龍神ふたたび

 情報を伝えて、自分の役目は終わった。退出ボタンを押してチャットルームを抜ける。スマートフォンの電源を切ると、彩葉がクリアな剣を差し出した。薄くて小さな液晶をポケットにしまってから、武器を受け取る。


「例の人、待つの?」

「連絡をつけた以上は、待春に来るでしょうし」


 話をしてから公園に寄った。ベンチに腰掛けて涅影丸を待つ。


「詐欺師なんですよね、本物の」


 公園にきてから一〇分がたった。いまだに相手の影は視界に入らない。


「特に僕は騙されやすい。関わると厄介なことになりますよ」

「安心して。なにかあったら私が守るもの」


 彼女はあっさりと言って、微笑んだ。


 大女優のそばを歩く者は安全だとは分かる。彼女なら隕石が落ちても弱き者を守り通すはずだ。しかし、涅影丸の正体を考えると気持ちが暗くなる。かじかむ手をそでの中に隠して、顔を上げた。いまだに空は曇っている。


「見つけたわよ」


 不意に甲高い声が耳に入る。

 公園の前を通る道からドタドタと足音が響いた。戦場のごとき殺気をつれて、影が走る。空気が引き締まり、真白も姿勢を正す。シルエットは公園の入口に入って、おのれの姿をさらした。


「あんたの役職は?」


 水色の巻き毛を振り乱した女が、彩葉と三メートルの距離まで詰める。チョコレート色のブーツが落ち葉を踏んで、香ばしい音が鳴った。風が吹くと孔雀色のコートがひるがえって、とげのあるラズベリー色のインナーがちらつく。つりあがった緑色の瞳にはっきりとした敵意を感じた。


「場合によっては正当にたたきつぶす権利を得たわけよ、あたしはね」

「実際は演じるだけですよ。平和にイベントを消化していくだけじゃない」

「困った顔をして逃げようとしてもダメ。さあ、さっさと言いなさい」

「仕方ありませんね」


 相手が急かすため、彩葉も答えを教える。


「協力者ですよ」


 途端にミドリの顔が固まった。


「花咲彩葉といえば国民的ヒロイン。あんたといえば主演でしょうが。協力者なんて脇役でいいわけ?」


 荒げた声に理不尽な怒りを込めて、充血した目を二人に向ける。

 彼女の取り乱すさまを見て、今にもパチパチと火花の散る音が聞こえてきそうな雰囲気だと、真白は感じた。

 鬼と向かい合っているような気分でもあり、思わずぶるっと震える。


 次に緑色の瞳はそばに控える地味な少年をとらえた。


「彼が勇者よ」

「はあああ!? ふざけんじゃないわよ」


 キンキンした声が耳をつんざく。

 真白は耳の穴を両手で隠した。


「クリスタルの剣を見たら一発でしょう?」

「ウソよ。ウソウソ。はああああ、ありえないわよ」


 冷静な指摘を受けても、相手は現実から逃げる。水色の髪を振り乱して、目の前に長い前髪を垂らした。香水なのかシナモンのスパイシーな匂いも、舞い散る。


 真白も自分の武器に目を向けた。透明な剣はただのオモチャであり、殺傷能力も持たない。手のひらで握った武器は軽くて、複雑な気持ちを抱く。


「平凡な男を勇者に選ぶなんて、なに考えてるのよ。運営にはセンスが欠けてるわ」


 とがった瞳と指先の長い爪が、真白へ向く。


 ターゲットが自分に移ったと悟って、心臓がはね上がった。動揺が体中に広がる。目の前が真っ白になった。今口を開いてもしどろもどろになるだろう。


 龍神ミドリは白昼堂々、暗殺を企てた女だ。彼女が目をつけた者は悲惨な末路を迎えると、妄想を繰り広げる。真白は怖気づいて立ち上がって、ベンチの陰に身を隠した。


「くじで決まったんだから、文句やめてよ」

「だまりなさい。あいつらは神託と言ってごまかすだろうけど、こっちはモヤモヤするのよ」


 ミドリは早口で述べると、ゼーゼーと息を荒げる。

 真白が体をビクッと震わせると、相手は大きな声で叫んだ。


「勇者を下りなさい」


 怒気のこもった緑色の瞳が真白を貫く。


「あんたは絶対に途中で投げ出すわ。もっと別の、ふさわしいやつにたくしたほうが絶対にいいのよ」


 風のせいもあって水色の巻き毛が化け物のようにうごめく。


 相手の言う通り、少年は勇者としては未熟だ。それは当たり前の事実であり、指摘を受けたところで痛くもかゆくもない。先ほどお嬢様と付き人が自分をバカにしたばかりであるため、心は凪いだままだ。むしろ哀れに思って薄く笑ってしまう。彼の態度は相手の怒りを煽ったようで、ミドリは歯をかき鳴らした。


「させません。今回の主役は彼よ。真白くんにはストーリーを終わりまで導く義務があるの」


 となりで彩葉が立ち上がって、ミドリと向き合う。緑色の瞳と萌黄色の瞳がぶつかりあって、火花を散らした。


「なら、つぶしてやるわ。今、ここで」


 いきなり相手が眉間にシワを寄せて、目をつり上げる。


「口ではダメなら物理的に倒すまで、でしょうが」

「待って。なにを考えているの? 役職は? 私たちが味方である可能性は、あるわよね?」

「ハ。お生憎様、魔王軍の一味よ。勇者をつぶす動機はあるわよね?」


 彩葉があわてて止めにかかると、ミドリは皮肉げに笑みを浮かべる。


 濃いメイクも相まって、相手の顔は威圧感があった。鬼気迫ってもいて、なにをしでかすか分からない勢いでもある。一刻も早く逃げなければ、命が危ない。されども彩葉を置いて逃げる者は男子失格だ。ダラダラと汗をかきながら気休め程度に、剣でガードの体勢を取る。


「あんたらを全滅させたら、目撃者はゼロ。潰してしまえばノーリスクに等しいでしょ。さあ、さっさとくたばりなさい」


 血のように紅い唇がつり上がる。目を大きく見開いた彼女は片手を前に出して、指を広げた。


 刹那せつな、コートの裾から細長い物体が大量に飛び出す。水洗いに使うホースのような形だ。なにだろうと見守って、やがて気付く。蛇だ。物体の頭についた瞳とミドリの縦長の瞳孔を見比べて、ハッとする。


 つりあがった唇のすき間からとがった歯がのぞいた。さながら吸血鬼のような顔で、対象をにらむ。蛇が虹色の少女に襲いかかった。


 みるみるうちに、真白は青ざめる。助けなければと焦った。だが、足が地面に張り付いて動かない。恐怖が心を支配して、体がガチガチに凍りつく。真の勇者であったのなら、ただちに助けに向かうはずだ。真白は自らの身の安全を真っ先に考えて、立ちすくむ。クリスタルの剣はただの飾りと化した。彼はおのれの不甲斐なさを噛みしめる。


 次の瞬間、彩葉の前に出現した透明な壁が、攻撃をはじいた。蛇はガラスとぶつかった鳥のように沈む。


 一分間、目を丸くして立ち尽くした。真白の目で分かったのは、不可視の力が少女を守ったことくらいである。


 冷静に考えると以前にも似たような出来事があったと気づいた。三月二四日に歩道で不良の暴行を受けた少年を、彩葉は助ける。敵は彼女に殴りかかった。ところが相手の拳が彼女に届く前に、不良の一人が勝手に倒れる。今回の現象は五日前に起きたことの再現だ。


「なによ。どんなトリックを使ったのよ? 白状しなさい」


 ミドリの目からしても、先ほどのバリアはインパクトのある光景だったようだ。彼女が力なく腕を下ろすとスルスルと蛇が引いて、消えていく。緑色の瞳が揺らいだ。額からしたたる汗が、目の端を通る。ミドリは片方の眉をしかめて、彩葉を見澄ます。


