1-3 暗転

黄昏

 午前一〇時、ランニングとバスを使って風花に戻る。それから、黒紅色の者たちが町を狙っていると知らせるために、灰色の町を走り回った。


 田舎とはいえ雪野町は人の足では広い。

 額に浮かんだ汗をぬぐったとき、近くで高い声がした。公民館の駐車場で三人の小学生がキャッチボールで遊んでいる。先ほどからにぎやかな声が上がり、子どもたちの顔はキラキラと輝いていた。


 目の前に広がる光景は平和に満ちている。今のところ、町は無事だ。とはいえ、悲劇は必ず降りかかる。黒紅色の者たちが穏やかな世界を壊すところを思い浮かべると、焦りが湧いてきた。


 彼らが犯罪組織のメンバーならば、警察を頼ったほうがいい。ガードレールのそばで構える真白は、スマートフォンで一一〇とかけて、連絡をつける。通話は繋がり、男性が応じた。


「なんすか?」

「これから悪い人が町を襲います。逃げるとかなんとか、してください」


 相手が問うや否やボソボソとした声で、説明を繰り出す。


「はぁ?」


 トゲのある声をスマートフォン越しに聞く。相手が警察署で顔をしかめる光景が頭に浮かんだ。


「よくあるのですよ。はいはい、ごくろうなことですな。いっときますけど雪野は辺鄙へんぴな町っすよ。わざわざ潰すメリットなんてあるんすかね」


 白けた態度だ。あざているようにも聞こえたため、悔しくなって、剣を強く握りしめる。

 なおも粘り強く主張を続けると、ついに相手は声を荒げた。


「しつこいんすよ。いい加減にしてくれ。警察を呼ぶっすぞ。いや、俺が警察だったか」


 警察官は早口で怒りを吐くと、一方的に通話を切る。スマートフォンにはむなしい音がツーツーと響いた。


 いったんクリスタルの剣に視線を向ける。自分は勇者だ。少なくともイベントの期間中は、世界を救うノルマを背負っている。雪野町に降りかかる悲劇を防ぐのも、勇者の務めだ。


 自身の役目を果たすために坂を下って、駄菓子屋へ向かう。狭い駐車場を横切って、ガラスの扉の前に立った。自動でドアが開いて、中に入る。


「いらっしゃい。今日はなんのお菓子を買うの?」

「えっと、その」


 エプロン姿の女性が彼の姿を見て、歓迎する。彼女の熱意のある眼差しを目にして、真白はしどろもどろになった。


「違います。買いません。今日は町を悪い人たちが襲うと、伝えにきました」


 表情を変えて、姿勢を整える。


「僕は敵と直接会って、予告を受けました。本当です。信じてください」


 眉をハの字に曲げて、熱のこもった眼差しで相手を見つめると、女性はきょとんと首をかしげた。

 しーんと静まり返ったあと、軽やかな笑い声が店の中に響く。


「冗談を口にできるなんて、明るくなったのね。数年前は暗い顔で無口だったのに、変わるものだわ」

「違うんです。僕は本気で――す、数年前? いや、そんなこと言ってる場合じゃないんです」


 真白は必死になって、訴える。

 しかし、何度説明をしても、結果は同じだった。


 真白は昼食の代わりに菓子パンを買ったあと、駄菓子屋を出る。うつむきがちに坂を上った。となりの地区の図書館へ歩を進め、二〇分で駐車場に着く。三段の段の上のフラットな場所に、診療所に似た建物が建っていた。スロープを通って、入口の前にやってくる。中に入ってスニーカーからスリッパにはきかえると、受付の元へ向かった。


 真白は図書館をよく使う。雪野で目を覚ましてから日は浅いとはいえ、当番の女性とは本を貸りるたびに話をした。内容はあいさつ程度なら、他人よりは穏やかに話ができる。彼女になら自分の抱えるものを、打ち明けてもよい。


 さっそくカウンター越しに、前と同じように説明をした。言い終わって、顔を上げる。途端に真白の表情が固まった。顔の筋肉がこわばって、表には冷たい汗が浮かぶ。なぜなら、白いテーブルの内側に座っていた相手は、見知らぬ女だからだ。真白はカレンダーに目を向ける。日付は三月三〇日。当番は違う者だと記してある。つまり、真白はミスをした。


 一方で相手は手元の本をじっと見ている。話を聞いていなかったのだろうか。急に居心地が悪くなって、むずがゆさを覚える。真白は細長いテーブルから離れて、逃げ出した。


 図書館を出てストレートに、風花地区に戻る。


 最後の望みをかけて、喫茶店に赴いた。通ってきた歩道橋と雲のかかった空をを背景に、濃紺の扉を開ける。


 内心、不安だった。警察・駄菓子屋・図書館――誰もが真白の話をバカにする。今回も結末は同じだ。体から力を抜いて、だらりと腕を垂らす。いい加減に剣を持ち歩くことに恥じらいを覚えてきた。


 彼がぼうっと突っ立っていると、若い店員が近づく。


「悩みごとですか? 相談に乗ります。話してください」


 彼女はニコッと笑いかけるとさりげなく、少年をテーブルまで導く。

 相手ならきちんと話に耳を傾けそうだ。真白は眉を垂らしながら、自然に口を開く。


 彼が自分の身に起きた出来事を話し終わると、相手の表情が白く染まった。真に受けて危機感を覚えたわけではない。むしろ逆だ。


 少年がおずおずと視線を合わせにかかると、若い女性が冷たく言い放つ。


「冷やかしならやめてくれませんか? 私、これでも真面目に心配したんですよ。深刻な悩みを抱えているのではないかと。結局、ただの中二病でしたか。ほら、オモチャなんて持ち歩いて」


