デート
三月二六日の朝だった。
食事のあと、暖かな風が包むリビングで、彩葉がテーブルに身を乗り出す。
「
萌黄色の瞳が真剣な光を帯びる。あまりの勢いに真白はタジタジになった。
「いいですけど」
口角を上げて、答える。
「でも、どうして急に? 案内は済んだはずですは」
「思い出を作るためよ。ほら、時間を有効活用しないと」
質問を軽く流して、彼女は準備をうながす。真白はおとなしく部屋に戻って、クローゼットを開いた。中から取り出したコートを身につける。
身支度を整えてから外に出た。となりには謎の少女が立つ。例によって変装した姿だ。ウェーブのかかった髪はバラ色に染まり、瞳は
外は凍てつく風が吹き抜け、体の芯が震えた。息を吸うと澄んだ空気が肺を満たし、吐くと白い蒸気となって空を舞う。
気温は低いが、気持ちは温かい。二人はさっそくバス停まで向かうと、鉄の箱に乗り込む。窓ぎわの席をとって退屈な気色を眺めながら、口を開いた。
「菫町は広いですよ。行き先は?」
「さあ、どこかしらね」
興味本位で尋ねると、彩葉は淡い口調ではぐらかす。
情報にもやがかかっているものの、真白の心には安心感が宿っていた。となりにいる少女と一緒ならたとえ地獄の果てだろうと、エンジョイできる。彼は
二五分後、広い駐車場の一角にバスが停まる。真白たちは外へ出た。前にはお菓子の家のような門が立つ。奥にはカラフルな建物と、カーブを描くレールが見え隠れしていた。
「ヴィオランド?」
門に描いてある字を読み上げる。
「遊園地じゃないですか?」
「そうよ」
勢いよく振り返って尋ねると、彩葉はあっさりと認める。
「行ったでしょう。思い出を作ろうって」
「だからって、デートみたいな」
「ええ、デートよ」
「そんな」
遊園地と遊ぶと分かった瞬間、体がガチガチに強ばる。東国一の大女優とデートに赴くなんて、恐れ多い。となりに立つ彼女は姿を変えたとはいえ、十二分に美人だ。一緒に歩くと自分の平凡さが浮き彫りになる。彼女いない歴=年齢である少年はどぎまぎしていた。
一人で頭をかいていると、彩葉が彼の腕を引く。
「時間が惜しいわ」
すばやく言って少年を引っ張る。彼も流れに身をまかせて、ついていく。二人は門の外でチケットを買って、園内に入った。
ヴィオランドは朝からにぎわっている。春休みだからだろうか。スカート姿の婦人や、フォーマルな格好をした紳士。アレンジをした制服を着た女子高生や、私服の青年の姿も見かける。視界に入っただけで、二〇〇人以上だ。
二人はギュッと手を握り合う。互いの体温が伝わってきて、心に波が立った。体が熱を帯びて、朱の色が
「東国の歴史って知ってますか?」
鼓動を抑えるために意識を別の方向へシフトする。
「分からないわ」
「まさか、学歴が低」
「なぁに?」
「なんでもありません」
彼女が微笑みながらこちらを向く。あわててごまかした。
「東歴元年以降の歴史は何者かが消したのよ」
「そうなんですか?」
彩葉の発した情報が、精神を夢の世界から現実へ引き戻す。視界がクリアになって頭が冴えた。おかげで胸の高鳴りも消える。思考は東国に対する興味に傾いた。
「二五三八年間、事件は?」
「なにも」
少女がしれっと発した答えを聞いて、真白は言葉を失う。
彼が黙っていると、桜色の唇が開いた。
「国王が強すぎるのが原因よ。敵が攻めてきても力押して追い返すから、国は安全。隣の国も恐れをなして、戦いをためらう。ずっと引きこもっているから、他国との交流もなし。だから歴史の教科書の中身が薄いのなんの。読んでもつまらないわよ」
彼女の話を聞くと、異国に迷い込んだ気分になった。事実、真白にとっては東国は異世界であり、常識の外にある。いよいよ頭がこんがらがってきた。
乱れた脳内を具現化したかのように、乗り場は人であふれる。客の服の赤や黄色・紫といった色が、視界をチラついた。土の匂いやタバコの臭い・香水の香りが混ざり合って、脳をかき混ぜる。先ほどから肩と肩がぶつかっている。無表情ながら心に渋い感情がにじんできた。
コースターは近い。気持ちを切り替えるために、歴史についての問題は忘れると決めた。
列が動く。二人はジェットコースターに乗り込んだ。客もぞくぞくと後ろの席に座る。全員が安全バーを締めると、コースターが走り出した。まずはレールをゆっくりと上る。ガチャンガチャンと部品が回る音が聞こえた。
