手紙
戦闘を終えて、無数の屍の群れを通り過ぎたあと、懐から水晶玉を取り出す。握りしめると手のひらの中で、小さな玉が音を立てた。同時に、水晶に詰まった記憶が頭の中に流れ込む。誰も知らない空白の期間に起きた出来事を川の流れのように感じ取って、彼女は目を閉じた。
黒く染まった視界の中で、女が血の海に沈む。緋に染まった彼女に少年が駆け寄った。彼は死をなかったことにするために、水晶が持つ魔力を使う。要は何度も時を戻した。されども、彼の行為は報われない。水晶で時を戻すたびに、女は死んだ。
目を開ける。記憶の奔流は、すっと収まった。
いったん、考える。なにのために戦うのか。
『魔王を倒すため』と答えが浮かぶ。
一〇年前、巫女は一人の神と契約を結んだ。彼は告げる。
『勇者は未熟です。彼を鍛え上げ、魔王の元へ導いてください。もしくは彼の能力を覚醒させるための、トリガーになるのです』と。
少年は真っ白なまま光の消えた世界をただよっている。ならば彼を照らす光になればいい。されども本当は彼こそが自分の求めていた明かりではないかと、ぼんやりと思う。
大切な人を救いたい。
何度も自分を助けるためにループを重ねた彼を想う。
真っ白な少年は魔王を倒す使命を請け負ってはいるものの、今の少年には荷が重い。アジトから逃がすべきだ。最奥の地までたどり着いた場合は、最後まで彼を照らす道標でいよう。
女は顔を上げて、奥へ奥へと足を運んでいった。
***
檻を抜けて、廊下に出て、言葉を失う。白い床を真っ赤な炎が埋め尽くしていたからだ。迫りくる熱気に死への恐怖を思い出す。逃げようと心に決めた矢先、火が勢いよく迫ってきた。炎が自分を呑み込むビジョンが浮かぶ。体がこわばった。スニーカーの裏が床に張りついたように固まる。焼け死ぬ未来を読んだ。目をつぶった瞬間、炎の渦が体を飲み込む。
ところが、彼は無傷だった。火に触れても熱さを感じるだけだ。痛みを感じないことがおかしくて、首をかしげる。
透明な膜が守ったのだろうか。実際に彼は水の属性を持っている。水が火を打ち消したなら、生き残っても不思議ではない。
「こんなところでなにをしているのかなぁ?」
ぼうと突っ立っていると、横から間延びした声を聞く。
「命の危機だろう? 逃げなくてもいいのかい?」
黒い瞳を声のしたほうに向ける。犬顔の女が余裕に満ちた表情で立っていた。
キリッと眉を上げて透明な剣を構えると、相手は顔を天井へ向けて、大きな口を開ける。
「なんか勘違いしてない?」
ぽかんと口を開けた少年に向かって、彼女はにんまりと笑む。
「君の相手なんてしてる場合じゃ、ないんだよねぇ」
「どういうことですか?」
「裏切り者が出てね。魔王を狙ってるっていうから、君よりも優先して狩りたいからさぁ」
彼女は炎を避けながら歩いて、奥へと向かう。
――『裏切り者が出てね』
女が吐いた言葉を脳内で再生したあと、イヤな予感が体の中心を突いた。
真白は知っている。巫女が去ったあとに檻の鍵が開いたことを。
まさか――
去っていく女を目で追う。
「待ってください」
手を伸ばして呼び止める。
「裏切り者の名は?」
「答えらんないよぉ?」
犬顔の女を炎が囲む。
「いじわるしてるわけじゃないんだぁ。あいつ、本名を隠してるっぽいしぃ」
彼女は軽い口調で答えると首をひねって、少年へ視線を送る。
緊張が高まる中、相手はトーンを落として、答えを教えた。
「強いていうなら仮の名は、『花咲彩葉』かなぁ?」
情報を伝え終わると、女はすぐに視線を前に戻す。ぼうぜんと立ち尽くす少年を置き去りにして、廊下の奥へと向かった。
***
一方、巫女はアジトの中を突き進んでいた。
何度も角を曲がり、まっすぐに足を進める。まるで迷宮を攻略しているかのような気分だ。
