルに統一しているのだろう。好みではないが統一感があることは好ましかった。とはいえやっぱり好みではないし今は喋る時間じゃない。


 ムーウは無言で微笑み、前を指し示した。


「ってか何歳? ここに受かるには若くない?」


 しつこい男だった。

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