今のところは余裕がある。青い空がよく見えるし柔らかな日差しを肌で感じた。園の外に広がる森を見つけてひと息つこうとしたとき、コースターがレールの頂点にたどり着く。
「ひぁっ」
となりで少女が声を漏らす。様子を覗き見ようとした瞬間、体がふわっと浮いた。飛行ではない。落ちていく。コースターが急降下した。まわりでキャーキャーと悲鳴が上がる。甲高い女性の声だ。真白は恥じらいがあって、声を飲む。風が吹きつけて髪が持ち上がった。額が出る。恐怖で鳥肌が立った。死ぬ。落ちる。体の中心が冷えた。上空一万メートルからダイブしたような気分になる。
コースターはくるくると回って、さらに三六〇度曲がってから、平地に戻る。ゆっくりと乗り場に帰ってきたころには、じっとりと汗をかいていた。
「あー、怖かった」
安全バーが上がって、彩葉が明るい声を出す。
「もう一回乗ってもいいのよ?」
「遠慮しておきます」
テンションの高い彩葉とは反対に、真白の顔は青かった。
三つのアトラクションを楽しんだあと、レストランに入る。店の時計によると、時刻は午後〇時を回ったところだ。窓から差し込む太陽の光も目に刺さる。
二人はハンバーガーを買って、席についた。包装紙を開けると香ばしい匂いがただよい、食欲をそそる。パンには照りがあって、中に挟んだ具材もボリューム満点。かぶりつくと肉の旨味とレタスのひんやりとした味が、口に広がる。
「そういえば、あれって」
窓の上の壁を指す。黒い瞳の先には地図があった。大陸の一部を切り取ってある。日本で例えると関東地方に似た形だ。東西南北と中央の五つに、色分けしてある。
「王の顔と名前を国民に知られていない理由は、だいたいそれのせいね」
シェイクをストローで飲みながら、彼女が口に出す。
甘酸っぱい香りが前からただよってきた。
「あれ? 自分の国のトップなのにですか?」
「ええ。分かっているのは、城が中央にあることだけ」
情報が右から左の耳へ、入っては抜けていく。
真白はミックスジュースを飲みながら、分かった振りをして、うなずいた。
「雪野は北と東の境よ。東の
「はい」
首を縦に振った。
地図上で中央のエリアを太い線で囲ってある。まるで、東西南北の地方と隔てるのように。
つまり――
「太い線が壁。通り抜けるのは、難しい」
「ええ、よく理解できたわね。褒美を与えてもいいくらい」
ストレートな評価をもらうと、むずがゆい。顔が赤くなる。
自分の感情を誤魔化すために下を向いて、ハンバーガーの味をモグモグと噛みしめた。
「王は中央のどこかにいるの。でも、誰もその姿を見たことがない。壁の向こう側との交流をほぼ完全に断っているんだもの。実はぶらぶら出歩いているかもしれないけれど」
「でも、どうして壁なんかを?」
「さあ。誰かを逃さないためかしら。王に聞けばハッキリするでしょうけれど」
――通行手段自体はあるんだけどね。
ボソッと少女はつぶやいた。
「あなたなら王と会った経験があるのでは?」
「なんで?」
「口ぶりから察しました」
彩葉がわざとらしく小首をかしげると、真白は黒い目を細めて答えた。
「秘密」
少女は唇に指を乗せて、ウインクをした。
本当に彼女はとらえどころがない。
少年は肩から力を抜いて、苦笑いを浮かべる。
「でも、中央のエリアには入ったことがあるわ」
「やっぱり、王と面会してるじゃないですか」
「ううん。通行券を得ただけだもの。劇団への所属を決めたら、あなたにも渡すけれど」
ゆっくりと噛んで聞かせるような口調で、彼女は言う。真白は後半の言葉を耳に入れて、目を丸くした。
「答えを出して。あなた、私と一緒に舞台に上がりたい?」
「だ、ダメです」
回答を急かす彩葉に向かって、真白は顔に汗をかきながら訴える。
「理由は?」
「イヤだから、じゃダメですか」
目をそらす。
自信がなかった。ステージに立つと考えるだけで、ねっとりとした重圧が心を押しつぶす。なによりも舞台に上がること自体を、体が拒んでいた。
少年の顔が曇っていく。埃っぽい場所に座っているかのように、苦い表情が顔に浮かんだ。
「なら、あなたは自分の役割から逃げるのね」
冷めた声が前の席から届く。真白はうつむき続けた。彼女は怒っているのだろうかと考えて、心がはやる。
だけど、『役割から逃げる』といったい――
彼が悶々としている間に時は流れて、食事の時間は終わった。
