緋色の女
最初はイラ立っていた、勇者が弱い一面を見せたことに。
今も思い返すと目の前が赤く染まって、心の内側に荒い波が立つ。
同時に、分かってもいた。熱くて
結局は勝手に幻想を見ただけだった。
いくら妄想を繰り広げようと、現実は違う。勇者は彼女が思い描いていた者とは異なったのだ。
今、自分のオーラを嗅ぐと、焦げ臭くてピリッとした匂いを感じるだろう。そう考えると冷静になった。心に生じた感情も薄まっていく。
巫女は個室の机と向き合って、手紙を書いていた。気持ちの整理をつけるため、もしくは言い残したことを記すために、ペンを動かす。すらすらと紙に浮かぶ文字を消炭色の瞳で追いながら、文章をつむいだ。
ついに書き終わって、ペンを置く。
ひと息ついたのもつかの間、彼女は口で笛を吹いた。
廊下側の窓から小鳥が入ってくる。
「届けてほしい」
くちばしに手紙を預ける。
小鳥は背を向けると翼をはばたかせて、部屋から出ていった。
それを見送った直後、殺気を感じる。肌にしびれが走り、全身の毛が逆立った。
「マジな顔をされても、困りますよ」
振り向くと、軽い雰囲気の少年が柱にもたれかかっていた。
「手紙を書くなんて珍しいと思ったんで、見てただけですよ」
巫女は目と眉の間を近づけた顔をする。
相手ははにかんで、冗談を言うような口ぶりで、問いを投げた。
「ラブレターですか? ハートのシールなんてつけちゃってさ」
巫女はノーリアクション・ノーコメントを貫く。
「気配遮断など、使えたのか?」
話題を切り替える。
少年は口をつぐんだまま、近くまで寄ってきた。
「まあ、まあ。よろしければ、いかがです? 昼食時でしょ?」
彼の指がカフェのある方角を指す。
「なるほど、分かった。行こう」
二人は地下に作ってあった飲食店に、足を踏み入れた。
あたりには香ばしい匂いがただよう。天井についたオレンジの照明が食欲をそそった。一方で壁にあるモニターは曇った空を映しており、高まった気分に水を差す。
ひとまず、手前の席に腰掛けた。ステーキを頼む。一〇分後にウェイトレスが、皿にのった分厚い肉を届けにきた。
「なんで肉料理なんすか? きらいなんじゃ」
山盛りのサラダをかき混ぜながら、少年が首をかしげる。
「それは先入観だ。貴様は私のなにを知っている?」
巫女は肉を切りながら問うた。
相手はもぐもぐと口とアゴを動かして、ゴックンとサラダを飲みこんだあとに、口を開く。
「戦場に出てましたよね? 肉料理はかつての苦い記憶をあなたに呼び起こすのでは? と感じまして」
箸でサラダやトマトを串刺しにしながら、彼は口を動かした。
「結局、根拠は無に等しいではないか」
彼女もフォークで肉を刺す。
「人と獣の肉は別物だ。わきまえている」
肉を口に含んだ。噛むと肉汁がブワッと口の中に広がる。やわらかな塊は舌の上でふわっと、とろけた。
「ときに、なぜ貴様は私の過去を知っている?」
「魔王から直々に聞いたからです」
問いと答えのキャッチボールをしつつ、お冷やで舌を切り替える。
「あなたが戦場で上げた功績はウワサ程度にしか残っちゃいないが、痕跡は確かに刻んだ。だけど、断片的にしか情報が集まらないのが現状です。どうかあなたの能力、僕にも見せてくれませんか?」
少年がテーブルに手をついて、身を乗り出す。彼の瞳はキラキラと輝いていた。
途端に巫女の眉がぴくんとはね上がる。
期待のこもった眼差しを浴びながら、彼女は視線を落とした。
「断じて断る」
ステーキを切り裂く。
食べ進むにつれて皿の中のステーキが着実に小さくなっていった。
「昔から私はおのれの能力と血を、恨んでいたよ」
実際に無彩色の一族としての能力は、何度も悲劇を呼び寄せた。
幼少のころは小さな村で、悪い意味で有名になる。髪や瞳の色が黒と灰であり、特別な能力を持っていたからだ。悪魔の一族の証を身に宿した彼女は呪われた一族だと言って、
