なみさとひさし様
気と一言で言った時に、それが何をイメージしているのかは人それぞれかもしれませんね。血流と言う比較的イメージされやすいものから、人などを投げ飛ばしているアニメのようなイメージまで(*´▽`*)
改めて自分はどんなイメージを持っているのだろうと思いましたが、手当のようなイメージが強いかなと思いました。手を当てると治りが早くなると思っているので(笑)
そこから癒しのエネルギーがでているような想像は今までもしてきました。
作者からの返信
日本人は気に敏感な民族だと思います。
今日の天気、空気を読む、元気がない、気持ちいい、などなど。
もし、これから1時間のうち『気』という言葉を1度でも使ったらケツバット、なんて企画があったら僕はおそらく何回も罰を受けるはずです。
どこかが痛むと本能で思わず手を当てます。
これは効果があります。
以下、拙作『大きい魔女と小さな5年生』から引用。
『痛みを感じる箇所に手を当てるのは誰でも無意識に行っている。
腹が痛ければ腹に手を。
腰が痛くなれば腰に手を。
このいわゆる”手当て療法”は原初の医療とも呼ばれている。
事実、痛みが緩和されるのは魔法でもなんでもない。
ゲートコントロール理論で説明できる。
痛覚は末梢神経から脊髄を通り脳へと至る。
その経路の途中(おそらく脊髄後角)には痛みをコントロールするゲート(門)が存在する。
痛覚を伝えるC線維は細く伝達速度は遅い。
一方、触圧覚を伝えるAβ線維は太く伝達速度は早い。
細い神経と太い神経が同時に機能している際、ゲートは太い神経を優先するという理論。
痛さを触っている感覚でごまかす、と言い換えてもいいかもしれない』
また東洋医学の本場、中国では気功治療が市民権を得ています。
それらは怪しいオカルトではなく生活に根付いているようです。
日本における一般的な鍼灸治療でも体内の気の流れを整えるのが主な目的だったりします。
そこにはオカルト的要素はありません。
体調の変化に注意深く気を使っているかどうか、が腕の善し悪しを決めます。
結局どこまで行っても『気』からは逃げられないようです。
応援コメントをありがとうございました。
目に見えない力、気のおはなし回!
エネルギーは凝縮される事はあっても、自然な状態だとどこにも留まらず、常にどこかに受けて流れゆくものではないだろうか、などと考えたりします。
人間は道具を使ってそれをコントロールしたりするのだから、自分の身体を使ってコントロール出来てもおかしくないのではないか、なんて。
科学はある意味盲目なので、見ようと思っていることしか計測できないんですよね〜。そして見ようとしていないことを計測する装置は中々生み出されない……
ある側面では、科学の限界は結構すぐそこにあったりするかな、とも思ってます。
実は合気道に興味ありです。
作者からの返信
気については様々な種類がありますが一般的な真気の作用は、推動、温煦、防御、固摂、気化と5つの働きがあります。
これらは普通に試験に出題されるので学生は頭に叩き込まないといけません。
本来、言語化や数値化、図解化できない精妙なモノを扱うのですが、それをわかった上で一旦は言葉にして、数字に置き換え、図で説明します。
頭で理解したら、やっとその世界に入る準備ができた状態です。
「アナログをデジタルにしたら今度はデジタルをアナログに」
僕はまだデジタルも覚束ない状態ですが、不可視の世界を垣間見たからには追求せずにはいられません。
もしかしたら、可視・不可視の区別もないのかも、なんてうっすらと思っています。
合気道は創始者の植芝盛平のエピソードが無茶苦茶面白いです。
神がかっている、というか文字通りサムハラの神様が彼の身体の中に入ってしまって一種の悟りの状態になったとか。
そして。
・白いツブテが飛んでくるのを躱すとその後に銃弾が飛んでくるので儂をピストルでは殺せないと豪語。
・それを聞いた軍人が「嘘を言うな!」と激怒。実際に確かめることに。
盛平は見事に軍人の数発の弾を躱すことに成功。
・それを聞いた猟の名人が盛平に挑戦することに。
自然体で立っている盛平に対し銃を構える猟師。
「待った! あんたの弾は必ず当たる。普通は当てよう当てようと思うものだがあんたはすでに当たったものとして銃を構えている。いや、あんたこそ真の名人」
といってその場はおひらき。
・山の地図を広げ、ある一点を指差し「ここから温泉が出る」と言い放ち、本当に温泉が出てきた。
・弟子の湯川が重いものを持ち上げようと四苦八苦しているのを見た盛平。「湯川! そこは”ウ”の言霊や!」と助言。湯川は”ウ~”と唸ると重いものが持ち上がった。
他にもたくさんありますがこのへんで。
応援コメントをありがとうございました。
私は目に見えないものを信じるタイプなので、身体の中にある気の流れを信じています。
あの気を当てる技をテレビで見たことがありますが、本当に凄いですよね!
