勇者と魔王の物語 『急』

 捩花を出た。

 敵の城を目指して荒れた大地を進む。

 魔王の統べるエリアに入った感想は、『光の属性でよかった』だ。魔王の城の近くは、瘴気に満ちている。闇を晴らす属性のは光のみであり、おかげで敵との戦闘が楽だった。


 足音を立てて迫る死の臭いに、ゴールが近いと実感する。

 そして、じきに冬になろうかという時期、青年は敵と出会った。


「勇者であるか、お前」


 相手は荒野の真ん中で、勇者を待ち構えていた。


「そうだけど」


 軽く答えた瞬間、敵が地面を蹴る。黒いくつが宙へ飛んで、一歩で距離を詰めた。手には紫紺のオーラをまとう黒刀。


「ならば死ぬがいい」


 金色の瞳を黒い影が横切る。青年もとっさに剣を抜いた。


「君、魔王軍の者か?」


 刃で攻撃を受け止めて、確認をとる。


 勇者に剣を向ける者といえば、敵の陣営だ。彼は自分の考えに自信を持っている。対する相手は口を一文字に結んで、黙り込んだ。


 答えを吐くかわりに、腕を引く。刃の先が、勇者をとらえた。切っ先から紫紺の光が飛ぶ。金色の瞳を見開いた。皮膚が泡立つ。戦慄がほおをなでた。とっさに真横へ避ける。


 標的を失った斬撃は大地を直線に切り裂いて、谷を作った。


 刃の威力を目の当たりにして、顔に透明な雫が浮かぶ。直撃したら命はなかった。紫紺の光は鎧ごと肉体を吹き飛ばしただろう。自身の肉が焼ける臭いを想像して、ぞくりとした。


「とにかく、君の正体は魔王の下僕だと断じる。間違っていたとしても、敵であることに変わりはない。倒すだけだ」


 ハッキリとした声で宣言する。心に生じた雲は晴れていた。対する敵も執念を燃やす。刃のごとき眼光が黒い瞳から飛び散った。


 激闘のすえに、敵は地面に転がる。

 相性が悪かった。闇の属性を持つ魔王の下僕と光の象徴である勇者では、後者に軍配が上がる。

 勇者は刃を収めた。剣を背中に戻すと倒れた敵のそばを、素通りする。


 遠ざかっていく勇者を黒い衣を着た戦士が、地面の上から呼び止めた。


「忠告だ。城へたどり着いたところで、お前にとってはつらい現実が待つだけだ」


 かすれた声を耳に入れて、振り向く。


「なにをいまさら」


 青年と相手の間を冷めた風が吹き抜ける。

 勇者にとっては世界を救うために背負うリスクは分かっていた。辛苦を味わう覚悟はできている。


「違うのだ」


 下僕は目を閉じる。


「お前は最後に、大切な者を殺す羽目になる」


 最初は聞き流すつもりだった。敵の言葉を真に受けても、損をする。だますつもりだと決めつけて、背を向けた。遠ざかろうとして足を止める。『大切な者』という単語が、耳をかすめたからだ。


