編集済
私はどうしても話を練ってからでないと書けないので、即興で書けと言われたら悩んでしまいそうです。
でも、もしも自分のことを作品でしか知らない人と現実で出会って、文章で判ってもらえたら嬉しいかもしれませんね。
作者からの返信
僕は物語のラストシーンというかオチが浮かばないと書けません。
浮かんだらラストに向かって話を組み立てたり逆算します。
それでも即興で書け、なんて言われたら日記にするか映画の感想文なんかに逃げます。
「あ、この文体は作者のらしさが全開だな」
なんて思われたいです。
無理矢理の特徴づけではなく、自然とにじみ出る個性。
今はとにかく作品を仕上げるしかないようです。
コメントをありがとうございました。
はらだいこまんまる様
今も見つかっていないのですか! それはとても心配ですよね。
早く見つかりますように。
そして、確かにと頷きました。自分で自分を証明する方法が、今は公から発行されている証明書しか無いのですよね。自分で自分のことは分っているのに、証明のしようが無いと言うのは不思議な感じでもありますね。
文章には個性がでるはず。その個性を大切に育てていきたいものですね(^_-)-☆
作者からの返信
☆涼月☆さま、そうなんです。
病院と薬局で届いてないか聞いても答えは否。
交番で遺失物届けなるものを書いたので、万一悪用されても大丈夫だとは思うのですが……。
それにしても本当に不思議な失くなりかたです。
ちゃんとファスナーで閉めていたのに。
僕が僕と証明できないなら、皆んなもそうだし、そこにスパイや工作員のつけ込むスキがあるわけで。
だけど管理を厳しくしようとすれば反発が生まれます。
もしかしたら、かつてのクラスメイトも別人に成り代わっているのかも。
今、執筆しているとどうしても同じような表現や言い回しが多くなることに愕然とします。
それも個性として育ててみたいです。
コメントをありがとうございました。
落とし所が書いた文章で誰かがわかる、というお話でなるほど!と思いました。
前情報無しに歌手の新曲を聞いて、「あれ?この声は…」となるのに似ている。けれど、文章は五感だけではないし、話の構成や展開から、一文が醸し出す雰囲気まで、随所に個性が溢れそうな気がします。
それはそうと身分証が無いのは不便。というか、社会的には自分で自分を証明できないという事実に少なからず愕然とします。そう、なんですよね……
作者からの返信
ちょっと前に、『もしも有名作家がカップ焼きそばの作り方を書いたら』みたいなのがネットで話題になり出版化された覚えがあります。
池波正太郎は池波らしく、太宰や三島もそれっぽくカップ焼きそばの作り方を説明していて、感心しました。
絵、音楽、演技は表現者の特徴や個性がわかりやすいけど、作家が書く文章も個性あふれています。
失くしてみて不便さが初めて分かりました。
あっ! 今、思い出しました!
昔、財布を落とした時だったはず。
やはり交番で遺失物届を記入した際に印鑑を押すよう言われました。
印鑑は持ってないと伝えたら、拇印でもオーケーというので押しました。
なので僕の指紋情報が警察に保存されているはず。
これが社会との繋がりになっているのが少し面白いです。
コメントをありがとうございました。