奥から鬱々とした空気がただってくる。照明も落ちて、薄暗い世界が視界に広がっていた。不気味な雰囲気も相まって、肺に入る空気が寒々しい。
終わりが近づく瞬間を肌で感じながら、手紙の一文を頭に思い浮かべる。
『戦争が終わったあと、人々は私を悪魔とののしり、海へ突き落としました。水流に身をまかせると、島に流れ着きます。
自然が豊かな場所には老夫婦が住んでいました。彼らは私の容姿を見るや、言います。
「君は例の一族かい? 髪の色を見れば分かるよ」
「魔法を使えますか? 確か二種類持っていたはずです。超能力の類は変化はないけど、魔法を使うと目の色が変わるのですよ」
夫婦は私の正体を知っていました。それでもなお、私を娘の代わりに思い、愛を注いでくださったのです。
「君は君だ。悪魔の血を引く者がたとえ悪だったとしても、全ての命は平等だ。邪険に扱う理由がない」と、温かな言葉を口にしたこともありました』
「もっとうまく書いておけばよかったか」
ちょっとした未練を
なんせ、自分の最後の言葉を受け取る者は『彼』であると予想がつくからだ。
同時に過去の記憶も脳内を巡る。何百年何千年と、クルールの人々は悪魔の一族を嫌った。石や武器を投げつけ、罵声を浴びせる。無彩色の特徴を持つ者が村を訪れると、真っ先に追い出しにかかった。
視界を薄い闇がおおうような人生だと感じる。過去をなかったことにするために、自分以外の者を演じたけれど、最後には化けの皮が剥がれた。とはいえ、悪くはない。最後にきちんと一人の少年に光を見出したのだから。
さらに奥へと進む途中に、犬顔の女が大勢の部下を引き連れて、前から歩いてくる。巫女の立つ位置からだと、黒紅色の壁が動いているようにも映った。
「厄介だな。私は大勢に命を狙われるほど、ここでの地位は低くなかったはずだが」
巫女が足を止めると、相手も廊下の真ん中で立ち止まった。
「殺されるってのは、分からってるんだねぇ? なら話は早い。殺すよぉ」
顔に笑みを張りつけたまま、ギョロッとした目で巫女を見澄ます。
「裏切り者には死を、だったよねぇ?」
話を聞き終わる前に、緋色の瞳を廊下へ向ける。異能が発動して、床に炎が広がった。熱が壁をとかしながら、黒紅色の者たちに襲いかかる。
炎が彼らを飲みこんでも犬顔の女は、生き残った。炭と化した仲間の裏からあっさりと姿を現すなり、彼女はニヤリと笑みを浮かべる。
「盾にしたか、仲間を」
「悪いかい?」
口元の笑みを薄めながら、犬顔の女は言葉を吐き出す。
「ま、さすがだよねぇ。君が相手じゃ並の戦士をよこしたところで、負けるよぉ。なんせ君は無彩色の一族の生き残りだ。一人だけ住む世界が違う」
『私の一族は呪われた一族でした。先祖が悪魔に魅入られたことにより、一族は異能を与えられました。それは特異な性質を表しています。さらにいうと、汚れたものだともされました。一族が他者と交われば、呪いは相手にも伝わります。ゆえに私たちには人を愛する資格がない。他人を愛すること自体が、罪になります』
巫女は頑なに唇を閉じたままだった。
彼女が無言で詰め寄ったところで、後ろから足音が響く。挟み撃ちにして倒す作戦だ。無表情のまま視線だけで後ろを見ると、さらに奥のほうから何者かが駆ける音も聞こえてくる。
瞬間、背後に迫る敵が武器を構えた。金属の音を聞き取るなり巫女はすばやく武器を構え、薙刀を振り回す。
敵も銃を向けた。ギロリとした目で弾を放つ。
ほかの者もいっせいに斬りかかる中、ガンナーの目の前で銃弾を斬り裂いた。後ろで爆発音が響く。
男はたちまち驚いた。彼が表情を固めると、巫女は無防備な頭を足場にして、飛び上がる。相手も武器を上へ向けた。ガチャリと金属質な音がハーモニーを奏でる。いざ攻撃を放とうとしたとき、彼らの武器は真っ二つになった。
「なに?」