 一方でミドリの腕を蛇に変える能力も、真白の目から見ると奇怪だ。彼女も他人のことを言えない。


「今は死なない。クルールではね。運命がそう決めたからよ。たとえ銃を使っても、刺し殺しにかかっても、効果は今ひとつ。分かりましたか?」


 彩葉が淡々と答えを述べて、首を傾ける。


「分からない。分からないわ。あんたの正体も、なにもかも……!」


 ミドリは頭を抱えてうずくまる。ラズベリー色のスカートのすそが地面についた。絶対に敵わない相手と出会った事実が、彼女の心を打ちのめす。弱々しい姿には女優としての気迫も、オーラすらも抜けていた。


「やはりこうなったか」


 公園にニヒルな声が響く。

 次の瞬間、痩身の影が宙に現れた。彼は彩葉のそばにふわっとワープして、地面に足をつける。


「超能力?」


 口に出しつつ、相手の容姿をよく見る。


 ボサボサの黒髪、同じ色をした濁った瞳、不健康そうな見た目、くすんだ色の服、退廃的な匂い、胡散臭い笑み――悪人だ。偏見ながら雰囲気で感じ取る。真白はあきらめの表情を浮かべると、男から目をそらした。


「相変わらずだな、龍神ミドリ」


 不潔な格好をした男の登場で場の空気は一変する。彩葉もミドリも口を閉じて、入口に立つ彼へ視線を向けた。


「嫉妬したところでテメェは一生、泥の中だ。花咲彩葉とテメェとじゃ嫉妬する気も起きねぇくらい、本来は差がついてんだよ。そいつを分かってんのか?」


 醜悪な声に顔をしかめる。


「よくも人前にノコノコと出てきたものだわ。恥を知りなさい」


 ミドリは腕に浮かんだブツブツと上からさすりながら、とがった瞳を相手に向ける。


「ひでぇ言い方だな。テメェも俺と大差はねぇだろ。今まさに人を殺しかけていたんだからな」


 あごを引いて軽蔑の眼差しを向ける女性へ、男はふてぶてしく言葉を返す。


「テメェはおろか者だよ。だいたい、そのイミテーションの宝石はなんだ? 着飾ったつもりか? テメェの価値がさらに下がるだけだぜ。んなことにすら、気づいてねぇのかよ」

「な、なに言ってるのよ。あたしの宝石が、偽物ですって……!」


 ミドリは表情を失って凍りつく。寒々とした風が吹き抜けていった。


 一方で相手の話を聞いてハッとなった真白は、緑色の女の胸元に視線を向ける。彼女の身を飾る宝石は、蘇芳と紫にくすんでいた。確かに価値は低いと予想できる。自分の持つ剣と同じ程度だ。しかしながら宝石が偽物だったとは予想外で、ぽかんとする。


「最低最悪の人間はとっとと、トンズラしちまいな。テメェみてぇな悪魔はクルールにいらねぇんだよ。おのれの容姿や性格にコンプレックスを感じて他人を攻める暇がありゃあ、自分を殺しちまったほうが賢い」

「どの口が……!」

「そりゃあどうも。俺はろくでなしだ。自分よりも汚ねぇものを見て、涅色の男よりはマシだと思いこみてぇようだが、甘いな。俺とお前は大差はねぇと言ったじゃねぇか。比較に上がった時点で、同類なのさ」


