虹色の花
「俺はさっきの娘の兄だ。よろしく頼むぜ」
さわぎのあとに大男は大きく構えて、自己紹介をする。
「なに、友達になろうってんじゃない。だが、せっかく大女優に会ったんだ。自分をアピールするチャンスだろう?」
彼は花咲彩葉のファンだろうか。
真白がじっと相手を見つめると、大男がそちらへ体を向ける。
「想いに決めた者がいるというなら、手を引くぜ。仲むつまじい二人は見守る主義だ、俺は。相手の幸せを祈るのがいい男ってやつよ」
彼は銃をつきつけられた強盗犯のように両手を挙げて、胸を張る。
ふーんと鼻を鳴らしつつも、内心ではファンの鏡だと感じた。本気で恋をした者は、たちが悪いとストーカーに走る。大男は潔い分、健全だ。褒め称えてもよい。真白は相手を見上げた。大男も誇らしげに見つめ返す中、彩葉が喜びにはずんだ声を出す。
「うれしいわ。ファンに会えるなんて」
彼女が白い歯を見せると、大男が
「中央へ行って魔王の城に乗り込め。ラスボスが待つ最奥の間へ向かうんだ」
汗まみれの手でカードを差し出して、空いた手で鼻をさわる。真白はためらいがちに受け取った。
大男はきびすを返す。彼はお嬢様と従者の向かった先へ消えた。
大男の影を見失ったあとカードに目を凝らして、よく見てみる。シンプルなデザインの切手だった。『通行許可証』と太くて大きな字で、プリントしてある。
「結末に近づいたわ。よかったわね」
彼女の張りのある声に、真白もうなずく。
「今回のように敵を倒して、情報を集めていけばいいの。簡単でしょう?」
大女優の放つキラキラとした雰囲気とは裏腹に、真白の表情は曇っていた。
今、七時三〇分、中央へ行く権利を得た。壁を越えた先にある魔王の城に入って、ラスボスを倒す――一本道のルートが定まる。すなわちそれは、運営が逃げ道を塞いだことを指した。
「どうしたの?」
真白が眉を寄せると、彩葉が彼の顔をのぞきこむ。下に垂らしたオパール色の髪が揺れた。
「いきなり世界を救えといっても、実感が湧きません。拒んでも、いいんでしょうか。くじは僕を勇者に選んだけど、いまだに他人事なんです」
声のトーンを落として、気持ちを打ち明けた。唇を閉じたあと、口の中で奥歯を噛む。
「本当は逃げたいんですよ」
真白はうつむいた。
――『勇者の癖に目の前の悪も倒せなくて?』
――『戦う勇気すらない者を神が勇者に選んだとは、なにかの間違いです。不快に思います』
――『物語の都合とはいえお嬢様が弱者に負けるなど、お断りの展開です。憤怒を覚えます』
――『リタイアをおすすめします』
――『一般人に戻りなさい』
トゲのある言葉が頭の中ではね返って、何度も響く。
お嬢様と二人の付き人が残した傷は今も、胸に残っていた。
「許して、くれますか?」
彼女なら背中を押すと信じる。三月二四日に出会ってから、彩葉は少年を支えた。進むときが一緒なら逃げるときも一緒だろう。ばくぜんとした期待を抱いて、緊張を解いた。
ところが彩葉は厳しい口調で告げる。
「リタイアなんて許さないわ」
萌黄色の瞳がまっすぐに少年をとらえる。
「真白は大事なミッションを抱えているのよ。あなたは物語を終わりまで導く責任を負った身。代役はいないわ」
たちまち心が揺れて、瞳も泳ぐ。
彼女が自分に異を唱えるとは、予想を大きく外した。
頭が真っ白になる。
むしろ、いままでが彼女に依存しすぎだったと気づいて、顔に影が差す。
「無理です、僕には」
冷たい風が吹きつける。剣の柄を握りしめると、クリスタルの刀身が細かく揺れた。
「最後までやり切るなんて、とても」
地球で暮らしていたころから、イージーなほうへ流れがちだった。彼は傷つくことを恐れて、リスクを避ける。賢い選択だと客観的には思った。ただし、根底にある性質は怠けである。真白の甘えた性格は災いをまねき、過去に失敗をおかした。クルールに災厄をもたらしたのは、悪を仕損じた勇者のせい。自分の罪を噛みしめて、むなしくなる。
「僕は運命を恨みます」
冷たい声で気持ちを吐き出す。
「もっと優秀な人を勇者に選べばよかったのに」
きびすを返す。元きた道を引き返すために、足を踏み出した。
彼は自分にノルマを押し付けた世界にイラ立っている。もしも自分以外のヒーローじみた者を選んだのなら、相手は世界をあっさりと救ったはずだ。真白が動くよりもパーフェクトな結末へいたると、見込む。少年は全身の神経をパチパチと尖らせながら、歩いた。
二度と後ろは向くまいと決める。しかし――
「あなたは必ず世界を救うわ」
後ろから彩葉が手をつかむ。
彼女の瑞々しい声を背中で聞いた。
「私が導く。あなたに世界を救うきっかけを渡す。その義務を背負っているから」
落ち着いた声が心に響く。ピタッと足を止めて、真っ黒な瞳を見開いた。前髪をさわさわとした風がさらって、視界をおおう。
「優しいのね。イベントに引き込んだ私でなく、運命を恨むなんて」
彼女はとなりに立って、淡い声音でつぶやく。
やわらかな微笑みを直で見た。口をモゴモゴと動かしたあと「それは」と言いよどむ。
彼が自分の受けた傷を水に流す理由は、いちいち恨むことが面倒だったからだ。他人については無関心で憎みも愛しもしない。悪いことをした者を見かけても、心は空白に染まったままだ。真白は雪のように冷たい人間。優しさとは正反対の位置に立つ者だ。
黒い瞳を気まずそうにそらして、黙り込む。
「北にも春は訪れるのよ」
数分の間を空けて甘い声で切り出す。真白も彼女の話に耳を傾けた。
「たまに五月まで雪が残ることがあるだけで、四季はあるの。春には雪が溶けるし、夏は暑いのなんの。標高が高い分、日光も激しいわ。だからね、あなたの心に積もった雪も、いつか溶けるの」
「いつかって?」
「さあね。だけど三〇〇〇年に一度咲く花を見つけたとき、奇跡が起こるわ」
「三〇〇〇年に、一度?」
目をパチクリとまたたく。
「王の誕生を祝福して虹色の花を咲かせるの。甘い香りを放って、人々の目を奪う花よ」
「さぞかし見応えはあるんでしょうね」
桜の花が虹色に染まった光景を思い浮かべて、淡々とつぶやく。
「ええ」と彩葉が断じた。
彼女はいったん真白から離れて、前へと進む。
「見て見たいです」
少年の言葉に足を止める。彩葉は振り向いて、寂しげに微笑んだ。
「目にできるといいわね」
頭上に厚い雲が垂れ込める。
本当は見ることは難しいと知っているかのような口調に、不穏な気配を感じた。
胸騒ぎがする中、少女は少年との距離を詰めて、腕を強くつかむ。
「一緒に見ましょう、虹色の花を。再演を最後まで成し遂げた暁にね」
萌黄色の瞳が熱を持った。
彼女と一緒に見上げた花はたとえ雑草であろうと、すばらしい光景になる。真白は「はい」と明るい声でうなずいた。
雲が晴れて青空がのぞいたところで、彩葉は手を離す。
「向かうの?」
腰に両手を当てて、問う。
真白は顔を上げた。二人の視線が交わる。
三秒の間をもらって、少年は芯の通った声で答えた。
「行きますよ」
一緒に虹色の花を見にいくために、イベントは最後までやり切る。クリスタルの剣を強く握りしめて、固い意思を相手にぶつけた。
彩葉は満ち足りた顔で、ガッツポーズを取る。
「急ぎましょう。中央は東のエリアを通って入るの。まずは菫町へ」
さっそく腕をつかんで、引っ張る。つられて真白も歩き出した。
魔王を倒したあとに虹色の花を二人で見ると思うと、淡い希望が胸に湧く。彼女から褒め言葉がほしいと思ったし、それを生きがいにしてもいいとすら感じた。
黒い瞳は前を向く。
中央を目指す二人を、太陽が照らした。
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