彼女はゲームの参加を希望する

 窓の外は厚い雲が広がり、太陽の光をさえぎる。部屋は昼間にも関わらず、薄暗い。無職の少年は電気を消したまま、ネットサーフィンに勤しむ。目の前の作業ひまつぶしに力を注いで、いやなことを頭から消す作戦だ。人形になったつもりでマウスを動かし、キーボードを打つ。けれども、頭に演劇のえの字が浮かべば、一瞬でもアウトだ。ムシャクシャして部屋の中を散らかしたくなる。


 作戦は失敗に終わった。肩を落とす。


『劇』『舞台』『演技』の三つのキーワードを頭に浮かべるだけで、心が荒れた。


 ただの舞台なら観客席から力を抜いて観る。だが、実際にイベントに加わるとなると、話は別だ。無気力な顔でうつむいて、重たい息を吐く。自身に対する苦い感情が胸に湧いた。


 閉め切った室内には、重たい空気がただよう。窓へ近づこうとした矢先に出口で、バンッと軽やかな音が鳴った。回転イスのキャスターを回して振り返ると、扉が開いている。外の冷たい空気と一緒に花の香りが、鼻をかすめた。


 少女の影が部屋に入る。ピンクのスリッパが茶色の絨毯じゅうたんを踏んだ。下から順に相手を見上げて、フェミニンなコートと白百合の肌をした可憐な顔を、瞳に映した。


 彼女は頬を薔薇ばら色に蒸気させて、はずんだ声で言葉をつむぐ。


「参加する?」


 あけぼのの光を宿した瞳と目が合って、あわててそらす。


 真白はリアクションに悩んだ。

 第一、彩葉が「なにに参加する?」と尋ねたのか、ぼんやりしている。主語が抜けているせいだ。


 耳に触りながら脳みそを振り絞ること一分半。少年は言葉のパズルを埋めた。しかし避けるべき展開まで頭に浮かんで、瞳が濁る。額に浮かんだ汗をぬぐいながら、真白はおそるおそる顔を上げた。


「例のイベントに出ろと言うんですか?」

「ええ。それ以外のなにがあるのよ?」


 少女――花咲彩葉は腰に両手を当てて、仁王立ちになる。

 彼女が自分を舞台に勧めるつもりだとハッキリして、急速に力が抜けた。相手の行為は真白にとって、裏切りにひとしい。あやうくイスから崩れかけた。


「そういえば、自力で帰ってきたんですか?」

「ええ。だけど、今はイベントの話のほうが重要よ」


 イスの背を向けると彩葉がとなりに寄って、話を元のラインに引き戻す。


「僕は、えっと……」

「私は決めたわ。参加するって」


 自分の意思を伝える前に本人が言い切った。


「こんな、子どものお遊戯ゆうぎのようなゲームに?」

「全員で作る舞台でしょう? きっと楽しめるわよ」


 仏頂面で尋ねると、あっさりとした答えが返ってくる。

 真白はマウスから手を離して、頭をかいた。


「君は女優だからいいんですよ。僕なんて地味だし。こんなやつが登場人物になったところで、面白くなりませんって」


 ふたたび画面をパソコンへ向けて、苦言を呈す。ムダな説得が飛び出す前に、自らゲームを拒んだ。されども彩葉はきょとんと首をかしげる。


「私、まだ一言も」

「言いましたよね。だいたい、僕は」

「参加したいの? さっきのセリフは本音の裏返しかしら」

「なんて自分に都合のいい解釈を……」


 彩葉がネットサーフィンに対する集中を乱した。

 画面上のバツボタンを押して、インターネットを消す。

 真白は眉間にシワを寄せて、薄暗い部屋で縮こまった。


「あなたならいい線いくと思うの」

「いやいやいやいや」


 すばやく手を左右に振る。


 真白には勇者としての欠点が多い。イベントに挑んだところで優秀なプレイヤーの足を引っ張るだけだ。結果は最初から見えている。彼はかたくなにノーと声を発し続けた。


「ゲームを盛り上げるのなら優秀な人を誘うべきです。たとえば同じ劇団の仲間とか」


 真顔でほかの方法を示すと、彩葉はプクッと頬(ほお)をふくらませた。


「あなたに魅力を感じるから、誘ってるのよ」

「本気で言ってるんですか?」


 さすがは女優だ、素面で甘い言葉を繰り出すとは。


 ガタッと立ち上がる。黒い目を光らせて、相手を見た。


 人畜無害な自分は無個性であり、今にも消えてしまいそうなほど、印象が薄い。反対に虹色の女優は常に人目を引く。無名の少年にとっては高嶺の花。二人が並んでもミスマッチだと、彼自身が最も分かっていた。


