襲撃 前編

 道に飛び出した。


 民家の窓には黄色やだいだいの灯りが見える。香ばしい匂いを嗅ぎながら、彼らの夕食時がメチャクチャになる瞬間を、思い浮かべた。


 真白の心はもろい。人が死ぬ瞬間を間近で見ようものなら、ただちに目をそむける。精神を保つためにもみなには無事でいてほしい。心の中で望みを口にした瞬間、視界にノイズが走った。顔をしかめた途端に、脳がきしむ。記憶の空白に地獄の光景が入り込んだ。元は白く清らかだった町に赤い液体が降りかかる。道路にはゴミのように人の形をした物体が散らばっていた。


 縁起でもない。首を横に振る。


 服のすき間に風が入って、冷気が背中を上った。高まる鼓動が自身への警鐘を鳴らす。血の色をした夕日を浴びながら、きな臭さを肌で感じた。


 全員の命が危ない。一刻も早く「逃げろ」と伝えなければ。


 左を向く。先に見える坂を視界にとらえる。地面を蹴る。ひざを曲げる。腕を振る。前へ踏み出す。ひと息に駆け上がろうとした。くつが石に引っかかる。ガクッ。ひざから崩れ落ちた。手を前へ伸ばす。体が地面とぶつかった。ズボンが破ける。ヒザをすった。ズキズキと痛む。手のひらに細かな石がくっついた。振り落としても跡として、手に残る。


 顔をしかめながらヒジを曲げた。腕の力で体を起こしにかかる。


 ふと、一〇名の足音が堅い響きをもって、耳に届いた。ドキドキと音を立てる胸を抑えながら、顔を上げる。目を見開いた。


 夜が迫る。紺色の空に月が昇った。青白い光が地上に降り注いで、敵の姿を照らす。黒紅色の群れが少年の視界をおおった。同じデザインの衣装を身につけた彼らは冷ややかな目で、無様に転んだ少年を見下ろす。


「うわあああ」


 少年の絶叫が白い町の沈黙を切り裂く。


 色が抜け落ちた世界で、真白は死を覚悟した。夜の空気と地面のザラザラとした感触を肌で味わいながら、立ち上がる。生き残るためになにを行うべきか。考える前に一人の敵を突き飛ばす。相手は仰向けのまま倒れた。口角を下げて目をつり上げると、黒紅色の群れに空いたすき間に飛び込む。本能がおもむくままに、逃げ出した。


 死にたくない。頭をよぎったビジョンを振り払う。藍色の景色をひたすらに駆けた。


 ガラスが割れる音がキャッチする。近い位置で銃声が鳴った。周りで起きた悲劇から目をそらして、上から降り注ぐ一筋の光にすがりつく。


 一〇分をかけて警察署にたどり着く。国道に沿って建つ施設だ。並木道でもある。落ち葉の朽ちた匂いが鼻に入った。青年は荒い息を整える。深く息を吸い込んでから、入口に足を向けた。


 署内は真っ暗だ。幽霊屋敷に入るような恐怖が体を牛耳る。汗ばんだ手でクリスタルの剣を握りしめた。慎重に足を踏み出す。床に透明な破片が散らばっていた。くつで踏むと軽い音が鳴る。やけに静かだ。自分の鼓動が耳の奥で存在感を増す。壁に手を置いて進もうとしたところ、ぬめっとした手触りを得た。すっぱい匂いを鼻で感じる。ぞくぞくとした寒さが全身をはった。


 窓のすき間から月の光が差し込む。青白い線が視界を照らした。瞬間、壁に塗ってある色を見て、ギョッとする。赤。広い範囲に渡ってべっとりと。震えながら手首を回す。手のひらをおのれに向けると、真紅に染まっていた。薄暗い空間に息を呑む音が広がる。歯がガチガチと鳴った。


 今、彼は赤く濡れた空間に立っている。鮮やかな色の正体は足元に落ちていた。いま一度刺激の強い臭いが鼻をさす。少年はじわじわと視線を落とした。黒い瞳が目的の人物をとらえる。紺色の制服を蘇芳に染めた男が、壁にもたれかかっていた。彼は電源を切ったロボットのように、停まっている。


 異様に静まり返った署内で、青年はカチコチに固まる。冷や汗が肌を流れて、体を冷やす。嗅覚が麻痺して臭いは消えた。月光が去って視界が黒く染まっても、鮮やかな紅は脳裏にこびりついたまま、べたべたとつきまとう。