 頭上に黒い雲がただよう。薄墨色の空に不穏な匂いを感じた。背を向けたまま相手の話に耳を傾ける。加速する鼓動が運命へのカウントダウンを始めた。


「お前はここと似た場所で、ある女を手にかける。刃で胸を貫いて手を血に濡らす。悪は倒され白い花は散るのだ」


 耳に入る声が心を乱す。

 目を見開いて語りの主を瞳に収めた。

 相手の顔色は青白い。勇者の唇も青ざめていた。


「お前は、殺したことを悔いる」


 日は沈んだ。夜が迫る。淡い月が昇る中、下僕は決定的な言葉を吐く。


「なぜならお前の殺す女は、捩花に住む久遠小夜子だからだ」


 言葉の刃が心のすき間に入り込む。

 青年は凍りついた。


「な、なに、言って」


 声が引きつる。

 ウソだ。断じようとしたとき、脳内を少女の発した言葉がよぎる。


――『なら、私も待ちます。最後にあなたがたどり着くであろう荒野で』


 息を呑む。

 かすかに感じた震動で自分が震えていると気づいた。

 心に届いた現実が青年の目を覚ましにかかる。


「そういうことか」


 奥の歯を噛む。

 薄荷のような味が口の中に湧いた。



 戦いを終えて、勇者は荒野を進む。

 濃く広がる闇と月の光を背負っているせいか、足取りが重い。


 彼の真に守りたかった者が、最大の敵だったと知って、戦う理由が分からなくなる。存在意義すら欠け落ちた。風が空いたすき間を吹き抜ける。五感が体から抜けたような感覚だ。


 小夜子は味方だと、心の底では信じている。


 三日間、彼女と捩花で暮らした。夜は同じ家に泊まって、昼間は盗賊を探す。彼女の協力もあって、青年は剣と貨幣を取り戻した。


 一ヶ月前、沈んだ青年を励ました少女の顔を覚えている。見入ってしまうほど明るくて、神々しい笑顔だった。小夜子は青年が勇者でいる理由を作った。彼が勇者としてクルールの大地を踏んでいるのは、彼女のおかげだというのに。


 奥歯を噛んだ。砂の味が口に広がった。


「なんでだよ」


 理由を求めた。答えは沈黙で返ってくる。

 頭をかきむしりながら殺さずに済む方法を考えた。彼女には必ず勇者を敵に回す事情がある。戦いは避けたい。顔に透明な雫が浮かんだ瞬間、青年の脳に男の声が届く。


『甘いな』


 トゲのある声を聞いて、目が泳ぐ。


「君は……いや、あなたは」


 現実の世界で青年はすでに男と会っている。異世界に飛ぶ寸前、視界を光がおおった。そのすき間に闇の気配が入り込む。青年が勇者になったのは、神が与えた肉体とギフトによるもの。相手が介入したのは、闇を感じた一瞬のみだ。


 そして今一つの体を通して、なぞの気配の正体と向き合っている。

 その事実を悟って血の毛が引いた。腕をおろして手のひらをだらりと開く。


『魔王は必ず倒せねばならん敵だ。自らの役目に背き、ハッピーエンドを目指すとは。そのような願い、叶えてたまるものか』


 雷鳴に似た声が脳に響く。


『運命は最初から決まっている。これは設定されたルールの中で行うゲームだ。魔王は必ず勇者が倒す。そのシナリオを崩す者を野放しにはしない。我に逆らうことなど。たとえ勇者であろうと許されん』