目を丸くして武器を見やるうちに、男たちの体から血が噴き出す。巫女が彼らをいっぺんに切り裂いたからだ。
黒紅色の集団は裂けた傷口から生命力を垂れ流して、バタバタと倒れていく。
一人残らず倒し切ると、巫女は屍の中心に降り立った。
パチパチと、拍手が鳴る。
「さっきの戦いぶりは見事だったよぉ。ひらりと舞っているようでもあってねぇ」
廊下の奥のほうでニコニコと笑っている。
皮肉のつもりだろうか。
巫女が口を一の字に結ぶと、犬顔の女は手を打つのをやめて、近寄ってくる。
「演技力で君に勝るやつはいないよねぇ。確かに真っ白な聖女だよぉ。そういう雰囲気でさぁ、聖辺花純を演じてきたんだろうねぇ。いやぁ、実によかったよぉ」
巫女は眉をひそめる。
口を開くと落ち着いた口調で、相手の評価を否定する。
「いいえ、違う。私は、本物の白にはなれなかった」
『私は完全な白を求めていました。それに成れたつもりでいました。けれども、実際は違う。本当はありとあらゆる色を内包しているだけ。光の反射によって白く見えるだけで、本物にはほど遠い』
真の白さを持つ者を近くで見てしまった。彼と比べると自分は偽物だと、虹色の女優は考える。
難しそうな表情を浮かべると、相手は口角を釣り上げた。犬顔の女は知っていたと言いたげな態度を見せる。
巫女は唇を噛んだ。
自身の衣に目を向ける。白い生地を返り血が
むなしさを抱いたけれども、戦いははじまったばかりだ。
「生き残りたいと願うのなら、背を向けよ。今なら見逃してもよい」
薙刀を構えて、激しい口調で伝える。
「誰が逃げるかぁ」
犬顔の女が答えを返す。
「君の目的は魔王を討つこと、だよねぇ。なら、止める。あたしが君を倒すんだよぉ」
剣を向けて、斬りかかってくる。
バッと薙刀を構えて、緋色の瞳で彼女の背後を見た。後ろから炎で襲う。自分はガードの体勢に入った。
犬顔の女が剣を振り上げる。
棒の部分を勢いに任せて切り裂いた。
薙刀がバキンっと折れる。緋色の瞳を見開いた。炎が武器にも移って、持ち手を燃やす。
犬顔の女にも炎が迫っていた。相手は後ろを向いて、熱のかたまりを斬り裂く。目の前で火花が弾けて散った。
相手が魔法と戦う隙を見て、巫女は他人の武器を拾う。
剣を構えると犬顔の女が床を蹴った。ハハハハと大きく口を開きながら、殺しにかかる。まるで風のようなスピードだ。斬り伏せるよりも相手の攻撃のほうが早い。とっさに受け止める。剣と剣がクロスした。
「あたしにかまけてて、いいのかなぁ?」
波のように襲いかかる炎をかわしながら、犬顔の女が問いかける。
彼女はバックスペックを踏みつつ、続きを述べた。
「彼、知ったよ。君の行動」
緋色の女は眉をひそめる。
「それがどうした?」
相手が剣を振り上げる前に、斬りかかる。一太刀浴びせて、彼女の体に赤い線が走った。
さらに斬りつけ、足場を転がる女に剣の先を向ける。
「退け。私は前に進む。魔王を討つために」
激しい口調で告げると、相手はクククと笑い出す。
「どくものかい」
口角をつり上げる。
「私は魔王に忠誠を誓ったんだよぉ。必ずや、勇者と魔王を引き合わせるってねぇ」
紫色の瞳から光を放つ。
『私が魔王軍に入ったのは、スパイのようなことをするためです。「ような」と言ったのは、本当はスパイでもなんでもなかったからです。と、いうのも、私は、私個人のために魔王を裏切る気でいました。
私には成し遂げたいものがある。それが王権の奪還。だけど残念ながら、くわしくは教えられません。君にはまだ、話すのは早いのです』
「君の行動は無意味だよぉ。だって、魔王には絶対に勝てないからねぇ」
犬顔の女は挑発するような眼差しで、告げる。
一歩、緋色の女は詰め寄った。
今なお、心は落ち着いている。
知っていたからだ。
自身の結末を、敗北を。
『人の未来を観測する能力を持った存在を、知っていますか? 私は例の老婆に頼んで、一年分の未来を読んでもらいました。結果は三月のすえで途絶えています。聞いた話によると、彼女の占いは人の未来を確定させる力を持っているとのこと。ゆえに悟りました。確実におのれは死を迎えるのだと。。逆に言えばその日以外はなにが起きても生きているともいえます』
「貴様こそ、なぜ私に立ち向かうのだ? 魔王は確実に私を殺す。その結末を読んでいながら、なぜ?」
静かな声で問いかける。
犬顔の女はのっそりと立ち上がった。
「やめときなよぉ。君の問いは自分にも返ってくるよぉ」
彼女は口元をにやつかせながら、剣を構える。
緋色と紫――二つの視線がぶつかり合った。
「だいたいさぁ、なぜに彼を逃したのかい?」
ピリピリとした空気の中、犬顔の女は愉快そうに声を震わす。
「アジトまで彼を導いたのは君なんだよぉ。裏切っておきながら、今さらなにを考えているのかなぁ?」
巫女は奥歯を噛む。
返すべき言葉を探る中、足音をかすかに耳が拾った。相手は遠くから二人の女の立つ通路へ、向かってくる。乱れたフォームが連想できる音。足音の主の仕草が、頭に浮かんだ。今ごろ彼はドタドタと転びかけながら、腕と足を懸命に動かしているのだろう。
「分かっていた。私は悪の一族だと」
手が震えて、刀身が揺れる。
『ずっと、だましていました。あなたに近づいたのは魔王から命令を受けたからです。魔王はおのれの城に勇者を連れてくるつもりでした。そのためのコマとして、花咲彩葉を使ったのです。私はいい子だと思わせておきながら、あなたを裏切ります。本性は性悪です。核は悪魔の一族としての能力――世界が嫌う、排除すべき人種です。黒い血を引く者は、白い少年のそばに立つべきではなかった』
『なにもかもムダであるとは分かっている』
手紙と同じ文を心の中で復唱してから、紅色の唇を動かす。
「私はどうしても、成し遂げたかった。昔に願った夢がある。貴様と同じように『勇者と魔王の物語』の真実を知ったから」
声を荒げて、剣の先を向ける。
『一族が他者と交われば、呪いは伝播します。私たちには人を愛する資格がない。誰かを愛する行為自体が、罪になるのでしょう。それでも私は――』
「なにより、彼を、愛してしまったから」
息と一緒に、自身の想いを吐き出す。
なおも心に抱いた感情は間違いだと、知っていた。
目を伏せてから、見開く。
決着をつけると決めた。
血に濡れた廊下の真ん中で、二人の女は向き合う。
互いに譲れない想いを抱えて、一歩を踏み出す。
床を駆ける。
剣を振り下ろす。
二人は交差する。
しんと静寂が包み、通路の空気がよどみ、緊張感に満ちた雰囲気がただよった。
勝敗は本人にも分からない。
最初に倒れたのは、犬顔の女だった。彼女はバサッと倒れ伏す。手のひらから柄がこぼれ落ちた。ガランと音を立てて床を転がる。
床に広がる血と敵の屍を目にとらえたあと、視線を前に戻した。
緋色の瞳から本物の火のような光が漏れる。
自分の役目を果たすために、前に進むと決めた。ヒールを鳴らしながら、歩き出す。
『だから、どうか、覚えていてください。血のような赤色に染まった私こそが、真実だと。
ごめんなさい。私はあなたから大切なものを奪っていく。それなのに、こちらからはなにも残せない』
足音の主が迫ってきていた。
「彩葉!」
何枚かの壁を挟んだ先で、少年の叫び声が、こもって聞こえる。
透明感のある中性的な声の主を、知っていた。
彩葉はうつむくとかすかに笑みを浮かべて、廊下の奥へと体をすべらせる。
剣を握りしめて、闇の奥へと突き進んだ。
『最後に、感謝します。一緒に過ごした時間は楽しかった。
とても満ち足りた、日々でした』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます