清らかな勇者と汚い詐欺師
一歩ずつ段差を下って、闇の底へと進む。
いまだに真白は自身が勇者であると思えないままであり、彼女を救える自信もなかった。
歩くうちにぞくぞくと、青い感情が体を包む。剣を持つ手が震えた。
脈拍が高まり、手のひらが汗ばむ。不安は増すものの、自分がやらねば誰が彼女を救うのだと考えると、勇気が湧いた。
剣を握り直した瞬間、目の前に光が差し込む。
霧がかった白さはゆっくりと薄らいで、視界は元に戻った。
目の前に広がる光景をぼんやりと眺める。
黒い瞳に映ったのは街だった。灰色の地面と煤色の建物・店に並ぶ一八禁の本。宝石を握って走る男や、彼を追いかける女――
目をこする。ゴシゴシと人差し指で汚れを拭くような気持ちで、なんどもこすった。されども、黒い瞳に映る景色は変わらない。
「なんですか、ここは?」
「街だろ」
「んなバカな。なぜ階段の下に?」
「なぜもなにも、作っちまったもんはしょうがねぇだろ」
さらっと涅が答える。
「サルビアの地下は迷宮みてぇになってやがってな。いくつかの階層に分けてある。一段目が今着いた『草花』だな」
「なんで知ってるんですか?」
あっさりとした口調で説明を受けても、内容はあいまいなまま、溶けて消えてしまう。
なお、繰り出した問いの答えは返ってこなかった。
うーんとうなっていると、不意に女の声が聞こえてくる。
「おやおや、あんたらミスったね。帰り道を失ったよ」
見た目は若い。黒紅色の衣も私服に見えるため、パッと見た印象では一般人だ。彼女は口元に下品な笑みを浮かべながら、二人に迫る。
「帰り道をなくしたとは?」
「単純なこと。草花は魔法陣の上にあるもんでさ、侵入者の脱出を防ぐ仕掛けをほどこしたのさ。元きた道を閉じる魔法をかけて、能力まで封じる仕様。もちろん、勇者とて例外ではない。抜け出すには、ボスの許しがいるんだ。入口の封印も復活したし、詰みじゃないかね。どうだい? なかなかに優れた作戦だろ?」
振り向くと本当に階段への扉がふさがっていた。壁があると表すより、階段自体が消えたというほうが正しい。真白は現実を受け止めると、がっくりとうなだれた。
「そうかいそうかい」
反対に涅は落ち着いて、あっさりとした反応を見せる。真白は釈然としないものを感じた。
女が目の前まで詰め寄る。
「ところでさ、街をきれいにしてくんないかな? ほら、汚いでしょ。一生閉じ込めるかわりに、あんたらと一緒に暮らしてあげるからさ。モップとか、いろいろあるよ?」
相手の訴えを聞いて、真白はパチパチとまぶたを動かす。
ざっと町並みを眺めると若い女性が言った通り、街が汚れていると分かった。
町の隅には空き缶や紙パックが散らばっている。生臭い空気と腐った食べ物の臭いが鼻についた。建物も煤色で、今は灰色にくすんだ地面も昔は白かったのではないかと、予想できる。
「清めたらいいんですね」
「そうだよ」
「分かりました」
真白はおもむろに目を閉じる。
能力を封じたとは聞いたけれど、相手の説明がハッタリである可能性も考えた。浄化のパワーを使えるか、試す価値はある。
ハッと気合を入れて、街中に水が広がる光景を思い浮かべた。すると足元からまばゆい光が全体に広がる。
透明な光は一瞬で町をおおって、あたりを白く染めた。光は草花を清める。やがて、ダムと同じ量の洗剤を流し込んだあとのように、建物や地面がピカピカと光りはじめた。
「あれ?」
「封じられてねぇじゃねぇか」
真白が首をかしげると涅も顔をしかめて、怪しむ。
若い女性は汗をかきながら目を見開いた。力が抜けたように姿勢が崩れて、よろめく。倒れかけたところで踏ん張って、姿勢を戻した。
「おかしいな」
ふところから電子辞書を取り出す。
「今に残る魔法や能力は全て封じたって、あるのに」
液晶をタップしながら、女は眉間にシワを寄せる。
