怪しい影
午後九時二〇分、三人は早歩きで東を目指していた。
「バスを使ったほうがよかったですよね? イベントは起きませんでしたし。時間をロスしただけですよ」
「あと二〇分でつくわ。いけるわよ」
彩葉は元気よく笑いかける。さすがは舞台女優だ。稽古で鍛えただけあって、体力がある。
一方で帰宅部であった少年はすでに限界だ。足は筋肉痛であり、休憩を欲している。なによりもクリスタルの剣が邪魔くさく、手放すわけにはいかないところが、もどかしい。
「で、テメェらはどこへ向かってやがるんだ? 俺は作戦、聞いちゃいねぇぞ」
「中央へ行くために、菫町を通るの。地図上の壁にあるゲートは、東の地方にしかないから」
「魔王を倒せば物語は終わる。ごていねいに舞台版をなぞる必要はねぇよ。直で城に乗り込むべきじゃねぇか?」
涅が冷めた口調で、真白の心情を代弁する。
「もう」と、彩葉は唇をとがらせた。
「最終決戦にはフラグがいるの。せっかくたどり着いても『情報や条件が不足して倒せませんでした』じゃ、話にならないわ。それに、秒で終わりじゃ退屈よ。お祭りは楽しまなきゃ」
日の光を浴びながら、明るい口調で語る。
春休みが終わるまで東国の全域で、魔王を探し続けるつもりだろうか。虹色の女優のワガママにつき合う身としては大変だと、真白は目を細めた。
かけ合いを続けるうちに北と東の境目が見えてくる。人間が二〇人は収まるであろう、広い川だ。せせらぎの清らかな音が耳に入る。澄んだ匂いもただよって、風流な雰囲気を感じた。岩肌を削る清流が雪野から菫町までの、一〇キロの旅の終わりを告げる。達成感が胸に満ちた。
橋まで一〇〇メートルの距離に近づいて、前の景色が鮮やかに目に映る。真白はようやくおかしいと気づいた。『教海橋』とある看板の横に、二人の男が立っている。相手は同じ黒紅色の衣をまとって、向かってくる者を待っていた。彼らが視界に飛び込んだ瞬間、胸がドクンとはね上がる。悪寒がぞわぞわと、肌をはい回った。
三人が橋に迫りつつある中、黒紅色の男は頑なに入口を塞ぐ。ともに仮面をかぶったように、無表情だ。
一分後そろって足を止めて、相手と向き合う。
「通して。私たちは橋の先に用があるの」
最初に彩葉が一歩踏み出して、厳しい声で告げる。黒紅色の男たちは固く唇を閉じたままだ。
三人は顔をしかめて、互いの目を見る。相手に通す気がないのなら、詰みだ。ほとほと困り果てて肩をすくめたとき、正面から見て左の男が口を開く。
「お引取りください」
セリフを読むような口調だった。
「なぜなの?」
「危ないからですよ。魔物が出ます」
彩葉が問いかけると左に立つ男がしれっと答えて、場が静まり返った。
「ウソだな。今日び魔物なんざ、見たことがねぇよ」
涅が沈黙を破る。
「証拠があるってんなら、見せてみやがれ」
左の男と直線上の位置に立つ彼は、片方の
「ならば花咲彩葉のみ、こちらに来てもらいます」
「おいおい、なんであいつだ? 話の流れを考えると、俺が代表して行くべきだろうが?」
「あなたはともかく、彼女が勇者側にいると都合が悪いのですよ」
淡々とした口調で右の男が述べて、彩葉の体が強ばる。
混沌とした流れの中で真白も、混乱していた。頭にははてなマークばかりが浮かぶ。黒紅色の男たちはなぜ彩葉をほしがるのだろうか。現在の状況すらぼんやりと分かるのみで、真白はぽかんと口を開けてしまう。
「人質になるわ」
真白が名前通り真っ白になっていると、彩葉が手を上げる。
途端に焼けつくような焦りが、少年の心を駆け抜けていった。なんとしてでも止めなければならない。そんな感情が湧いて、肌に汗が流れる。透明な雫は全身に湧き出して、手のひらまで広がった。手がぬめって武器を落としかける。
「いいわ。私が犠牲になってスムーズにことが運ぶのなら」
「ダメだ」
足を踏み出す彼女を目で追う。彩葉の華奢な腕をつかむ。萌黄色の瞳が振り返った。
「やつらは見るからに怪しい。ろくな目に遭いません」
「離して」
淡い紅色の唇をすっと開いて、彼女は芯の通った声で言い放つ。
「私は彼らに従うわ」
「ここにいてほしい。僕には花咲さんが必要なんです」
ただちに主張を繰り出した。
鼓動が速まり、ドクドクと音を立てる。剣を握る手が震えた。心を落ちつかせながら萌黄色の瞳を見澄ます。
二人の視線がぶつかり合う中、涅は低い声で告げた。
「通してやれよ。結末がいかようになろうと物語が動くことに変わりはねぇ」
「見捨てろっていうんですか?」
「知るかよ。そいつが行くことを望んでんだ。なら、好きなようにやらせてやれよ」
真白がためらっていると、となりで短な悲鳴が上がる。反射的に振り向くと、左の男が彩葉を取り押さえていた。
心がどよめく。彩葉が自分の前から姿を消した光景が、超高速で頭を流れた。思わず両手で剣を握って、足を踏み出す。武器を振り上げて、黒紅色の男に狙いをさだめた。まさにそのとき、目の前に男の腕が立ちふさがる。
「おっと、やめときな。手を出したところで勝ち目はねぇよ」
彼はどちらの味方なのだろうか。
剣を下ろして相手を見上げる。
真白としては涅の言い分を聞いても、モヤモヤが募るだけだ。いくら負けると分かっていようが、おとなしく様子をうかがうだけでは、敵は彩葉を連れ去ってしまう。
