巫女に会いにいく

 〇時二五分、老人の話に耳を傾けてしまったせいで、巫女を見失った。


 戦場に散らばる人影も減っていき、ついには一人になる。広々とした大地に立ち尽くすと、かわいた風が吹き抜け、砂の匂いが宙を舞った。まるで、惑星が滅んだあとに一人で生きる者になった気分である。


 遠くで広葉樹の葉も揺れて、音がざわざわと聞こえてきた。戦いの最中は戦士たちの雄叫びでかき消えて、耳には届かなかったと、思い出す。ぼんやりとただよう静けさの中、心細さを噛みしめた。


「お、テメェよ」


 途方に暮れていると、町のほうから足音が響く。涅色の男はダラダラと歩いて、握手を交わす距離まで詰めた。仲間との合流に成功したため、ほっとする。


 ふぅと息を吐いたあと、いままで起きたことを相手に話した。

 一〇年前から巫女を巡って争いがはじまったこと、巫女本人が戦いを止めたこと、自分が彼女と会ったこと。

 身振り手振りを交えて、ひと息に伝える。


「あぁ? なんだよあの女、いんのかよ。そいつを知ってたら、わざわざ列車なんざ使わなかったぜ」

「そうなんです。で、彼女に会えば一気に話は進みますよ。どうですか?」

「協力はしてやる。俺に任せとけ。一瞬で相手の元へ飛べるからな」

「一瞬で?」


 龍神ミドリと相対していたときに、彼がいきなり現れた瞬間を思い浮かべる。

 次に真白が口を開く前に、二人の体を光が包んだ。


 そうだ、彼はワープ系の能力を持っていたのだったと、思い出す。


 瞬間、見知らぬ場所が黒い瞳に映った。現在地は町から離れた道の上。上下を大きな崖が挟んである。


 ぽかんと口を開けながら、真白は目の前にあるものを見上げた。階段が山を越える高さまで伸びている。傾きも山に近い。何十、何百と積み上がった石の段は、特別な場所に通じる気配がただよう。上れば天国へいけるのだろうか。実際に足を踏み外せば頭から落ちて、死に至る。失敗したときの悲劇を考えると恐怖が湧いて、体が震えた。


「上れ。神社まで」

「えー」


 不満を声に出す。


「巫女さんの元まで飛ばせますよね。なぜ、わざわざ?」

「俺が楽をさせると思ったか?」


 ひ弱な少年の問いに、男は胸を張って答える。

 ガーンと低い音が脳に響いて、がっくりとうなだれた。


 長い長い階段を見上げると、やる気が失せる。今から行うのは山を登るがごとき、ハードな運動だ。理不尽な試練に挑むような気持ちになる。


 真白がクリスタルの剣をもてあそびながら立ちすくむと、相手は一人で石段を上りはじめた。


「ほら、さっさとしやがれ」


 少年も男の声に従って、段に足をのせる。


 階段を上るのはひさしぶりだ。十段目を越えたあたりで、息が上がる。体が温まってきた。汗が皮膚をすべる。


 今は楽をしたい。ぬるま湯にひたり続けるのが理想だ。にも関わらずおのれの肉体を痛めつけて、楽から遠ざかっている。いっそ、投げ出したいと思った。

 顔を真っ赤にしつつ、息を吐く。


 されども全ては彩葉のためだ。彼女を助けるためなら、地獄にだって落ちてみせる。結局、覚悟を決めた。真白は息を吸い込むと、タッタッタと段差を駆け上る。勢いと根性に身をまかせて、上を目指した。死ぬ思いになりながらもついには一〇〇もの段を上り切る。


 さすがに二度と走るものか。膝に両手を置いて、ゼーゼーと息を吐く。疲労感が背中にのしかかって、体が重たい。思わずクリスタルの剣を放り投げた。


 真白が息を整えていると、のんびりと涅がやってくる。

 試練は終わりだ。剣を拾って、前を向く。視線の先にはたいらな砂利道が続いていた。


 神社の境内に入る。血のようにあかい鳥居をくぐると、ゆるやかな坂が参拝客を出迎える。うんざりしつつも、ゴールは近いと分かっているため、気持ちは保った。かわいた匂いがただよう中、ジャラジャラと音を鳴らして、前に進む。灯籠が視界の端を横切った。かたわらには苔むした岩が見える。視界に映る風景は和風で、侘び寂びを感じた。真白好みの世界観である。


