1-6 1章エピローグ
決意
無に満ちた時が流れた。
真に救いたかった者の死を目の当たりにして、アジトの奥まで来た意味が分からなくなる。
いままで歩んできた軌跡すら霧でかすんで、見えなくなった。
彼女の死の感覚は冷たい手のひらに残っている。ゆえに分かった。白い床に倒れた女は悠久の時を越えようと、目を閉じたままであると。
歯を食いしばる。言葉にならない声を、息と一緒に漏らした。
その後、真白は涅と合流する。二人は列車に乗って菫町まで戻ると、きのうの宿に入った。
時は流れて午後一〇時。気持ちを落ち着かせるためにベランダに出て、涼しい風を浴びる。視線の先には濃紺の空が広がっていた。
以前にも同じシチュエーションがあったことを覚えている。ただし三月三〇日までは、となりに彩葉がいた。今は彼女はいなくなったと考えると、心細さを感じる。彼が胸の内に抱いたのは、哀しみでも怒りでもない。喪失感だ。なにかを失ったという感覚が胸の底から、ノド元までこみ上げてくる。なおも彼女の死は現実感が薄かった。
最初に虹色の女優と出会ったころは、永遠に一緒にいられるとなんとなく思っていたことを、覚えている。幸せな環境に身を投じて、楽観的になっていた。彼女とともに暮らす日々が永遠に続けばいいと、過去の自分は気の抜けた顔で希望を抱く。
ゆえに少女が裏切ったときは、ショックを受けた。自分が理想とした花咲彩葉がこなごなに砕け散って、目の前が真っ暗になる。それでも終わりには彼女は真っ白な少年を救った。
かわりに彩葉は少年の心に深い爪痕を残していく。
蜜のように甘い声も、花のように華やかな顔も、やわらかな笑顔も――今は二度と、見られない。自分の前から消え去ったと知ると、青い気持ちが心に湧く。
彼女には自分をずっと見守っていてほしかった。
心を震わせながら、黒い瞳を揺らす。
唇を噛んで、想いを噛み締めた。
彼女の死は突然すぎて、現実に心が追いつかない。三月三一日の出来事はウソで、夢の世界で置きた出来事だと、思い込みたい自分もいる。
少年はベランダに触れる手に力を込めた。
夜の闇は深くなる。
個室に戻って、ベッドの横たわった。思考を無にしてまぶたを閉じる。余計なことを考えすぎて、頭が冴えた。なかなか眠れはしないが、目を閉じ続ける。
何度も何度も、七色の女優と過ごした日々が、頭の中を巡った。鮮やかな思い出。かけかげのない、虹色の光り輝く宝石のような日々だった。
彼の胸中に幸せな気持ちと寂しさが同時に湧く。正確にいうと、後者の感情のほうが強い。
さらには繰り返し、彼女の死が脳内に蘇る。時を戻すたびに見続けて目に焼き付いた、悪夢のような光景だった。いくども場面は万華鏡のように変わって、血の色が白いホールと一人の少女をかき消す。
このままでは発狂しそうだ。飛び起きて、頭をかき回す。知らず知らずのうちに、息が荒くなっていた。
いっそ全てを忘れたい。つらいエピソードを脳のファイルから消せば、平和な日常に戻れる。なにも見なかったことにしたい。彼女の死もなかったことに――
それでも自分の望みは叶わないと知っていた。
いかに残酷な現実にぶち当たっても、人は全てを受け入れて踏み越えて、先へ進むしかない。
顔を歪めながら、奥歯を噛む。
いかにして彼女の死を乗り越えるべきなのだろうか。今でも彼女の死が頭に焼きついて離れないのに、立ち直る方法など、思い浮かばなかった。
やがて時計の針は午前二時を指す。
疲れが出て、限界を感じた。そろそろ寝なければ、明日に響く。ベッドの上で目を閉じると、強制的に深い眠りへ落ちていった。
目を覚ます。空は青灰色に曇っていた。時計の針は午前八時を指している。寝過ごしたようだ。
むくりと身を起こすと、廊下におもむく。体内時計をリセットするために日の光を浴びたい。寝ぼけたまま、玄関の扉を開けた。
町の外に広がる緑色や澄んだ空気を肺に取り込むと、気分がすっきりする。からまっていたものがほぐれた気分だ。
全身を伸ばすつもりで両手を天に上げると、眠気も覚める。
頭がハッキリ動くと同時に、少女の死もふたたび脳を巡って、気分が沈んだ。シュンと眉を下ろす。彼の心を冷たい風が吹き抜けていった。
くすぶった気持ちを抱きながら、霧がかった頭を動かす。
巫女の死をもって、ゲームは終わった。菫町には黒紅色の影は見当たらず、真白も一般人に戻る。
再演は花咲彩葉の独壇場であり、彼女がいいところを持っていった。さすがは女優だと、自分の中では評価が高い。
