サルビア 前編

 協力が成立したあと、二人はとある町にやってきた。


「ついたぜ。ここが東と南の境にある町だ」


 入口に立つ看板には、サルビアと町の名を記してある。


「君は情報を伝える前に僕を連れて、列車に乗せましたよね。なぜサルビアを選んだんですか?」

「情報収集のために決まってんだろ」


 スモーキーな匂いを嗅ぎながら、二人は会話を進める。


「今日、魔王軍のアジトを探す。そこへ繋がる道はサルビアにあると見た。ま、あらかじめ知っていただけだがな。どちらかといえば、巫女に会うのが本命だぜ。どうせいねぇと考えて、ワープはしなかったがな」


 いずこから得た情報だろうか。眉をひそめて怪しみながらも、彼が物知りである理由は分かっている。涅は闇に通じているため、ほの暗い情報も自然と集まってくるのだ。


「いい雰囲気のところですね」


 おもむろにつぶやく。

 視界に入るのは紅色の屋根を中心とした、温かみのある風景だ。前世から求めていた東洋ファンタジー風の町並みが、目の前にある。心がじんわりと、熱を持った。


「僕、和風な世界観って好きなんです」

「いい町かぁ?」


 涅がつまらないと言いたげに、伸びをする。

 刹那せつな、ガシャーンと大きな音が耳に飛び込んだ。音の源は真横に建つ民家からである。乳白色の割れた窓ガラスに、男性の影が張りついていた。ビクッと真白は体を震わす。


「私がいながらほかの女に現を抜かすって、どういうこと?」

「これにはわけが……」


 女性の怒号が雷鳴のように轟く。

 道を行き交う人々も、背の高い建物の窓に視線を向けはじめた。


「前言を撤回します」


 思っていた以上にサルビアは危ない町だった。主に人間関係がドロドロとしている。先の展開が思いやられて、冷や汗をかいた。


「二手に分かれるぞ。俺は魔王軍について、テメェは巫女な」

「巫女……あー、あの人ですね」


 頭に思い浮かんだのは、予言を繰り出した浅黒い肌と黒髪を持つ美女だ。


 ガシャンガシャンと派手な音が響く中、涅は彼方を指さして、真白から離れる。紅色の屋根の並ぶ通りを抜けた彼は、別の方角へ進んだ。


「コミュニケーション能力は低いんだけどな。やるしかないか」


 彼が口を動かす一方、目の前を切り傷だらけの男が走り抜けていく。まるで鬼から逃げる子どものように必死な動きだ。実際に彼の後をフライパンを持った女性が追いかけている。


「あの」


 追いかけっこ中の二人を、呼び止める。


「なんでよりにもよって、あたし? 相手ならほかにいくらでもいたでしょうが」


 彼女は振り向くと真白に迫って、血走った目で彼をにらむ。


「深い意味はなかったんですよ」


 手のひらを前に向けて、言い訳をこぼす。


「えっと、その……。男の人の件も、彼のために手を汚したところで、むなしいだけですよ。あんな人に罪を犯す価値はありません」

「あんたがあいつのなにを知ってるのよ」


 険しい顔つきで声を荒げた女性を前にして、真白は「ひぃぃ」と情けない声を上げる。

 緊張で肌がひりついた。鼓動が速まって、心が沸騰しそうになる。念のために剣を構える準備をすると、いきなり女性が口元をゆるめた。


「でも、言うじゃない。あいつを殺す価値は、確かにないわ」


 低い声で彼女は話す。


 女性の雰囲気はいくぶん、やわらかくなったように思えた。体から放っていた焦げ臭さは消えて、今はグリーン系の香りを感じる。心に立った波も収まったのだろうか。


 いったん視線を上げると、青空が広がっている。鳥のさえずりや風の音が耳に広がった。相手の気持ちも落ち着いたようで、ひと息つく。


「なにを知りたいの?」

「巫女さんについて」


 しばし、相手は無言だった。

 救急車がピーポーピーポーと音を鳴らしながら、メインストリートに迫る。

 きな臭さがただよいだしたころ、女性は眉間にシワを寄せて、口を開いた。


「関わりは避けたほうがいいわ」

「え?」


 思わぬ返しにぽかんとする。


「魔性の女だからよ。巫女は人を狂わせ、争いを引き起こす。傾国と呼ぶにふさわしい。実際に彼女の美しさが国が滅ぶ原因を作ったことも、あるのよ」


 女性の口調にはイラ立ちが混ざっていた。

 真白はごくりとツバを飲む。

 血と消毒液の臭いがただよう中、真白は口を開いた。


「肝に銘じておきます」

「せいぜい気をつけることね」

「はい。って、これはなんです?」


 相手から視線を外すと、紅色の通りで二人の男が倒れていた。駆けつけた者たちが、彼らの手当てをしている。


「ケンカね。よくあることよ。女が男を刺すくらいには」

「はあ、そうなんです?」


 サルビアは相当、治安が悪いと見た。最初にあった雅やかな雰囲気が消し飛んで、がっかりする。


 ひとまず、ほかの住民にも話を聞くべきだ。相手と別れて、奥へと進む。


 しかし、本当に巫女と関わってもいいのだろうか。先ほどは不穏な情報を耳にしたし、彩葉を助けに向かう過程で身を滅ぼしては、本末転倒である。


 とはいえ考え込んだところで、謎は謎のままだ。気持ちを切り替える。


「よし、次は」


 声に出して目的を確かめたあと、男女のペアに迫る。彼らは北の方角からケンカを眺めていたカップルだ。

 息を吸ってから控えめに口を開いて、声をかける。


「すみません」

「ん?」


 カップルが息をそろえて、振り返った。


「巫女について、知ってます?」


 メインストリートにたむろしていたのは、派手な髪型とファッションをした者だちばかりだった。まともな格好をした者はピンクの髪をした女性と、チョコレート色の頭をした男性のみ。真白は二人を声をかけても平気な唯一の人間とカウントして、問いを投げた。