「細かいことはいいか」
最後には開き直って、腰を両手に当てる。
「でさ、妹がいてさ。彼女、重たい病にかかってるんだよ。治療費、分けてくんないかなー」
次に若い女が手のひらを差し出して、金をせがむ。
「ああ、いいですよ」
「やめときな」
すみやかに答えると、となりから声がかかる。
「見え見えのウソに引っかかってんじゃねぇよ。もし真実だとしても、他人に手を貸す必要はねぇな。さっさと死なせてやりゃあ、いいじゃねぇか」
「ああん?」
女が眼光をほとばしらせて、相手を下からにらむ。
「なんなのさ、その言い方。人の命をなんだと思ってるんだ?」
「テメェらに言われたきゃ、ねぇな」
二人はバチバチと火花を散らす。
今にもケンカをはじめる勢いだ。居心地が悪い。
通行人が放つトゲのある視線が、自分の心にも突き刺さる。
ちらっと観客を横目で見つつ、声に出した。
「やめてください」
「ん?」と二人が注目する中、真白はオドオドと視線を動かしながら、口で伝える。
「僕のことなら大丈夫です。恨みませんから。全て水に流しますよ」
気持ちを伝え終わってからうつむくと、あたりが静まり返る。
まずいことを言ったのだろうか。気になって眉間にシワを寄せると、周りでパチパチと音が鳴る。見物人が手をたたいていた。本人にとってはわけが分からず、立ちすくむ。
「すばらしい」
「他人の罪を許すとは、なんたる行為」
「君は神かなにかか」
「まさしく聖人君主だ」
住民たちが波のように押し寄せて、真白を取り囲む。
「ありがとう、ありがとう。草花をクリーンにしてくれてよ」
「ずっと悩んでたのさ。一生汚れきったままだと思ってよ」
「ああ、そうさ。灰色とか黒とかイヤじゃないか。まるで、悪魔の一族みてぇでよぉ」
彼らが口々に感謝の言葉を述べる中、真白は目を泳がす。
「え、その……」
人々から受けた言葉は、彼にとっては恥ずかしい。顔が火照って、赤くなる。心には甘酸っぱい感情が湧いて、うつむく。今の状況は少年にとっては拷問で、今にも悲鳴が上がりそうだった。
同時に、無能な自分でも役に立てたのだと、実感が湧く。周りの歓声と熱気が、心地よい。初めて称賛を受けたことで、心に温かな感情がしみ込む。体もポカポカと温まってきた。贅沢な食べ物を口にふくんだような、後味のよさを感じる。平和主義者な性格を誇っていいと、彼らが口にしたような気がして、
刹那、鋭い爆発音が響いた。
煙と火薬の臭いが鼻につく。あやうい空気と一緒に、酸っぱいような鉄っぽいような不思議な臭いも、あたりに飛び散った。
厚みのある重低音が、何十回も同じ響きを重ねて、繰り返し耳に届く
住民がいっせいに血を噴き出した。体に穴を空けた彼らは、地面に折り重なる。
そして、少年の足元でドーナツの形になった。彼らの身から流れ出した血が、白くなった地面をふたたび汚す。
真っ白な少年はドーナツの中心に立って、ぼうぜんと足元を見つめた。
唐突な出来事。なにが起きたのか。理解が遅れる。
頭が空白に染まって、五感が白く溶け落ちていくような感覚を抱いた。
ふと顔を上げて、後ろを向く。黒い筒の口と、目が合った。穴から煙が漏れている。
彼が撃ったのだ。
銃を持った男を目にとらえて、背中に虫がはうような感覚が襲う。
真白がぼんやりとする中、足元からうめき声が上がった。
下を向く。赤く濡れた地面の上で、若い女が犯人をにらみつけていた。
「調子に乗るな。私たちを下に見て、自分は上に立つ存在だと思ったら、大間違いだ」
鬼のような形相だ。口からどろっとした液体を吐きながら、かすれた声で叫ぶ。
「いくらあんたが、あの人の――」
彼女の声を銃声がかき消した。
弾丸がふくらみのある胸を射抜く。女は倒れ伏した。バサッと長い髪が地面に広がる。
噴き出した血は少年の白い
真白が息を呑む中、女は息を止める。
