お嬢様と大女優

 生ぬるい風を感じながら、川沿いの道を進む。行き先は菫町だ。戦闘イベントのために徒歩で進む。のんびりと足を動かしているため、ゴールが遠い。おまけに先ほどから森や田畑・モノトーンの建物など、ありふれた風景が続く。ウォーキングにも飽きてきた。


「いつまで歩くんです?」

「もう疲れたの? 町を歩くのはいい気分転換になると思ったんだけど」

「ただの通り道ですよね、ここ」


 真白は無表情のまま、あくびを漏らす。


「いい町だと思うけどね。たとえば名前、『春を待つ』よ」

「一生、春が訪れそうにない地区なんですけど。同じ雪野町なのに」


 待春は風花地区よりも静かだ。耳に入るのは葉っぱのざわめきと流水音ばかり。民家は国道沿いにまばらに見える程度だ。間には浄水場や喫茶店・ガソリンスタンドが、ポツンと建つ。寒々とした匂いを鼻で感じた。


「ところで、見えるかしら?」


 歩道を進む彩葉の視線の先には、金髪の少女が立つ。そばには二人の付き人が控え、彼女は真ん中で仁王立ちだ。髪型は縦ロールで、瞳はブルー。ワンピースの上からもこもことしたケープを羽織っている。オシャレに着飾った彼女は、グレイッシュな町から浮いていた。


「少女漫画のライバル役みたいな子ね」

「顔立ちは整ってます。でも、花咲さんには劣ります」

「素直ね」

「事実ですから」


 実際に虹色の女優の前では、いかなる美女でも存在がかすむ。目つきの鋭さもマイナスポイントだ。性格が悪そうな見た目であるため、つき合うのは遠慮したい。


「再演の関係者かしら」

「でしょうね。話してみましょうか」


 ゆったりとしたペースで歩いて、相手に近寄る。目の鼻の先まで距離を詰めた。相手も二人に気づいて、顔を向ける。彼女は眉間にシワを刻むと、青い瞳で少年をにらみつけた。


「わたくしの美しさにケチをつけたわね」

「美人だとは思いますよ。でも、上には上がいるんです」


 目の角をつり上げるお嬢様に対して、少年はしれっと答える。


「わたくしは最初からイライラしていたのよ。ゲームに参加したら東の都会から北の田舎に足を運ぶ羽目になるわ。おまけに田舎者はわたくしをけなしすわで。責任、取ってくだる?」


 彼女は濁った瞳を前に立つ二人へ向けながら、地団駄を踏む。

 ピリピリとした空気の中、彩葉はそっとお嬢様に近づいた。


「田舎もいいところです。スローライフを体験なさっては、いかがですか? ぜひ都会の喧騒けんそうやストレスから、心を解き放ってください」

「ハァ?」


 やわらかな口調で呼びかけるとお嬢様は瞳孔を開いて、唇をとがらせる。


「わたくしが怒っている原因の半分はあなたでしてよ」


 次に青い瞳が真白のほうを向く。


「勝負をしましょう」


 真白がビクッと震えると、お嬢様は不敵な笑みを浮かべて、詰め寄った。青い瞳が汗を流す少年の顔を映す。


「相手が勇者といえども勝てばいいのです。安心しなさい」

「舞台をぶちこわしても問題ありません。不安を捨てなさい」


 付き人からの声援を背に、お嬢様は胸を張る。


「ええ、そうよね。わたくしだけが絶対の正義でしてよ。必ずや、目の前の者をたたきつぶしてみせるわ」


 真白の脳内には歩道で不良が殴ってきたときの情景が浮かぶ。彼は手も足も出ずに一〇回は地面に沈んだ。勇者にしては、いな、人間にしては弱い。今回も同じ結末を迎えるのだろうか。ほおに汗を浮かべて後ずさる。


「勇者の癖に目の前の悪も倒せなくて?」


 勇者の弱々しい態度を見て、お嬢様は鼻を高くする。彼女は顎を上げて、目線だけで少年を見下ろした。

 真白がクリスタルの剣を持つ手を震わせると、相手はさらに調子に乗る。


「なぁに、そのオモチャは? 勇者が持つものじゃなくてよ」


 実際に彼の持つ剣は、ただのオモチャだ。殺傷能力はなく、人に向けても脅しにならない。せいぜいチャンバラごっこに使える程度だ。そう考えるとクリスタルの剣を力強く握りしめていたことが、恥ずかしく思えてくる。汗をかきながら、顔を伏せた。


「まさか逃げるつもりじゃなくて?」


 トゲのある声が胸に刺さる。


 今、戦いから逃げようとした自分は、勇者失格だ。脇役として画面の外で死ぬ役割が似合う。樹木の青臭い匂いが自分自身のようで、惨めだった。真白は口を一文字に結んで、縮こまる。