 傲慢な響きが青年に現実を突きつける。


「なんだと?」


 押し殺した声を出す。

 ふざけるなと当たり散らしたくなった。

 声を荒げる直前で、口を閉じる。

 胸の底に生じた怒りの感情を、呑み込んだ。


 知っている。逆らったところで自分の肉体が散るだけだ。

 声の主――勇者を送り出した神の前では、いかなる強者もかすむ。

 青年は拳を握った。爪が皮膚を破って手のひらに血がにじむ。


 彼もシナリオの一部であり、物語に組み込んだ登場人物の一人だ。


 運命はおのれをもてあそんで、高みの見物を決める。理不尽だ。青年は歯をかき鳴らす。


 視界が真っ暗に染まる中、彼の意思も固まりつつあった。


 召喚を受けたときの喜びを覚えている。勇者としての責務を知っていた。

 彼はヒーローに憧れを抱く。なればこそ、目的を最後まで果たす義務があった。

 真の勇者へ至るために、大切な者を手にかける。心に冷たい炎を燃やして、決意をした。


 青年が顔を上げる。

 神は気配を消した。


 前を向いた瞬間、彼の元に一羽の鳥が飛んでくる。くちばしに紙をくわえた個体だ。お届け物を渡すと向きを変えて、もときた道を引き返す。鳥は山の向こうへ飛び去った。

 勇者は中身に目を通す。


『三日後、城の前に広がる荒野で待ちます』


 メモのような短い文章を何度も読み直した。

 初めて見る筆跡だが小夜子の書いたものだと、予想がつく。

 かくして運命は確定した。手紙の内容を確かめた瞬間、三〇年の時を重ねた気分になる。退廃的な匂いが鼻を抜ける中、青年はかわいた唇を動かした。


「上等だよ」


 凛とした声が荒野に響いた。


 三日後、勇者は約束の場所へ向かう。

 日が沈む。地表から熱が逃げて涼しくなった。鋭い風が露出した肌に染み込む。青年は眉一つ動かさなかった。


 鉄靴の向いた先には魔王が待ち構えている。白い着物と銀の甲冑を身につけた少女だ。久遠小夜子。世界を統べる魔の王にして、勇者を呼び寄せた張本人だ。


 魔王は澄んだ瞳に静けさをただよわせながら、勇者を見澄ます。彼も勇ましい顔つきで相手と向き合う。


 目が合うと二人は同時に剣を抜いた。魔王の剣は黒い刃の上に紫紺の輝きをまとう。反対に勇者の持つ剣は白銀だ。刃の上を走る粒子は神の光を思わせる。


 太陽は完全に沈み切った。暗くなった空間に銀の甲冑と緋色の鎧が、鮮やかに映える。


 次の瞬間、二つのくつが大地を蹴る。剣を振り上げた。二つの剣がクロスする。黒と白の刃がぶつかり合い、火花を散らした。


 まずは様子を見る。退こうとしたとき、目の前を紫紺のラインが閃いた。魔王が一撃を叩き込む。鎧の一部が砕けた。漆黒の刃が皮膚をえぐる。浅いとはいえ傷を負った。


 以降も勇者と魔王は同じ場所で戦いを続けた。

 傷が増えて肌を赤い液体が伝う。防具は砕けて意味をなくした。口の中に鉄の味を感じる。


 遠くで上がった煙が荒野に迫る中、勇者は魔王に挑んだ。歯を食いしばって剣を振り上げる。魔王は攻撃を受け止めると、剣を振り回した。刃が青年の体を打つ。彼は力任せに吹き飛んで、地面を転がった。