ほどなくして彼の心に入り込んだのは、純粋な疑問だった。
拳を握りしめると、涅の元へ駆ける。
「なぜですか?」
心がはやるままに、問いかける。
「撃たなくても大丈夫だったんじゃないですか? 彼らだって本当はいい人だったかもしれない。普通の人だったのかもしれない。それなのに、なぜ? だって彼らはまだなにも」
勢いにまかせて、早口でまくし立てる。
ハーハーと息を吐いた。
髪のすき間から雫が垂れる。
真白が肩で息をする中、涅はクールな顔で口を開いた。
「なに、言ってやがる? やつらは敵なんだぜ? 俺は俺のやり方で問題を解決しただけじゃねぇか?」
返ってきた答えに言葉を失う。
目の前が暗くなって、視界がぐるりと回った。
血塗られた景色と鉄の臭いが、頭を現実に引き戻す。鮮やかな赤と同じく、発砲音も脳に響いていた。
「なぜ敵と馴れ合う必要がある? それともテメェは自分の手をきれいなままで保ちたいから、戦いを避けたかったってか? 甘ぇんだよ」
銃口を向けたまま、ストレートに言い放つ。
真白は凍りついた。
「ちが、違います。ただ、僕は」
言い駆けて、言葉が途切れる。
壊れた機械のように唇を震わせて、黙り込んだ。
目が泳ぐ。視界が激しく揺れ動く。
胸も騒がしく躍動する。
体を生温かい汗が伝った。
「中身のねぇ言い訳もどきだな」
鋭い指摘が胸に刺さる。
心がムカムカとして体が熱を帯びるのに、口は一向にしびれたままだ。
実際に涅の言葉は正しい。真白の望みはきれいなままでいることだ。無知で無垢な少年のまま、永遠に生きていたかった。
うつむいた少年へ向かって、涅は上からものを言う。
「俺は殺れるぜ。失うものなんざ、ねぇからな」
笑みを浮かべる男に対して、真白は奥歯を噛みしめる。
「それともテメェは花咲彩葉を助けたくねぇってか? 馴れ合いによってあの女が死んでも平気でいられると? とんだ外道だな、おい」
涅が口角をつり上げる。
花咲彩葉。
彼女の名前を聞いて、ハッと顔を上げる。
心の中の霧が晴れた。頭が冴えて、ただ一つの結論を胸に宿す。
そうだ、自分は間違っていた。
彩葉を一番に思うのなら、国の全てを犠牲にしてでも救わねばならない。
彼女のために自分の全てを捨ててでも成し遂げる。覚悟を決めた、はずだった。
拳を握りしめる。
口を動かそうとして、すぐに閉じた。
返すべき言葉は真っ白になって消えてしまう。
長い長い沈黙のあと、下を向いたまま答えを出した。
「自分の負けです」
「分かりゃあいいんだよ」
答えはあっさりと返ってきた。
「さて、飛ぶぞ」
「え?」
彼の言葉を耳で拾って、顔を上げる。
いつの間にか涅が体から光を放っていた。
「能力を封じる枷は人間どもがいてこそ、発動できる。魔法陣の効果は術者がいなけりゃ、意味がねぇんでな」
「ちょ、ちょっと待ってください。なにを?」
あわてて手を伸ばす。
なお、相手が待つわけがなかった。
次の瞬間、能力が発動。二人は虚空に消えた。
直後、頭に入り込んだ混乱の渦が、脳をかき混ぜる。
「うわあああ」と心の中で叫んだ。
風を感じながら、闇の中へ落ちていく。
真白にとってはスカイダイビングのような感覚だ。
体感では一分間、実際は一秒。
とにかくワープ自体はうまくいく。地に足をつけると、どっと疲れが出た。何重にも折り重なった鉄の壁を身一つで突き破ったような感覚が、重たくのしかかる。
息をついたのもつかの間、視界に飛び込んだのは黒紅色の衣だった。
地べたに座り込んだまま、顔を上げる。
敵意に満ちた瞳が、彼らを見下ろしていた。
敵の渦に飛び込んだのだと察して、
早くもゲームオーバーだろうか。
敗北の二文字が頭に浮かぶ。絶望を感じた。
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