 テーブルに立てかけた剣を眺めてから、店員が席を離れた。

 だからクリスタルの剣を持ち歩くのはイヤだったのだと、頭を抱える。


 同時に、知り合いが豹変して頭を殴ってきたときのようなショックが、体を襲った。まさか店員までが慈悲のないリアクションを取るとは思わず、うつむく。


 結局ジュースを頼んで、ムダに小遣いを消費した。


 昼間、曇り空の広がる町を浮浪者がさまよう。知らず知らずのうちに下を向きがちになっていた。地面の雪は溶けて、暗い灰色の地面がのぞく。なおも少年の心に張った氷は、硬いままだ。


 日が陰りはじめたころに公園に寄って、古びたベンチに腰掛ける。寂れた空間だ。視界に入るのは壊れかけた遊具ばかりで、にぎやかさに欠ける。木々も春まで裸のままだ。スモーキーな落ち葉の匂いが鼻をくすぐり、土の匂いに自分と同じものを感じる。手をベンチに置くと、ざらざらとした感触がした。


 苦い感情を抱きながらも時はゆるやかに過ぎる。町にも普段と同じ日常が流れた。事件が起きるなんて、ウソのよう。あいまいな情報を言いふらした自分のほうがおかしいのだろうか。うつろな目をして、ため息をつく。実際に真白は部外者であり、雪野町にとっての異物だった。


 立ち上がる気力が失せたところで、中年の女性が通り掛かる。若々しい雰囲気だ。髪を栗色に染めて、春色の衣を身に着けている。手にはポリ袋を三つ。先のほうからネギが飛び出して、底には肉をぎっしりと詰めてあった。


 彼女はフンフンフンと鼻歌を歌う。「今日のメニューは」とつぶやいたところで、目と目が合った。


「真白くんね」


 無表情で固まった少年に、明るい声で声をかけた。


「花咲彩葉と一緒に歩くところを見たわ。ね? 真白って名前でしょう?」


 相手が真白と名を言い当てたのは、花咲彩葉のおかげだ。彼女がそばにいなかった場合は、今よりも影が薄かったのだろう。


「よかったらうちに来ない?」


 複雑な感情が心に湧く中、柵を挟んだ向こう側で中年女性が、誘いに出る。


「花咲彩葉について話を聞きたいんだ。というか、きてよ。お願いするからさ。ほら、この通りだよ」

「手を合わせても、そんな」

「ね?」

「はい」


 彼女の熱意が真白の背中を押した。


「具材を多く揃えてしまったんだ。消費してほしんだよね」


 夕方、リビングのテーブルで鍋を囲む。肉の香ばしい匂いと野菜の甘くて爽やかな香りが、部屋に広がった。具材はグツグツと煮えたぎっている。食べごろだ。湯気の中に箸を突っ込んで、具材を皿に取り出す。ふーふーと冷ましてから口に入れると、旨味が舌を転がった。


「僕、例のイベントに参加しました。くじは勇者を僕に決めました。プレッシャーとか、すごいんです。僕なんかが務まる大役じゃなくて」


 勇者を演じることに対する悩みを打ち明けると、中年女性は軽やかな口調で答える。


「技術じゃなくて精神の問題さ。欠けた部分や意思や根性・やる気でおぎなう。君なら、やればできるよ」


 彼女も次から次へと煮えた肉や野菜を皿に盛っては、片っ端から食べていく。女性のナチュラルな態度を見ていると、ほっこりした。鍋によって凝り固まった心が溶けていく。身体も精神も温まった。


 相手が自分の悩みに親身にアドバイスを繰り出すところを見て、彼女になら真相を打ち明けてもよいと、考える。口元がゆるんだ。


 ついに口を開こうとした矢先、彼の耳がかすかな音をキャッチする。顔を上げて、窓を見た。黄昏に染まった景色の中に、黒紅色の影が映る。息を呑んだ。危機感が背中を走って、箸を落とす。


「どうしたの?」


 女性が首をかしげる。

 刹那せつな、彼女の真後ろに黒紅色の男が姿を現した。

 真白はガタッと立ち上がって、イスを倒す。

 敵は女性を取り押さえて、首元にナイフを突きつけた。


「我々と来たいか?」

「イヤです」


 すばやく答える。


 緊張感の中、だいだい色の照明の下で男がニヤリと笑う。瞬間、彼は罠にかかったのだと悟る。相手は最初から『イヤ』と真白の口から聞くために、先ほどの問いを投げたのだ。


 彼が身を震わすと同時に、ナイフが女性の首を切り裂く。白い肌に赤い線が走った。傷口から滝のような血が吹き出す。淡い色の服が一気に赤く染まった。女性は力を失って床に崩れ落ちる。少年の頭は真っ白に溶けた。


 彼女の血に濡れた姿を見て、自分のせいだと気づく。敵の問いにイヤと答えたがために、無辜の民が死にゆこうとしていた。

 開けた唇が震えだす。心がきしんで、ガラスのように砕けそうだった。

 静寂の中、フローリングがきしむ音がかすかに届く。


「逃げなさい」


 弱々しく言って、手を伸ばす。

 数ミリ浮いた手は、ふたたび床へ落ちた。


「あなただけでも、生きてほしい。もしあなたが勇者なら、必ず」


 目を泳がす少年に向かって、彼女はまっすぐな目で訴えた。

 真白の心に熱い感情が湧き出す。


 そして、真っ黒な瞳の中で女性は動きを止めた。石のように固まった彼女から目をそらす。ともに食卓を囲んだ者の死を見届ける前に、真白はテーブルに背を向けた。


 歯を食いしばって、駆ける。廊下へ飛び出す。ギュッと目をつぶった。床を蹴る。玄関でスニーカーを拾うと、外へ逃げた。

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