「ここにいたら危ないぜ」


 闇の中で高い声を聞く。足音と一緒に新鮮な空気が、署内に入ってきた。足音の主は少年と一メートルの距離に近づいて、立ち止まる。相手は別荘に盗聴器を仕掛けた犯人――つまり、知り合いだ。見知った顔を目でとらえて、目が覚める。やわらかな日差しを浴びたような気分にもなった。


「分かるよな? 敵が攻めてきたんだよ。逃げよう。生き残るために、安全な場所までさ」


 バレットは落ち着いた態度で告げて、真白を見上げる。途端に黒い瞳が揺れた。真っ暗な空間の中で鮮やかな色が、視界の端をチラつく。自分も同じ目に遭うのではないか。生き残る自信がすっと心から抜ける。おびえが表情に出た。


「死にてぇのか?」


 彼の力強い声を聞いた瞬間、冷水をかぶったように頭が冴える。思考がクリアになって、混沌とした脳内が整っていった。


 自信の有無は関係ない。問題なのは自分の望みだ。


「生きたいよ、僕だって」

「だったら一緒に来るんだな。ぼうっとしている場合じゃないんだぜ、ったくよ」


 先にバレットがスタスタと入口まで歩く。真白も後を追った。外に出ると澄んだ空気を吸い込む。深呼吸をして気持ちを切り替えた。心拍数は落ち着いてきたものの、ほろ苦さは胸に残る。血まみれになった室内を思い返すと心が痛む。結局、自分は間に合わなかったのだ。


 一〇分後、二人は公民館にやってくる。


「避難場所といったら、ここだろ?」

「テロみたいなときでも有効なんですか?」

「知らねぇよ」


 無責任な物言いだ。早くも不安になる。果たして敵の攻撃をしのぐことができるだろうか。寒さに震えながら服の上から、腕をさする。

 一方で駐車場はすでに満席だ。ぞくぞくと人が集まりつつある。


「ごめんなさいね。まさかこんなことになるなんて、思わなかったんだもの」

「いいんです。例の話は普通に聞くとおかしいので」

「でも、本当、ドラマみたいなことが起きるのね。不思議だわ」


 駄菓子屋の店主と会話をしていると、図書館の当番だった女性が視界を横切る。彼女は気配を感じたのか、真白のいるほうを向いた。目が合う。女性は気まずそうに目線を外した。


「どうしてオモチャなんて持ってるの? 武器?」

「いや、これはですね」


 見知った顔がぞくぞくと集まって、一ヶ所に固まる。仲間がいると実感して、心に暖かな火が灯った。今度こそ彼らと一緒に苦難を乗り越える。最悪の事態を避けるために決意を固めて、顔を上げる。真白はクリスタルの剣を握りしめた。


 同時に憂いも沸く。

 ほかの者たちは無事だろうか。特に喫茶店でコーヒーを飲んでいた客たちが、気になる。今のところ姿を見せない者は彼らのみだ。うまく逃げていることを祈る。


「あ、そうだ。同じ場所に集まるより、町の外に出たほうが安全だと、思うんですけど」

「ああ、それな」


 バレットが口を開く。


「みんなに通知がきたんだよ。『公民館に集まれって』な」

「誰からですか?」

「おばさんだよ。エプロン着てムダに食材ばっか買い漁ってる。いろんなやつらが慕ってるし、あの人なら信じてもいいだろ。だから、従ったのさ」


 へーと聞き流しかけたところで、怪しげな匂いをかぎとる。引っかかるものを感じて、心が騒いだ。


「いつ、ですか?」


 間をあけてから、問いかける。声がうわずった。


 時間がたつにつれてあたりは暗くなる。周りの景色は闇に沈んだ。灰色の夜空と暗い森の影が不気味な雰囲気をかもし出す。街灯の光だけが頼りだ。オレンジ色の光を最後の砦に思って、すがりつく。ジリジリとした空気は加速して、答えを待つ間に汗が顔を流れた。激しくなる心音を抑えながら、ツバを飲む。


「夕日が沈んだあとだったかな。もう空は藍色のベールがかかっててさ。夕食も済んだころだよ」


 答えが耳に入った瞬間、全身の毛が逆立つ。表情も凍りついた。よりどころにしていたものが崩れ落ちる気配がした。


 今、住民は最悪の状況へ転がりでようとしている。たちまち少年は顔色を失い、寒気を感じて、体を震わした。

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