「ああー、彼女ね」

「おおー、あの娘か」


 二人はまたもや同時に声を出す。


「巫女っていいよなー。彼女には色恋の匂いがするぜー。これがまた魅力に輪をかけていてなー」

「きっと心に決めた相手がいるのだわ。クールな見た目とは裏腹に、実は思いやりに満ちた人だったり」

「ときには自己犠牲にも打って出る。愛も深い。でも、オレっちが君に向ける想いのほうが熱いけどな」

「あたしだってそうよ。巫女さんと同じように、一度想いを抱いた者は一途に愛し続ける。それが、いいオンナでしょ?」


 熱く語り合った男女は、昼間の町でキスを交わす。


「ああ、彼女の相手とはいかような者だろうか」

「いい女にはいい男がつくのよ」

「オレっちみたいな?」

「ええ、とびっきりのね」


 なおも語りは続く。あたりに甘ったるい匂いがただよいはじめた。彼らはほおを赤らめながら、キラキラとした顔で、口を動かす。今にも胸の高鳴りが聞こえそうな雰囲気だ。見ている側まで恥ずかしくなって、体がうずく。


 ときに彼らはなにの話をしているのだろうか。


「小説の設定ですか? 僕も物語は好きです。書きたいと思ったり……」


 話を合わせにかかったものの、効果はなし。カップルの黄色い声が少年のか細い声を、かき消した。


 彼らは人々の視線を浴びながら二人だけの世界に入り込んで、ライブのステージに立っているかのごとく振る舞う。真白にとっては二人の声は、宇宙の言葉だ。暗号かまじないの類にも聞こえる。


 果ては勝手に抱き合いもした。


 はー……と、湿った声で息を漏らしたあと、カップルから離れる。


「参考にならなかったよ」


 頭をかきながら、砂の舞う道を歩く。風が吹いて、古びた木材の匂いが、鼻をかすめた。


 まっすぐに進むと、行き止まりに着く。斜め下に二つ、道が分かれている。衛星から見ると町の形は矢印かひし形だろうか。行き先の二択は勘で決めて、右を選ぶ。


 斜め下へと足を運ぶと、メタリックな匂いが鼻についた。狭い道を店が挟んでいる。ガラシ越しに見える店内には、剣や槍が置いてあった。


 武器を眺めたあと、最初に見えた店に足を向ける。中に入って、明るい雰囲気の店主を見つけた。


「なんですかい?」

「巫女について、教えてください」


 雑に剣や槍を置いたテーブルの前で、店主の男が背を向けて、立っている。

 真白が事情を説明すると、彼は「おおっ」と体を弾ませた。

 相手はパッと振り向いたかと思うと、真白に迫る。


「君、新入りかい?」


 鼻と鼻が触れる距離まで詰めて、目を輝かせる。


「ええ?」


 後ずさる。


「なんの話ですか?」

「とぼけてはいけない。僕らはすでに同志だ。さあ、ともに高みを目指そう。君のような熱い男は歓迎するよ」


 流れるように二人は握手をかわす。もっとも、無理矢理にだ。


「だから、君の言っていることは、よく……」

「ともに高みを目指そう」


 口を挟もうとすると、男はキリッとした顔で、同じセリフを吐く。


「自分の目的は世界一の鍛冶屋になることだ。魔法なんていうインチキには頼らない。それがおとこってやつだろ」


 酔っ払ったような口調で語って、鼻息を荒くする。

 話がまったく通じない。自分はなにと話しているのだろうか。すがれた声でため息を漏らす。


「もういいですか?」


 死んだ目で相手を見る。


「そんなこと言わずにさ。ほら、君には戦いに加わってもらうからね」

「いや、僕はすでに武器を持ってます」


 相手がテーブルから細長い剣をつかんで、差し出す。

 真白は後ろへ下がった。


「ああ、テンションが上がってきたぞ―」


 男は勝手に盛り上がって、拳を天上に突き上げた。


「ダメだこれ」


 男は自分を妙なことに巻き込むつもりだと悟って、シュパッと背を向ける。彼は痛んだ床を蹴った。店を飛び出す。鍛冶屋の男から逃げて、行き止まりに戻ってきた。次は左へ曲がる。厄介な相手から解き放たれて安心した矢先、甘い匂いが鼻についた。次に蛍光色の看板が目に止まる。


「え、なにここ」


 曇った空の下、青ざめる。

 着色料をふんだんに使った菓子のような建物が、ズラッと並んでいた。あたりから呼び込みの声が響く。生臭い雰囲気も風と一緒にただよってきた。ストリートにはよだれを垂らした男たちが、ブラブラと行き交う。真白はいかがわしい店が多い場所だと悟った。

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