花と散る
組織に裏切り者が現れたと聞いたときから、走ってはいた。
相手の追いかけ、炎の中を突っ切る。彼が道を通ると緋色の渦は、水を浴びたように消えた。
血の海に沈む少女の姿が、脳裏にチラつく。
強い既視感を覚えて、焦った。顔を歪めて、頭を押さえる。
頭を振り払った矢先に彼女が発した言葉が、脳内に入り込んだ。
――『今は死なない。クルールではね。運命がそう決めたからよ』
――『目にできるといいわね』
――『真白くんの命だけは救うから』
なおも胸には希望を残す。
やり残したことが山ほどあった。まだまだ彼女と一緒に暮らしたかったし、二人に冒険の旅に出るのもよい。ここで終わっては悔いが残る。歯を食いしばって、血にまみれた床を踏んだ。
さらに進むとストレートの通路に着く。奥には純白の扉があり、手前の床は赤く染まっていた。ぼんやりと見ると花火のようにも映る。後ろから斬りつけたような形で、目の前まで血が飛び散って、放物線を描いていた。足元には古びた剣が落ちている。刀身は扉と同じ、純白だ。
歩を運ぶ前に何者かの気配を感じて、振り向く。後ろには延々と白い通路が続くだけだった。
青ざめた顔で前を向いて、扉へ近づく。
クリスタルの剣を握りしめ、いざ、最終地点へ。堅い扉を開けて、中へと入る。
次の瞬間、金属に似た酸っぱい臭いが、ツンと鼻を抜けた。ホールの床や壁は
床の真ん中には人形が横たわっている。全身に傷を負い、左の腕を失って、赤い着物を着た少女だ。
しかし、間に合わないとは分かってしまった。致命傷を負った少女を救う術を、勇者は持たない。唇を震わせながら、拳を握りしめた。
目の前の惨状を目の当たりにしながらも、彼の心は落ち着いている。頭は冴えて、目の前の景色も澄んで見えた。
ただただ、現実感が薄い。地球で過ごしていたころでは想像すら難しかった光景が、目の前に広がっている。ホールを赤く染める血も、中心に倒れる黒髪の女も、全てが額縁の中の絵のようだった。
きっと夢だ、幻を見ているのだと、おのれに言い聞かせる。
現実から目をそらしながらも、逃げ出したい気持ちを抑えた。おそるおそる前へ、現実へ向かって、足を踏み出す。
相手とはきちんと話をして終わりたかった。けれども途中で、足が止まる。
彼女のためにできることとは、なにか。
残りの時間が少ない女性に向かって、なにをするべきなのだろう。
今さら、自分はなにをしたかったのか――
なにを、なにを、なにを。何度も自身へ問いかける。
取るべき行動なら簡単に思い浮かぶはずなのに、足がすくんだ。
くだらないことを考えるうちに、頭が空白に染まる。
「結局、ここで終わるのか、私は」
最初に口を開いたのは彼女だった。
灰色の瞳が真っ青な顔色をした少年を映す。
「だけど、役目は果たした」
血を失いすぎて青紫色になった唇で、言葉をつむぐ。
「貴様を最奥の間へ導いた時点で、私の勝ちだ」
女が顔をかたむける。整った顔にのった瞳は、澄んでいた。
けれども彼女の言葉を理解し切るのは、真白にとっては難しい。
巫女の言葉から数秒の間を置いて、少年は唇を開く。
かがみこんで、セリフを繰り出す直前、だった。今と同じ血の色に染まった光景が、脳内が駆け巡る。
もしかしたら自分は彼女の死を何度も見てきたのかもしれない。
その考えにいたった瞬間、頭の中に一人の人物の死が、数珠つなぎに蘇る。
アスファルトの上に倒れる少女、少年を庇って倒れた彼女、白いホールで散った赤い花、近くの人々の悲鳴。
万華鏡のようにありとあらゆるビジョンが脳内で展開して、目を見開く。
無数に連なる平行世界の全てで、少女は死んだ。
彼女の死は運命によって決まったものである。
あるときは交通事故、またあるときは舞台の上で本物のナイフで刺され、血を流した。ときには自ら行方をくらました。
そして、地下のアジトで血にまみれた少女の姿も、頭の奥によぎる。
運命が二人を結びつけた。異なる世界の同じ場所で、少年は何度も同じ少女と出会う。彼らの生活は世界ごとに異なりはしたものの、一つ同じ屋根の下で暮らすところは、同じだ。しかし最後に少女は少年の目の前で、血を流す。二人の出会いと同じく、彼女の死も運命が定めたものだったからだ。