 左を向くと二つ目の鳥居に続く階段が伸びていた。道路まで続いているだけであるため、素通りする。右には水のたまった箱と柄杓ひしゃくが置いてあった。聖域に足を踏み入れるさいは、手や口を清める必要がある。しかし、涅は無視して先へ進んだ。彼はおのれの風貌を気にしていないのかと、疑問に思う。真白はあえて無言で通して、涅色の背中を追った。


 一分後、二体の狛犬の間を通って、本殿にたどり着く。目の前にあるのは、神を納めたと聞いても納得ができるレベルの、圧倒的な存在感。二言で表すのなら、風流で豪華だ。決して踏み入ってはならぬと忠告を受けているかのような、プレッシャーを感じる。もしも建物の前に立った者がアンデットか犯罪者だった場合は、シャレにならない。一瞬でおとなしくなって、蒸発するだろう。


 なお、涅はためらわずに本殿に近寄った。


「もうちょっと情緒をですね」


 神々しい物体を視界のすみに追いやったかのような動きに、あきれる。


 一方建物の真横には松の御神木が、生えていた。幹は太く、針に似た形をした葉は翡翠ひすい色。近くで見ると繊細で、離れて見れば力強い。天にまで届くであろう勢いだ。なるほど、これは本物だと、心の中で感嘆の意を唱える。


