1-08.

 持ち物検査をします、と司会者が言った。入学式が終わり、記念撮影も終え、保護者来賓報道関係者が退場し、留まった新入生たちを、教職員たちが手分けして検査し始めたところだった。


 確認事項は法律や学則で装着を義務づけられた魔法装置について、新入生は三百六十人で、一人につき七つ以上装置を持っていないといけなくて、作業にあたっている教職員はたった十人だった。よってしばし時間がかかる。


 待ち時間は周囲の学生との自己紹介や雑談でいっきに騒がしくなった。


 ムーウは思考入力で空中にディスプレイを開いた。此処は列の最後のほうだからまだまだ教職員が来ない。ユーザー辞書を起動する。


 魔法装置とは、それを身につけた本人の魔力を調整しつつ適度に引きだし、いざというとき助けてくれる魔動式機械をいう。小学校で習う常識中の常識だ。魔法は便利な反面、危険でもある。身体的または精神的コンディションによってバグが起こりうるうえ、意図的に魔法をクラッキングする犯罪だって後を絶たない。


 いざというときに身を守ってくれる機械を義務装置という。ホームページによると学園で必要なのは三つ、簡易シールド、記録装置、制御装置。紅龍国の国内法で決まっている装置は三つ、短縮救急、強制解除、強制遮断。国際法には一つしかない。通称「グリクト」と呼ばれる緊急救命自動発動型移動シールド装置である。


 このグリクトが面白くて、正式名称が示す通り、緊急時自動的に救命活動をする、つまり自動的に〈修復〉や〈治癒〉、〈延命〉を発動し、その場が危なかったら数メートル勝手に〈瞬間移動〉して、薄い〈シールド〉を張る、という優れた装置で、災害や事故で人々のいのちを救うことが多々あり、度重なる国際会議の末に法で全人類装着することが強く定められた。


 まあ面白いのは内容でなく名前のほうで、戸籍に名があって存命中の人間全員が持っているこの一番身近な装置が「緊急救命自動発動型移動シールド装置」では長くて言いづらいので、グリクトと縮めている。グリーンピクトグラムの略だ。


 第二次魔法期以前は建物内を脚で物理的に移動していたから、災害などで外へ逃げる際には歩くか走るかしかない。昔の建物にはあらかじめ脱出用の経路が設けられ、これを非常口と呼び、目立つように緑色の案内看板がつけられていた。その看板で使われるピクトグラムという絵単語を歴史の講義で習った若者たちが面白がって仲間うちで装置のことをグリクトと呼ぶようになり、一般的な通称として定着したらしい。


 遊園地等々でレトロな風景を再現するとき緑色の案内看板が積極的に取り入れられるようになったのもその頃だった。


 ――と、そろそろ現実逃避はやめるべきだとムーウはおもう。


 隣の男性がまたなにか話しかけてきた。この人は延々としつこかった。長い自己紹介もされたけどまったく聞いていなかったので名前も分からない。肩をつついてきた。馴れ馴れしいことこのうえないなとうんざりし、


「おい。入学早々教師を無視するとはいい度胸だな」


「ムーウちゃんんんん、装置、装置出して、ほら! せんせめっちゃ怒ってっから!」


 低く平板な口調と、それに対象的な焦った口調が同時だった。


 奇妙だとおもった。


 此処は列の最後のほうで教職員が来るのはずっとあとのはずだ。時計を見る。たいして時間が経っていない。この教師一人でもう三十人以上を検査し終えたのか。そんなわけがなかった。


 装置は日常的にぽいっと広げる魔法とはわけが違う。どう違うかというと、日常的な魔法はたとえるなら単語、ちょっと複雑なもので短歌、装置は長編小説のようなものだ。実際に文字列にすると数十万文字の差になってくる。


 コードを細部まで読みこまなければ学生の体格・病歴にあうかどうかとか有効期限内かどうかとかが判らず、ましてや装置は高度な〈カバー〉魔法でコードを隠してあって、外側のデザインだっていろいろある。本の表紙をさっとひと睨みしただけで長編小説を読みきるなんてどだい無理な話だ。


