ファン&アンチ
太陽が山の谷間へ沈む。町はオレンジ色に染まった。
気温も下がって肌寒さを覚える。冬用のコートを着てくるべきだった。顔をしかめる。ほろ苦さを味わう少年をよそに、広場はにぎやかだ。田舎とはよくも悪くも違う。個人としては静かなほうがありがたいと、心の中で感想を述べた。
「ねえねえ見て見て、ほらあそこ」
「なんだよ、うるさいね」
「彼女、舞台の主役でしょ」
急に女子のグループの一人が、建物の陰を指す。
視線の先にいるのは、楚々とした少女だ。虹色にきらめく髪を涼風になびかせながら、脚をそろえて立っている。正面に立つ少年はそっと避けて、建物の裏へ回った。
「まあ、なんて美しさなの。ここのブサイクと比べたら、月とスッポンだわ」
「やだねぇ。私なんかと比べても、向こうの価値を損ねるだけでしょうが」
キャピキャピとした声を聞いて、ほかの者たちも女優のいる方角を向く。話を聞きつけた彼らは砂糖に群がるアリのように、大女優の元に集まった。
真白が顔をしかめる中、彩葉は自然な笑みを作って、ファンを受け入れる体勢に入った。彼女はファンの扱いに慣れている。一方の真白はこっそりと離れて、反対側の建物の陰に逃げ込んだ。一緒にいて誤解をまねくと困るため、息をひそめて様子をうかがう。
少年が目を離している間に、たくさんのファンが狭い通路に押しかけて、女優を囲っていた。彼らのうちの一人が彼女の腕を引っ張って、日の当たる場所へ連れていく。
「ねえ、まずはアタシから」
「ずるいぞ、俺だって」
客は有名人を前にして、盛り上がる。サインと握手を求める彼女・彼らは、キャーキャーと騒がしい。
広場に集まった者たちは、同じ目的を持つ敵同士だ。目をギラギラと光らせたファンは、我先にと虹色の女優に迫る。
「大丈夫、時間は平等にとるから。ほら、一列に並んで」
人の渦の中心で彼女が呼びかけると、不満が一瞬で止んだ。ファンは夢から覚めた子どものような顔になる。彼らは教祖の指示に従って、軍隊のような動きで一列に並んだ。
握手会がはじまる。虹色の女優は時間をかけて、一人ひとりの相手をした。列の進みは遅く、テンポは悪い。かわりにサービスの質は濃いため、客たちは笑顔で帰っていく。
真白は一人であくびを漏らす。退屈だ。ポケットからスマートフォンを取り出して、暇つぶしに入る。
全ての客をさばき終えたころには、空は紺色に染まっていた。
夜の闇を街灯が照らす。民家にも明かりがついて、黄色の光がチラついた。
東西南北から香ばしい匂いがただよってくる。肉料理だろうか。炊きたてご飯と分厚いステーキを思い浮かべる。腹の虫が鳴りかけたため、急いで気持ちを切り替えた。
「そろそろ帰ろっ」
すっかり人の影が消えた広場で、彩葉はからっと笑う。りんご色の
二人は並んで歩く。まずは会場から離れて、噴水を目指す。さらに進路を変更。バス停まで進もうとした矢先、何者かの影がベンチから立ち上がる。
声を聞く前に相手の正体が分かって、真白は顔を歪めた。水滴が肌を伝う。背筋をヒリヒリとした緊張感がはった。
「相変わらずだな、お前は」
薄闇の中でも銀色の頭は目立ち、むしろ浮き上がって見える。白銀の着物もくっきりと視界に入った。よく見ると紫紺の柄が腰に挿してある。相手の帯刀に気づいた瞬間、血の臭いが脳に浮かび上がった。
「待っていたんですね。握手会に参加してもよかったのに」
「ハ。誰がお前なんざとたわむれるか」
ていねいに接する女優に向かって、相手は吐き捨てるように言葉をたたきつける。
彼はそっぽを向く。衣服と肌が触れ合って、かわいた音がした。
数秒の間を空けてから、男は口を開く。
「頂点を取れば後は下がるだけだ。せいぜい気をつけるこったな」
彼の口が三日月のようなカーブを描く。
性格の悪い人間だと、素直に思った。
言いたいことは山ほどあるけれど、グッとこらえる。対立を避けて慎重になった結果、真っ白な少年は空気と化した。彼は薄っぺらい唇を一文字に結んで、二人を見守る。
