勇者と魔王の物語 『破』

 旅に出てから一ヶ月がたったころ、勇者は魔王の統べる土地に立ち入る。最初の町は花壇が目立つエリアだ。名を『捩花』という。東よりも豊かな町だった。人気は多く商店街は活気で満ちている。住民に話を聞くと、誰もが魔王に対する感謝を述べた。

 いわく――


「過去に戦争があってね。土地は荒れた。政府は私らを見捨て、背を向ける。しかし、魔王は手を差し伸べ、土地を直されたのさ。今や花の都。どうだい? いい話だろ」


 バラ色の衣を着た婦人の言葉を思い出す。

 いったいなにが正しくて、なにが悪なのだろうか。

 町をただよう甘い香りをかぎながら、勇者は苦々しい表情を浮かべる。


 一方、町の入り口で、すでに勇者は盗賊の被害に遭っていた。

 朝、町の入り口で影が目の前を横切る。何者か確かめようとしたとき、相手は視界から消えた。同時に勇者の背から剣もなくなり、サイフも中も空になる。

 以上が事の顛末だ。


 かくして無一文と化した勇者はトボトボと歩いて、町の中心で足を止める。


「まいったな」


 頭をかく。

 棒のように立っていると、何者かが声をかけた。


「どうしました?」


 振り向いて、息を呑む。


 レンガの建物の前に、白いバラのような少女が立っていた。


 純白の着物を見て一国の姫を連想する。体は小柄で腕が細い。腰をつかめば折れてしまいそうだ。顔立ちは整っていて人形に似ている。神々しい雰囲気の中、幼さの残る表情と澄んだ黒い瞳が、人間らしさを演出していた。


「盗まれたんだ。宿に泊まる金と武器が消えたんだよ」


 事情を話すと相手は「まあ」と唇に手を当てた。


「困っておられるのなら、私の家を使ってください」

「いいのかよ?」

「はい。大したおもてなしはできませんけど」

「でも、居候だよ?」


 青年は家事が苦手だ。皿を洗おうものなら一〇枚は割る。本当に相手を頼っていいのだろうか。

 数十秒考えたすえに、結論を出す。


「いいよ。君の家に泊まる」


 盗賊の事件は三日で解決すればよい。宿に困った状況で彼女と出遭ったのは、まさに運命の導きだ。勇者は少女の厚意に甘えることにした。


「はい。私は久遠くおん小夜子さよこといいます。よろしくね」


 青年が握手を求めると彼女は彼の骨ばった手を握り返した。


 居候とはいえ怠けるばかりでは罪悪感がある。青年は掃除をはじめた。床にモップをかける。その途中で持ち手が花瓶と接触して、バラバラになった。床に飛び散った破片をかき集めて、小夜子に頭を下げる。


「いいのよ。掃除、がんばってください。感謝はしてますから」


 彼女は顔に引きつった笑みを浮かべて、相手を許した。

 心の広い彼女のために貢献はしたい。されども青年が動くと新たな被害を生む。悩んだすえに選んだ答えは『自重』だった。


「よし、家ではおとなしくしよう」


 夕方に結論を出して彼は一日を終えた。


 二日目の朝、勇者と小夜子は町に出る。盗賊を探すために聞き込みを始めた。小夜子が声をかけると、住民は快く情報を口に出す。


「きのう、山田さんが相談しにきたんだよ。盗みの予告状が届いたって」

「本当ですか?」

「ああ。位置はね」


 女性は山を見つめて指をさす。


「端っこだよ。人気のない場所さね」

「情報の提供、ありがとうございます」


 あいさつをしてから二人は現場に駆けつける。


 一〇〇以上の樹木の隙間に目的の物件はあった。あたりは薄暗い。不穏な気配がただよう。魔物も避ける幽霊屋敷。そんな雰囲気の家に一人の泥棒が近づく。背の低い子どもだ。ボロ衣を着た彼は棒を構えている。狙いは窓だ。まさに今、棒の先端がガラスを破ろうというとき、子どもの動きが止まる。手のひらから武器が落ちた。盗人はジタバタと暴れ出す。


「おとなしくしとけよ」


 取り押さえた本人は軽い力で子どもを拘束する。

 少女はすっと相手に近寄って、かがみ込む。


「なぜ盗みを働いたの?」


 目線を合わせてやわらかな声で問う。彼女の反応を見た青年は子どもを地面におろした。盗人は眉をつり上げ、唇を尖らせる。強気な態度だが捕まる覚悟はあるようだ。堪忍した様子で語りだす。


「男には誰しも求めてやまないものある。だが、この世の全てを手に入れても、心の渇きは癒やされない。闇は心をおおいつくした。俺は愛すらなくした悲しき獣。いっそ天地万物を更地に戻したいとすら願った」


 少年は地団駄を踏みながら思いのたけを吐き捨てる。

 彼の憎しみのこもった告白に対して、二人はポカーンとした。

 相手がなにを言っているのか分からず、リアクションに困る。


「つまり? ほしいものがあるけど、お母さんは買ってくれなかったのね。不満に思って泥棒に入ったってところかしら」

「そうさ、俺はこのイカれた世界を壊したいのさ。そして、闇に落ちた男を導くのはやはり貴様か、聖女」

「よく分からないけど、ほしいのね」


 小夜子は固い表情を浮かべながら、懐から菓子を取り出す。透明な袋に入っているのは、蜂蜜を使った甘いパンだ。


「よかったら食べて。これで気が済むのなら」


 途端に子どもの目が輝く。


「供物を授けるというのか? 行き場を失くした愚者に。だが、もしも真実だとすれば、俺は……世界は今、光に満ちた。どうやら、俺はとんでもない魔力に惹きつけられたようだ。貴様が『しろ』というのなら、妖気に満ちた刀も手放すさ」

「ありがとう。でも、私はあなたがいうほど立派な人じゃないわ」


 自分に酔った口調で話す子どもに対して、小夜子は引きつった顔で受け答えをする。


「なんで会話が成立してるんだ」


 離れた位置で二人を眺める勇者は、ぼうぜんとつぶやく。

 なにはともあれ、ひと安心だ。


「ところで俺の剣を盗んだ犯人は違うやつだよな? 見た目からして、なんかアレだし」


 眉間に薄くシワを寄せて、勇者は切り出す。

 途端に相手は眉をひそめた。目の角もつり上げて、厳しい口調で言葉を吐く。


「世界の四柱である青竜を宿す俺を、ゴブリンと同列に扱うとな? 貴様、なに大陸の出身だ? 今すぐに撤回するがいい。俺の闇が貴様を呑み込むぞ」

「いいから答えてくれ。君はなにを知ってるんだ?」


 青年が真顔で迫る。


「よかろう」


 子どもは腕を組んで、得意げな笑みを浮かべた。


「世界の真実を伝える。かの者とは、俺の作った盗賊ギルドのメンバーだ。そして、俺がトップに君臨する。やつに盗みの術を教え込んだのは、この俺だ」

「なるほど。例の盗賊から、盗みを教わったのね。いいえ、正確には『こうするんだろうな』と妄想をして、マネをしたのかしら」


 原文と翻訳の差が大きく、脳が混乱する。


「あー、もう君は言わなくていい。共通語で話してくれ」


 頭をかき乱しながらイラ立ちを吐き出すと、子どもは急に表情を変えた。


「分かりました。やつは地下にいます。場所は――」

「普通に話せたのかよ?」


 真面目な口調で話す子どもに先ほどまでとのギャップを感じる。

 勇者が仰天する中、相手は情報を吐き続けた。


 かくして敵の居場所をつかんで、準備は整う。


「大丈夫なんですか? 武器も持ってないのに」


 小夜子が問う。

 天を見上げると雲が広がっていた。


「いけるさ、一人でも」


 迷わず宣言して親指で胸をさす。

 彼は勇者だ。素手であろうと戦いはできる。日が落ちる前に剣とコインを奪い返すつもりだ。

 勇者は歩を進める。少年の話した場所へ、早足で。持ち物を取り戻すために。



 小夜子は先に家に戻って青年を待つ。

 彼は無事だろうか。傷を負って地に沈む青年の姿を頭に浮かべる。ざわざわと心が波立った。壁のすき間から入ったかすかな風が、燭台しょくだいの炎を揺らす。窓の外は曇ったままだ。


「お願い。無事に帰ってきて」


 薄暗いリビングに澄んだ声が溶けて消えた。


 彼女の期待に答えるように、青年は日が沈む前に帰る。持ってきたのは異国の剣だ。コインも手のひらに乗っている。目的を果たしたのだ。しかし、悪を倒した後にしては表情が陰っている。彼は湿った匂いをただよわせながら、床を進んだ。足取りは重い。まるで鎖を引きずっているかのようだった。


 テーブルに腰掛ける青年を、目で追う。


「なにかあったんですか?」


 眉を寄せる。口を丸く開けて問うた。ほおを汗が伝って下へ落ちる。相手はおもむろに口を開いた。


「取り戻したよ。けど、あいつ、言ったんだ。『お前は悪だ』ってさ」


 青年は濁った目で壁のシミを見つめる。


 一時間前、勇者はアジトで盗賊を倒した。彼は剣と貨幣を取り戻すかわりに、恨み言を受け取る。


――『いままで、どれだけの人間を傷つけてきたんだ? 地べたをはいずる虫けらをどれくらい見捨ててもきたんだ。お前はしょせん、そんなものだ。ヒーローのなり損ないが』


 相手は唇の端をつり上げて、声を立てる。

 闇によどんだ瞳と顔にかかった影。とがった言葉と不気味な笑い声が耳にこびりついて、脳内にこだまする。


「知ったことか」と冷ややかな目で見下ろすべきだった。

 相手は悪で、勇者は正しい。薄汚れた者の吐く言葉は薄っぺらく、浅はかだ。


 言い返すために開けた口をもう一度閉じる。旅に出た後に盗人や不良を傷つけてきたことは、事実だった。勇者は返す言葉を失う。表情から色が消えた。いままで目にとらえた赤い色が、心に刺さる。苦い感情がこみあげた。


 視界や道筋に煙がかかる。果たして勇者とは正しい存在なのだろうか。

 血の臭いが鼻につく。ぞくぞくとした感覚が背中を押して、勇者はアジトから逃げ出した。


 日が落ちて外は闇に沈む。リビングで夕食をとりながら、青年はおそるおそる口火を切った。


「このままでいいのかって、思うんだ」


 低い声を口から漏らす。

 パンを食べるとパサパサしていて、硬かった。よく噛むと乾いた味がする。やっとのことで、のどに通す。


「俺は勇者だ。勇者として人を傷つけた。武力でしか解決できなかったから」


 青年は時間をかけて自分の思いを吐き出す。


 三ヶ月前に異世界に転移した彼は、戦いの舞台に赴いた。彼は勇者の器に憑依した形であるため、戦闘力が高い。戦って解決できるものの前では、無敵だ。逆にいうと、暴力でしか問題を解決できない。捩花にたどり着くまでの期間、青年は刃で人を傷つけ続けた。旅の過程で悪い方向へ変わったことは、認める。自らが理想とする勇者とは離れてしまったのだと、彼は気付いた。


「いや、本当は共感してほしかっただけなんだ。同情が欲しくて、機械みたいに口を動かしただけだよ。この告白は無意味だ。解決策なんかないし伝えたところで、なにも」


 サラダに手をつける。青臭い匂いが鼻に入った。野菜はひんやりとしていて、かすかに甘酸っぱさを感じる。


 本当は分かっていた。気持ちを伝えたところで、相手は自分をけなすと。

 彼女も失望しただろう。「そんな人間だと思わなかった」と。


 マイナスの方へ考えを広げると、自信が失せる。話さなければよかったという後悔が、重たい影を伸ばした。


「大丈夫です」


 燭台しょくだいの炎が照らす薄暗い空間で、なでしこ色の唇が動く。


「あなたは立派なことをやっています。誰が責めたり、するものですか。たとえあなたが全ての人間に嫌われたとしても、私がいます。私は、あなたの味方でいます」


 目の前に光が差した。


 顔を上げる。目の前で天使のような少女が微笑んだ。後光が差しているかのように、まぶしい。


 対する青年は、苦笑いを浮かべる。

 彼女こそ、ヒーローだ。おろか者の相手にはもったいない。


 勇者である自信をなくした自分を恥じる。こそばゆくて決まりが悪い。体の表面が熱を帯びる。心にも小さな火が灯った。張り詰めていたものが溶けたような気がする。


「なあ、小夜子」


 続きを述べる前に食べかけのサラダを処理する。真っ赤な果実を口にふくむと、豊かな香りとフレッシュな味が舌にのった。


「俺、君が好きだ」


 意識すると前の席から春の匂いがただよってきた。

 一方で告白を受けた本人は、表情を固める。白い顔にほんのりとりんご色がにじむ。ほおに差した赤みはじょじょに濃くなっていった。やがてやわらかな唇は弧を描く。


「はい。きっと、私も」


 心をくすぐる甘い声だった。


「でも――いや、だからこそ俺たちは『さよなら』すべきなんだよ」


 厳しくも芯の通った声で、彼は語る。


「勇者の目的は世界を救うことだ」


 あらためて確かめるように口に出す。


「俺、義務感でやっていた。世界を救うのは責務であり、任務だってさ。でも、今は本気で救いたいんだ。悪を倒したい。そんな想いが強くなった。君と、出会ったから」


 まっすぐな目で少女を見つめる。彼女も澄んだ瞳で見つめ返した。


「大切な人ができた。守りたい相手ができた。だから俺は君のために、戦う」


 自分自身に言い聞かせるように、力強く、宣言した。

 青年は一度テーブルをにらみつけてから、顔を上げる。視線の先には濃紺の空に浮かぶ月があった。満月に誓う。必ず魔王から世界を解き放つと。


「なら、私も待ちます。最後にあなたがたどり着くであろう荒野で」


 なでしこ色の唇から消え入りそうな声を漏らす。


 静けまった空間に風が葉を揺らす音が、かすかに届いた。埃っぽさと湿った匂いがリビングを包む。夜の肌寒さに秋の訪れを感じ取った。


 パサついたパンをちぎって口に運ぶ。やはり味はしなかった。

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