少年は彼女が必ず知ると知って、時を戻し続ける。けれども結局彼は、彼女を救えないまま終わろうとしていた。
「そう、分かったのだな」
青ざめた唇でつぶやいて、ポケットから水晶玉を取り出す。
「全てを白紙に戻す効果のある宝玉だ。貴様はこれを使って、死の運命を変えようと奔走したのだろう」
血に濡れた指の中で小さな玉が、透明な輝きを放った。
「使いましょう。使えば、今度だって……!」
わらにもすがる思いで叫ぶ。
女は首を左右に振った。
「ムダだ。私の死は決まりきっている」
彼女が穏やかな口調で話すと、真白は言葉を失った。
震える唇を噛んで、うつむく。
信じたく、なかった。
目の前で彼女が生を閉ざす瞬間から、目を閉ざす。
首を横に振ると自身の
時はゆるやかに流れ、現実はくっきりと視界に飛び込む。
本当は分かっていた。彼女の死を自分の運命も、現実も。頭は理解を示すのに、心は全てを否定したくて、たまらない。
うつむいて、唇を震わす。
「なんで、僕は……」
拳を握りしめて、床に打ちつけた。
バッドエンドを避ける道具が目の前にあるのに、なぜ彼女の死を見届けねばならないのだろう。
内心は悔しかった。
張り詰めていたものが切れて、床に座り込む。力を失って、うなだれた。
「便利な道具とは、いいがたい」
声を失った少年へ向かって、女は淡々と告げる。
「時を戻しても結末は変わらない」
ゆえに少年は失敗を重ねたのだと、彼女は話す。
「私には使わないで。水晶の効果を発揮できるのは、残り一回。だったら、もっと重要なときに、絶対に使うべきタイミングで使って」
光を宿した目、意志のこもった口調で訴える。
「その重要なときっていつなんですか? 僕にとっては今が一番重要で」
少年の叫びをさえぎるように、緋色の女はふたたび首を振った。
「水晶を持ち続けて。そうでなければ、困る。残りの一回を、私のために使っては、もったいない」
自分の死が誰かの礎になるのならと、巫女はおのれの運命を受け入れる。
落ち着いた口調で話した彼女に対して、真白の黒い瞳が揺らいだ。
受け入れられない。
彼女の死を認められない。
叫びだしたくなる。
心に苦い感情が湧き上がった。
「もしも別のタイミングで時を戻すのなら、たとえ
彼女の言葉は頑なだった。
「予言は真実だ。神については改変したが、闇は本当に世界を包む。だから全てをたくす。だから、お願い。一回きりのチャンスを、世界を守ることに使って」
自らの生を世界のためにゆずって、巫女はあっさりと花を散らそうとしている。
真白はそれに納得ができない。
彼女は生き残るべき人間である。透明な少年に希望を与え、闇夜を進む灯火となった存在を、生の世界に留めておきたかった。
唇を噛むと、塩辛い感情が湧き上がってくる。
無我夢中で彼女の手を取った。自分の元に引き止めるために。
同時に彼は現実を思い知る。
冷たい。
手のひらが氷のようだった。
少年が無言を貫く間にも、熱が引いていく。巫女は急速に死へと近づいていった。
「なにか、望みを……!」
髪を振り乱す。
せめてもの抵抗だった。
女は首を横に振る。
「いいえ、なにも。強いていうなら、まだ……あなたには生きて、いてほしい」
答えを聞いて胸が苦しくなった。
眉をハの字に曲げる。
視界が歪んで、霧がかった。
目を通して水に似た感情が心を浸す。
自分の中心を貫くものが、崩れ落ちそうになった。
肉体がバラバラに砕け散りそうなところを、意志の力で食い止める。
自分には役目が残っているとおのれに言い聞かせ、奥の歯を食いしばった。
不可能だと分かっていながら、祈る。
時間がほしい。終わるには早すぎる。まだ、なにか、方法はないのかと。
両手を握りしめて、糸口を探した。
「もう、十分だ。今ごろになって伝えるべき内容は、ない。知っているだろう? 私は、秘密主義者だと」
緋色の女はきっぱりと言い切った。
「私のことだって、私の死も、忘れてほしい」
彼女の思いを聞いて、彼の心を霧がおおう。
救えないのならばせめて、相手の気持ちを満たしたい。その最後の手段すらも、緋色の女はこばんだ。
むなしさを胸に抱く。
自分がなにをすべきなのか、道筋を失った。
後悔が心をよぎる。
もしも積極的に関わり合ったのなら、今ごろ、彼女との思い出は山のようにふくれあがっていたはずだ。
実際は不完全燃焼にもほどがあって、眉を垂らす。
花咲彩葉は最後の最後になっても、自らを貫く。人生に幕を下ろす瞬間には真実を打ち明けると思うのは、虫がいい。
分かっていた。本当に、そうだと。受け入れて、それでも、まだ足りなくて、唇を噛む。
強い思いが彼の潜在能力を表に解き放ったのだ。
手のひらからあふれだした輝きは星のように、チカチカと光る。目を見開いて、しばし見入ってしまった。
光が収まると浄化のパワーによって、血が消え去る。ホールは白く塗り替わり、床はモップをかけたように、ピカピカときらめく。
赤い着物は一瞬で白く染まる。光が血を拭い去ったのだ。漂白したような姿に、息を呑む。
彼女に目を向けると、褐色の肌が白く透き通っていた。髪からは
「あなたは勇者だ、確かに。一族にかかった呪いを解くとは」
巫女は自身の手のひらを見つめて、微笑む。
自身の能力の効果がポジティブな方向に傾いて、嬉しさを抱くと同時に、悲しくもなった。
血に濡れていたときよりも、彼女が放つ死に臭いを濃く感じる。灰色の瞳からは生気が抜け、青白い肌からはスモーキーで甘い匂いを放っていた。
「ねえ」
花咲彩葉の声音で、彼女は切り出す。
「たくしたいものがあるの。王権。私の目的であり、使命だった」
「王権?」
聞き慣れない単語ながら、意味は分かる。
文字通り王の証・権力の象徴だろうと考えた。
彼女と目を合わせる。
「形は、剣。魔王の所有物だ」
灰色の瞳が放つまっすぐな視線が、少年の目と重なる。
「私は奪う機会を失った。だから、代わりに」
最後の最後でようやく出た頼みだった。指示に従えば、少女は報われる。自分にできることが王権を手に入れることならば、呑み込むまでだ。
真白はアゴを下げて、決断を下す。
結局、選択肢は一つのみだった。
目の前で横たわっていたのが普通の女性であれば水晶が持つ魔力を真っ先に使っていただろう。だが、相手が花咲彩葉であれば、願いを叶えずにはいられない。
水晶を温存すべき――それは苦渋の選択であると同時に、彼にとっては最上の答えだった。
「分かりました。約束します」
「ええ、ありがとう。それから、呪いを解いたことも」
真白が耳を傾けると、彼女はか細い声で話した。
「嬉しいの、真の白に染まることができて。自分が、きらいだったから。緋色の自分が、いやだったから」
「うん」と、またうなずく。
「行って」
静けさの中で少女は、まぶたをゆっくりと閉じる。
「あなたは完全な白だった。そんな、あなたが、うらやましかった。でも、悔いはない。本当。だから、もう、望みはない」
あとを頼むと――
眠りに落ちるかのように自然に、少女は目を閉じた。
少年が取っていた手も、だらりと下がる。
今、目の前で巫女は動きを止めた。
清らかなまま、魂だけが消え去った。
残ったのは人形のような容姿の肉体のみ。
彼女はなにもかもを秘めたまま、逝ってしまった。彼女の本質はつかめずじまいだったと考えると、力が抜ける。ガクッとへたりこんだ。
とはいえ、今回の結末でもよくはあったのだろう。横たわる少女の満ち足りた表情を見ると、ほっとした。救いを得た気分になる。
そして、静まり返ったホールの中で、真白は水晶をのぞきこむ。なにも映らない。おのれの運命すらも空白のままだった。
使えば一度は時をさかのぼることができるが、彩葉との約束があるため、ポケットにしまう。小さな球体は、あっさりとズボンにおさまった。
一方、巫女の白い着物の内側で、なにかが光る。彼女自身が捨てたと話した、シルバーのペンダントだった。
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