第1章 緋は白く溶け落ちる
1-1 開始前
ネットで話題のイベント
三月二八日の昼。
いつものように
暇になったため、別荘の掃除に取り掛かった。もっとも清掃はあっさりと終わる。スリッパで歩くだけで汚れや埃が消えるからだ。
「どうなってるんだろう」
能力を有効活用しつつ、頭を抱える毎日だ。
真白はぶらっと廊下を歩きまわったあとに個室に入って、ノートパソコンを開く。インターネットの検索窓に『チャット』と入力。最初に目に入ったサイトにアクセスする。次に【六花】とハンドルネームを登録して、ログインする。
サイトには一〇〇こ以上のルームがあった。ページは縦に長い。スクロールバーのボックスが小さく、薄かった。
真白は画面の中に収まったルームの中から、二人以下で会話をしている場所を選ぶ。クリックするとチャットの画面に飛んだ。
【詐欺師】【世界が滅ぶとしたら、どうしますか?】
【雲雀】【知るか。滅ぶなら好きにしろ。俺は消えんだろうがな】
【六花】【こんです】
まずは礼儀正しくあいさつを打つ。
【詐欺師】【こんにちは】
五秒も待たずに不穏なハンドルネームがメッセージを繰り出す。
雲雀は無反応だ。しょんぼりと肩を落す。
【詐欺師】【六花は雪の別名でしたね】
【六花】【はい。女性を騙ったわけじゃなくて、単純に今、雪が降ってるから】
【詐欺師】【雪。北にいます?】
【六花】【どうして分かったんですか?】
画面の外で素直に目を丸くする。
【詐欺師】【雪が降るといえばだいたい北ですよ】
初耳だ。
【詐欺師】【北は寒そうですね。東はもう春です】
【六花】【こっちは暖房が手放せません。室内なら平気ですけど】
むしろ
【六花】【東って桜も咲いてるんですか?】
【詐欺師】【咲いていますよ】
【六花】【普通はそんな感じですよね】
【詐欺師】【花といえば今年でしたっけ、虹色の花が咲くのは】
チャットを打つと同時に目を離して、外を見る。最後に詐欺師が打ったレスポンスは視界から外れた。
別荘の近くには針葉樹ばかりが目立って、広葉樹は影が薄い。遠くに裸の木々が見えるものの、蕾が開くには時間がかかる。
【詐欺師】【いつの間にか昼ですか】
【六花】【そういえば】
昼食をとり忘れていた。台所へ向かうとダンボールからミカンを取り出す。三個だけ持って個室に戻った。
チャットの流れは遅い。一つもレスがついていなかったため、肩から力を抜く。落ち着いてイスに座ろうとしたところで、画面に新たな文章が流れてきた。
【詐欺師】【私は快適な場所を求めて移動するまでですが、北の出身の方は大変そうですね】
画面を見ながらミカンの皮をむく。取り出した実を四分の一に割って手に取った。皮は机の上に置いて、実の四分の三はそこに戻す。
【六花】【旅でもしてるんですか?】
片手にだいだい色の実をつかんで、もう片方の指でキーボードを打つ。
【詐欺師】【似たようなものです】
画面の奥の紳士ははぐらかした。
それにしても、なぜハンドルネームが詐欺師なのだろう。ていねいな口調には好感が持てるのに、名前だけが怪しい。モグモグと口を動かしながら、眉をひそめる。
【六花】【なんの話をしてたんですか?】
気にはなるけれどぐっとこらえて、別の話題に切り替える。
【詐欺師】【例の予言の話ですよ】
【六花】【予言?】
【雲雀】【うっそだろ。知らんのかよ】
雲雀がすばやく反応した。彼の言葉に驚きが滲む。
ハテナマークをつけてレスをした真白は、「え?」と首をかしげた。
【六花】【テレビとか見ないので】
三秒ほどチャットの流れが止まる。
沈黙が包む画面の奥でため息がした気がした。
【詐欺師】【こちらにアクセスしていただければ、どうかと】
URLを貼ったレスが画面に浮かぶ。彼にうながされて、半信半疑で動画サイトを開いた。再生ページに飛ぶと、大画面に動画が流れる。
『怒りが大地をおおい、世界を呑み込む。復讐心は黒い炎と化して、人々の命を奪う。そして全てが滅び、はじまるでしょう』
低い声で巫女は淡々と語った。
真白としてはセリフよりも、彼女の容姿のほうがが気になる。真っ先に視界に入ったのは、かすかな熱を秘めた消炭色の瞳だ。顔は浅黒く彫りが深いせいか、ハンサムに見える。男性的な雰囲気とは対照的に和服の上からたわわに実った果実が、自己主張をしていた。ツヤツヤとしたストレートヘアも清楚で、魅力がある。
ゴクリと生唾を飲み込んだ。
花咲彩葉は絶世の美女だが、彼女もいい。目の保養になる。
しかり、じっと見つめるのは浮気にひとしいため、後ろめたい。そっと動画の画面を消した。
【詐欺師】【要は世界が滅ぶと巫女が予言をしたのです】
【雲雀】【そんで、いろんなやつが騒ぎまくってんだとさ】