 日が落ちてから七二時間が経とうというころ、勇者は倒れる。炎色の鎧の上にさらに鮮やかな色をした液体が通って、線を作った。


「勇者といえども魔王には苦戦する。そうでしょう?」

「ああ、だけど、ギブアップは早い。俺はまだ」

「今、私が止めを刺すのに。抵抗したたところで無駄なこと。実力の差は思い知ったでしょう?」


 冷ややかな眼差しを向けて、首をかたむける。


「できるのか? あんたは、俺と一緒の時を過ごしたっていうのに」


 青年が顔を上げる。真面目な声で繰り出した問いに対して、魔王が表情を変えた。


「なにを、言っているの?」


 顔から血の気が引いて、頬(ほお)に透明な雫が浮かぶ。


「私はあなたとは違います。魔王としての覚悟は、備わっているわ」


 流れ出した汗が血と混ざって赤く染まる。

 下駄が大地を蹴った。魔王が迫る。今にも襲いかかりそうな雰囲気だ。硬い空気の中、青年は落ち着いて思考を回す。


「本当に、そうか?」


 口に出すと同時に魔王が剣を振り上げる。


「違うだろ」


 視界の中で紫紺の刃がひらめく。


「なぜなら、君は」


 なでしこ色の唇から悲鳴を押し殺したような声が漏れる。少女が息を呑んだ。


「優しすぎる」


 漆黒の刃が地面に突き刺さる。攻撃は青年を避けた。

 柔らかな手のひらから柄が抜ける。魔王が動きを止めた。空間ごと凍りついたかのように立ちすくむ。漆黒の瞳が揺れた。


「あなただって、同じはず。あなたも、私を、殺せない。殺すはずがないのよ」


 高い声で、泣き叫ぶように呼びかける。端正な顔が歪んだ。感情が爆発する。


「君が思うような人間からは、卒業したよ」


 土の匂いにまみれながら青年は立ち上がる。顔を上げて、彼女を見た。


「俺には使命がある。成し遂げるためなら、外道に落ちる覚悟もあるんだ」


 金色の瞳に炎色の闘志を宿して、宣言する。


「君を殺すぞ」


 勇者が刃を向ける。


 魔王が目を見開いた。彼女の動きが強ばる。口を閉じて、眉を寄せた。言葉を繰り出すかわりに、なでしこ色の唇をわずかにゆるめる。


 刹那せつな、白銀の刃が胸を貫く。挿し込んだものを抜くと孔から赤い液体が漏れた。白い着物に蘇芳がにじむ。


 影は体勢を崩す。

 背中の上で、長い銀髪がはねる。

 血の気の引いたほおは青白い。

 黒曜石のような瞳から、光が消える。


 三日三晩にも渡る激闘は、夜明けとともに決着した。


 うつろな顔をした少女は糸の切れた操り人形のように倒れ込む。彼女の体を青年が受け止めた。

 新しい日の光が二人を照らす中、なでしこ色の唇が動く。


「私の敗け」


 小さな口がか細い声を漏らす。勇者の腕の中で彼女はぎこちなく笑ってみせた。

 彼は堅い顔で静かに相手の話に耳を傾ける。

 風が吹いた。かわいた空気が宙を舞う。くすぶった匂いを吸い込んだ。


「すまない」


 沈黙を破る。


「俺は、君の敵にしかなれない」


 眉間にシワを寄せた。

 自身を恥じて、謝る。


「俺は勇者だ。俺にできたのは、責務を全うすることだけ。だから、君を救えない」


「いいえ」


 なでしこ色の唇が微笑んだ。


「私を討ったのは清廉潔白な勇者。私は魔王として散り、この世で最も崇高なる人物によって止めを刺された――それはなんと、幸福な結末なのでしょうか」


 声から力が抜ける。最後の言葉は耳に届く前に散った。


 彼女はゆっくりとまぶたを閉じる。

 魔王は生への執着を手放して、潔く眠りについた。

 白い肌から体温が消える。本物の雪のように冷たくなった。

 体は硬直して、二度と動かない。


 青年は砂の味と一緒に、少女の死を呑み込んだ。


 魔王が散った後でも城の前には瘴気が残り、陰気な香りがただよう。彼は魔王の体を下ろすと、荒野を後にした。


 空は灰青ににじむ。東の国への道のりは気が乗らず、足取りは重たかった。



 責務を終えたあとも、勇者は異世界に留まる。こちらへの召喚は一方通行で、現実世界への帰還は不可能だったからだ。


 以降は緑が豊かな農村で暮らす。報奨金を受け取ったおかげで悠々自適な生活だ。平和な時が流れていくにも関わらず、青年の心は空っぽのままだった。


 四ヶ月に渡る旅を通して得たものとは、なにだったのだろう。


 魔王を倒した結果、心を満たしたのは湿った感情。最も大切に想った者の命を奪った罰だろうか。真にほしかったものは手のひらからすべり落ちて、救いたかった者も自ら手にかける。彼は久遠小夜子を犠牲に、世界を救った。


 心を冷たい風が吹き抜けていく。英雄譚の真実を知る者も、勇者の心の内を知る者は一人のみ。勇者は広い世界の片隅で一人になる。


 少女への無念が心に黒いシミを作った。薄荷の後味を飲み込む。

 あたりには土と草花の青い匂いがただよい始めた。

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