 薄笑いを浮かべる男に対して、彼女は肩に力を入れて、拳を作る。

 しばらくの間ミドリは反論の言葉を探したが、終いには大きく息をついた。肩から力を抜いて、幽霊のように立ち尽くす。緑色の瞳はうつろだった。


「いいわ。出ていく。かわりに言っとくけどあんたこそ、さっさとくたばりなさい。そのほうが世の中のためになるわよ」


 けわしい目つきで相手をにらむ。ギラリと眼光を放った。

 くり色の男をチラッと見たあと、緑色の女は無言で公園から逃げ去った。


「あなた、私たちを助けてくれたのね」


 ミドリの姿が消えたあと、彩葉はキラキラとした顔で相手に声をかける。


「お礼をしたいわ。彼女を追い払うのは難しいもの。なかなかすごいことをしたものだわ」

「いいや、楽な仕事だったぜ。あの女はメンタルが弱い。砂みてぇにあっさりと崩れちまうのさ。もろいところを突きゃあ、一発よ」

「笑い飛ばしちゃダメよ。いじめすぎるのも悪いわ。私、彼女は好きだもの」

「お前さんに同意を求められちゃ、ころっといっちまうだろうな。だがよ、俺にとっちゃどうでもいい問題なのさ。苦しむ羽目になるのはあいつの自業自得だろうがよ」


 冷ややかな目で言い切ると、男はいったん口を閉じる。


 真白はベンチの陰から二人の様子を見守っていた。その途中に違和感を覚えて、目を細める。涅色の男は絶世の美少女を前にして、ノーリアクションだ。健全な男子なら彼女を前にすると、よこしまな感情が頭に浮かぶ。


 ところが、相手はポケットに手を突っ込んだまま、冷静さを保っていた。彼は本当に男なのか、怪しい。もしくは外見とは正反対で清らかな性格だったのだろうか。


「礼がしたいんだろ? だったら簡単だ」


 風がびゅーと吹いて枯れ葉が舞ったとき、男はポケットから手を出す。


「俺に金一封、渡しな」


 手のひらを上に向ける。


――もしくは外見とは正反対で清らかな性格だったのだろうか。


 先ほど心に浮かべた予想を取り消す。

 相手の正体は金の亡者だ。排除すべき存在でもある。


 真白は眉間にシワを寄せた。無意識のうちに剣を握る手に力を入れながら、ベンチのそばで様子を見守る。


「いけないわ。あなたが調子に乗るとダメだもの」

「そうかい。利口なこってい」


 会話を聞いて、新手のジョークか? と考える。


 二人の間を流れるのは穏やかな空気だ。彼女の器が大きいのはいつものことだが、相手も肩から力を抜いて話している。


 ベンチの背もたれにしがみつくこと、一分半。思考を練っている間に真白は会話に入るタイミングを逃した。


「ところであなた、役職は?」

「勇者のお供だとよ。世も末だよな。俺みてぇなやつがよ」


 男が声を張り上げて主張をした途端、ガーンとめまいを覚えた。


 相手が味方だと分かって、余計に警戒心が強まる。仲間と合流できた安心感と、彼と行動を共にすることに対する不安と、二つの感情が心の中で入り乱れた。自然とため息が出る。


「俺はくろつち影丸だ。名字はくり色っていうだろ? 川底にたまる泥って意味だろうだ。ま、テキトーに呼んでくれや。そんで、テメェよ」


 自己紹介を終えたあと、涅色の瞳が真白へ向く。少年は「はい」と伏し目がちに、ベンチの陰から表に出た。


「テメェだろ? 俺を呼んだのは」

「そうなんですけど」

「勇者か」


 自分と同じ色をした瞳が、クリスタルの剣へ向く。彼は勇者の証についてなにを思うのだろうか。鼻を笑うと予想する。道中で出会った参加者は六人中五人が、真っ白な少年をけなした。今回の相手も渋い反応を示すだろう。


「へぇ、いいじゃねぇか。テメェなら勇者をこなせるだろうよ」


 ゆえに、相手が真っ白な少年を勇者と認めたことが、意外だった。目を点にして口をあんぐりと開ける中、かすかに血の臭いをかぎとる。相手は戦いに慣れた人物だ。戦士か、辻斬り・殺人鬼か――前科が気になる。


 風が吹いて、木々がざわめいた。空に薄墨色の雲が垂れ込め、太陽が隠れる。地面を影が伸びて、視界が薄暗くなった。空気もよどむ。落ち葉の朽ちた匂いが相手の怪しげな雰囲気に、拍車をかけていた。


「連れていくんですか?」

「ええ。彼と一緒に物語を進めましょう」

「君が言うなら、はい」


 くろつちに対する抵抗は尾を引くけれど、彩葉が受け入れるのなら、従うまでだ。真白は曇った目でうなずく。


 仲間がそろったため、公園を出た。次の町を目指して歩きだす。かわいた空気の中を突っ切った。服にまとわりつく土の匂いを振り払う。

 三人の向こう先には、黒い雲がただよっていた。

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