一方で真白は最後の最後まで主役にはなれなかった。本来の目的だった魔王の討伐は、失敗に終わる。自身のかわりに彩葉が勇者を守った。本人はアジトに捕まって、逃げただけである。ある意味、蚊帳の外だった。真白は薄く笑みを浮かべる。
自分がゲームで手に入れたものは、むなしさのみだ。無力さを痛感して、震える瞳で曇った空を見上げる。
今のままではダメだと分かってはいるものの、少年は立ち止まったままだ。
なにもかもを失って、気力も失せる。
そもそも進むべき方角すら、彼は忘れていた。
宿の敷地より外へ出ようにも足がすくむ。うつむちがちに宿に戻ろうとしたとき、玄関のそばに置いたポストが視界に飛び込む。目を丸くしながら近寄ると、中には手紙が入っていた。封筒を手にとって、裏返す。下に『花咲彩葉より』と書いてあった。瞬間、頭に稲妻が走る。少年は心を震わし、目を見開いた。
頭と目の前をおおっていた雲と霧が晴れる。真白は急いでシールをめくって、中身を確かめた。
リビングに戻ってソファに腰掛けながら、手紙を読む。
中身が彩葉の残した最後のメッセージだとは、分かっていた。ゆえに一文一文を脳に焼きつけるように、じっくりと一文字一文字を噛みしめる。
読む過程でいままであいまいだった情報が、頭に入ってきた。
三月三一日に彼女は命を散らす運命であったこと。
未来を定める者がいること。
魔王軍のスパイであったこと。
絶海の孤島で優しい老夫婦と出会ったこと。
悪魔の血を受け継ぐ一族であり、異能の持ち主であったこと。
彼女が真っ白な少年を愛していたこと。
『あなたがクルールに生まれた意味は、確かにある。勇者にはそれを知る義務があり、責務は果たさなければならない。逃げてはダメ。そのためにあなたはここにいるのだから。
たとえ私が世界から姿を消しても、物語は続きます。むしろここから全てがはじまる。
まずは中央へ行くことをおすすめします。高い壁を越えた先には私の家もあります。拠点は城の次に目立つほどの大きさであるため、すぐに見つかるでしょう。財産はたくしました』
読み終わって、ひと息つく。
存外体力を使ったため、ソファに身を預けて、怠けた。
心にはほろ苦さと一緒に温かな気持ちも流れ込む。
不安もかすかに胸をかすめた。
自分こそ彼女を愛していたのかあいまいで、眉が曇る。開けっ放しの窓にも、曇り空が広がった。
少年は誰に対しても無関心であるがゆえに、悪事を働いた人間を許す。恋愛についても同じだ。自分は他人を愛せない人間なのだろう。
ばくぜんとそう思い、彩葉に対する気持ちは恋でも愛でもないと結論を出した。
「中央へ行けばいいんだな」
ふたたび息を吐いたあとカバンを探って、通行許可証を取り出す。
ソファから腰を上げてから、カードの表を向けた。
準備は整ってはいるものの、この期に及んで真白はためらう。一般人である自分に勇者の役が務まるのだろうか。深く考え込むと、顔に汗が浮かぶ。
「いや、現実から逃げているだけなんだよ」
真白は勇者だった。三〇〇〇年前のクルールに召喚に応じて、降り立つ。彼は世界を救うために戦いはしたものの、真の悪を仕損じた。
勇者なら、魔王を倒すべきだったと、少年は考える。それが彼自身の責務だからだ。
少年は拳を作って、揺れる瞳でカードを見つめ直す。
決意こそ固めたが、プレッシャーは大きい。勇者とは厳かなワードであり、背負い切るには重すぎる。今でも真実から目をそらし、なにかの間違いだと疑っていた。
額に汗が浮かび、したたる雫を手でぬぐう。
やるべきことは最初から決まっていた。神の指示に、なにより花咲彩葉のメッセージに従うのなら、中央へ行くべきだと。
そうだ、物語は続いている。エンドロースを流すには早い。
顔を上げて、うなずいて、カードをポケットにしまった
今一度頭の中に彩葉の顔を、思い浮かべる。
彼女がいなければ自分はずっと足を止めたままだった。途中でのたれ死ぬ可能性も見える。
虹色の少女は少年にとっての道標だった。
いままで彩葉は真っ白な少年を守っていたのだと考える。
護衛と称して彼女のそばにいると、黒紅色の集団も手を出すのが難しい。東国一の大女優がかくまうこと自体が、敵にとっての抑止力だったのだ。
四月を迎えて、七色の女優は世界から消える。ならば自分が彼女の残した課題をクリアするべきだ。恩を返すのだと心に決める。
くわえて巫女の死の真相も気になった。犬顔の女は『魔王を狙ってる』と話したけれど、ラスボスは闇の奥にひそんだままである。別の誰かが巫女を殺した可能性もあった。