「戦う勇気すらない者を神が勇者に選んだとは、なにかの間違いです。不快に思います」

「物語の都合とはいえお嬢様が弱者に負けるなど、お断りの展開です。憤怒を覚えます」


 同じ顔をした付き人が機械のような声で、言葉を繰り出す。彼らは目の前までにじり寄って、真白を追い詰めた。


「リタイアを勧めます」

「一般人に戻りなさい」


 お嬢様がニヤニヤとほおを引くつかせた。付き人の二人も冷めた目で彼を見下ろして、得意げな色を顔に宿す。


 思わずうなずいてしまうほど、相手の指摘は正しい。真白は言い訳を飲みこんで、おのれの未熟さを受け入れた。


 記憶にはいまだに穴が空いているものの、過去にミスを犯したことは分かる。自分の弱さを知っているからだ。


 真白が臆病な勇者であったがために悪は生きながらえて、現代のクルールを悲劇が襲う。自覚をすると体が鉛のように重たくなって、心がどん底に沈んだ。


「ひとこと言ってもいい?」


 不意に澄んだ声が耳に入った。


 オパール色の髪が視界に飛び込む。フローラルホワイトのコートを着た背中を見て、顔を上げた。


 彼女はみじめな少年の前で両手を広げて、立ちはだかる。


「なによ」


 青い瞳を見開く。

 敵が固まる中、ガラリと音がした。見上げた先にある窓から一般人が顔を出す。通行人の注目も歩道に集まった。


「彼は本物よ。心が清らかな人こそ、勇者にふさわしい。なにより抽選は真白くんを選んだのよ。彼をけなす者は私が罰します。あなた方に文句をつける資格はありません」


 毅然きぜんとした態度で放った言葉を聞いて、真白の心に救いの光がともった。


「手を出したかったら私を倒してからにして。彼は絶対に守ってみせるから」


 真剣な目で主張をする彩葉に対して、ピキッとお嬢様の額に青い筋が浮かぶ。


「大きな口をたたくのでしたら、ボコボコにして差し上げてよ。わたくしの信条は『弱気者は徹底的にたたきつぶす』ですもの。ええ、やってやろうじゃない」


 二人の付き人を押しのける形で前に出て、お嬢様は眉と口角をつり上げた。

 車道では車が行きかい排気ガスの臭いがただよう中、二人の美女は火花を散らす。田舎には彼女たちはミスマッチだと、真白は感じた。


 いよいよ緊張感が高まる。静寂の中で鼓動の音だけが、耳に入った。周りに集いし見物人も真白も、固唾かたずをのんで見守る。自然と手のひらに汗がにじんだ。


「やめておけ」


 殺伐とした空気を、太い声が切り裂く。


 お嬢様の真後ろに大きな影が現れた。一度目をそらしてから、もう一度確かめる。相手は褐色の肌に鉄の筋肉をまとった、大男だ。冷気にTシャツ一枚で身をさらしながら、平気な顔をしている。見るからに大物だ。真白の気も引きしまる。


「みっともないぞ」


 彼は自然な動きでお嬢様の肩に手を置く。

 彼女は涼しい顔を保っていた。むしろ反論をする気があるようで、唇を歪める。

 ところが大男が次に繰り出した言葉を聞いた瞬間、お嬢様の顔は青くなった。


「目の前の女、例の大女優だぞ。花咲彩葉とケンカでもしてみろ。次の日には世界が敵に回るぞ」

「ウソ……。知らなかった、彼女が大女優なんて」


 お嬢様が震えた声を出す。

 堂々とした態度から一転、顔色を失った。血の臭いを嗅いだように怯えだし、青い瞳を揺らす。


「許しますわよね。わたくし世間の事情には疎かったのよ。ゲームに参加したのだって、一般人との交流が目的でしてよ」

「負けを認めろ。どこからどう見てもお前らは悪役だった。それよりも今後の身の安全を考えろ」


 お嬢様はヒィと短い悲鳴を上げる。


 大男が説教を続ける中、真白と彩葉は首をかしげた。スピーディな展開に置いてけぼりを食らって、頭にハテナマークが浮かぶ。ぼんやりと二人の様子をうかがっていると、急に相手がこちらに体を向けた。


「ごめんなさい」


 青い瞳が泳ぐ。


「舐めた口を聞きましたわ」


 ダラダラと顔に汗をかいたかと思うと、彼女はいきなり頭を下げる。従者も同じように謝った。

 真白と彩葉は、ぽかーんと三人を見下ろす。


「いいわ。最初からそのつもりだったし」


 先に彩葉が許す。あっさりとした態度だった。


 彼女の言葉を鵜呑うのみにして、相手が顔を上げる。パァッと顔がきらめいて、お嬢様は従者と一緒に喜びの舞いをおどりはじめた。彼女の頭の中は花畑にもほどがある。許しを受け取って水に流したつもりになったら、大間違いだ。今回の件は大目に見るつもりだが、いささかあきれる。


「では、わたくしたちの役目は終わりました。次は二度としません。姿も現しませんので。では」


 あいさつのあと、お嬢様は付き人を引き連れて、逃げるように去った。三つの影はあっという間に歩道の奥へと跳んで、ゴマのように小さくなる。


 相手が逃げたため、二人は無傷で勝利を収めた。ホッと一息つく。


 いつの間にか見物人も消えていた。決着がついて興味が失せたのだろう。冷たい者たちだ。真白は寂しさを胸に抱く。


「私の活躍はどうだった? がんばったでしょう?」


 無言でたたずむ少年に向かって、腰に両手を当てて微笑む。

 彼女の自信を帯びた態度を見て、真白の口元もほころんだ。


「かっこよかったです」


 素直に答えた。


 彼女は自分をけなしたお嬢様から、庇った。女優の威光を使って、敵を追い払いもした。文句はない。


 強いていうなら今回は相手の罵倒をおとなしく聞くばかりで、恥ずかしかった。思い出すだけで燃えるような熱が、体中をはい回る。


 冷や汗をかいた分、彩葉が真白を勇者だと認めたことは、彼にとっては救いだった。表情がゆるんで、温かな感情が胸にしみこむ。自分の意見を堂々と伝えた少女の姿は、少年にとってはまぶしい。


「でしょう?」


 七色の輝きを具現化した女優は、満面の笑みを浮かべた。

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