地下のアジトと黒紅の者たち

 あまりにも敵が多すぎる。絶望感が高まって、汗がダラダラと顔や背中を流れていった。真白がガチガチに固まっていると、となりですっと涅が銃を構える。


 刹那せつな、バァンと轟音が響いた。銃弾は敵を狙って、肉を貫く。次々と血しぶきが上がった。黒紅色の衣に赤い花が咲く。傷を負った相手はバタバタと倒れていった。ゴミ捨て場に落ちる人形のように、飢饉で死ぬ民のように。


 九九パーセントの敵が片付いたころ、最後に残った一名が叫ぶ。


「俺たちは味方だ」


 丸顔の男が手のひらを前に向けて、命乞いをする。


「勇者を生かしたまま魔王の元に連れていく予定だったんだ」

「へー、そうかい」


 涅色の瞳が相手を見下ろす。


「分かってくれたか?」


 相手が汗をかきながら口角をゆるめた瞬間、涅がだらりと腕を上げる。


「あ、そ」


 彼は全く話を聞いていなかった。

 躊躇なく引き金を引くと、銃声が響く。鉛玉が飛び出す。相手の心臓のある位置をえぐる。血しぶきの水っぽい音が、息を呑む音すらかき消した。

 丸顔の男は白目を向いて倒れる。即死した彼を見届けたあと、涅は銃をホルダーにしまった。


 目の前が人が死んでいく光景は、非日常にもほどがある。生ぬるい世界で生きてきた少年にとっては、衝撃だ。雪野町を襲った黒紅色の集団よりも、今の涅は残酷に映る。


「さすがにやりすぎでは?」


 狭い通路の白い部分に立って、黒い目を向ける。


「テメェは未熟だな。敵地だぜ。んな甘ぇこと言いやがって、死んでも知らねぇぞ」


 無数に転がる屍の中心で涅色の男は振り返って、片方の眉を歪める。


「確かに、ですね」


 命のやり取りの中ではことの善悪は関係ない。今回はむしろ真白のほうが甘かった。少年は眉を下げて、肩を落とす。


「とにかく行くぜ」


 先に涅が進んで、真白も彼に続く。

 少年は血に濡れたところを避けて歩いた



「作戦を決めようぜ」


 奥を目指す途中で、涅が切り出す。


「今から檻ん中へ向かう。花咲彩葉を救うためにな。方法はただ一つ。敵と倒して進むだけだ」

「それって、作戦っていいます? 第一、僕はなにをすればいいんですか」

「決まってんだろ、囮になれ」

「え?」


 まさかの発言に、表情が強ばる。


「戦闘力がねぇんだろ? だったらせめて、役に立てや」


 どす黒い瞳が少年をとらえる。

 真白の顔が引きつった。


「指示には従いますよ。かわりに剣をなんとかしてくれませんか?」


 眉をハの字に曲げながら口に出して、両手に持った剣の、透明な刃を見下ろす。


「これ、ただのオモチャですよ?」


 涅は一度口をつぐむ

 やや間を開けてから、相手は淡々とした口調で告げた。


「今じゃテメェじゃ肉壁にすらならねぇ。武器は変えたほうがいいだろうな」


 彼はニヤリと笑って、続きを述べる。


「武器なら探せばあるぜ。黒紅色のやつら、ため込んでやがるからな」


 涅色の男の話に真白は希望を抱く。


「本当ですか?」

「俺がやるとは言っちゃいねぇよ」


 はずんだ声を出すと、涅がバッサリと切り捨てた。

 ガーンと頭に重たい音が鳴り響き、顔に影が差す。


「じゃあ、オモチャで戦えって言うんですか? 無茶ですよ」

「安心しろや。やつらはテメェを殺さねぇよ。魔王が勇者との決着を望んでやがるなら、部下も従う。生かして最奥の間まで導くだろうよ」


 涅が前を向いて、口を閉じる。


 されども、魔王軍はあっさりと勇者を見逃すだろうか。真白は相方の言葉を疑う。


 第一、黒紅色の集団は一人の少年を動かすために、町を血の海に沈めた者たちだ。彼らの所業が頭に浮かぶと、心に生じた波が高くなる。勇者にとっては、倒すべき相手だ。


 唇を噛んだとき、いきなり涅が立ち止まる。前方は行き止まりながら、角を曲がった先には道があった。前から明かりが漏れて、薄暗い通路を照らす。


「こっから先、左右に部屋がある場所に出る。ちょうど、この壁の向こうが会議室みてぇな場所だ」

「それは分かるんですけど、なにコンコンたたいてるんですか? 気づかれますよ」

「黙っとけや」


 一度二人は壁に近寄って、耳を済ます。

 様子をうかがっていると、ひそやかな声が聞こえてきた。


 今、部屋の中では黒紅色の者たちが言い争いをしている。議題は魔王の命に従うか、ボスの身の安全を優先するかだ。声を聞くだけで、険悪な雰囲気が伝わってくる。


「我々は魔王の命を第一とする。貴様らは裏切り者だ。よって、こちらのほうが正しい」


 勇者を生かす派の代表が冷静な口調で訴える。低い声からは落ち着いた雰囲気を感じた。


「違う! 俺たちこそが魔王を第一と考えてるんだよ」


 殺す派も負けじと主張を繰り出す。


「勇者が力をつけるさまをだまって見届けるつもりか?」

「リーダーのことを思うのなら邪魔になる存在は、一刻も早く殺すべきだろ」

「なにを考えてるんだ、お前らは」


 代表が声を荒げると、周りの者も熱のこもった意見を述べた。


「魔王の望みを叶えることこそ、我々の役目ではないかね?」


 生かす派は淡々と言葉を吐く。


「知っているはずだ。三〇〇〇年前の物語の結末を。今宵こよい、同じ悲劇を繰り返していかんとする」


 途端に相手の怒鳴り声が止んだ。みなぐぬぬと黙り込む。


 ずいぶんとあっさりとした終わり方だ。いささか拍子抜けだと思ったとき、飛沫が飛び散る音を壁越しに聞く。異なる位置でも同じ音が響いた。途端に少年は眉をひそめる。いったいなにが起きたのだろうか。霧の中に飛び込んだかのように、わけが分からない。


 ほおを汗が流れていく中、部屋の中でテンションの高い声が上がる。


「お前ら、全員粛清だ!」

「バカ正直に言葉で争うな」

「んなことやってる暇がありゃ、物理でなんとかしやいいんだよ」

「俺たちが、俺たちこそが正義だ!」


 彼らの声が余計に混乱を煽る。

 さらに不気味な笑い声が奥のほうから聞こえてきた。


「殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ」

「反対意見なんだ黙らしちまえばいいんだよ」


 高笑いと剣撃の音が混じり合う。


「つまり、これって」

「勇者を殺す方針に無理やりもっていきやがったな。生かす派を皆殺しにして」

「ひぃ」


 実際に部屋で起きたことを言葉として聞くと、おぞましい。背筋にぞわっと悪寒が走った。


 なおも断末魔と荒い息は壁の向こうから聞こえる。殺戮は続いた。青白い床や壁に飛び散った赤黒い液体――悲劇の後の光景を思い浮かべると、肌にブツブツが現れる。通路の薄暗さは濃さを増して、もはや闇となって少年の心を追い込んだ。


「盗み聞きしている場合じゃ、ありませんよね」


 壁から耳を離す。


「君も言った通り、ここは敵地ですよ。確実に殺しにかかってきます。今の僕って、飛んで火に入る夏の虫じゃないですか」


 仲間へ体を向けると、彼はとなりであくびを漏らす。


「テメェなら生きて帰れるだろうよ。影が薄ぃもんでな。やつらも見逃すだろ」


 涅はふてぶてしい態度で、銃をガチャガチャと動かす。


「でも……!」

「うるせぇな」


 真白が叫ぶと、相手はけだるげにつぶやく。


「俺だってテメェの巻き添えを食らうのはごめんだぜ。あっさりやられてたまるかってんだよ」


 よく見ると彼の手は血に濡れている。いままで忘れていたけれど、黒紅色の集団よりも危ない存在ならば、身近にいたのだった。


「で、部屋がある通りを抜けるにはよ」

「なにをしてらっしゃるので?」


 涅が口に出したとき、後ろで凛とした声がした。

 二人は立ち上がると、ただちに床を蹴る。角を曲がって、直線を駆けた。


「テメェ、戦ってみろや」

「ええ?」

「言ったよな? 俺の役に立つと。そのためには壁にも盾にもなるってよ」

「言ってませんよ」


 涅が後ろを指差すと、真白が首を振る。


「イヤです。君の命令に従うなんて」

「ガッハッハッハ。こいつぁ面白ぇ、からかいがいがあるってもんだ」


 頑なに囮を拒むと、相手はわざとらしいリアクションを取る。


「君、注目を浴びて、わざと見つかろうとしてますか?」

「止まりなさい!」


 少年が問うた後、後ろで大きな声が響いた。

 二人はピタッと足を止める。


 振り向くと狭い通路を、一人の女が駆けてきた。彼女はヒールをコツコツと鳴らして、彼らから五メートルの位置で立ち止まった。


 見た目は若い。タレ眉で幼い顔立ちだ。侮っても大丈夫そうだが、戦闘力はあるのだろう。彼女も黒紅色の組織のメンバーだ。


 全身に緊張が走る中、真白は生き残る術を探す。彩葉を救うためにも、今は命を散らすわけにはいかない。目をカッと見開きながら、脳を働かせる。


 戦ってもダメ。逃げてもダメ。ならば、言葉を使うのみ。

 幸いにも前方の女性からは話が通じる気配がある。深呼吸をして気持ちを落ちつかせてから、口を開いた。真白が言葉を繰り出そうとした瞬間――


「いい体してやがるじゃねぇの。俺と一緒にどうだ?」


 いつの間にか涅が女性のとなりに立つ。なれなれしくすり寄ったかと思うと、彼は相手のやわらかなものに触れる。抽象的に表すと豊潤な果実をもんだ。たちまち彼女の顔がりんごのように、赤く染まる。


「きゃー」


 恥じらいの悲鳴が上がる。


 女性は男のほおに張り手をかますと、一目散に逃げ出した。うわああんと、か弱い声が通路に広がる。


「まさかこうなるとはな」


 角を曲がった女の影を見送りながら、犯人は赤い跡のついたほおをさする。

 気まずい沈黙のあと、真白は冷めた目で相手を見上げた。


「今のは最低でしたね。女性を性欲のはけ口だとでも思ってるんですか?」

「いいじゃねぇか。テメェも助かっただろ。だいたいよ、テメェは紳士的すぎんだよ。もしくは童貞か」


 真白がそっぽを向くと、涅は両手を広げて豪快に笑い飛ばした。


「細けぇことは気にすんな。いいから先へ行こうぜ」

「いえ」


 通路の奥へ足を向けようとした矢先、角の向こうから女の声が耳に届く。


「助かったとお思い? それはいかがでしょう」


 低く、感情を抑え込んだ声を聞いて、ぞくっと体の中心を戦慄が貫いた。

 次の瞬間、女が角から直線状に飛び出す。彼女は腕に太い武器を抱えていた。

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