 とおもっていた。


 端的に言えば、ムーウは世界最先端の国立学園教職員たちを舐めていたようなのだった。


「なるほど、おおいに、我々を舐めているらしい……」


「……っ!」


 ――魔法で他人の記憶や感情を覗くのは犯罪である。反射的に少女は顔をあげた。


 杖を持ち、黒くシンプルなスーツに白く長い髪の、今までに見たことがない美貌の青年が立っていた。女と見紛うくらいの、怜悧な、美しさだ……。かたちのよい顔面なんぞ家で腐るほど商品を見慣れているのに一瞬呆気にとられてその先生を見つめた。慌ててムーウは会釈をする。


「ぼーっとしてました。初めまして先生。よろしくお願いいたします。今装置を出して説明いたしますね」


「不要だ。提示されずとも判る。だが、」


 先生は伏せた目を少し細めて、初対面のムーウに対し愛想の欠片も無い声で言う。


「法をなんだと考えている? ガラクタで我々を誤魔化せるとおもったか?」


「あ――先生」


 冷淡にガラクタと言い切られた状況にムーウは納得したため、できるだけ礼儀正しく謝ることにした。


「申し訳ございません。先生、やはり今装置を出します。わたしは一般的な装置とは異なるものを使ってまして、けれどそうしてはならないと学則にはありませんでした。紛らわしくてご迷惑おかけします――」


 社長令嬢、とまたどこからかいつものひそめた声が無遠慮に耳を叩く。いかにもな格好だよね。装飾を省いた服装、ふうんあれが金持ちの装置省略というやつか……ざわめきが面白おかしく二人を囲んだ。ムーウは頭上のおおきなリボンをつまんで首を傾げた。


「鉱物や貴金属でできた一般的な装置ではないものが多いので、どれが装置なのか見分けるのが難しいかもしれません。持ち物を揃えてきてないように見えますよね。布製は珍しいですがこれが短縮救急で、えっとここに検索用シリアルナンバーが――」


「提示されずとも判る」


 先生は淡々と答えつつ腕に持っていた杖をかつっ地面についた。


 ムーウはちょっと驚く。これほどはっきりと音が鳴るということはあの杖にいっさい魔法がかかっていないかもしくはそう見せかけるために緻密な魔法が大量にかけられているかのどちらかで、どちらにしても高級品だ。木製の魔法製品はノクテリイ家の令嬢でさえそんなにしょっちゅうお目にかかれるものじゃなかった。彼に高価な布製の装置を説明する必要はまあ確かに無さそうだ。


 魔力は生きていないかたいものと親和性が高い。魔法装置を複数個持ち歩かなければならない現代人たちは宝石や貴金属で装飾過多になりやすく、あえてシンプルなかっこうをするのが上流社会で流行していた。義務である装置をつけないことは考えられないので、つけないことではなくわざわざお金をかけて布やら木やら有機物の装置を使うことを「装置省略」「装飾を省く」などという。


 白髪の教師は空中ディスプレイのリストを眺めながら気怠げに杖へ体重をかけた。


「おっしゃる通り学則で装置省略は禁じていない。だが私は、貴方に法をどう考えているかと訊いた。意味は解るな?」


 なにも言い返せなかった。


「六つは申し分ない。タイプ、品質、メンテナンスすべて良好だ。十日後までに残り一つをなんとかしろ。再度検査する。理解したか、八十二番」


 ムーウの返事を待たず青年は前を歩き過ぎた。


「さて八十三番、見たところ簡易シールドが貴方の魔力にあっていない。似てはいるな。対象年齢も近いようだ。兄弟から借りたか? 借りるな。再検査。八十四番――」


 隣のシルバーアクセ男八十三番がなにか話しかけてきていたがムーウはそれどころじゃなかった。生まれて初めて人にバレたのだ。今まで誰にも気づかれたことはなかった。軍人にも警察にもプロの装置調律師にも見抜けなかった。


 ムーウはもう五年以上も犯罪者をしている。グリクト――緊急救命自動発動型移動シールド装置はとうに期限切れだった。緊急時に救命されては困るからだ。

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