「なにが演技派だ。高く評価をしすぎなんだよ。ヒロインとやらを演じるだけでは、ただの偽物で終わる。結局のところお前はお前でしかないんだよ、花咲彩葉」
大女優を低く見ながら、彼女を指す。
実に楽しそうだ。心に生じた感想を飲み込む。
劇が終わったあとの客席で、男は真白を言い負かした。主人公に感情移入をしたと言い当てたことが、強く印象に残っている。反論をしても反撃を食らうビジョンが浮かんだ。敵に敗れるヒーローの姿を想像すると、口の中がかわく。
心の中だけでなら、反論はいくらでも言えた。
男は人気者を叩くことで、自分を特別な人間だと思いこんでいる。とんだ勘違いだ。影に染まった顔の中身も、予想がつく。周りが国民的ヒロインに夢中になる中で冷静なことを、「かっこいい」と信じている表情だ。
いずれにせよ、男は少数派であると断じる。
大多数の心まで否定しては、本人にとっても損だ。少なくとも、友達は減る。
もしくは居場所を失った腹いせを、本人にぶつけにきたのだろうか。
嫌われ者は大変だが、ネチネチと攻撃を受ける側は、もっと迷惑している。彩葉のメンタルが気になって、彼女の顔をのぞき見た。
「忠告、感謝します」
存外、素直な返事だった。
途端にモヤモヤとした気持ちが胸の中に立ち込める。男は典型的なアンチだ。ダメ出しの意図は読める。文句を言いたいだけだと。
真白はやり場のない気持ちを抱える。奥歯を噛みしめ、眉間にシワを寄せた。左足に重心をかけて、右足で地面をたたく。「それは忠告でもなんでもない」と言い放ちたいのに、吐くべき言葉は宙に浮いた。
「お前じゃあの女は演じられん。分かったか?」
彼のシャープな声と言葉が、胸を刺す。
男は捨てセリフを残して、背を向けた。銀色の影は夜の町の奥へ消え去る。
唇をつぐんだまま終わった。
空はいつの間にか曇っており、くすんだ空を見上げながら、眉を寄せる。
好き勝手に文句を言って帰った男の影を、脳内で思い浮かべた。
銀色の男に関しては苦手だが、小さじ一杯分の理解と評価は下す。
たとえば大女優に姿をさらして、正々堂々と評価を下すところだ。普通は匿名であることを利用して、低い評価をつける。ところが彼は本人に直接意見をぶつけた。陰で悪口を言う者よりは、尊敬できる。
「何者なんですか?」
「いいお客様よ」
答えをつむぐ口調は、明るかった。
「悪いところを指摘できる人なの。きっちり私の芝居を見ているって雰囲気がするのよ。だからといって全てを直せば、偽物が本物になるわけではないでしょうけど」
ストレートであっさりした言葉だ。口うるさいだけの男を信じているふうでもある。
器の大きな人だと好感を持ちながらも、真白の心はどんよりと沈む。
彼女は銀色の男のなにを知っているのだろうか。
心の中で沸騰した感情を、思いとして吐き出す。
「本物ですよ。ステージの上で輝くあなたは、魔王である
熱のこもった瞳で彼女を見る。
真白のほうこそ花咲
もはや、彼女以外の人間は関心の外にいる。彼にとっては虹色の女優だけが全てだ。
されども、彼女は静かに首を横に振る。
「いいえ、違うわ。だって彼はこの世にいる誰よりも、彼女のことを知っているもの」
瞳を伏せて、かすかに笑んだ。
冷たい風が吹き付ける。凍てつくような寒さだ。真っ赤になった手をコートの
目をそらす。
眉をつり上げ、口をへの字に曲げた。
「ごめんなさいね。私は、こんなことしか言えないの。だって、これだけは確かに、真実なのだから」
少年の視界の外で、少女は眉をハの字に曲げながら、白い歯を見せる。
彼女は気丈に振る舞って、ベンチのそばを離れた。勝手に民家の建つ通りへ向かう。
全てが濃紺に塗りつぶされた世界でも、オパール色の髪は目立っていた。
太陽のような彼女を見失っては、今度こそ闇が世界を包んでしまいそうで、ぞくぞくする。
少女の後を追った。
彼女は軽やかなステップを踏んで進む。
フローラルホワイトのコートを着た後ろ姿は、遠く離れていた。
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