 すぐとなりは天然の竹林だ。全体的に青々としていて、まっすぐに伸びた太いくきのような幹は、見ているだけで清々しい。青い匂いを全身に浴びて、心がリフレッシュした。


 それにしても目的の人物はいずこにいるのだろう。眉をひそめながら境内を見渡すと、後ろでペパーミントが香った。


「客人とはな、珍しい」


 ツヤのある声が鼓膜こまくを揺らす。


 パッと振り返ると、血の色に染まった鳥居と青い森を背景に、巫女が平然とした態度で立っていた。


「なにを驚いている。ここは神社だぞ。私がいるのは当たり前だ」

「そいつはいいんだよな。だが、テメェよ。客人を放って持ち場に戻るとは、なにを考えてやがる」

「彼がついてこなかったのが悪い」

「はい、僕が悪かったです」


 真白はシュンと縮こまる。


「で、テメェだよな、予言者は」

「いかにも。汚れた者がなんの用だ?」


 彼女は露骨に眉をひそめて、濁った目で話した。


 テレビで聞いてはいたものの、実際に聞くと巫女の声の低さが分かる。凛とした響きもあって、好みだ。


 一方で崩れかけた廃墟にたたずむような雰囲気もある。外見も無機質で、退廃的な匂いがした。


「そう固くなるな、所詮しょせんは同類だろ」


 二人のやり取りを聞く限り、彼らは見知った仲のようだ。腐れ縁と見たが、実際はどうなのだろう。


「俺たちはある女の居場所を探している」

「花咲彩葉か」

「ご名答。わざわざ説明せずとも、お前ならとっくの昔に知っていたはずだよな」

「黙れ、汚れた者よ」


 さらに言い争いを続けそうな雰囲気だったため、真白は二人の間に割り込んだ。


「巫女さんってなにをする方です?」


 にこやかに問いかけると、相手は口を開いた。


「神と人との仲介役。メッセンジャーだ。私は特殊な能力をよい方向へ使うために、神に仕えている。そして、相手の声を国民へ伝えるのだ。もっとも、今は不満がある」

「なら、さっさとやめちまえよ」


 なにに対して不満を抱いているのかと問いを投げる前に、横から涅が口を挟む。


「テメェよ、現代の神を信仰してねぇんだってなぁ? 聖職者にあるまじき人格じゃねぇか」

「黙れ」


 巫女は一蹴する。


「神を信じぬ貴様に言われとうないわ。それに信仰心は確かである。私が信じるは古の神のみゆえな」

「うるせぇな。ならさっさと仕事をこなせ。テメェは予言を吐く以外に能がねぇんだからな」


 涅が煽ると巫女の額に、青い筋が浮かぶ。

 二人のやり取りにヒヤヒヤする中、不意に涅色の瞳が真白へ向いた。


「テメェの口からも頼みやがれ」

「あ、はい」


 彼の指示を受けて、一歩踏み出す。


「僕の大切な人が危機に陥っているんです。具体的にいうと魔王軍がある女性をさらっていきました。お願いします。力を貸してください」


 眉を下げながら、切実な気持ちを目にこめて、相手を見つめる。

 巫女はいまだにポーカーフェイスをたもっていた。


「他人にものを頼むのなら、報酬を与えよ。私もボランティアをするつもりはない」


 消炭色の瞳が引きつった顔をした少年を映す。

 感情の見えづらい瞳に、ドキッとした。


「えっと、なにを?」

「官能小説だ」

「はい。小説。しょうせつ……? 官能?」


 クリアになった思考に異物が混ざる。


「私は男性向きの話も好む。特にみだらな女の肢体が映っているものをな。おや、貴様には分からぬか。おかしいな、年頃の男なら興味を抱くであろうに」

「そういう趣味だったんですね。僕は無関心ですけど」


 巫女のイメージが崩れて、がっかりした。


「契約は済んだだろ? さっさと行くぞ。エロ本ならサルビアに売ってる。行くだろ?」


 涅は巫女の腕をつかむと、本殿に背を向ける。彼は女性を連れて、階段まで歩いていった。真白もあわてて追いかける。


 徒歩でサルビアに引き返す途中、道を歩きながら真白は問うた。


「ワープしないんですか?」

「制約があるんだよ。俺が転移できるのは特定の場所に限る。覚えておきやがれ」

「しれっと言いましたけど、矛盾してません? さっきは普通に町から神社まで動きましたよね?」

「いいからさっさと足を動かせ」


 痛いところを突いたつもりだが、効果が今ひとつだった。

 彼の言葉に従って、真白もまじめに足を動かす。


 一〇分後、崖に挟まれた道路と荒野を抜けて、サルビアに戻った。それから書店でピンク色の表紙の本を買ったあと、中央にやってくる。


「魔王軍は普段はアジトにこもっていやがってな、人前に姿を現さねぇんだぜ。隠密行動を主としてやがるからな。で、やつらの潜む場所への入口は、俺たちの目の前にある」


 涅色の瞳が広々とした地面の真ん中を向く。

 同じ場所を見ると、黒光りしたアスファルトの一部に淡いところがあると気づいた。

 解説を終えた男は巫女へ目を向けると、大きな声で言葉を繰り出す。


「封印を解け。それがテメェの役割だろうが。だまって従えよ」


 涅の声に反応して、人が集まりだした。


 住民の視線を背中に感じつつ、巫女へ意識を向ける。彼女は大衆の目の前で目をつぶると、まじないをとなえた。言語は日本語だろうが、早すぎて聞き取れない。封印を解く魔法だろうか。


 ぼんやりと眺めていると、巫女の周りに緋色の光が集まりだす。背景の紅色の屋根をした建物と調和して、神秘的だ。和風ファンタジーの世界に迷い込んだような、感覚を抱く。もっとも、クルールは本当に異世界なのだが。


 寸刻、息も忘れて見入ってしまう。周りも同じく黙ってで一人の女性に、目を向けつづけた。


 そして、地面の中央が光を帯びる。巫女の魔力に反応したのか、炎のようにゆらめいていた。思わず息を呑む。


 次の瞬間、封印は解けた。ガラスが割れる音とともに、地面に張ってあった蓋が砕け散る。同時に巫女はまぶたを開けた。


 真白がぼうぜんとする中、周りでは大歓声が上がる。


「おい見ろよ。巫女だぜ。表に出るなんて、雨でも降るのか?」

「逆だ。さっさとパーティの準備をしようぜ。きっといいことが起きるんだよ」

「まあ、巫女さま。生きている間に見られるとは、なんたる幸運」

「化石となった魔獣を見つけるよりもレアだよ、お姉ちゃん。明日絶対、隕石落ちるよ。それか、世界が滅びるんだ。僕知ってるからね」


 住民たちは大興奮だ。

 話を聞くかぎりだと、巫女は怠け者だったらしい。普段はどれだけサボっていたのだろう。気になってしかめっ面になった。


「進むがいい」


 空白に染まった脳に凛とした声が響いた。


「階段を下りた先に、敵が待っている」


 巫女が中央を指す。地面に空いた穴の奥には、階段が伸びていた。


「行きましょう」

「言われなくてもな」


 涅に声をかけると、けだるげな声が返ってくる。


「なるべく早く決着をつけるべきだ」


 一時振り返って、消炭色の瞳と目を合わせた。


「早くせねば、犠牲が増えるぞ」


 彼女は眉と目を近づけた真剣な表情をしていた。


「分かりました」と一言返して、真白は背を向ける。


 まずは地上に出た段差に足をつけた。下へと進む。薄暗い階段を下るにつれて、緊張感が高まっていった。なんせ自分がしくじろうものなら、世界は滅ぶ。くわえて今の勇者の戦闘力は、一般人よりも低い。本当にやっていけるのだろうか。背中にのしかかるプレッシャーを感じて、汗をかく。


 彼らの進む先、階段の底は深い闇がひたしていた。

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