どんな感じなのか、実際に受けてみたいと思っていました(*^_^*)
勿論、人によっては気を信じない方もいらっしゃると思いますが、波里久様が書かれている通り、目に見えない気の力や幽霊などが、遠赤外線や磁気、低周波での測定ができるとは聞いたことがあります。
いつか、科学的に証明される不思議な力や現象が増えてくれたら嬉しいですね!(*^_^*)
作者からの返信
時間そのもの、重力そのもの、心そのもの、愛そのもの。
確かにあるはずなのですが、それらは目には見えません。
目には見えないものに敬意を払えば、それに対する感性は磨かれます。
昔、僕は気で人を吹き飛ばすので有名な西野流呼吸法に通っていました。
さすがに離れた状態では飛ばなかったのですが、インストラクターの腕が触れた瞬間に地べたに這わされた経験ならあります。
アメリカ軍などはこういう話を嘘だと決めつけないでまず調べます。
太極拳家の全身に電極を付けてから演舞をしてもらったりします。
名優の名演、歌舞伎役者の動き、宝石の輝き、青空の青さ。
こういったものに感動するのはそこに気を感じるからではないか、と思っています。
願わくば、僕の物語も気を発するような物語にしたいです。
それとこの度は拙作に星と身に余るレビューをありがとうございました。
嬉しいので何回も読み返しています。
僕も今は新作のアイデアを練っています。
創作は体力勝負。
本当にそう思います。
それではまた。
気の正体って不思議ですね。
著名な気功師さんから科学的な証明がされていたのは驚きです。
作者からの返信
鍼灸の専門学校では普通に”気”の特徴を教科書で習います。
気はあるという前提で学んでいかないと話にならないようです。
葬式坊主が霊の存在を前提にしないと説教できないように。
ついでに言えば経絡も同じ存在です。
つまり人体を解剖しても気の通り道である経絡は存在していません。
しかし、学生は必死になって経絡を覚えなければいけません。
”心”や”時間”のように実態はなくとも、あるというお約束です。
もちろん気だけで人は飛ばせません。
気を使えると主張する人がいたら、少しばかり慎重に判断する必要があります。
”気”は存在するかしないか、ではなく、感じるかどうか、が問われているような気もします。
気の話題は本当に面白いです。
昔、子供会で太極拳を強制的に習わされていました。
太極拳の先生(女の先生)は意外と本気の人らしくて、中国で修行を積んだこともあるんだとか。
糸に気をこめて鞭のように使い、二本重ねた割り箸を折ってました。
大人になってからは手品的なやつかもと思ったのですが、もしかして本当の気かもとも思っています。
作者からの返信
なんと、烏目さまは太極拳経験者でしたか!
僕は太極拳じゃない拳法を習っていましたが、同じ中国拳法経験者。
同志ができたようで心強いです。
>糸に気をこめて鞭のように使い、二本重ねた割り箸を折って
まんま男塾の世界です。
初見だとマジックかな、とも思ってしまいそうです。
しかしおそらく気の力だと思います。
わざわざ手品をする意味もないし。
太極拳の力の使い方を応用するとこういうことも出来るという証明なのかも。
僕が意拳という中国拳法を習っていた時、腕立て腹筋、ウエイトなどの筋トレは一切しなかったです。
ひたすら站樁(たんとう)という空気椅子のような姿勢を取らされました。
しかし真面目にやれば効果抜群。
すごく強くなれます。
そういう人のパンチを喰らった僕が言うのだから間違いありません。
応援コメントをありがとうございました。