体がうずいた。今にもスイッチが入って、勝手に動き出しそうになる。歯を食いしばってこらえた。
「彼女を離せ」
ついに飛び出した少年の叫びが、沈黙を切り裂く。
「彼女は僕にとっての大切な人だ」
大きく口を開いて、訴える。
相手は無言で、背を向けた。
二人組は流れるように歩きだす。足音も立てずに橋を渡って、東のエリアを突き進んでいった。
頭の上を厚い雲がおおう。
体から力が抜けて、ひざをついた。
薄暗くなった視界に彩葉の声が、光となって差し込む。相当離れているだろうに彼女の声はハッキリと聞こえた。ハッと目が覚める。
「待っていて」
敵の腕に捕まった状態で、腕を伸ばす。
「私なら大丈夫。必ず逃げ出すわ。真白くんの命だけは救うから」
彼女の声が遠ざかる。
薄れていく少女の声の残響が、耳の奥で広がった。形容しがたい感情が湧いて、心が震える。
少年は深く息を吸ったあと、うつむいた。
二人組の姿を見失ったあと、彼の頭をモクモクとした煙が満たす。
橋の前で真白は大切な人を失った。なにより彼女が最後に残した言葉が気にかかる。
『真白くんの命だけは救うから』――すなわち、自分は助からずともよいと考えたのではないか。
理不尽な思いを感じて、力任せに地面を蹴る。
静寂の中、彼は立ち上がって相手を見上げた。
「なんで止めたんですか?」
腕をだらりと地面に下ろす。
「戦ったところで勝ち目はあったか? 今回が最善だったのさ」
相手はポーカーフェイスで答えると、胸のポケットからタバコのパッケージを取り出す。中に入った棒を口にくわえて、ライターで火をつけた。いったん口から棒を外して、灰色の息を吐く。天高く、紫色の煙が上った。毒の臭いがあたりに広がる。
真白は目をそらして、涅とは反対の方角を向いた。
「結果論です。だって君は、彼女を見捨てたじゃないですか」
「回答になってねぇよ」
しばし重たい空気が流れる。
結局、助けに行かなかったのは自分も同じ。相手の指示に従って、留まってしまった。
真白はだんまりを決め込むと、うつむいた。
川から湿った匂いがただよう。水っぽい感情が胸に湧く。
体は水に濡れたように重たくて、腐り落ちていくかのようだった。
ヒーローになり損なったことが悔しくて、奥歯を噛む。
「でもまあ、だったら仕方ねぇ。助けにいってやるか」
不意に涅が足を踏み出す。ハイキングに行くような悠々とした雰囲気で、彼は橋へ向かった。
「待ってください」
相手の姿を、目で追う。
真白が立ち尽くす中、涅は橋の上で振り返った。
「指図するんじゃねぇよ。助けたがっていたのはテメェだろうが」
意見を述べると彼は前を向いて、橋を渡りにかかる。
相手は菫町へ入った。せせらぎの音を聞き流しながら、あぜんとする。
魂が抜けたようにぼうぜんとしていると、何者かの気配を肌で感じた。
「くんくん。おー、珍しいね。まったくの無臭なんてぇ。まるでお人形さんみたいだよぉ」
相手の接近に気づかなかった。突然の出来事に驚いて、目を見開く。
「うわぁ」
すかさず距離を取った。近寄ってきた影の正体を、目でとらえる。犬顔の女だ。面長のフェイスに大きなタレ目がのっている。身に着けているのは黒紅の衣。すなわち敵だ。
反射的に武器を向けると、彼女はカラカラと笑いながら、唇を開く。
「怖がらなくてもいいんだよぉ。私は危害を加える気なんて、ないんだからさぁ」
敵ではない。ならばよしと剣を下ろしかけて、首を横に振る。
「『私は』? ほかのメンバーは敵なんですね?」
口に出すと絶望感が体全体に広がって、脳が空白に染まる。
「なにをするつもりなんですか?」
「うーん」と悩ましげに唇に指を当てたあと、女は大きなタレ目を少年に向ける。
「君のために、君の大切なものを壊したくってさぁ」
彼女が猫なで声で繰り出した言葉に、息を呑む。
壊す――軽々しく相手が繰り出した言葉に、不穏な匂いを感じる。
血の色が鮮やかに頭の裏に浮かび、生々しい鉄の臭いを鼻で感じた。
緊張と動揺が全身に伝わる。知らず知らずのうちに口の中がカラカラになっていた。
ガッチガチに固まってしまった真白に、彼女が近寄る。やわらかな手が少年の両手に触れた。自然と肩から力が抜けて、腕が下がる。剣の先も敵から外れた。
「まさか彼女を?」
「まさかぁ。そんな大きなものを壊す度胸はないよぉ」
引きつった声で尋ねると、相手ははにかんで、顔の前で手を振る。
彼女が無事ならばよかったため、心が凪いだ。
しかし、彩葉以外が標的だとするならば、いったいなにを壊すのだろう。
急に不安になった。胸に轟くサイレンは鳴り止まない。
「今はねぇ。いつか絶対に殺してやる」
次に彼女は表情から笑みを消した。
一呼吸をおいたあと無感情な声で、彼女は言う。
「壊すとしたら小さな町だよ。ほら、君の心には響くだろう?」
ニヤリと口角がつり上がった。
たちまち背中にじわっと戦慄が走る。
黒紅色の集団の目的を知ってしまった。次に狙う場所が分かって、心が騒ぐ。
行かなければ。
いてもたってもいられなくなって、青年は橋に背を向ける。思いっきり地面を蹴ると、彼は風花へ引き返した。
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