思考をめぐらせると体がうずく。気になって仕方がない。今こそ立ち上がって謎を解くべきだと、
おのれへ向かって呼びかける。
行き当たりばったりで動いては、失敗が待ち受けると考えた。
一歩二歩と足を運んで、テーブルを中心にグルグルと歩きながら、作戦を決める。
まず、真実にたどり着く方法は魔王から直接話を聞く以外に、ほかはない。アジトで魔王と会うために、中央へ行く。
アジトの最初の階層で入口が塞がった以上、サルビアからの侵入は難しい。隠し通路の封印を解く相手が死んだのなら、可能性は薄いだろう。
これは気持ちの問題だ。
必ずや魔王と決着をつけるのだと考えると、体の内側から熱い気持ちがにじみ出る。
そして花咲彩葉――
だが、宿を出る前にやるべきことが残っている。
真白は涅影丸の部屋へ足を向けた。相手の職業はともかく、いちおうは仲間である。世話になった身であるため、出発の前に許しを得るのだ。リビングの出入り口にあって戸に指をかけようとした矢先、目の前でバッと扉が開く。入り込んだ風によって前髪が上がって、額が出た。
目の前には不健康な外見をした男が立っている。
真白はぽかんと表情を固めたあと、愛想笑いを浮かべる。
「お、おはようございます」
「おうよ」
涅はダラダラとテレビの前まで動いて、豪快にソファに腰掛ける。詐欺師はリモコンを手に、液晶の電源を入れた。
彼の動きを目で追ったあと、真白はソファの後ろに移る。
相手があまりにも堂々とくつろぐものだから、自分がお客様だと分かってしまった。声をかけることをためらって、オドオドと視線を泳がす。一度開けた口も閉じた。
それにしても泊まった宿は同じなのに、なぜ雰囲気が彼と自分では違うのだろう。
真白は相手の容姿を目でとらえた。
いちおう肉体自体はよく磨いてある。雰囲気が悪いせいで不潔に見えるだけだ。もっとも、髪はボサボサで伸び切っている。私服はくすんだ色で、サイズもダブダブだ。生地が古いせいか、全体的に傷んでいる。彼は古着にそでを通すほどに貧しい生活を送っているのだろうか。宿代くらいは払うべきかと、考える。もっとも、黙っていた場合は相手から支払いを要求してくるだろうが。
「なぁに同情的な目で俺を見てんだ、テメェはよ?」
真白が沈黙を守っていると、相手がイラ立たしげに視線をよこす。
「俺ぁ、好きで今の格好になっただけだぜ」
「へ、そうなんですか?」
少年は間抜けな顔で返す。
「ブランドものくれぇ、買えるんだよ。悪徳業で稼いでるからな」
舌打ちをしてからさらっとした口調で、詐欺師は語る。
当たり前のように語られたため、一瞬、「へー」と流しかけた。
「いいんですか、それ?」
眉をひそめて、慎重に問う。
「いいのさ。生き残るためなら手段なんぜ、選んでられっか」
「いつか地獄に落ちますよ」
「ほう、そいつァいいな」
涅は愉快げに笑む。
真白にとっても世間一般から見ても、彼らは悪だ。
天が許しても人々は詐欺師を糾弾する。
とはいえ、あくまで他人事だ。被害者の気持ちこそ分かれど、同情の気持ちは薄い。涅の生き方も肯定こそしないが、否定する気もなかった。
少年は目をそらす。目の前に悪党がいようと「どうでもいい」と切り捨てる自分は、果たして勇者にふさわしいのだろうか。疑問に思えど、答えは霧の中をただようのみ。気持ちを切り替えて、口を開く。
いよいよ本題に入るところで、相手が自分の頼みを断るような気がして、手のひらに汗をかく。緊張感も高まる中、体の内側から勇気を振り絞って、顔を上げた。
「中央に行きます。魔王に挑むために」
ハッキリとした口調で伝える。
いかような答えが返ってくるのだろうか。ドキドキして、瞳が揺れる。
「それを俺に聞くか?」
「え、だって、報告しなきゃって思って」
「知るかよ。俺ァ、テメェのことなんざどうだっていいんだ。好きにやっちまいな」
真白の決断に反対するほどの思い入れは、相手にはなかったらしい。
あっさりとした展開に拍子抜けする。
涅の真意は気になるものの、自由に動けるのはありがたい。ほっとしたし、嬉しくも思う。
「じゃあ、これで。いろいろとお世話になりました」
お手本のようなお辞儀を見せると、相手は鬱陶しそうに顔をしかめる。
「わーったよ。ったくお前は憎らしいほどにまともだ。俺ァ、そういう輩が一番キライなんだがな」
男の気難しげな顔がテレビの反射に映り込む。
「はい。そういうことにしておきます」
真白は雑に返した。
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