紀元前一〇年、大人になった彼女は戦いの道具として、戦場に立った。戦争が起きた原因は王権の奪い合いであり、ちょうど古の神が人の世界より消え去った時期と一致する。神秘が薄れつつある世の中で、異能を扱う者は貴重だ。巫女はたくさんの人を殺める。やがて自分自身をも恐れるようになった。
今、食事を進めるときも幼少のころや戦場での体験は、まぶたの裏に焼きついて離れない。子どもや大人たちの恐怖や蔑みに満ちた目を覚えている。彼らは巫女の正体を知っていた。そう、おのれは周りの者とは違う。完全なる悪であり、悪魔の血を引く一族なのだ。
「ところで」
少年が口を開く。後ろに彼と同じ背丈のメンバーがすっと近寄って、動きを止めた。入口からも同じ衣をまとった者たちが現れて、二人の周りに集まる。
「あなたの真の目的はなにですか?」
「なぜ問う? 貴様にいかような関係があるのだ?」
彼は無言を貫いたあと息を吐いてから、神妙な面持ちで尋ねる。
「魔王を倒す……違いますか?」
残った白米に手をつけながら、巫女は眉と目のすき間を縮めた。
「しかと聞きました。あなたは王家にとっての人質であり、魔王に自ら近づき命を狙う者だと。それでもあなたが大きな顔をしてアジトに出入りしているのは、優秀だからです。魔王がその気になれば、我らはいつでもあなたを殺せる。理解しましたか?」
「なるほど、驚いたぞ。まさか私の正体を知っていたとは」
空になった器をテーブルに戻す。
ほかのテーブルでは空席が目立ってきた。各々の席には食事が残っている。スパイスの匂いが強くただよってくる中、少年は切り出した。
「聖辺花純……本名だと聞きました。しかし、それは化粧で塗り固めた表の顔です。裏の顔はなんですか? なにが目的なんです? 場合によっては……」
彼の瞳が刃のごとき光を放つ。
巫女の口元には笑みが浮かんだ。
「クッククク……アッハハハハハ」
液晶に映った雲が晴れていく中、静けさのただようカフェに哄笑が響き渡る。巫女がガタッとイスを鳴らして、大きな口で笑いだしたのだ。
「この期に及んでサプライズだ、まったく。ああ、認めるぞ。私は貴様らの敵である」
「ならば」
少年は箸をそろえてから、巫女へ視線を向ける。
「始末してもよろしいですね?」
巫女の周りを同じ格好をした者たちが固める。
仲間の中心で少年は、目の角を尖らせた。
「僕は魔王を守る。彼女に仇なす輩はたたきつぶします」
言葉と同時、黒紅色のメンバーが巫女に刃を突きつける。
なおも敵の渦の中心で、彼女は不敵に笑った。
「なめすぎだ」
少年が手を上げる。彼に従う形で黒紅色の者たちがいっせいに襲いかかった。
緋色の女も席を立つ。振り向いて、身をかがめる。手前で構える者に蹴りを入れた。攻撃を受けた相手が体勢を崩す。同時に巫女の頭上を刃が通り抜けていった。瞬間、血の色に染まった玉が、ビーズのように飛び散る。女が攻撃を避けた結果、メンバーは互いに傷つけ合う形となった。狭い範囲の床は血で濡れ、一部のメンバーがバタバタと倒れていく。
「まるでドミノ倒しだ」
背筋を伸ばして振り向いてから、床に落ちた薙刀を拾う。
「ぐっ……」
少年が表情が歪めた。
巫女は武器を振り回す。刃は円を描いた。向かってきた相手をまとめてなぎ倒す。
たちまち少年は顔から色を失った。震えながら、イスから転げ落ちる。
実力の差を目の当たりにして、死への恐怖と目の前で荒ぶる鬼神に対する畏怖――二つの要素が混ざり合って、心の中がぐちゃぐちゃになった。
消炭色の瞳を持った女がテーブルへ迫る。
「待て。待ってください。僕は違う。な、なんだよ、これ。数で押せば勝てるって思ったのに。こんな、はずじゃ……」
無様に地をはう。
床に腰をつけながら手を伸ばして、命乞いをした。
顔が引きつり、頬には透明な汁がこぼれる。
「お前はしょせん悪魔だ。悪魔の血を引く一族だ。いくら勝者になったところで、一生血に染まったままなんだよ。お前がなりたかった者にはなれやしない。お前は一生――」
最後まで言い終わる前に、少年の首は宙を舞う。傷口から血を垂れ流しながら、床に落ちて、足場を転がった。
彼を切り裂いた巫女は残りの敵を片づけたあと、廊下へ出る。
彼女が向かう先には黒紅色の集団が待ち受けていた。
あえて敵の待つほうへと歩みだす。彼女が一歩踏み出すと、肉体が白い光を放った。
服を変える途中、心の中で本音を漏らす。
本当は真っ白な少年に嫌われたくなかったから、飾り立てただけだったと。
自分を捨てたかった。ほかの誰よりも自分がきらいだった。自分以外の何者かになるために、憧れの人を演じ続けた。
肉体から漏れる光を抑えようともせずに、足を前へ運ぶ。光はじょじょに一つの形へいたりつつあった。
過去の記憶が脳内を巡る。いままでは色鮮やかな衣でおのれを飾り、ときには団員になりきるために黒紅色の服にそでを通した。だけど、もはや二つとも要らない。
頭に真っ白な少年の顔を思い浮かべる。彼とは二度と会う機会はない。ゆえにこそ、彼女はおのれを形作っていた二つの要素を手放した。
ほどなくして光が収まる。巫女は白い着物をまとっていた。シンプルなデザインでありながら、彼女の魅力を最大限まで引き出している。ちょうど、舞台で見せた姿と同じだった。
巫女が足を止めると、一列に並んだ敵が刃を向ける。
「裏切り者には死を」
「覚悟してもらおうか」
メンバーからは血の臭いを感じる。いくら洗ったところで決して落ちず、染み付いてしまった臭いだ。結局はおのれも彼らと同類なのだろう。皮膚がヒリつくような緊張と静けさの中、消炭色の瞳を閉じた。
黒く染まったまぶたの裏に少年の顔が浮かび、耳の奥では彼の発した言葉が蘇る。
――『素敵な人だったから。僕を騙すくらいには、演じきったから。だからもっと誇ってもいいんですよ。表に出したものがウソだったとしても』
澄み切った空気の中で、目を開く。
「仮りそめとはいえ私は女優だった。聖辺花純が演じる花咲彩葉を演じた」
今こそ輝くときがきた。この地に爪痕を残すため、自分の存在を刻みつけるため、なによりもたった一人の少年のために全力を尽くす。そのためにはおのれが忌み嫌った能力も必要だ。
ほかでもない自分のため、
「スポットライトは譲らない」
巫女は堂々とした立ち姿で、薙刀を構えた。
これより彼女は聖辺花純ではなくなる。元より緋色の女は花咲彩葉としての彼女しか、演じられなかった。他人になりきることは不可能だったと、緋色の女は認める。
目を伏せ、心の中で謝った。
ごめんね、もうあなたを演じられないや。
一度、目を閉じる。
脳裏をよぎったのは、過去の情景。自分自身の心象風景だ。
昼間はギラギラとした太陽が照りつけ、皮膚を焼く。
一人の娘が放った炎は敵を焼き払い、ツンとくる臭いがあたりに飛び散った。おまけに大地まで焦がして、彼女が通った後には荒野が広がる。
地上に黒い煙が上がったころに夕日は沈んで、空を血の色に染めた。
目を開く。
今こそ真の能力を解き放つときがきた。
次の瞬間、白目の中にはめ込んだ消炭色の瞳が、炎のごとき光を放つ。
瞳孔より生じた色は、瞳の全体まで広がった。
そして彼女の瞳は鮮やかな緋色を帯びる。その眼光から火花が飛び散った。
「あの目は、カーバンクル……!」
声が上がった。
通路がどよめく。
今、巫女の真の能力が覚醒した。
宝石に似た瞳が、炎を放つ。灼熱の渦が通路へ広がった。白い床が漆黒に焦げていく。渦は熱気を放ちながら、雪崩のごとき勢いでメンバーを飲み込んだ。
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