【六花】【よくあることじゃないですか】
最後に皮に残った粒を口に放り投げる。
予言とは外れるものだ。
油断に身をまかせて背もたれにもたれかかる。
ところが、二人は違った。
【詐欺師】【今回ばかりは的中するでしょうけどね】
【雲雀】【根拠はないがなな。生きたいって言うんなら、なんとかやっとけ】
終末の説が不確かな情報ならば、予言もただの妄想だ。悪いほうに考えたところで、全てが
【詐欺師】【それはそうと、昨日――突然、とあるサイトが開きまして」
サイト――ホームページ。
気になる単語が目に飛び込んで、前のめりになる。
【詐欺師】【予言に関する内容だったので、注目を集めていますよ】
相手はもったいぶる。
大地を揺るがすほどの情報だろうか。
レスポンスが一時的に止まったため、じれったい。
【六花】【サイトができたからなんだっていうんですか? ホームページなら息を吸うように増えますよね】
肩透かしを食らうことを避けるために、ハードルを下げておく。
【詐欺師】【チェックしたほうが早いですよ】
【六花】【なんか、ないですか? ヒントみたいな】
【詐欺師】【『勇者と魔王の物語の再演』なんて、いかがでしょう】
『勇者と魔王の物語』
液晶に映った一文に、心が波立つ。
劇場で彩葉が魔王を演じた舞台を観たばかりだった。
胸騒ぎがする。偶然だろうか。気になる。
インターネットに新たなタブを作ってから、検索をかけた。
例のサイトはすぐに見つかる。具体的にいうと一秒もかからなかった。
テーマカラーは銀と白で構造はシンプル。文章は黒文字で、読みやすい。
太くて大きな字で書かれたタイトルは『勇者と魔王の物語の再演』だった。
「そのまんまかよ」
ドのつくほどストレートな見出しに、目を疑う。
分かりやすくてよいが、ひねりをきかせてもよかったのではないか。
のけぞりながらも姿勢を戻して、説明文に注目する。
「けっこう真面目に書いてあるんだな、意外に」
簡単に言うと、ホームページの中身は『世界の危機に、みんなで対抗しよう』だ。
三月三〇日から四月にかけて、イベントを行う。
舞台は国の全て。参加者は立候補をした者からくじ引きで決める。
当選者の数はあいまいながら、相当な人数がプレーヤーになると、真白は読んだ。
イベントに関わる者は、『勇者と魔王の物語』を現代に蘇らせる使命を背負う。
「『一度完結したストーリーを再現し、本物の勇者を呼び出す。そして、災厄を倒してもらう算段だ』かー」
真白は眉間にシワを寄せて、頭をかく。
「本気で言ってるのか、ふざけてるのか」
今回のイベントが世界を救うとは思えないが、ジョークにしては規模が大きい。
また、再演では人々の自由な行動によって話が動いて、一つにまとまる。
当たった役になりきることが、重要だ。勇者と書かれたカードを引いたら、『自分は勇敢な人間だ』と信じる。『必ず世界を救うのだ』と思いつめて、覚悟を決めるのだ。あとは全人類のかわりに命を捨てるつもりで、巨大な悪に挑む。本気でやるとしたら、骨が折れる仕事だ。
「国全体を使って、演劇をするって感じか?」
スクロールバーのボックスを一番下まで落として、マウスから手を離す。
真白は口を一文字に結んで、早くもブラウザバックのボタンを押しかけていた。
イベントの内容は興味深いし、評価もできる。
祭りは好きだし娯楽に飢えていたところだ。
しかしながら実際にゲームに参ずるのは遠慮したい。
物語の登場人物として動く――すなわち、目立つことを指す。
一般人なら普通の人らしく、平凡に、控えめに生きたい。
自身が物語の中心に立つ光景を頭に思い浮かべると、鳥肌が立つ。
ブルッと体を震わせて、腕をさすった。
脇役なら陰に隠れてやり過ごせばいい。問題は『演技をする』点にある。
彼は誰かを演じることを嫌っていた。
劇を見るのは平気だし、あっさりと受け入れている。
花咲彩葉には尊敬の念を抱くが、自身がステージに立つことだけは、拒否感があった。
生ゴミの臭いをかいだように、顔をしかめる。
口の中に苦い味が広がった。
拳を強く握りすぎて、皮膚に爪が食い込む。
冷えを体に感じて、ストーブを見た。ボタンが点滅している。ピーピーと音がうるさい。「換気をしろ」と言いたいようだ。渋々、窓を開ける。
とにもかくにも今回のイベントは降りる。真白は決めた。
ノリのよい者ならネットで実況をするだろう。最もよい楽しみ方は安全圏から参加者を眺める方法だ。当日は彼らの声をチェックしよう。
余計なリスクは犯さない。あくまで真白は高みの見物を決め込むつもりでいた。
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