 しょせんはリップサービスだ。見え透いたトラップは避けて通る。


 目が泳いだのは、今後に対する不安のせい。顔が赤いのは、暖房の熱がこもっているからだ。高鳴る鼓動を抑えつけて、深く息を吸って吐いてを繰り返す。


 ついに真白は顔を上げた。大きな壁に勝負を挑むつもりで、口をへの字に曲げる。


「僕は、その……」


 覚悟を決めたはずなのに続きの言葉は、宙に浮いた。


 真白は簡単な頼みならば、必ず成し遂げる。普段は家でも外でも、彩葉の言いなりだ。おつかい程度なら、願いを聞いてしまう。


 彼女の指示に従うのは、苦ではなかった。相手を快く思っていたからだと、真白は考える。ところが今回は別だ。


 彩葉の誘いを振り切って、当日はインターネットに勤しむ。それがベストな選択だ。仮に大切な人が自分を見放すとしても、彼の意思は固い。


 頑なになる理由は分かっていた。真白は『演劇』や『演技』の概念を、遠ざけたがる。面倒くさがったのではない。アレルギーに近い感覚だ。今にもじんましんが出そうで、体がうずく。


 彼女はなんと反応するだろうか。自身の命令に背く少年を見て。

 嘆くか、怒るか。

 大女優の陰った顔を思い浮かべると、心が痛む。たとえ周りが戦場だったとしても、虹色の女優には笑っていてほしかった。


 口を閉じたまま、唇を震わす。


 彩葉は不良から少年を助けた上に、居場所を与えた。


 真白には受けた恩を返す義務がある。同居をはじめてからの五日間、彼女のためになにができるのかを考えた。相手の要求を呑めば、互いの心を温かな気持ちが満たす。少女にも実りをもたらすと信じたけれど、現実は厳しい。


 心が沈む。居心地が悪くて、逃げ出したい。

 視線を下へ向けたとき、脳内に電光が走る。


 苦悶に歪む視界の中でビジョンを見た。


 傷んだ木のステージの真ん中で、三人の子どもが芝居を演じる。彼らは五〇〇人以上の観客の前で、劇を見せた。児童は台本に従ってセリフを読んで、アクションをする。舞台はスムーズに進んで、ヒーローと悪者が下手と上手に分かれて向き合った。


 視界にノイズが走ってセピア色の光景が消える。


 白昼夢――だろうか。

 既視感こそあれど、幻だとは断言できる。

 真白は演劇については初心者であり、先ほどの子どもたちも、初めて見た。


 全くの無知であるにも関わらず、胸がざわめく。

 古びたステージと劇の会場が、頭に焼きついた。頭を振って振り払おうにも記憶に刻み突いて、離れない。


「もはやなにをしても無駄だ」と、幻聴が耳の奥でこだました。


「分かったわ。あきらめる」


 穏やかな声と言葉で、現実に戻った。


 途端に真白は表情を失う。視界の端にあったベッドやクローゼットといった家具が、白く溶け落ちた。耳の奥で彼女のセリフがエコーのように、響く。


 彩葉が、あきらめた。その役目は本来、自分のはずだ。取り返しのつかないミスを犯した気分になって、凍りつく。ほおを汗がすべって、顎から落ちた。


「締め切りは明日よ」


 去り際、彩葉は扉の前で振り返る。


「考えが変わるようなら、早めにお願い」


 彩葉は少年に背を向けて、扉を開ける。彼女の姿が廊下に消えた。

 風がドアを閉める。一人になった。やけに広く感じる部屋のまん中で、ため息をつく。


 結果は粘り勝ちだ。本当に断ってもよかったのだろうか。眉間にシワを寄せて天井を見上げる。

 今回、身を引いたのは彩葉だ。真白は頑なに突っ張っただけであり、悪いことをした気分になる。ほろ苦い味が口にした。


 いいや、と首を振る。むしろ耐えるほうが悪い。なにごともイヤならイヤと伝えるべきだ。不得意な問題に挑んで深い傷を負っては本末転倒だと、真白は考える。


 なおも心の中は荒れたままだ。黒々とした感情で心がよどむ。


 ランドセルを初めて背負ったころから、成功を勝ち取る自分の姿を心の中で描いていた。目標はイージーからハードまで、範囲は広い。満ち足りた気持ちになるのなら、『なんでも』よかった。


 されども現状は充実した日々を送る一歩を踏み出すどころか、後ずさっている。彩葉の役に立ちたいと望みながらも、彼女の足を引っ張ってばかりだ。


 劣等感がふくれあがる。

 少年は無力だ。

 すっかり自信をなくして、ネガティブになる。


 考え込むと頭が熱を持った。割れるような痛みがガンガンと、脳髄のうずいに響く。

 自分に目を向けると、欠点ばかりが見つかる。やり場のない怒りをこめて、拳を握った。奥歯を砕けそうなくらいに噛みしめる。


 そして、顔を上げた。

 廊下を渡って玄関へ出るなり、扉を開ける。

 外はいい天気だ。空気も澄んでいる。

 けれども、少年の心は曇ったままだった。

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