レストランを出たあと、二人は観覧車に乗る。彼女が「行きたい」と頼んだため、すみやかに乗り場へ向かって、ゴンドラに乗り込んだのだ。
少年と少女はやわらかなイスに腰掛ける。狭い空間に二人だけ。やろうと思えば『なんでも』できる。さりとて真白は清らかな人間だ。高まってきた熱をごまかすために、窓を見る。ちょうどパンジー色のゴンドラが回って、上がっていくところだ。町や遊園地の全体を見下ろす。いい眺めだ。
「魔法について、なにか知っていますか?」
パンジー色のゴンドラが頂まで上ったころ、気になっていた問いを投げる。
「えー、キスするムードじゃないの?」
「僕もドキドキはしてたんですよ」
彼女の機嫌を元に戻してから、もう一度質問を繰り出した。
「教えてください」
「ええ。でもね、今の人類は魔法を失ったあとなのよ」
少女はうつむく。
脳内にガーンと鐘の音が響いた。
「無彩色の一族がいてね、彼らは髪も瞳も灰か黒、または白でまとまっていたの。人は悪魔の一族と呼んだわ」
「ん? つまり、魔法を使えるのは特別な一族だけって言いたいんですか?」
「ええ。彼らは不老不死で特殊な能力を扱うけど、迫害を避けて、陰にこもった。結果、魔法は都市伝説と化したわけ」
「ちょ、ちょっと待ってください。不老不死?」
あんぐりと口を開けて、聞き返す。
「といっても、別に一定のラインで成長が止まったり、成長が遅かったりするだけよ。おばあさんやおじいさんも見かけるわね。そういう人たちは中身の年齢が四桁だったりするけれど」
なるほど。納得をして、あやうく質問を終わらせかけた。冷静に考えるといままでの流れの中にも、おかしな点があったため、口に出す。
「君の
「ええ、言ったわ」
黒い瞳に希望を宿した少年に向かって、少女は桜色の唇を動かす。
「本当は超能力なのよ」
一秒の間を空けて、彼女は告げた。
萌黄色の瞳をまっすぐに向ける。
「誰かが言ったわ。『魔法はあくまで幻想。対して、超能力はもともと備わってた能力が
「へー、夢のある世界ですね」
真白は感嘆と息を吐く。
同時に自分の持つ能力の正体も気になってきた。
「属性って知ってますよね」
「ええ、火・土・金・水・木が基本で、例外が光と闇ね。相性は、なんだったかしら。水が火に有利だとは知ってるけど」
「水と火の属性の相性は、感覚で分かりますね」
勇者の属性はもちろん光だ。舞台版がそうだったように真白も光の属性を期待する。もっとも、今のところは自身の身に魔法の気配はない。どうしたものか。真面目な顔で考える。
彼が眉間にシワを寄せて悩む間に、ゴンドラは地上についた。
時刻は午後三時を回る。
「ねえ、あそこ」
園の中心で彩葉がある方角を指したため、指の先をたどる。何者かがレンガの建物の陰から、顔を半分出していた。真白が相手を見つけると同時に、影は身を引く。誰だったのだろうか。顔をしかめると彩葉がとがった声を出して、少年の腕をつかむ。
「帰りましょう」
「どうして?」
「危ないから」
簡潔に答えて彩葉は真白を引き連れて、園を出る。
午後三時四〇分、劇場の前の広場に少年と少女は戻ってきた。
「遊園地を出たのは正解だったわ」
「僕にはさっぱりなんですけど、いやがらせですか?」
「ううん。彼らがあなたの敵だったからよ」
彼女は冷静な口調で言うけれど、真白の頭は混乱する。
「どういうことですか?」
ため息まじりに尋ねると、彼女は口をつぐむ。
彩葉は神妙な面持ちで少年を見つめると、答えのかわりに情報を繰り出した。
「黒紅の人を敵に回すべきではないの。彼らは目的のために対象を
さらに混乱が増す。霧のをかぎわけて進むような気分だ。彩葉の話は少年の脳をスパゲッティのように、かき混ぜる。灰色の渦に飲み込まれそうになる中、真白はかすかにきな臭さを嗅ぎ取った。例えるのなら戦争の臭いだ。血なまぐさくて、煙のくすぶる、荒れた感覚。ぞくぞくと背中に寒気が上る。冷たい汗が
「ところで、遊園地は途中で切り上げてしまったわよね」
「はい」
彩葉がふたたび少年の細い腕をつかむ。
「店を周りましょう。おわびよ。いいでしょう?」
「喜んで」
真白もうなずいて、さっそく二人は歩きだした。
彼らはロスタイムを楽しむために、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます